FC2ブログ
08月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫10月

朝勉強の快楽

2018年09月30日

9月30日(日)

長い間頭痛の種だった論文が昨日漸くできて、精神的な負担がひとつ減った。

また台風が近づいている。堺は今、嵐の前の静けさだ。


IMG_0863_convert_20180930141345.jpg

*金曜日の御影堂。今頃大雨だろう。


以前は夕方からがプライムタイムと心得ていたが、本館に陣取ってからは朝勉強にウエイトが移った。高野山にいる間は、朝6時に目を覚まし、ラジオの英会話を聴く。それから身支度を調えて、伽藍に参拝する。朝食は、出かける前に買い置きを食べるか、コンビニで買って済ませる。

大学の自室に入るのは、だいたい7時から8時の間である。すぐにお勉強にかかる。この時間帯はまだ事務も始動していないし、他の教員も来ていないから、電話一本かかってこない。能率は上がる。実に気持ちがいい。

8時半になると、階下から事務職の朝礼の物音が聞こえてくる。9時頃、一息入れて、お茶やコーヒーを飲む。それから授業がある日は授業を行い、なければそのままお勉強や事務仕事を続けて、12時になったら食堂に下りる。午後は会議や相談が立て込む。気がつけば5時である。夕食はなるべく早く取り、区切りがつかなくても、8時には曼荼羅荘に引き上げる。


ある大学教員の日常茶飯 | トラックバック(0)

大阪散歩

2018年09月23日

9月23日(日)

昨日の午後、久しぶりで中之島の大阪府立図書館に行き、新聞のデータベースから必要な資料を複写してきた。

IMG_0848_convert_20180924073407.jpg

*北御堂の秋空


帰路は淀屋橋から3キロあまりの道を難波まで歩いた。御堂筋から大丸百貨店を通り抜けて心斎橋筋に入ると、アーケード街はいつもどおり中国人・韓国人などの観光客でごった返していた。なかには大小の買い物袋をかかえて道ばたに座り込んでいる集団もいる。

まあ精々楽しんで、たくさん買いものをしてもらいたい。それにしても、なぜ韓国の女性は唇をまっ赤に塗り、髪の毛を茶髪にしている人が多いのだろうか、などと考えているうちに戎橋を過ぎて難波に着いた。


忙しいのに、われながら無駄なことばかりやっている。以前ならこう自分を責めたところだが、今は、こういうことで自分は身心を休めていると考えるようにしている。連休明けから後期が始まる。公私ともに課題山積だ。



ある大学教員の日常茶飯 | トラックバック(0)

南葵文庫

2018年09月18日

9月18日(火)

朝から気持ちのよい秋晴れである。


連休の初日の土曜日は、先に書いたように、査読と保護者懇談会で休むことができなかった。2日目の日曜日は終日家に籠もって外出しなかった。3日目の昨日、和歌山市博物館に南葵(なんき)文庫関係の特別展を見に行った。

題して「お殿様の宝箱 南葵文庫と紀州徳川家伝来の美術」。規模はあまり大きくないが、なかなかの好企画で、東大図書館にある「南葵文庫」の扁額、南葵文庫の旧観を伝える写真の数々、文庫の旧蔵書、徳川頼倫(よりみち)が残した写真帳と彼が使っていたものと同型のコダック・カメラなど見所が多かった。

高山寺蔵の熊楠書簡を整理した前後から、紀州徳川家第15代当主、徳川頼倫と頼倫が設立した南葵文庫には興味を持っている。その一行とロンドンで交流した熊楠は、法龍に宛てた手紙の中で、自分が頼倫に説いたことがこの文庫の設立につながったという意味のことを独特の調子で述べている(『高山寺蔵 南方熊楠書翰ー土宜法龍宛1893ー1922』藤原書店、pp.301-302)。熊楠との関係を離れても、頼倫と随行の鎌田栄吉、斎藤勇見彦の欧米漫遊は十分に興味深い。次の次の次の次くらいには、研究テーマにしたいものである。


往きは鍋谷峠のトンネル道から京奈和道を使い、帰りは北上して途中から阪和道に入った。距離は前者がちょっと長くて約60キロ、時間は和歌山市内に入ってからが掛かって1時間半ほどだった。

なおこの特別展について知ったのは、南方熊楠顕彰館からの通知による。N尾さんはじめ顕彰館の方々に改めて御礼を言いたい。





ある大学教員の日常茶飯 | トラックバック(0)

査読

2018年09月16日

9月16日(日)

昨日、大学で保護者懇談会があった。


私は数年前からさる学会誌の査読委員を拝命している。締切が近づいているため、先週は査読で忙しかった。大学院生については特に厳密にやらせてもらった。論文を書くのは精神的にも肉体的にもきついことである。経験の浅い大学院生は追い詰められる。だから、やっとできたと思った原稿が真っ赤に直されて、もうちょっとここをどうにかした方がいい、などと言われるのはとても辛いことである。それは分かっているが、ここが頑張りどころなのである。昔、私も同じようなことをしてもらった。ありがたい、としか言えない記憶である。



ある大学教員の日常茶飯 | コメント(0) | トラックバック(0)

能海寛の故郷

2018年09月14日
9月14日(金)
一昨日、和歌山県庁まで行って国際課に挨拶し、Y下さんたちと来年1月のイベントについて打合せをした。すでにスケジュール案ができていた。いつもながらの早手回しである。それから県庁近くの旅行代理店に挨拶に行った。関空の連絡橋がああいうことになって、各社対応に追われ、疲労が蓄積しているとのことだった。実は和歌山県庁に入ったのはこれが初めてである。3年前からマハーラーシュトラ州との関係で急に国際課の人たちと関係が深まって今日に至る。

8日から11日までの4日間、資料調査と撮影のため島根県浜田市金城町に出張した。宿は3泊ともに明治屋さんであった。泊まり客はI倉先生と私だけ。そのI倉先生も3日目に帰られて、最後の晩は私一人であった。明治屋は1泊2食付きで6000円+消費税というリーズナブルな宿である。女将さんが食事と風呂を知らせにくる以外、森閑として何も起こらない。それがとてもよかった。

9月8日(土)
朝9時過ぎに家を出て、泉北高速線、大阪地下鉄、山陽新幹線、「いさり火号」、路線バスを乗り継いで波佐のときわ会館に着いたのは、8時間近く後の午後5時前であった。S田さん、O崎会長、B代さんに迎えられ、まずはU田さん宅で開かれた7月のシンポジウムの「反省会」に参加した。東京から来られたI倉先生、浄蓮寺ご住職も加わって座は盛り上がったが、例によって飲み過ぎたのが反省材料だった。
9月9日(日)
午前9時からときわ会館の会議室を借りて作業開始。雨が降っているため、資料を出してくるのに苦労したが、作業自体は徐々に軌道に乗った。私の仕事は、現物を所蔵資料リストでチェックしながら、撮影順に列べ、終わったら片付けること。
昼食時、あてにしていた村のコンビニが閉まっていたので、K林さんの車でわざわざ県境の峠を越えて広島県側まで食べ物を買いに行った。次回からは昼食も明治屋に頼めばよいことに気がついた。ついでに言えば、広島市からこっちは現金払いの世界である。現金は余分に持っていった方がよい。この日の作業を終えた時には6時を少し回っていた。
9月10日(月)
一日中作業。午後浄蓮寺のご住職が奥様手作りのお菓子を持って慰問に来て下さった。
9月11日(火)
午前中、資料館で撮影を行い、今回のスケジュールを終えた。K林さんたちを見送った後、S田さんに浄蓮寺と常盤山八幡宮に案内してもらう。来月20日に東洋大学で能海寛関係のシンポジウムがある。その前に能海が生まれ育った環境をできるだけ見ておきたかった。その後、金城の高速バス停まで送ってもらった。帰宅したのは8時過ぎであった。
IMG_0808_convert_20180914081606.jpg
*金城町長田も稲刈りの季節を迎えていた。

IMG_0822_convert_20180914081645.jpg
*流鏑馬の神事が行われる八幡宮の参道。この神社は、宇治川の先陣争いで知られる佐々木高綱に縁がある。高綱は高野山で出家した。手前の石灯籠には「支那事変応召者帰還記念」と刻んであった。忘れてはならないこの村の歴史のひとこまを見た気がした。同じくこの穏やかな山里から出かけて行った者の中にも、戦場から生還した者もあれば、能海のように二度と故郷を見ることができなかった者もいたのだ。
フィールドワークの記録 | トラックバック(0)

敵意のある観衆

2018年09月12日

9月12日(水)

8日から11日まで能海寛資料の調査のため島根にいた。その間にUSオープンで大坂なおみ選手が優勝した。テニスに特に興味があるわけでも、実況を視ていたわけでもないが、決勝戦とそのあとの表彰式での出来事には注目せざるを得なかった。


一夜明けての日本の報道。泊まっている旅館から現場に出かける前に見たワイドショーには、往年の名選手が解説に起用されていた。彼が言うに、あのブーイングはアンパイアに対してのものであって、大坂選手に向けられたものではない、と。そんなものかと思っていたが、改めてネットで映像をみてみると、あのブーイングの少なくとも一部は明らかに大坂選手にも向けられていた。セリーナが正しく、アンパイアは○○だ。そのアンパイアのお陰でお前は勝ちを拾った。そんな勝ちは認めないぞ、ということだと思う。


決勝戦で日本人選手を打ち破った相手にも観客は賞賛の拍手を惜しまない。日本では当たり前の光景もよその国ではどうだろうか。あの解説者が言うべきだったのは、海外で戦うというのは、こういうことなんですよ、ということだったのではないかと思う。もちろん、大坂選手自身、口にこそ出さないが、そんなことは百も承知であるはずだ。


その後、欧米のマスコミから、観客や主催者に対する批判が現れた。確かに、“Perhaps it’s not the finish we were looking for today.” は主催者が口にすべき言葉ではない。 こういう報道を受けて、日本のマスコミ各社が論調を変えたかどうかは確認していない。

ある大学教員の日常茶飯 | トラックバック(0)

安否確認

2018年09月06日

9月6日(木)

高野山大学は小さいながらも全国区なので、朝から北海道出身の学生の安否確認が行われている。

無事を確認できた学生もいれば、電話が不通のために連絡がつかない学生もいる。現役の学生だけでなく、北海道には同窓生も多い。取り敢えず、すべての人の無事を祈っている。

このブログを見た関係者の方、情報をお寄せ下さい。



その他 | コメント(0) | トラックバック(0)

台風と停電

2018年09月05日

9月5日(水)

風雨がようやく収まりかけていた昨日の午後4時過ぎに停電が起こった。それまでも瞬間的に切れて、すぐにまた回復するのを何回か繰り返していた。だが、今回は何分待っても回復しない。自家発電が自動的に発動しているが、非常灯が着いただけである。停電は高野町全体に及んでいるらしい。これでは仕事にならない。お店が軒並み閉まっていて、食べ物も買えない。仕方がないので、堺に帰ることにした。ネットのニュースは、関空の連絡橋へのタンカーの衝突を報じている。いやはや、酷いことになったものだ。

途中、道路に倒れかかった木の下を2回通った。路面には木の枝が散乱している。何とか紀ノ川まで下りて、鍋谷峠への道に入る。ところが道の駅の手前で警察に止められた。大阪側に倒木があって通行止めです、他の峠に回って下さい、と。止むを得ず、コンビニで食料を買って、高野山に戻ることにした。直ぐに暗くなるのでぐずぐずしてはいられない。

曼荼羅荘はもちろん真っ暗だった。買ってきたチキンをかじって、すぐに寝た。台風は過ぎたはずなのに、夜中に豪雨が降った。

IMG_0722_convert_20180905082242.jpg

*一夜明けた壇場伽藍の状況。建物には大きな被害はなさそうだ。

その他 | トラックバック(0)

日本印度学仏教学会学術大会

2018年09月03日

9月3日(月)

1日、2日と二日間にわたり東洋大学で開催された日本印度学仏教学会学術大会に参加した。今年は残念ながら発表は見送ったが、全体としていい勉強になった。


チャオさんの発表の時には、私も手に汗を握った。後で本人に聞くと、途中から自分でも何を言っているのか分からなくなったという。それでも、まあまあの出来との評をもらったから、次のステップには繋がったと思われる。その時司会をしていた日本語の達者な中国人は、チャオさんの修士時代の先輩だった。チャオさんにもがんばってもらいたいもの。いろいろな意味で。


懇親会のあと神田明神近くにあるホテルに投宿。隠れ家のような味わいがあったが、あいにく私には合わなかった。


今日は自宅でのんびり過ごすはずだったが、K林社長が御山に来ると知って、3時には大学に行き、週末からの撮影の打合せをした。8日からまた島根である。

ある大学教員の日常茶飯 | トラックバック(0)
 | HOME |