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浜田

2018年08月31日

8月31日(金)

朝食時、ホテルのレストランから海が見え、島影が見えた。

「あの島は何というのですか」

給仕の女性にたずねると、観光マップを持ってきて、「イセ島かヤナ島か馬島です」とのたまう。のんびりしたところである。

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一昨日、チャオさんの発表論文の指導が長引き、広島に着いたのは午後8時近くだった。すぐに先着のK谷君と食事に出て、ビールと焼き鳥で遅い夕食を取った。翌朝、新幹線口から8時発の高速バスに乗って浜田に向かう。途中、S田さんから連絡が入って、浜田駅のひとつ手前の黒川町で降りるよう指示がある。10時半近く、黒川町で降りて、向かいのバス停で待っていると、まもなく「東谷下行き」の路線バスがやってきた。


終点の「東谷下」に着いたのは11時過ぎである。黒川町からは40分近くかかっている。ときわ会館横の資料館でS田さんに迎えられ、まず弁当で腹ごしらえしてから、能海寛関係資料が収蔵されている旧たたら場の蔵に向かう。蔵の中は暑い。そこで4時半頃までチベット語文献の確認作業を行った。今回の波佐訪問は、来月の調査の下準備である。

5時8分発の路線バスで浜田に戻り、宿泊は浜田ワシントンプラザ。この晩も町に出て、のどぐろなどを肴にいっぱいやって、疲れを癒やした。

確認作業は昨日で終わったので、今日はそれぞれ家に戻るだけ。8時20分浜田発はノンストップ便なので2時間ほどで広島駅に着いた。駅構内で広島焼きで早いお昼をすませ、11時35分発ののぞみで帰途に就いた。今回はバスに乗っている時間がとても長かったが、K谷君から最新の学術情報などが聞けて、ちっとも退屈しなかった。

明日からは印仏学会への出張である。



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台風20号

2018年08月23日

8月24日(金)

昨日は午前中から山内放送が台風の接近を報じ、注意を呼びかけていた。昼過ぎ、Oケンポを送り出し、3時からは役職会。夕方、早めに曼荼羅荘に戻る。

昨夜10時、高野町に「避難勧告」が出た。それまでは「避難準備」であった。

スマホで調べると、曼荼羅荘のある地区から一番近い指定避難所は、大師教会本部である。高野山大学松下講堂も指定されている。しかし、この風雨の中、いったい誰が行くんだろう。幸い、曼荼羅荘は坂の上にあって、周辺には崩れてきそうな崖も氾濫しそうな川もない。「避難指示」が出たら考えよう、と思っている間に眠くなってきた。一晩中、夢とうつつの間を行き来しながら、嵐の咆吼を聞いた。


今朝は、台風一過にしてはぐずついた天気であるが、警報は解除されている。


「避難勧告」や「避難指示」が出ているのに何故早く逃げなかったのか。この夏、災害報道に接する度に思ってきたが、自分が体験すると、ざっとこんなものである。自分の身は自分で守らねば、と自戒しておこう。

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高野 秋色

2018年08月22日

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*8月22日午前7時半頃。

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インド出張まとめ

2018年08月21日

8月21日(火)

今日から、姫路からOケンポを招いて、密教文化研究所のチベット密教研究会が3日にわたって開催される。

*******

今回のインド出張をおおまかにまとめておこう。

8月4日(土)関空からデリーへ

8月5日(日)デリー市内視察(ジャーマーマスジット、国立博物館、階段井戸、クトゥブミナール)

デリーからアウランガーバードへフライト、CS氏宅にお呼ばれ。

8月6日(月)マラサワダ大学、ナートバレー・スクール訪問、エローラ石窟視察後、アジャンターへ移動

8月7日(火)アジャンター石窟視察、昼食後、プネーへ

8月8日(水)プネー市内視察後、ムンバイへ移動、州政府庁舎表敬訪問、ドービーガート視察、ショッピングモールで買い物、日本料理屋で会食

8月9日(木)マニ・バワン視察、MTDC、州政府庁舎表敬訪問、M氏の招待でクリケット・クラブで会食

8月10日(金)在ムンバイ日本総領事館、州首相公邸訪問などの後、ムンバイ空港から帰途に就く

8月11日(土)デリー、香港経由で昼過ぎに関空着


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*エローラのカイラーサナータ寺院。前回は蜂の大群に襲われて見ることができなかった場所をゆっくり見学できた。


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マハラジャマック

2018年08月20日

8月20日(月)

高野は、アキアカネが飛び交い、すっかり秋の気配だ。

******

8月8日のプネーからムンバイへの移動には有料の高速道路を使った。インドで長距離を高速道路で移動したのはこれが初めてである。要所要所にトールゲートがあって、車輌の種類別に料金が決まっているのは、日本の場合と特に違っているわけではない。

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途中、サービスエリアに寄った。あくまでインド的スタイルではあったが、マックもKFCもある。


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*マハラジャマックをセットでいただいた。かなりのボリュームだった。


高速道路沿いには大きな広告塔が無数に立っている。それがポップアートのようでおもしろかった。

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*これはごく普通。住宅ローンの広告。

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*連絡先だけの広告。絵なんかあったって誰も見やしないからね。しかし、いったい何の会社なのか分かりますかね。


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*なにも書いていない広告。準備中とも言えますが。


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*ついには鉄骨だけの広告塔。「空」を広告しているとでも言いましょうか。

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バンダルカル東洋学研究所、長谷部隆諦師のこと

2018年08月18日

初めて訪れたプネーは緑に包まれた高原の学園都市であった。プネー大学は、昔からインド学系の日本人留学生が少なくない。確かに、ここならば暮らせるという感じである。着いた日の夜は、Association of Friends of JapanのKさん、Sさんと日本料理店で会食した。二人とも日本語が達者だ。

翌8月8日の午前中はプネーの名所見学。パタレーシュワラ寺院、「土曜宮殿」を見学した後、私の希望で、バンダルカル東洋学研究所(Bhandarkar Oriental Research Institute)を訪問した。この研究所の名は学生時代から知っていた。この分野でバンダルカル・オリエンタル・シリーズを知らない者はいない。

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*門構えに特徴のある研究所の正面入口


突然の訪問でバフルカル所長は不在だったが、それなりに歓待され、写本室などを見せてもらった。所長とは電話で話をしたが、何と去年高野山に来てM先生に会ったという。縁の糸はどう張り巡らされているか分からない。


大正から昭和初期にかけて高野山大学で梵語を教授した真言僧長谷部隆諦は、この町で死んだ。長谷部は明治43年に河口慧海を頼ってインドに留学し、ベナレスの「菩提樹軒」やダージリンの「ラッサ・ビラ」で3年間、慧海と共同生活をした。2度目のインド留学を果たしたのは昭和2年、留学先はプネー(当時の名称はプーナ)であった。

私は、長谷部がプネーを二度目の留学先に選んだのは、バンダルカル東洋学研究所があったからだと思っている。というのも、最初の留学地であるベナレスで、慧海と共に長谷部が梵語を習ったパタンカルが、この研究所の創始者であるラームクリシュナ・ゴーパール・バンダルカルの弟子だったからである。おそらくはパタンカルの紹介もあって、彼はこの町にやってきた。そして、著名なサンスクリティスト、バンダルカルに就いて梵語力をブラッシュアップすると共に、『理趣経』の英訳に励んだのである。

1年後、彼は仏跡巡拝に出て、その帰路、風邪から肺炎を引き起こし、プネーの国立病院で急逝した。享年50。墓は、長谷部が一時住職を務めた京都の神護寺にある。


この日の3時にムンバイでの行事を控えていた私たちは早々に研究所を後にした。長谷部に関する引き続いての調査は、Sさん、Kさんにお願いしてある。



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ムンバイのホテル

2018年08月17日

8月17日(金)

久しぶりにすっきりした目覚めだった。反転攻勢ということばが浮かんだ。

***

ムンバイのホテルは、ナリマンポイントのトライデントだった。玄関を出れば、マリンドライブである。マリンドライブはバックベイに沿って大きなカーブを描いている道路で、歩道には早朝から夜遅くまで人通りが絶えない。ムンバイの名所のひとつと言ってよい。

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*夜のマリンドライブ。バックベイの向こうにビル群の灯りが見える。


エレベーターに黒いチャドルから顔だけ出した若い女性と乗り合わせた。その女性が話しかけてきて、二言三言ことばを交わした。UAE(アラブ首長国連邦)のドバイから来たという。いかにも屈託のない無邪気な感じの人だった。アラビア海に面するムンバイは、インド門に象徴されるインドの西の玄関口である。ここまで来ると、中東やアフリカも近いということが実感された。



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終戦の日、ヒロシマの日

2018年08月15日

8月15日(水)

正午の時報に合わせて1分間黙祷し、先の大戦の犠牲者を追悼した。


インドでも8月6日はヒロシマの日(Hiroshima Day)である。この日、アウランガーバードのナートヴァレー・スクールを訪問した私たちは、全校集会で迎えられた。その席では生徒代表によって広島・長崎の原爆に関する報告がなされ、原爆の犠牲者・被害者を悼んで2分間の黙祷が捧げられた。感動的な光景だった。

この学校は私立の一貫校で、立派な施設を持ち、生徒たちは規律正しく、上品で、フレンドリーだった。校長のダース先生は、アウランガーバードはムンバイなどに比べれば田舎なだけ、子どもたちもおっとりしていて素直なのだと謙遜するが、とても感心させられた。

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インドは広大だわ

2018年08月12日

8月4日からインドに出張し、デリー、アウランガーバード、アジャンター、プネー、ムンバイを回って11日の午後に帰国した。こう書くと怒られそうだが、インドは雨季が始まったばかりで、どこも気温が28度から30度程度、実に快適であった。おまけに食べ物がおいしく、特に後半はご馳走責めの状態で、体重が2キロ近く増えてしまった。

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 *クトゥブミナールの上空を飛ぶ旅客機(デリー)。伝統と現代が交差する。


今回は調査ではなく出張であった。その過程で今までとは違うインドを見た思いがする。関空からの帰路、「攻殻機動隊」の草薙素子風にこうつぶやいてみた。「インドは広大だわ」(India is vast and infinite)。




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夏の日の夕方

2018年08月02日

こうなると暑さも災害らしいので、いささか不謹慎かもしれないが、高野山の夏の暑い日の夕方は、涼風が吹いて気持ちがいい。

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*本山前駐車場で行われた盆踊りのひとこま

踊りの輪に入る西洋人もいて微笑ましかった。インバウンドが急増する中、ちいさなトラブルも伝えられているが、これも慣れてゆく過程なのだろう。


「この世界の片隅に」 映画を見たわけでも、テレビを見ているわけでもないが、以前、呉に泊まった時、今度呉を舞台にしたこういうアニメができた、というチラシを見て興味は持っていた。この夏は、波佐に行くついでに、呉にも行きたいものだ。災害ボランティアではないが、観光に行くことも復興には役立つだろう。

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