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ルールの内だろう

2018年06月29日
昨夜はさすがの私もWカップをテレビ観戦した。後半、ポーランドが得点したところで寝てしまったが、これは単純に眠くてどうしようもなかったからに過ぎない。日本の予選突破は翌朝知った。残り10分間の日本の戦術を海外メディアがなんだかんだ酷評しているそうだが、余計なお世話だと言いたい。あれもルールの内だ。それから、日本のメディアの多くが酷評の事実だけを伝え、擁護の論陣を張らないのはつくづく情けない。流動的な状況の中で、きわめて重い決断を瞬時に下した西野監督の決断力は賞賛されるべきものである。スペインの新聞が、ニシノは勝者として胸を張っていい、と評したそうだが、こういう評価がなぜいち早く日本発で出ないのだろうか。
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唐都長安1400年国際学術検討会

2018年06月25日

学術検討会(日本でいう学術大会)は6月18日、19日の両日、曲江賓館(西安国際会議中心)で盛大に開催された。ロシアからの出席者が多く、逆に日本からの参加者は、時期的に難しかったのか、私を入れてほんの数名だった。


大ホールでの開会式は、シルクロードなど通じた唐代の文化交流を謳い上げた壮大な映像で始まった。その中で奈良、京都、阿倍仲麻呂など、「日本」がしばしば言及されたのはちょっとした驚きだった。もちろん、いずれも周辺諸国が唐の文化の移入に努めた例として取り上げられたものだ。


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*会議場のエントランスホール         

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*開会式前の大ホール

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*これは西安の青龍寺境内に立つ空海記念塔の映像。


この日、私はうんと早起きをして発表原稿の短縮に努めた。私の拙い経験から言うと、中国の学術検討会は、一人当たりの発表時間が日本よりもかなり短く、たった5分の場合もある。5分では要旨を述べるのが精一杯だ。今回もどうもそうらしい。実は乾学長の原稿を預かって西安に来た。参加予定だった学長が急に来られなくなったため、代読を引き受けたのだ。そのため短縮するのは学長と私の二人分の原稿だ。幸い7時前にはこの作業が終わり、落ち着いて朝食を取ることができた。

午前中は記念イベントで終わり、発表は午後2時半からはじまる第三部会「大唐盛世文明と中外文化交流」においてであった。私の通訳は、初めはロ先生の学生のWさんとなっていたが、実際に会場に行ってみるとプロの同時通訳者が二人も待っていた。

 乾龍仁「空海が長安で学んだ密教」

 奥山直司「高野山大秦景教流行中国碑の由来と特徴」

この二つを立て続けに読み、そのため多少ばたばたしたが、私の仕事を終えた。発表に一区切りつくと、コメンテーターがまとめてコメントした。その中には私の発表に対するコメントもあった。7世紀に長安に建立された景教碑が、「時空を超えて」、しかも西洋の女性によって、日本の高野山に再建されたことの驚きに触れ、文化交流のあり方として興味深いという趣旨のものであった。


1日目が終わって、回民街に食事に出たことは前に書いたとおり。2日目は、10時過ぎまで発表を聞いた後、独り、用意して貰ったタクシーで空港に向かい帰途に就いた。


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「長安と世界の対話」

2018年06月24日

17日の夜、歓迎の夕食会の後で、バス数台を仕立てて、大明宮(唐朝の政治の中心)遺跡で開かれるアトラクションを見物に行った。名付けて「大唐盛世唐音唐詩吟誦雅集」。その名の通り唐詩の吟誦を中心とする音と光のページェントであった。あいにくの雨でビニール合羽を着ての鑑賞となったが、ドローン数百機で飛翔する鳳凰を描き出すなど、壮大でなかなか結構な催しであった。終始側について案内してくれたW君によれば、出演者も豪華な顔ぶれだったという。

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*背景に蛍のように群れているのがすべてドローンだった模様。


このイベントと同様、私が参加した学術検討会も、618年に唐が建国されてから1400年の祝賀行事「長安と世界の対話1400」の一環であった。

軍事力による威嚇や経済的な支配でなく、寛容と相互理解を基調とする交流と文化の創造が進むならば、大変結構な話である。




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涼皮(リャンピー)

2018年06月23日
6月23日(土)
朝から配達やリフォームの追加工事があって、なかなかおちつかない。

「中国は食べ物がおいしいから、そこでしか食べられないものをたくさん食べてきて」というのが、中国好きの家人のことばであった。
学術検討会1日目の夕方、回民街に出かけたメンバーは、ロ先生、リ先生ご夫妻、ロ先生の学生のWさんとW君、京都のS氏、旅行社のHさん、そして私である。
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白酒を飲み過ぎないように用心しながら箸を進める。節々で乾杯があるが、昔のように一気飲みしなくても失礼ではなくなったらしい。そういうときには「随意(シューイー)」と言えばいいと教わった。写真のスパゲッティ様のものは涼皮(リャンピー)。ネットで調べると、中国では人気の軽食で、いろいろな種類があるようだ。これは西安ローカルか、回民オリジナルかもしれない。

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19日、わけあって空港に早く行きすぎて時間があまったので、空港内の回民食堂でAランチを頼むとこんなを渡された。この写真を見たチャオさんが、「これおいしいんですよね」。私には、たまたま差し向かいで座った空港警備員の女性が食べていた麺の方がはるかにおいしそうに見えた。

最後は機内である。
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青島の空港内で出国手続きをし、免税店でお土産に茶碗を買って一安心。6月19日は私の誕生日なので機内食に青島ビールで静かに祝杯を挙げた。





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大阪の地震

2018年06月20日

大阪の地震について聞いたのは、18日の夕方になってからである。1日目の発表が終わり、ロー先生のお誘いで、これから西安で有名な回民街にでも繰りだそうという時であった。この日に遅れて着いたS氏が、「大阪の地震、先生のとこは大丈夫だったですか」「ええっ、大阪で地震?」「震度6ですよ」「!!」

車の中で私は、H女士のケータイを借りて家に電話した。同じ大阪府でも南部の揺れはさほどでもなかったとのこと。

小学生が犠牲になるといういたましい出来事は、19日の夜、関空に着いてから知った。


17日から19日まで2泊3日の旅程で、中国西安の国際会議センターで開かれた「長安と世界の対話:唐都長安1400年国際学術検討会」に出席、発表してきた。報告は次回からとして、今は地震の犠牲となった方々に心より哀悼の意を表したい。

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インドサイ

2018年06月11日

6月11日(月)

昨日また管理組合の用で堺に帰ったが、家の中には入らず、いつもどおり泉ヶ丘駅前の商店街で時間を過ごして、御山に戻った。

リフォームが始まってかれこれ一ヶ月。自分の家で休めないことで、さすがに疲れてきたようだ。


昨日は高野山ウルトラマラソンが開かれ、大学は、スタートとゴールになったおかげで早朝から夕方まで賑わった。私は、そこまでテンションが上がらないので、早めに曼荼羅荘に引き上げ、キャベツを肴に冷酒をいただきつつテレビを見ていた。

相変わらずタレントが食べ歩く番組が多い中で、アッサムのカジランガ国立公園にサイを追う番組がおもしろかった。映し出されるインドサイたちは、デューラーの有名な犀の図に実によく似ていた。場所はブラフマプトラ河の南岸に広がる低湿地地帯である。私は、北岸を車で走ってアルナーチャルプラデーシュ州に向かったことがある。その時には、あまり関心がなかったが、今はこのカジランガやネパールのチトワン国立公園で、ゾウに乗ってサイやトラを見るのも悪くないと思っている。

 

「犀の角のようにただ独り歩め」


中村元先生による『スッタニパータ』の和訳、『ブッダのことば』(岩波文庫)を通じて一般に知られるようになった仏教の古い言葉である。このような譬喩が成り立つのは、インドサイが、アフリカのシロサイ、クロサイと違って一本角であるからである。ただ、昨日の番組の中で、インドサイは群れないとの説明があった。実際、映像の中のサイたちは、みな独りで湿原をのし歩いていた。つまりサイそのものが「ただ独り歩」む存在であるらしい。この言葉には、サイのそうしたイメージも含み込まれているのかもしれない。


テレビの前でぼんやり過ごしていたら、「西郷どん」が始まった。奄美から呼び戻された西郷が島津久光に初めて目通りするシーン。「翔ぶが如く」では、高橋英樹が、長煙管と煙草盆を小道具に使って印象的な演技をしていた記憶があるが…。「昔はよかった」などとは言いたくないので、このくらいで。



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飛鳥に遠足

2018年06月04日

6月4日(月)

昨日、ウセルさんとD君を連れて飛鳥に行った。前に書いたとおり、このところ御山暮らしが続いているので、休日ぐらいは気晴らしがしたい。ウセルさんも同様と思い、誘ったのである。飛鳥は、高野山から半日くらい出かけるには手頃な場所である。この10ヶ月間に京奈和道が五條よりも先に延び、飛鳥はぐんと行きやすくなっていた。

最初はやはり石舞台である。これはbang soである、と説明すると、ウセルさんの分かりは早い。巨石をどのように運搬したかの想像図も興味深げに見ていた。次は飛鳥寺。日本最古とも言われる釈尊像(飛鳥大仏)には二人も感銘を受けたようだった。お参りを終えてから、門前の売店でくず餅とヨーグルトを買って分けて食べる。お店の人が何かと親切にしてくれた。それから安倍文殊院。ここの一番の目当ては、快慶作国宝渡海文殊像であるが、阿倍仲麻呂を始めとする安倍一族を祀る金閣浮御堂で行った厄除け祈願もなかなかだった。これは全部で8枚のお札を持ち、一枚につきひとつの厄除けを念じつつ、御堂を一周する、というものである。終わって、ウセルさん、「ああ、これで厄がすっかりなくなった気がします」と言う。私はと言えば、厄落としには8枚ではとても足りないと内心思っていたから、二人の心境には随分と開きがあるのである。

最後に高松塚壁画館を見て帰途に就いた。夕食は例によって橋本の「ニューデリー」でインド料理を食べた。D君は日本に来てから日本史を勉強したそうで、車内でその知識をいくらか披露した。古墳時代など他の留学生は知ろうはずもない用語も知っている。この調子ならば、この人の留学は大丈夫そうである。入梅前の晴れの一日を楽しんだ。

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