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エルトゥールル号シンポジウム報告書

2018年02月27日

東洋大のM沢先生から、2015年にイスタンブルで開かれたシンポジウムの報告書が送られてきた。題して、

Uluslararası Ertuğrul'un İzinde Deniz Kuvvetleri ve Diplomasi Sempozyumu

この本に私は、

Kolombo'dan İstanbul'a Giden Hiei ve Kongo Gemilerine Refakat Eden İki Japon Budist Rahip

という論考を寄稿している。シンポジウムで発表したものだ。


同時に東洋大学アジア文化研究所発行の『オスマン帝国と日本 トルコ共和国首相府オスマン文書館所蔵文書に基づく両国関係』もいただいた。非常に参考になる。


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*イスタンブルのコンスタンディヌーポリ総主教庁にある双頭の鷲の紋章。

もとは東ローマ帝国の紋章だった。


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高野山大学連続講座

2018年02月26日

2月26日(月)

昨日の午後1時20分から難波の高野山大学サテライトで「探訪 ヒマラヤ・チベットの密教」と題して2コマ連続の講義を行った。高野山大学連続講座の一部である。1時間目がネパールのムスタン編とチベット仏教史のおさらい、2時間目がアルナーチャルプラデーシュ編。現地を訪ねるという想定で、「秘蔵」の写真をたくさん見てもらった。受講生は30数人。みな熱心に聴講してくれたので、気持ちよかったが、河内長野、難波と出張講義が立て込んで大分疲れた。

今日は一日卒業論文の口述試問だ。



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くろまろ塾

2018年02月24日

2月24日(土)

昨日午後2時から、河内長野の市民交流センター(キックス)で、「高野山の歴史と文化Ⅱ 高野山ゆかりの人々 近代編」と題し、南方熊楠とゴルドン夫人に焦点を当てて講演した。「河内長野市民大学 くろまろ塾本部講座」の高野山大学連携講座の一環である。2月9日には「高野山の歴史と文化Ⅰ 文化財保存への取り組み」として、高野山霊宝館の設立過程などについて話をした。梅原豪一君の研究がとても役に立った。いずれの回も、聴衆は熱心で反応がよかった。これで今年度のくろまろ塾との連携講座は終了した。今年度は講演を昨年度の4回から8回に増やしたが、概ね好評であったようだ。キックスのみなさんに感謝したい。


昨日の午前中は大阪南医療センターに検査の予約にいった。2年ぶりのことである。河内長野から御山に戻った時には何も手に付かないほど疲れていたので、学長との打合せのあと早めに曼荼羅荘に引き上げ、数学者岡潔の伝に基づくドラマを見て寝に就いた。岡は河内長野と橋本を隔てる紀見峠に住んだ人である。そう言えば、久しぶりに紀見トンネルを通ったのも何かの縁かもしれない。ドラマは、京都帝大の主任教授を「特異な才能に対する世間一般の無理解」の代表に仕立てるなど、少々無理な脚色も感じられたが、天才が住む世界の片鱗は感じられた。我々は天才を自分たちのレベルまで引き下ろして解釈しようとしてはいないだろうか。そんな反省が頭をよぎった。








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金と春

2018年02月20日

2月20日(火)

小平選手の金メダルのおかげで、昨日は一日中気分がよかった。

今朝、今年初めて山鳩の鳴くのを聞いた。春は近い。





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インドに入らば

2018年02月16日

2月18日(日)

昨日、恒例の一日人間ドックを受けた。終えての決意。目指せ、10キロ減量。


2月24日の「世界ふしぎ発見」は、「超人・空海 唐留学の謎にせまる」である。映画とタイアップしたものだ。去年、大学にも取材があって乾学長が応じた。番組のウェイトは、タイトル通り留学時代にあるようなので、高野山がどれほど出てくるかは分からないが、楽しみに待つことにしたい。


ムンバイ・コラバの「フード・イン」でランチを食べていた時のこと。

シェーカルさん「プロフェッサーとはコーヤサンで2度会ったけど、今のプロフェッサーは別人のようだ」

私「ええっ?どうちがうの」

シェーカルさん「コーヤサンではジャパニーズ」

私「じゃ今は?」

シェーカルさん「(一瞬考えて)グローバル」

私「(少々照れて)インドに入らば、インド人に従え、だよ」

と言いながら、思った。シェーカルさんが高野山で見た私は、場の空気と上下関係に極度に気を使う慇懃な日本人そのものだったのだろう。私に限らず、彼らを迎えた日本人たちはみなそんな風で、インド人たちは実は内心窮屈な思いをしていたのではないか、と。

ムンバイの「迎賓館」から車で空港に向かう私を最後まで見送ってくれたのもシェーカルさんだった。「バフット、バフット、ダンニャバード」と礼を言っておいた。







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雪と寒さ

2018年02月12日

2月14日(水)

今週の高野山はピョンチャン並みの雪と寒さが続いたが、今日は晴れ上がり、積もった雪が急速に融けている。

銀で悔しい、銅で嬉しい。4年に1度しかない世界最高の舞台で3位以内に入るだけで、十分過ぎるほど立派だと思うのだが、メダリストたちの気持ちはさまざまのようだ。こちらは超人たちの真剣勝負をしばらく楽しませてもらだけだ。





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公式行事の日

2018年02月07日

1月30日 朝、荷物をまとめ、ホテルをチェックアウトする。私は今夜、公式行事が終わったら一人だけ早く帰国するのである。2月2日に通信制大学院の修士論文の口述試問がある。飛行機が遅れた場合でも何とかできるように、1日の余裕を見たのである。

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*インド門の朝


最初に行ったのは、在ムンバイ日本総領事館である。私にとっては3年ぶり、2回目の訪問である。ここで経済関係のプレゼンテーションを見てから、別室で昼食会。発言の機会をもらったので、これまでの経過を話し、知事にさらなる協力をお願いした。次は州政府訪問。続いて州知事公邸訪問。アラビア海に面した広大な敷地であった。最後はメインイベントである州の迎賓館での行事に列席。それが9時過ぎに終わると、私はO西さん、K課長に見送られてムンバイ空港の第二ターミナルに直行した。

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*マリンドライブの夕(バックベイを隔てて高層ビル群が見える)

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*知事公邸の黄昏


香港での乗り換え時間が1時間10分しかないのが懸念材料だった。飛行機が30分遅れるなどざらである。香港空港は大きい。乗り換え時間は多い方がいい。同じ会社だから大丈夫だろうとは思うものの、多少の緊張は伴う。ところが驚いたことに、飛行機は30分も早く香港に着いてしまった。あとは余裕であった。


翌日、午後大学に出て、5時限目に補講をひとつ。次の日は試問、試問、試問、補講、判定会議というスケジュールで、いっきに現実に引き戻された。


追加:今回も和歌山県職員のみなさんに大変御世話になった。彼らの努力によって、マハーラーシュトラ州では、日本といえばまずWakayamaというほど和歌山県のプレゼンスは増している。





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ムンバイ見学2日目

2018年02月07日

2月7日(水)

朝大学に来ると、雪かきしていた用務員さんが、「冷たいですねえ。さっき、ボイラー室の前でマイナス7度でした」という。「春は近いですよ」と答えた。


1月29日 午前中、本山から参加のK課長といっしょにマハーラクシュミー寺院を訪ねる。ムンバイ最古のヒンドゥー寺院だという。門前町が賑わっていてまことに結構なお寺であった。次は日本山。私は連日の訪問になるが、一度K課長を案内したかった。一種の幼稚園と考えていいのだろうか。子どもたちが歌で歓迎してくれた。

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昼食はコラバまで戻って、「フード・イン」で定番タンドリチキンを食べた。こちらは別に「フード・イン」でなくてもよかったのだが、ウメーシュさんは外国人を案内する適当な場所が他に思いつかなかったのであろう。インドに来ると食べ過ぎて困る。なお、こういう費用はすべてMTDC持ちである。中国と同様、お客さんには金は払わせないのである。ということはつまり、彼らが高野山に来た時には逆のことをしなければならない。


食後はまずVT、つまりヴィクトリア・ターミナス(旧称。現チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス)を見学した。3年前にもこの建物の前で写真を撮ったのだが、その時は中には入れなかった。ウメーシュさんに聞くと、大丈夫というので、特にリクエストしたのである。時刻は3時頃で、駅の構内は比較的空いていた。これがラッシュアワーには前へ進むのが困難なほどの混みようだという。

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*建物が大きすぎてこれだけ離れても全部は入らない。

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*壁の動物・怪物たちが迎えてくれる。

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*構内の柱の根本もこの通り。

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この有名なターミナスは、明治のインド留学生たちもよく利用した。ベナレスで熱病に罹った清水黙爾(しみずもくじ)が、大宮孝潤(おおみやこうにん)とデイヴィッド・スプーナーに付き添われて着いたのもこの駅、マドラスから転学してきた東温譲(ひがしおんじょう)がボンベイに第一歩を印したのもこの駅である。


VT見学の後は、ボンベイ・ストアという物産店に寄ってもらって、お土産に象の絵を買った。ホテルに戻ると、明日の公式行事に備えて通訳として参加のMさんが着いていた。夕食は、山下さん、Yさん親子、Mさん、K課長といっしょに再び「フード・イン」で食べた。この店はホテルから歩いてゆけるので何かと便利なのである。多く頼みすぎて食べ残しが出たのが残念だった。タンドリチキンはハーフで丁度いい。


部屋に戻った後は論文に目を通す。帰国後、一日おいて2月2日に口述試問があるので、私は論文を3本も鞄に入れてインドまで来たのである。どれも大作なので、読むのに骨が折れる。なお、このタージマハル・パレスはサービスが行き届いていて実に心地よかった。例えば、レストランで朝食を食べていると、「味はどうか」とか「何か他に入り用はないか」などと尋ねてくる。それがちっとも煩く感じない。あくまで上品で控え目である。滞在2日目にDo not disturbのボタンをまちがって押してたために、部屋の掃除がされなかった。別に気にも留めていなかったが、夜になって、従業員がやってきて、掃除をしましょうか、と言う。高級ホテルとしては当然かもしれないが、ちゃんとチェックしているのである。

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*タージマハル・パレスのロビー


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紀の川筋を行ったり来たり

2018年02月06日

2月6日(火)

昨日の夕方、妙寺の行き付けの歯科医院に行った。雪を警戒して、公共交通機関を使った。本来ならば、高野山駅までバス、そこからケーブルで下りて、極楽橋から電車で橋本、橋本からJRに乗り換えて12,3分で妙寺である。ところが去年9月の台風による土砂崩れで、高野下~極楽橋間が不通になった。以来、代行バスが渋田、笠田経由で運行されている。


まず本山前駐車場からシャトルバスに乗って大門外の駐車場へ行き、そこで橋本行きに乗り換える。このバスは渋田、笠田経由で京奈和自動車道路を使って橋本駅まで行くもので、途中歯科医院のある妙寺の横を通るのだが、途中下車はできないので、おとなしく橋本駅まで行くしかない。着いたのは4時40分頃だった。それから5時2分まで待ってJR各駅停車の和歌山行きに乗り、妙寺で下りてN歯科に向かった。歯科は何と言っても腕次第である。私はN氏の腕を信頼している。この日はいつもの3倍くらい時間がかかった。麻酔が切れたら痛みが出るかもしれないので、今日はお酒は控えて下さい、と言い渡されてN歯科を出た。


駅に行くと6時20分の橋本方面行きが出たばかりであった。半分ほど引き返して、食堂に入った。感じは悪くない。焼きそばを注文して食べているうちに、隣の客のホルモン鍋がおいしそうに見えたので、これも注文する。ついでのこと熱燗も頼みたかったのだが、さっき歯科で言われたことを想い出してぐっと我慢する。店を出たのは7時過ぎで、辺りはちょっとした吹雪になっていた。7時18分の「上り」で橋本に戻る。駅前の仮設の待合室に入り、30分ほど待たされて、8時5分に乗合タクシーで高野山に向かう。コースは、紀の川南岸の道路を通って渋田で山道に入るもの。無線で頻々と入る道路情報から、安全な道を選んでいる様子である。仕事とはいえ、本当にご苦労様である。道路は途中からシャーベット状になり、それがさらにアイスバーンに変わってゆく。当然スピードは出ない。山内に到着したのは9時過ぎであった。








       

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チョパデ氏との会談

2018年02月05日

2月5日(月)

全国各地と同様、今冬は高野山も雪が多い。

さて1月28日、午前中はムンバイ最大の博物館チャトラパティ・シヴァージー・マハーラージ・ヴァツ・サングラハーラヤを見学した。この博物館はタージマハル・パレスからは徒歩圏内にある。昨日と同様、ウメーシュさんが前もって連絡を取ってくれたお陰で、学芸員の解説を聞くことができた。大きな特別展をやっていることもあって、一度ではとても見切れない規模であった。

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ホテルに戻り、ロビーで山下さんとお昼の相談をしている最中に、同じロビーにチョパデ副学長がおられるのに気がついた。約束は2時からだったが、シェーカルさんも交えて早速会談。現地でシンポジウムを開催する方向で話が進む。県とMTDCが間に入ってくれるというのは心強かったが、来年度の課題がひとつ増えたのは確かである。

会談は短時間で終わり、チョパデ一家が去った後、みんなで食事にでかけた。案内されたのは、ムンバイ一といわれる海鮮レストラン「トリシュナー」である。店内は満員で、ひっきりなしに客がくる。魚の料理の仕方は感心しなかったが、蟹味噌は絶品だった。

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*店員が食材を見せてくれる。


午後は再びウメーシュさんと一緒に行動。まず日本山妙法寺に森田上人を訪ねる。あいにく上人は午睡中だったが、しばらくすると起きてきてくれた。3年ぶりで話がはずむ。

その後、ヒンドゥー寺院をふたつ見学してホテルに戻った。夕食は、州政府高官のM氏の招待を受け、氏の官舎で家庭料理をいただいた。官舎は州政府の建物のすぐ近くにあるが、芝生の庭が広く、大都会のど真ん中とは思えない清々しい環境だった。

M氏は禅に興味を持っており、隻手音声の公案などにも触れて話をした。イギリス統治時代からの伝統だろう。インドは官僚制の強いお国柄である。マハーラーシュトラのような巨大州で、官僚のトップに上り詰める人物は、教養の幅も広いものだと感心した。


フィールドワークの記録
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