02月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫04月

フマユーン廟

2017年03月31日

22日(水)フライト時間は午後11時10分なので時間はたっぷりある。午前中、タクシーでフマユーン廟を見にいった。フマユーンはバーブルの息子で、ムガール帝国第2代皇帝。著名なアクバルの父親である。彼を葬ったこのフマユーン廟は、有名なタージマハルにも影響を与えたといわれるインド・イスラーム様式の名建築である。

DSC_0391_convert_20170330215059.jpg


DSC_0393_convert_20170405082351.jpg


WBCに戻ってランチを食べた。5時過ぎには、わざわざサンドイッチを作って出してくれた。7時、精算を済ませてタクシーで空港に向かった。今回はWBCとN師にすっかり御世話になった。


DSC_0494_convert_20170331133100.jpg

*風が吹くと、赤い花を着けたインド菩提樹から、さらさらと葉が落ちる。10日ほどで新緑に生え替わるらしい。

DSC_0493_convert_20170403083934.jpg



フィールドワークの記録 | トラックバック(0)

「日印関係における仏教」カンファレンス

2017年03月30日

「日印関係における仏教」カンファレンスは、3月17-18日の両日、ニューデリー、スコープ・コンプレックスのタゴール・ホールで開かれた。主催はサムッタン・ファンデーションで、ジャパン・ファンデーションが共催している。招集者で司会者はデリー大学東アジア研究科の准教授ランジャナ・ムコーパディヤーヤ先生である。

17日10:30から開会式が、インド中央政府のキレン・リジジュ内務大臣、在インド日本国大使を始めとする来賓を迎えて、賑々しく挙行された。リジジュ閣下は、出身はアルナーチャル・プラデーシュ州のウェスト・カメンで、インド初の仏教徒の国務大臣である。


その後に始まった各セッションより、日本人のスピーカーのみを列挙しておこう(敬称略)。

 蓑輪顕量(東京大学)Longing for India: Japanese Buddhists and India

 佐藤良純(大正大学)Indian Deities of Buddhism and Hinduism in Japan: A Historical Study

   奥山直司(高野山大学)Recovery Movement of the Bodh Gaya Temple since 1891 and Japanese Buddhists: On Shaku Kōzen and the Shingon Sect

  外川昌彦(東京外国語大学)Japanese Buddhist and Dharmapala's Bodh-Gaya Revival Movement: Shaiva Hindu Mahanta and the Religious Policy of the British Indian Government

  金澤豊(龍谷大学)Across 'Engaged Buddhism'-New cross linking between Japan and India after 11/March/2011

  別所裕介(京都大学)The policy of "Representing Buddhism": A Comparative Study of Buddhist Heritage Development by Japan and China


セッションとセッションの間には必ずティータイムとランチタイムがはさまれ、インドらしいゆったりとしたペースで進んだ。初日の夕方にはコンノートプレイスのラージダーニーで懇親の夕食会があった。二日目夕方のディナーはYMCAで開かれた。

 会場にはMさん夫妻やWBCのN師も顔を見せた。カンファレンス全体がとても刺激的で勉強になったが、特に印象に残ったのは、ランジャナ先生の下で勉強しているデリー大学の学生たちの姿である。彼らはマドヤプラデーシュ、アッサムなどインド各地から来ていて、民族もいろいろのようであるが、そろって優秀でいかにも気立てがよく、とても好感が持てた。


DSC_5638_convert_20170330134954.jpg


「日本語は1年半勉強して、今N4です」

「将来は日本に留学したい」

「できれば京都か大阪に行きたいです」

彼らこそ日印関係の未来を担うホープたちだ。最近は東アジア研究の分野でも中国や韓国のプレゼンスが大きくなっている気がする。そういう中でランジャナ先生とその学生たちの存在は極めて重要だと思った。

DSC_5578_convert_20170330221659.jpg

*会場でのランチ

フィールドワークの記録 | トラックバック(0)

デリーあちらこちら

2017年03月27日

20日(月)

この日は月曜日で博物館などは休みなので、タクシーでコンノートプレイスに買い物に出かけた。

ニューデリーは計画都市で、道路網にロータリーが多用されている。その最大のロータリーがコンノートプレイスである。ここには高級店が集まっている。ジャンパット(人民大通り)がコンノートプレイスに合流する少し手前にあるセントラル・コッテージ・インダストリーズ・エンポリウムは、置物でも布製品でも、値段は高めだが質のいい品物が揃っている。ディスカウントに応じないことも、逆に信用を高めている。ここでお土産を買った後、コンノートプレイスに行ってランチを食べ、タクシーを拾って帰った。


21日(火)

タクシー一台を一日借り切って各所を回る。最初に向かったのは、ヤムナー河に近いMK(マハートマ)・ガンディーを祀るラージガートと国立ガンディー博物館。30年ほど前に一度来たことがあるが、デリーを回るのであれば、やはりここは外せない。

DSC_0094_convert_20170327112817.jpg

*ガンディーの最後の言葉「He Rām」が刻まれた黒大理石の石碑に不滅の灯りが点っている。参拝の人々が次々に訪れ、決まって写真に収まっていた。


ところで、ラージガートの正門付近には駐車スペースがない。そこでドライバーは、自分のケータイ番号を紙に書いて渡し、「終わったら呼んでくれ」。ケータイは持っているがインドでは使えない。が、ええい、ままよ、と1時間の約束で中に入る。1時間後に正門に戻ったが、案の定、タクシーは影も形もない。そこで一計を案じ、近くの露店でまず絵葉書を買い、さらに50ルピー渡して、店のおじさんにドライバーを呼んでくれるように頼んだ。彼は気軽に応じてくれ、おまけに金は要らないという。親切なものである。

次に向かったのはモーティラルバナルシダス。モーティラルは学生時代から御世話になっている有名な本屋だ。ここに着くまでにドライバー氏は10回以上道を聞いている。その店はデリー大学の広大なキャンパスの近くにあった。中に入ると学術大会で会った社長が出てきて、親切に案内してくれた。

ランチはメンデンズ・ホテルという1904年創業のヘリテージホテルでサンドイッチを食べた。そのあと、国立博物館に行き、2時間ほど見学してから、WBCに戻った。


DSC_0153_convert_20170327112312.jpg

*メイデンズ・ホテル。格式の高さを感じさせるが、その分ランチも高かった。


タクシー料金は9時間で1380ルピーだった。物価水準も所得水準も違うから、単純に日本と比較はできないが、私には激安に思われる。これに1.7を掛けてみてもらいたい。前に書いた通り、WBCのKu氏に予約してもらい、前もって料金を確認している。もちろん、いくらかチップは上乗せした。ランチの時には、君もこれで食事しろ、とドライバーに100ルピー渡している。昔はちょっとしたことで「だまされた」気になり、腹を立てたりもしたが、今考えれば、ばかなことをしたものである。


フィールドワークの記録 | トラックバック(0)

WBC

2017年03月26日

デリーでWBCといえば野球ではない。イースト・オブ・カイラースにあるWorld Buddhist Centreである。学会は18日で終わり、私は翌日の午前中にYMCAからWBCに移動して3泊した。なかなか快適であった。ここを紹介してくれたのは、写真家のMさんである。

WBCはホテルではなくお寺である。住職はN師。本堂に宿泊施設が付属しており、20人ぐらいは泊まれるらしい。私が行った時には空いていたので、浴室付きの広い部屋をあてがってもらった。

N師はラダックにも寺を持っている。その縁から、ここにはK師を始めとしてラダック人が何人か働いている。みんな親切で愛想がいい。フロント担当のKu氏はとても気が利く人物で、タクシーの手配は全部彼に頼んだ。WBCとは大層な名前だと最初は思ったが、N師と話をするうちにその意味が段々と分かってきた。実際、ここには世界各国の人々が泊まりにやってくる。

ちなみに、WBCに行く時には、イースト・オブ・カイラースのサプナ・シネマの近くと言うと、タクシー・ドライバーの分かりが早い。


DSC_0039_convert_20170326102509.jpg

*中央の仏旗が立っている建物がWBC。


19日、お昼をはさんでMさんと久しぶりにいろいろ話をした。Mさん夫婦は今夜のフライトで帰国する。まだ時間があるというので、コンノートプレイスに一緒に買い物に行こうとしているところに、学会でご一緒したS先生が来られたので、予定を変更して、S先生と近くにアショーカ王碑文を見にゆくことにした。


DSC_0007_convert_20170326102335.jpg

*1966年になってインド考古局によって発見されたアショーカ王法勅は岩場右手の覆い堂の中にあるが、外からは見ることができなかった。

フィールドワークの記録 | トラックバック(0)

デリーのタクシー

2017年03月25日

3月16日(木)

AI315がデリーのインディラ・ガンディー国際空港に降り立ったのは午後9時過ぎであった。香港での1時間の待ち時間を含めて11時間以上の長旅であった。入国審査、預け入れ荷物の受け取り、税関と型通りすませた後は、まず両替である。為替レートは1インドルピーが1.7円ほどであるはずだが、手数料などが引かれ、1万円が5000ルピーにしかならなかった。しかも空港では1万円しか替えることができなかった。

続いてプリペイドタクシーである。「地球の歩き方」は、この空港のプリペイドタクシーはトラブルが多いので、むしろメータータクシーを勧めているが、つい一番近くにあったプリペイドタクシーの窓口に行ってしまう。Rさんの指定したYMCAツーリストホステルまで400ルピーという。実に安い。ところが、乗り込むと、ドライバーが2分待てという。大人しく待っていると、インド人の家族が大荷物と一緒に乗り込んできた。私には何の断りもない。これも小さいがトラブルといえばトラブルである。こういう場合、ガイドブックは毅然とした態度を勧めているが、すでに発車した後。まあ、ホテルに無事に着けばいいさ。


デリーのタクシー料金は割安である。ただし、それはドライバーが相場に従った場合にかぎられる。そこで、ホテルのフロントにタクシーを呼んでもらい、料金も予め聞いておくのがよい。また黄色い屋根を付けた3輪のオートリクシャーがいくらでも走っているが、私は自分からは使わないようにしている。事故が怖いし(よくひっくり返るらしい)、料金を巡ってドライバーと口論するのも嫌だからである。もう一つ気づいたのは、タクシードライバーの中に意外とデリーの街を知らない人がいることである。そのため彼らは、同業者に直接、あるいはケータイでしょっちゅう道を聞いている。これはタクシードライバーが、地方からデリーに出てきたばかりの人にも就きやすい職業であるからのようである。その分実入りは少なかろう。

コンノートプレイスからカイラーシュコロニーまで乗ったのが、ちょうどそんなドライバーで、パンジャーブ州のチャンディーガル郊外の村から出てきたと言っていた。理由は、「村には何の仕事もなくてよ」。この男、やれ「茶を買わないか」とか、やれ「明日、タージマハルまで行かないか」とか煩かった。すべて断ったが、彼も生きるのに必死なのである。


10時半を回った頃、YMCAに着いた。フロントにサムッタン・ファンデーションのゲストだと言うと、すぐに部屋に案内してくれた。シャワーを浴びて、11時過ぎに寝た。


DSC_0060_convert_20170325123216.jpg

*コンノートプレイスで。

フィールドワークの記録 | トラックバック(0)

カレー三昧

2017年03月24日

DSC_5591_convert_20170324204914.jpg


コンノートプレイスの名店ラージダーニーのラジャスタン料理、おいしゅうございました。


curry_convert_20170324205154.jpg


これまたコンノートプレイスの名店アンバーのランチ、おいしゅうございました。


curry2_convert_20170324205221.jpg


デリーで一番といわれるピンディーのタンドリーチキン、おいしゅうございました。


curry3_convert_20170324205255.jpg


インディラ・ガンディー国際空港第3ターミナルビルのフードコートで〆に食べたインディアンフード・セット、まあまあでした。

フィールドワークの記録 | トラックバック(0)

大忙しの一日ほか

2017年03月14日

昨日はやるべきことが3つも重なり、大忙しの一日だった。午前9時からM僧正と大学でGさんの件について相談する。それを受けて12時半頃からI先生らと相談していると、ケータイが鳴った。M僧正からの連絡で、GさんをD院から本山に連れてきて欲しいとのこと。中座してGさんを迎えに行き、本山宗務所まで送り届けて、大学に戻ると、今度は県庁のYさんがインド領事のA氏一家とともに応接室で待っていた。もちろん前もって約束していたことである。


冷たい小雨の中、奥之院をご案内し、その後、本日二度目になる宗務所訪問。K師の案内で本山内を見学。その後、Yさんたちを見送って大学に戻ると、身体が冷えきっていた。


明日は卒業式である。インドには明後日の昼間に発つ。デリーに6泊して23日に戻る予定である。目的は「日印関係における仏教」という学術大会に出席して発表すること。終わったら、残りの3日は博物館と本屋詣でもするつもりである。写真家のMさんも丁度その頃ブッダガヤーからデリーに出てくるので、どこかで10数年ぶりで会うことになる。


「直虎」は本編は見ていないが、「5分で分かる大河」でチェックはしている。今のところよくやっている印象だが、日本史の大状況にはほとんど絡めそうにもない(直虎は本能寺の変があった1582年に没している)。そこをどう切り抜け、どう盛り上げるか、かえって興味がわいてくる。






ある大学教員の日常茶飯 | トラックバック(0)

なごりの雪

2017年03月08日

___convert_20170308105646.jpg

*昨夜の雪が融けてゆく。


昨日は寒気の厳しい一日だった。午後からは小雪がちらつきはじめ、それが夜にはうっすらと地面を覆った。上の写真は今日の9時すぎの状況。大学構内の建物の屋根を覆った雪が、陽光を浴びてどんどん消えてゆく。これも一つの美かと思う。



ある大学教員の日常茶飯 | トラックバック(0)

関空への出迎え

2017年03月05日

大学から車を出してもらって、12時45分到着予定のキャセイパシフィックで来日するGさんを関空に迎えに行った。早めに着いて、わざわざこのために東京から来られたK夫人と落ち合う。

北出口で待っていると、Gさんが重い鞄を引きずりながら出てきた。

Gさんよりも我々がお腹が減っていたので、第1ターミナルビルの2階に上がって昼食を取った。それから二人を公用車で高野山のD院まで案内した。ここがこれからしばらくの間Gさんの宿となる。


去年の10月から何だかんだとやってきたことが一段階進んだわけだが、まだ気は抜くことができない。

ある大学教員の日常茶飯 | トラックバック(0)

申請疲れ

2017年03月04日

ハワイに行くのにESTA申請をした。アメリカ合衆国に渡航するために必要な電子認証申請である。3年半前に一度経験していたが、今回は家族の分までやることになったため、かなり緊張した。だから、全部記入して、クレジットカードで14ドル支払い、「楽しいご旅行を。米国訪問を歓迎します」と出た時には達成感があった。


それから今度はインドビザの電子申請である。これはESTA以上にいろいろ書かなければならないし、間違いがあってはならない。一昨日これをやって、文字通りくたくたになった。それをプリントし、写真を貼って二箇所にサインし、昨日大阪市淡路町のインドビザ申請センターに持って行った。これで、まあ、一安心である。


ついでに言うと、ハワイから戻って、スーツケースを開けたら、見覚えのない紙が一枚入っていた。「保安のため開けて見ましたよ」という意味の英文が書いてあった。無作為抽出でこういうことがあるとは知っていたが、まさか自分が当たるとは。実は3年半前にワシントンDCで入国した時も、入国審査を終えて廊下を歩いていたら、係官が、「はい、あんたはこっち」。横の部屋に連れて行かれて、入国目的などについて改めて訊かれた。私はアメリカとは相性がいいようだ。





ある大学教員の日常茶飯 | トラックバック(0)
 | HOME |