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校正

2016年12月28日
12月28日(水)
一昨日、昨日と2日に分けて、初校をPDFのメール添付と宅配便とで印刷会社に送った。
印刷会社には申し訳ないが、全ページほとんど真っ赤にしてしまった。といっても、構成を変えたりはしていない。原稿を提出した後も調べを続けた結果、この位は付け足さなければならない、となったのである。建前としては、完全原稿の提出だが、まあ、初校だから大目に見てもらいたい。

お陰で、今まで持っていなかった種類の知識が増えた。たとえば、かつて山田忠澄という長崎出身の外交官がいた。若い頃、長崎でフランス領事レオン・デュリーにフランス語を習った。おそらくはその縁でリヨンに留学してラ・マルティニエール工業学校で化学を学んだ。同じ時期、化学科にはシネマトグラフ(つまり今の映画)の発明者として知られるリュミエール兄弟もいたらしい。山田は、リヨンで日本領事館に現地採用されて、外交官としてのキャリアをスタートさせ、現地の女性と結婚して・・・

「それがあんたの研究とどう関係があるんだ」という声が聞こえてきそうだが、いやいや、これが大ありなのである。ま、抜き刷りができたら送ります。

考えて見ると、しばらく前までは、私はあまり校正に熱心ではなかった。おかげで、「小っ恥ずかしい」誤りをいくつもやらかしている。今は原稿7分、校正3分ぐらいに考えてちょうどいいと思っている。いや、もっとかな。

昨日は出した後気分転換に机回りを片付けた。今日から別のことに取りかかっている。


ある大学教員の日常茶飯

年末の日常

2016年12月25日
今年は曜日の関係で、大学全体の年末年始休業が例年より長い。

12月24日(土)
10時半から大谷大学で開かれた研究会、というより研究打ち合わせ会に出席。これが1時半頃終わり、直ちに帰宅。珍しくゆっくりクリスマスイブを家で過ごす。

12月25日(日)
午前中、近くの喫茶店で論文の校正をやる。以前、さる売れっ子の漫画家がネームを書くのに馴染みの喫茶店をはしごしている映像を見た。コミックスの売り上げで巨額の収入があり、自宅にもスタジオにも十分な空間が確保されているはずの人がそういうことをしている。比較になるはずもないが、その気持ちはいくらか分かる気がする。

コーヒーをおかわりして12時まで粘り、帰宅して蕎麦で中食を取った後、御山に戻る。喫茶店での校正は、当たりを付けただけにすぎない。本格的な「お勤め」は資料が揃った研究室でないとできないのである。

昨日食べなかったクリスマスケーキを梵恩舎に持ってゆく。子どもたちがわいわい食べてくれた。それにしても、他人の子どもは大きくなるのが早い。このあいだ赤ん坊だったTちゃんが、もういっぱしの口を利くようになっている。
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天地明察

2016年12月22日
冬至が過ぎたら、少々気分が変わった。人は暦とともに生きている。

日曜日、駅前の貸しビデオ屋に行った。この店は相変わらず韓流押しが激しい。その分日本の映画やテレビドラマが、肩身が狭いどころか、片隅に追いやられている。ところが最近、この店が貸し漫画を始め、一番目立つ棚にずらりと漫画が並んだ。漫画なら日本だ。

流し見するのに、頭の芯が疲れるようなものは禁物だ。借りたのは、冲方丁原作、滝田洋二郎監督、岡田准一主演の「天地明察」。江戸時代前期の学者渋川春海が改暦に全身全霊を捧げる姿を描いたもので、日本人の健全な部分がよく出ていて、後味のよい作品だった。だいいち、「天地明察」というタイトルがすてきだ。
ある大学教員の日常茶飯

河口慧海生誕150年 講演会

2016年12月19日
12月17日(土)
「河口慧海生誕150年 講演会」に参加するために、久しぶりで宇治の黄檗山万福寺に行った。11時過ぎに京阪黄檗駅に降り、まず宝蔵院で黄檗版の版木を見学した。その後、万福寺門前の店で茶そばと天ぷらのセットでお腹を満たしてから、万福寺の惣門を潜った。

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*宝蔵院にある黄檗版版木の収蔵庫。

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*大雄宝殿の手前には二本のヒマラヤ杉が立っている。大正6年に慧海の帰国と隠元禅師の大遠忌を記念して植樹されたもので、もとは月台上にあった。「ヒマラヤ杉は残った」の感慨がある。

しばらく境内を散策した後、1時前に文華殿に行くと、ぼちばち準備が進められていた。
文華殿の前には慧海の歌碑が立っている。平成25年に建立されたもので、私も計画段階からちょっとだけ関与したが、実物を見るのは初めてだった。こうやって、黄檗宗内で慧海が顕彰されるのはよいことだ。後年、黄檗宗から離脱するとはいえ、慧海という仏教者の出現には、黄檗宗の持つ文化力が大きな役割を果たしているのだから。

1時半から始まった講演会は、田中智誠和尚、高山龍三先生、稲葉香氏が順次話をして4時頃閉幕した。せっかくだから何か話をせよ、と命ぜられていたので、三人のお話の後で、短くしゃべらせてもらった。東大阪からKさん夫妻、堺市からNさんも見えた。会場は小さかったが、聴衆がよくて、なかなか盛り上がった。



研究ノート

年の暮れ

2016年12月15日
12月10日(土)
仏教大学広沢キャンパスの博物館で密教図像学会の学術大会が開かれた。総会で監事として一言報告するために出席。帰途、堺東の駅前商店街にある溝畑酒店で一杯。ここは老舗の立ち飲み屋で、是非一度行きたいと思っていた処である。思っていた通り、とても敷居の低い店だった(立ち飲み屋に敷居の高い店なぞないが)。機会があればまた寄りたい。
12月11日(日)
マンションの管理組合総会。
12月12日(月)
堺市博物館で先の展示会の展示品を熟覧させてもらう。
12月14日(水)
西南院で大学の忘年会。早く帰って寝たのが上出来だった。

こうして今年も暮れてゆく。

ある大学教員の日常茶飯

「鬼平」が終わったらしい

2016年12月15日
おつとめ、急ぎ働き、引き込み、押し込み、盗人宿(ぬすっとやど)、おかしら、密偵、火盗改め、とくれば、ご存じ「鬼平犯科帳」である。

江戸の町で大店への押し込み強盗がそう度々起こってはたまらないが、そこは、藤沢周平の海坂藩に御家騒動が絶えないのと同様、お約束の世界である。池波正太郎の原作もいいが、私は中村吉右衛門主演のテレビシリーズのファンだ。それが先頃150話で終わったという。何でもいつかは終わるわけで、「吉右衛門さん、ありがとう、お疲れ様」と言いたい。

誰かが以前書いていたことだが、とにかくこのドラマ、夜の江戸の町を黒装束に身を固めた盗賊団が風のように走って止むことがない。盗賊にもランクがあって、「殺さず」などの掟を守って「本格」の「お勤め」をする「立派な」おかしらは大盗として尊敬される。闇の世界の名士というわけである。火附盗賊改方長官長谷川平蔵は実在の人物で、石川島人足寄場(無宿者を収容して授産する施設)の創設者としても知られるが、「鬼平」のストーリーや人物設定はすべて池波ワールドといってよいだろう。ま、理屈抜きに楽しめばいいのである。

ああ、俺も「五鉄」でシャモ鍋を囲んで一杯やりテェもんだ。
ある大学教員の日常茶飯

真田ネタもこれが最後

2016年12月07日
真田ネタも大概にしようと思っていたが、家康の影武者が出た、と聞いたので、もう一回だけ。

隆慶一郎の『影武者徳川家康』では、茶臼山に陣取った真田隊が突撃を開始した時、家康の本陣で、影武者家康と本多正信との間にある会話が交わされる。手元に本がないので、まったくのうろ覚えで、だいたいのことを記すと、

世良田二郎三郎(影武者)「真田なら討たれてやってもよいな」
本多正信「やめてくれ、徳川の恥になる」
二郎三郎「もともとこの戦は恥に満ちている・・・おお、見事な突撃じゃないか」

私はこれを幸村への鎮魂歌として読んだ。

『影武者徳川家康』は、今年の正月に西田敏行主演のドラマが放送されているから、ご覧になった方もおられるだろう。実は家康は、関ケ原の戦いの前夜に、三成の家臣島左近が放った刺客によって暗殺され、その代役を影武者の二郎三郎が務めることになる。こう書くと、信長を暗殺したのは秀吉だとか、信長は本能寺の抜け穴を通って逃げ延びたとか、そういう類の話と大差ないように感じられるが、この小説はここからがすごい。二郎三郎は、その後、1616年に死ぬまで、実に15年以上にわたって大御所家康として君臨し続けるからである。というのも彼は、残忍酷薄な二代目徳川秀忠とその配下の柳生忍軍と戦わなければならなかった。ざっとこんな筋のエンターテイメントである。それにしても、「家康といえば影武者」の大元はどこにあるのだろう。
ある大学教員の日常茶飯

天狗の団扇

2016年12月01日
近頃は、朝が寒いため、つい二度寝して、そのたびに妙な夢をみる。

旭を拝みに行った帰りに北門から構内に入ろうとすると、ぴかぴかしたものが天から目の前に降りてきた。身の丈10㍍はあろうかという烏天狗である。その天狗が私に団扇をくれた。それは八つ手の葉そのもので、柄の部分がすぐに折れてしまうようなもろいものだが、これで背中を煽がれると、その人に無駄に過ごした時間が戻ってくる。これで私は二人ほど煽いでやってとても感謝されたが、実に惜しいことに、自分を煽ぐ前に目が醒めてしまった。
ある大学教員の日常茶飯
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