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北京の一日

2016年09月12日
8月28日(日)
 この日は一日北京見物に費やした。まず雍和宮(ようわきゅう)に行き、J先生の案内で境内を巡る。雍和宮は北京最大のチベット仏教寺院である。参詣者が多く、中国が今仏教ブームにあることが実感される。
 次いで東交民巷(とうこうみんこう)に立ち寄って、旧日本公使館や旧横浜正金銀行北京支店の建物を確認する。昔の北京内城の東南部に位置するこの地区は、1900年夏に起きた北京籠城(外国人と中国人キリスト教徒が義和団と清国官兵に包囲されて立て籠もった事件)の舞台となった。北京には四五回来ているが、今まで訪れるチャンスがなかった。一度見ておきたいと思っていた場所だ。

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*線香が無料で配布されている。

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*以上、雍和宮の賑わい。

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*旧日本公使館

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*旧横浜正金銀行北京支店。今は中国法院博物館になっている。1910年竣工というから義和団事件より後の建物である。

 午後は妙応寺を訪れ、白塔や境内に建てられた阿尼哥(あにこ)の像などを見た。五台山のものと同じく、この寺の白塔も阿尼哥が建設したものだ。それから前門大街に行ってお土産を買ったことは前に述べた通りである。その夜もディナーパーティーでいろいろな人に会うことができた。

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*若々しい阿尼哥の像。現代の作だが、ネワールの職人集団を率いてチベットや元朝の中国で活躍した彼の面目をよく伝えている。

8月29日(月)
 早起きして荷造りし、7時に宿を出て北京首都空港に向かう。Cさんが最後の最後まで付き合ってくれた。日本を出る時からだから、実に12日間である。その間、Cさんの行き届いた配慮で、いろいろと見聞を広めることができた。中国人の付き合い方を身を以て知ることができたのが一番の収穫かもしれない。今度は私の番だと言われたら喜んで応じるだろう。それだけありがたい経験だった。
 北京・関空間の所要時間はおよそ3時間半。今までよりもずっと近くなったような気がしている。


 
フィールドワークの記録

北京秋天

2016年09月12日
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♪見たこともない野を越えて♪

8月27日(土)
 8時半から閉幕式が行われ、シンポジウムはめでたく閉じられた。10時、主催者が用意したバスに乗って北京に向かう。

 2時間ほど経った時だったと思う。Cさんが、「この辺りからが昔の燕ですよ」と教えてくれる。河北の大平原に入ったらしい。燕はむろん戦国の七雄の燕である。 燕といえば、太子丹(たん)、太子丹といえば荊軻(けいか)、荊軻といえば、 「風蕭蕭として易水寒く、壮士一たび去りて復た還らず」(『史記』刺客列伝)の絶唱である。思えば、高校生の私は、こういう悲壮感たっぷりなのが好きだったな。
 陳凱歌(チェン・カイコー)監督の「始皇帝暗殺」の場面が頭にちらついた。私はこの映画が嫌いではない。戦闘シーンにいまひとつ迫力を欠くうらみはあるが、戦闘シーンというものは史劇において人間ドラマを盛り上げるための道具立てにすぎない。なければものたりないが、それだけが売り物ではうすっぺらい。陳監督作品にはつきものの、目をそむけたくなるような残酷シーンもあるけれど、秦王政(始皇帝)を中心とする人間ドラマは結構見応えがあったと記憶する。趙姫を演じたコン・リーもよかったし。ただ政と趙姫の幼なじみコンビが仕組んだ暗殺計画が趙国の滅亡を招くという筋立ては何とかならなかったか、という気はする。趙姫が愚かに見えるのだ。
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*右に行くと周口店。北京原人の遺跡で知られる。

 やがて北京市内に入る。北京の秋空は、梅原龍三郎の絵ほどではないが、青かった。午後2時半、市内の西部でバスを降りる。そこからはまたCさん任せである。その晩は、Cさんの兄弟や知人たちに囲まれて楽しい時間を過ごした。

 
フィールドワークの記録

文殊菩薩と能海上師生誕130周年国際学術シンポジウム

2016年09月12日
8月26日
 午前8時過ぎから、ホテルの大ホールで盛大な開会式が行われ、シンポジウムが開幕した。早めに行くと、外国からの招待者は最前列の席である。写真をばちばち撮られるので、大人しく座っていた。

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*壇上には巨大なスクリーンが設置されている。

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 日本人ではただ一人、静先生が「発言嘉賓」として壇上に座られた。先生の発言は、密教僧として範を垂れるものであった。しめくくりの言葉は、

   え~、師匠から弟子に受け継いでいないものは密教ではありません。

 まさに獅子吼といってよい。これが聴衆の胸にどれだけ響いたかは分からないけれど。

 午前中は式典で終わり、昼食をはさんで、午後2時から分科会が行われた。私の発表「文殊菩薩と金剛陪囉嚩尊」は、分科会第1組であった。発表時間は5分しかなく、これをW先生が通訳してくれた。

 実は、自分の発表が終わったら分科会を脱けだして、西安から来た車で菩薩頂に行こうと目論み、Cさんに段取りを頼んでいた。ここまで来て菩薩頂を参拝しないわけにはいかない。二人は、昨日から五台山巡りを楽しんでいるが、3時頃には待機するという。ところが、分科会は、発表者の机をロ形に並べて、お互いににらめっこするような形になっている。ここから一人だけ出て行くのはあまりにも失礼である、ということで、菩薩頂はなくなく諦めた。また来い、ということだろう。

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*五台山のイメージキャラクター(?)智慧君。慈悲君もいる。

 4時、分科会が終了した後、関空で買っておいたお菓子を渡し、二人には西安に帰ってもらった。もしも私が、これから菩薩頂に行ってくれ、と言えば、二人は快く行ってくれたと思うが、往復すれば参拝の時間も含めて2時間はかかる。それでは西安に帰り着くのが真夜中なってしまう。安全第一である。

 夕飯は、J先生とこのホテルのオーナー氏のご厚意で、静先生をメインにした会食になった。
 



 
フィールドワークの記録
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