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ゴジラが行く

2016年07月31日

 まるでゴジラのような、という譬喩が若い学生たちにはぴんとこないようだ、と感じたはじめたのはいつ頃のことだったろうか。新しいゴジラ映画の登場でその辺は多少改まるかもしれない。


 よく言われるように、ゴジラは「神」である。井筒俊彦先生の言葉を借りれば、神のジャラール的側面である。

  だから、トカゲの大きいのをゴジラと呼んだハリウッドの最初のリメイク版は論外として、その辺りがかなり改善されたはずの第二弾も、金曜日の晩にテレビ放映を途中からチェックしたかぎりでは、神々しさが足らない気がした。もっとも、お子様向けスターになった後のゴジラは、むしろ愛嬌者だったと記憶するが。


 火曜日の朝に送った論文が金曜日の晩には中国語に訳されて戻ってきた。ものすごい早業で、Cさんの能力と努力に感動を覚えた。これでひとつはOK、残りあとひとつである。
 来月の中旬から下旬にかけて、中国雲南省麗江に近い剣川と山西省五台山で開かれる二つの学術検討会を掛け持ちすることになってしまった。麗江、西安、五台山、北京を巡業して2週間近く帰れないという長丁場である。麗江と五台山は、いつか行ってみたいと念じていた場所だから嬉しいはずなのだが、すでにいろいろなところにしわ寄せが出始めている。
 明日は講演会なので、今日が山だ。

 

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カニンガムの『マハーボーディ寺』

2016年07月25日

24日(日)

 天神祭初日の賑わいに背を向けて、新大阪で開かれた研究会に出席した。夕方帰ると、松本榮一さんから本が届いていた。アレキサンダー・カニンガムの『マハーボーディ寺』と、ラームスループ・シン教授の解説とを奥さんと共訳したものである。監修者は北條賢三先生だ。

 この書は、インド考古学の古典のひとつである。中味はお堅い学術書だが、装丁は、芸術家らしく、センスのいい仕上がりになっている。

 松本さんは若い頃、ブッダガヤーにいたことがあり、最初の「個展」もブッダガヤーの村民相手に開いたと聞いている。そういう想い出も込めての出版だと思えば、本人ならずとも、なかなか味わい深い。

 来週、大阪で講演する予定なので、さっそくそこで紹介したい。

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夏の曲

2016年07月18日

 暑かった日の夕方、図書館の事務室で図録をコピーしていたら、I原君が、

「先生、何かいいことあったんですか。先生が鼻歌を歌うなんて、初めて聞きました」

 と言うので、

「これは『Conan The Destroyer』のテーマだよ」

 と教えてあげた。最近はこれを聞くと、やたらと元気が出るような気がする。もうひとつ、暑い夏にぴったりの曲として、「The Wind and The Lion」のサントラも推しておこう。イージーリスニングばかりではあるが…


 鼻歌が出たのは、7月8日に密教研究会で発表した「長谷部隆諦のネパール調査とその請来品」に関わり、この時点では同定できなかったネパールの仏画に同定の目処が立ったからだ。おかげで、まあまあの論文ができそうだ。


 一昨日のオープンキャンパスでは、チベット人ゲシェーたちの座談会が「集客にとても役だった」という報告を受けた。「またお願いします」とのこと。人を使う時の常套句だが、言われて悪い気はしない。ゲシェーたちにまた頑張ってもらうことにしようか。




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高野山大学オープンキャンパス

2016年07月17日

今日17日(日)、高野山大学のオープンキャンパスが、前回にも増して、賑々しく開催された。私の出番は、ウセル、ナムギェル両師に出演してもらった「チベットの人にきいてみよう!」という企画。両ゲシェーががんばってくれた。だから、という訳ではないが、夕方、二人を連れて御山を下り、橋本で所用をすませたあと、「ニューデリー」で夕食を食べて帰った。今日は出がけから気分が悪かったが、彼らと接するうちに治ったようだ。


昨日は2時半に大阪駅の「時空の広場」で待ち合わて、秋に堺市が予定している企画の打合せをした。

夕方帰宅して、庭の草むしりをした。このところの忙しさで掃除をさぼっているうちに、庭が緑の絨毯を敷き詰めたようになった。40分ほどでくたびれて止めたが、また土が見えるようになったのはよいことだ。


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*トルコのクーデター未遂事件には驚いた。これは今回反乱軍によって一時封鎖されたボスポラス大橋。


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何年ぶりかの波佐で、いろいろ勉強する

2016年07月13日

7月10日(日)

 急いで朝食を取って、7時23分の通勤快速で広島へ向かう。改札口を出たところで、K本女史と今日のメインゲストのM宅先生が待っていてくれた。

 Nさんの車で浜田市金城町波佐(はざ)へ向かう。途中から運転がK本女史に交替する。どうしても運転しなければ気が済まないらしいので、私も覚悟を決めることにする。今年ゃ本厄だしな。「南無大師遍照金剛」…。祈りが通じたのか、無事波佐のときわ会館に到着して、10時からの総会に間に合った。それから総会、研究発表、講演会と続き、4時すぎにお開きに。いっしょに来た人たちが広島方面に帰るのを尻目に、後片付けを手伝った後、近くの明治屋という鄙びた旅館に草鞋を脱いだ。釣りの宿かと思いきや、最近はそういうお客は少なくて、冬のスキー客がメインだという。

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*明治屋さんのたたずまい。なかなか味わい深い。


 夕飯を済ませて、部屋のテレビで開票速報でも見ようとしていたら、研究会事務局のS田さんがやってきて、明日の打合せをかねて1時間ほど話をしていった。1泊延ばして波佐に留まったのは、能海寛資料を見せてもらうためだ。


7月11日(月)

 9時から2時間ほどかけて、チベット語文献を中心に見せてもらった。2時間で止めたのは、今回は現物をざっと見る以外何もできないことが分かったからである。基本データの蒐集はS田さんの手ですでになされている。それ以上のことをやるためには入念な準備が必要だ。「次は助手を連れてきますよ」


 私にとっての収穫は、むしろ、能海の「チベットでない」側面と、津和野藩の飛び地だったこの地方の民俗文化の豊かさに、多少目を開かれたことであった。後者に関しては、S田さんたちが半世紀も前から「実践民俗学」と称して農具・民具の蒐集をやっていた。機械化が始まった時機を巧みに捉えて、まだ現役だった道具たちを大量蒐集した。それらは金城民俗資料館に保管され、「地域まるごと博物館」を称える波佐の財産になっている。つくづく大した人である。


 帰りに、高速バスの駅まで、緑の濃い、山間の渓流に沿った道をS田さんの車で送ってもらいながら考えた。

 南方熊楠の研究に関わり、田辺を自分の「楽園」にして通い詰めている人たちを私は知っている。たびたび書いているように、田辺は実にいいところ、懐かしいところではあるが、この波佐も私にとってそういう場所になって悪かろうはずがない、と。波佐は堺からはうんと遠いが、今までよりは頻繁に行くことになりそうだ。再来年、波佐は能海寛生誕150周年を迎える。

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呉・大和ミュージアム

2016年07月11日

7月8日(金)、密教研究会の学術大会1日目の研究発表と講演会が終わり、総会・懇親会も滞りなく終了したのを見届けて、山を下りた。


翌9日、京都で所用を済ませた後、JR京都駅から新幹線で広島の呉へ向かう。目的地は10日に能海寛研究会の総会と研究会・講演会が開かれる浜田市金城町の波佐だが、足の便の関係で1日ではとても行ききれないので、どこかで1泊を必要とする。となれば、6年前に見られなかった大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)を見て呉に泊まろうという算段をしたのである。


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*呼び物の戦艦大和の10分の1模型。本物は全長263.0mだったから、これも26mあることになる。呉の海軍工廠で建造された1号艦が大和、長崎の三菱造船所で建造された2号艦が武蔵になった。昔から、大和・武蔵ほど均整の取れた美しい戦艦はない、と思ってきた。機能美のひとつの極致というべきか。


少し前に吉村昭の『戦艦武蔵』(新潮文庫)を読んだのも、思えば何かの縁であった。


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*こちらは人間魚雷回天。こういうものの前では何も言えぬ。


向かいには「てつのくじら館」(呉海上自衛隊史料館)があり、入船山記念館(旧呉鎮守府司令官官舎)もさほど遠くないが、時間の関係でいずれも見学できなかった。呉は見所が多く、私などは伯父が海軍士官だったからその方の思い入れもあるのだが、惜しい事に店じまいがちと早すぎる。サマータイム制でもしいて、夏季はせめて7時まではやってもらいたい。広島駅から快速で30分はそれなりの時間だから、広島への観光客を呉にも呼び込むためには、そういう措置が必要だと思う。

この日は呉海員会館に泊まった。JR呉駅から歩いて5分程度で立地がすこぶるよろしい。この日は暑かったので、併設された「海軍さんの麦酒館」で地元産のおつまみをつつきながら地ビールで喉を潤した。





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ダッカ

2016年07月03日

ダッカは2007年に行った。バングラデシュをよく知る人と同行し、一から十までサポートしてもらったお陰で、怖さを感じるどころか、快適な旅であった。政情は必ずしも安定しておらず、いろいろなことが起こっているとは聞いたが、外国人が狙われているという話はなかったと思う。


外国人が多く住むエリアのアパートに宿泊し、今回事件があったようなレストランに食事に行ったこともある。確かそこで、JICAの職員にも遇った。だから、事件があった店とその周辺がどんなことろかはだいたい想像がつく。


私の場合のように一過性でなく、継続的にこの国に関わっている個人や団体がまず大変だが、私たちも無縁でいられるとは思われない。今後は、世界がそういう風に変わってしまったのだ、と覚悟して生きなければならないのだろうか。

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