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終わりよければ2

2016年04月24日

4月20日(水)

上天気のこの日、午前中は奥之院を案内し、梵恩舎でランチを食べた後、午後は金剛峯寺、大伽藍、霊宝館を案内した。昨日に引き続いて事務職のAさんとTさんが大活躍してくれた。二人とも随分気に入られ、「あなた方はよいスタッフを持っている」とお褒めの言葉をいただいて、私も鼻が高かった。

マドゥリ夫人によると、Aさんはボリウッド・スターのSK(サルマン・カーン)に似ているそうで、「英語さえ覚えたら、インドではもてもてだ」とのこと。よい刺激になったようである。


「高野山のような美しい場所は初めてだ。文化遺産としても際だった特色を持っている。そして何より、ここに着いた時から、スピリチュアリティを感じている。大変好ましい場所だ」

というのがラグレイ教授夫妻の共通の感想だった。彼らは観光学を専門としており、宗教ツーリズム、遺産ツーリズムなどの観点から高野山を高く評価してくれたようだ。


この日は夕方6時半から総持院で県の商工観光労働部長主催の夕食会があり、二人も招待されていた。遅い時間なので、私が送り迎えした。


4月21日(木)

本番の日がやってきた。天気はあいにくの雨である。


10時15分より松下講堂でアンベードカル博士生誕記念式典が挙行された。インド側の出席者は、マハーラーシュトラ州政府観光大臣、駐日インド大使代理の主席公使、在大阪・神戸インド総領事。観光大臣の来日はこの行事に出席することが主目的だ。学生向けの内輪の講演会という当初の計画から、あれよあれよという間に大袈裟なものになったが、まあ、これぐらいはこなせなければ。


藤田学長の挨拶、観光大臣の挨拶、大使代理の挨拶の後、ラグレイ教授の講演「アンベードカル博士の文化遺産」が1時間にわたって行われた。通訳は本学のドライトライン准教授に引き受けてもらった。ラグレイ教授は、高野山の雰囲気にいたく感銘を受け、予定にない原稿を宿坊で何枚も書き下ろしてきた。開演15分前にそれを見せられたドライトラインさん、かなり苦労した様子だったが、何とかこなしたのはさすがだった。彼にしかできない芸当である。


そのあと、吹き降りの中、アンベードカル博士の像に献花が行われた。


それが終わると直ちにS院に移動して歓迎の昼食会。それで記念式典はお開きになり、大臣、大使代理、総領事の一行は御山を下っていった。それを見届けた後、ラグレイ夫妻の要望を受けて、大学の図書館を案内し、古い文献資料などを見てもらった。



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終わりよければ…

2016年04月24日

たしか4月18日(月)に開かれた最後の打ち合わせの席だったと思う。私は言った。


「明日からは毎日がハプニングの連続だと思ってください」


だがそれは甘かった。その日の夕方さっそく第1弾がきた。これからオーランガバードを出発する旨のメールに「東京のホテルについてはよろしく頼む」とある。え、まだ予約していないの?22日からのことである。「もしまだ予約していないならば、予算を知らせてほしい」と返信した後、急いで関係者に連絡し、ホテルを押さえにかかる。何しろ最近はインバウンド景気のおかげで東京、京都、大阪などはホテルがひどく取りにくい。しかもツインで3連泊である。それでも、JR品川駅のそばに何とか確保できた。


夜、追加の連絡が入る。「これから飛行機に乗りますが、東京のホテルの予算は●●ドルまでです」

あちゃー、予算をかなりオーバーしている。あわてて取り直したが、必然的にと言おうか、ちょっとだけ不便な場所となった。彼らがすんなりたどり着けるとはとても思えない。ただちに東京のS氏に連絡し、22日に品川駅までの出迎えを頼む。同じインド人で、しかも主義主張を同じくしているのだから、何とか協力してくれるだろう。


4月19日(火)

10時過ぎ、事務スタッフのAさん、Tさんと一緒に関空に出迎えに出発。関空の北出口にはすでに和歌山県のスタッフが待っていた。同じ飛行機でくるマハーラーシュトラ州観光大臣を出迎えるためだ。彼らをのせたエアインディア機は予定より数分早く着陸した。当然、要人の方が早く出てくる。しかし、ラグレイ教授夫妻もそんなには待たせなかった。エアインディアのT部長が何かと配慮してくれた。


去年の9月以来、高野山大学はインド・マハーラーシュトラ州オーランガバードにあるマラサワダ大学と協力関係にある。その一環として今回企画されたのが、しかるべき専門家を招いての講演会の開催であった。これに応じて派遣されたのが、観光学科長のラグレイ教授と同じく観光学科助教授のマドゥリ夫人である。

挨拶の名刺交換のあと、両替・モバイルフォーンの借用手続きを済ませた。「お腹は?」と聞くと、1時間前にたべたばかりとのこと。でも私たちは減っている。3階のレストラン街に案内し、彼らがコーヒーを飲んでいる間にランチをすませる。そうしているうちに2時半近くになったので、急いで高野山に向けて出発した。


高野山についてみると、教授たちを乗せた公用車はすでにD院に到着している。安心して大学に戻り、さあ出迎えだというところに、Tさんから電話が入る。「この部屋はだめいうてはります」

以後の騒ぎについては詳述を控えるが、去年の開創1200年から高野山は参拝・観光客、特に外国からのお客さんが増え、春の観光シーズンが重なって、宿坊の部屋が極端に取りにくくなっているところにこれである。一瞬ぞ~としたが、いろいろ連絡して、奇跡的に宿替えができた。


そこに教授夫妻が到着。学長との会談、通訳を頼んだドラさんとの打ち合わせの後、Aさんが車で送って、この日のスケジュールは「概ね無事に」終了した。

















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