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『梵字悉曇教本』が出た

2016年04月27日

土曜日、悉曇蔵研究会編『梵字悉曇教本』(USS出版)が届いた。

一島正真先生と河野亮仙さんの苦心の大冊である。中心となっているのは、近代悉曇学の大成者とも評される天台僧大宮孝潤(おおみや・こうにん)師(1872-1949)が残した教本類だ。

河野さんに連れられて、大宮師が住職を務めた茨城県河内町の妙行寺を訪ねたのは、一昨年のことである。お訪ねしたのは初めてだったが、先代住職の時代から資料では大変御世話になった。


私はこの出版に「大宮孝潤のインド」を寄稿した。これは、インド留学に焦点をあてながら、大宮師の波瀾の人生を描いたものである。


大宮師は数え年24歳でインド留学に旅立ち、前後2回、通算9年近くをインド・セイロンで過ごし、梵語と梵語仏典の研究にいそしんだ。時代は日清戦争直後から日露戦争直後までに当たる。インドでは、イギリスが植民地支配を強化する中で、次第に民族意識を高めた大衆が、日露戦争における日本の勝利とベンガル分割令を契機に、広汎なスワーデーシ―(国産品愛用)運動に向かってゆく時期である。こうした時代情況は、大宮師の留学生活にも影響を与えずにはおかなかった。

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高価な専門書です。お近くの図書館に購入希望を出しくだされば嬉しい。



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終わりよければ3

2016年04月26日

4月22日(金)

8時前、Aさん運転の公用車でH院まで2人を迎えに行く。公式行事は昨日いっぺんに終わり、今日は彼らをW大まで送るだけだ。W大の訪問はマドゥリ夫人の希望から出たもののようで、もとは国際的な観光学会の会長からの紹介であるようだ。夫人は前もってアポを取っている。その先、二人はW大の人に送られて難波のホテルまでゆき、そこでまた別の大学の先生に会う。その先生が新大阪まで案内して、彼らのいうBullet Train(新幹線)の切符を買うのを手伝ってくれる。切符を買ったら、ただちに東京のS氏に、のぞみの号数と品川への到着時刻を知らせる。こういう手筈になっていた。


10時、W大に着いて、4月にオープンしたばかりの国際観光学研究センターに通される。出てきたのは顔見知りのK先生だった。お互いに、「おや?」という感じであった。しばらく懇談に付き合ったあと、いよいよお別れである。記念写真を撮り、再会を約して帰途についた。


お腹が空いたので、帰りに橋本のインド料理店「ニューデリー」で昼ご飯を食べた。余韻を食べ物でかみしめた。Aさん「ここに二人を連れて来たかったなあ」

私はそうは思わなかったが、この夏、マハーラーシュトラ州を再訪する意欲はわいた。


御山に戻って、しばらくぼーとしてから、家に帰った。8時過ぎ、ラグレイ教授のケータイに電話したら、S氏が出た。受話器の向こうから、わいわいやっている楽しげな声が聞こえる。東京の小さなインド人コミュニティーが彼らを受け入れたようだ。S氏に御礼をいい、今日から3日間のケアをよろしく頼んで電話を切った。

実は、品川駅から成田エクスプレスに乗って、出発時刻である11時15分の2時間前に第2ターミナルに無事につけるかどうか、私は案じていた。S氏にはその旨、メールや電話で何回もしつこく頼んだ。そのせいかどうか知らないが、S氏は車で成田空港まで二人を送ることにしてくれた。


昨日(25日)の11時前、ラグレイ教授からケータイに電話がかかってきた。雑音でよく聞き取れなかったが、無事成田について、出発を待っていることは分かった。今度はインドで会おう。


終わりよければ、すべてよし。

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終わりよければ2

2016年04月24日

4月20日(水)

上天気のこの日、午前中は奥之院を案内し、梵恩舎でランチを食べた後、午後は金剛峯寺、大伽藍、霊宝館を案内した。昨日に引き続いて事務職のAさんとTさんが大活躍してくれた。二人とも随分気に入られ、「あなた方はよいスタッフを持っている」とお褒めの言葉をいただいて、私も鼻が高かった。

マドゥリ夫人によると、Aさんはボリウッド・スターのSK(サルマン・カーン)に似ているそうで、「英語さえ覚えたら、インドではもてもてだ」とのこと。よい刺激になったようである。


「高野山のような美しい場所は初めてだ。文化遺産としても際だった特色を持っている。そして何より、ここに着いた時から、スピリチュアリティを感じている。大変好ましい場所だ」

というのがラグレイ教授夫妻の共通の感想だった。彼らは観光学を専門としており、宗教ツーリズム、遺産ツーリズムなどの観点から高野山を高く評価してくれたようだ。


この日は夕方6時半から総持院で県の商工観光労働部長主催の夕食会があり、二人も招待されていた。遅い時間なので、私が送り迎えした。


4月21日(木)

本番の日がやってきた。天気はあいにくの雨である。


10時15分より松下講堂でアンベードカル博士生誕記念式典が挙行された。インド側の出席者は、マハーラーシュトラ州政府観光大臣、駐日インド大使代理の主席公使、在大阪・神戸インド総領事。観光大臣の来日はこの行事に出席することが主目的だ。学生向けの内輪の講演会という当初の計画から、あれよあれよという間に大袈裟なものになったが、まあ、これぐらいはこなせなければ。


藤田学長の挨拶、観光大臣の挨拶、大使代理の挨拶の後、ラグレイ教授の講演「アンベードカル博士の文化遺産」が1時間にわたって行われた。通訳は本学のドライトライン准教授に引き受けてもらった。ラグレイ教授は、高野山の雰囲気にいたく感銘を受け、予定にない原稿を宿坊で何枚も書き下ろしてきた。開演15分前にそれを見せられたドライトラインさん、かなり苦労した様子だったが、何とかこなしたのはさすがだった。彼にしかできない芸当である。


そのあと、吹き降りの中、アンベードカル博士の像に献花が行われた。


それが終わると直ちにS院に移動して歓迎の昼食会。それで記念式典はお開きになり、大臣、大使代理、総領事の一行は御山を下っていった。それを見届けた後、ラグレイ夫妻の要望を受けて、大学の図書館を案内し、古い文献資料などを見てもらった。



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終わりよければ…

2016年04月24日

たしか4月18日(月)に開かれた最後の打ち合わせの席だったと思う。私は言った。


「明日からは毎日がハプニングの連続だと思ってください」


だがそれは甘かった。その日の夕方さっそく第1弾がきた。これからオーランガバードを出発する旨のメールに「東京のホテルについてはよろしく頼む」とある。え、まだ予約していないの?22日からのことである。「もしまだ予約していないならば、予算を知らせてほしい」と返信した後、急いで関係者に連絡し、ホテルを押さえにかかる。何しろ最近はインバウンド景気のおかげで東京、京都、大阪などはホテルがひどく取りにくい。しかもツインで3連泊である。それでも、JR品川駅のそばに何とか確保できた。


夜、追加の連絡が入る。「これから飛行機に乗りますが、東京のホテルの予算は●●ドルまでです」

あちゃー、予算をかなりオーバーしている。あわてて取り直したが、必然的にと言おうか、ちょっとだけ不便な場所となった。彼らがすんなりたどり着けるとはとても思えない。ただちに東京のS氏に連絡し、22日に品川駅までの出迎えを頼む。同じインド人で、しかも主義主張を同じくしているのだから、何とか協力してくれるだろう。


4月19日(火)

10時過ぎ、事務スタッフのAさん、Tさんと一緒に関空に出迎えに出発。関空の北出口にはすでに和歌山県のスタッフが待っていた。同じ飛行機でくるマハーラーシュトラ州観光大臣を出迎えるためだ。彼らをのせたエアインディア機は予定より数分早く着陸した。当然、要人の方が早く出てくる。しかし、ラグレイ教授夫妻もそんなには待たせなかった。エアインディアのT部長が何かと配慮してくれた。


去年の9月以来、高野山大学はインド・マハーラーシュトラ州オーランガバードにあるマラサワダ大学と協力関係にある。その一環として今回企画されたのが、しかるべき専門家を招いての講演会の開催であった。これに応じて派遣されたのが、観光学科長のラグレイ教授と同じく観光学科助教授のマドゥリ夫人である。

挨拶の名刺交換のあと、両替・モバイルフォーンの借用手続きを済ませた。「お腹は?」と聞くと、1時間前にたべたばかりとのこと。でも私たちは減っている。3階のレストラン街に案内し、彼らがコーヒーを飲んでいる間にランチをすませる。そうしているうちに2時半近くになったので、急いで高野山に向けて出発した。


高野山についてみると、教授たちを乗せた公用車はすでにD院に到着している。安心して大学に戻り、さあ出迎えだというところに、Tさんから電話が入る。「この部屋はだめいうてはります」

以後の騒ぎについては詳述を控えるが、去年の開創1200年から高野山は参拝・観光客、特に外国からのお客さんが増え、春の観光シーズンが重なって、宿坊の部屋が極端に取りにくくなっているところにこれである。一瞬ぞ~としたが、いろいろ連絡して、奇跡的に宿替えができた。


そこに教授夫妻が到着。学長との会談、通訳を頼んだドラさんとの打ち合わせの後、Aさんが車で送って、この日のスケジュールは「概ね無事に」終了した。

















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九州の震災に

2016年04月17日

4月17日(日)

御山も昨夜から荒れ模様で、風雨が咲いたばかりの桜の花びらを散らしている。無情な天候に、九州の被災地を想う。


むろん人命が第一だが、熊本城の被害にも衝撃を受けた。周知のように、熊本城は加藤清正が築いた天下の名城である。


十数年前、熊本城を訪れる機会があり、博物館で偶々開かれていた「蒙古襲来絵詞」の展覧会を観て、強い感銘を受けた。この絵巻を描かせた竹崎季長は、今の宇城市のあたりの出身である。

文永・弘安の役で元軍を退け、日本を蒙古・高麗の残忍な攻撃から守ったのは、季長のような鎌倉武士たちの死力を尽くした働きであったと思う。もっとも、季長自身は何より恩賞を目指していたようで、味方を欺いても先駆けようというその侍魂はかなり魅力的だ。


今度の場合は自然災害であるが、国難であることに変わりはない。自分にできる何かをしなければ。


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『仏教をめぐる日本と東南アジア地域』

2016年04月08日
4月8日(金)
大澤広嗣編『仏教をめぐる日本と東南アジア地域』(勉誠出版)が出た。昨年度、京大地域研究統合情報センターの林行夫先生のところでやっていた研究会の成果である。毎回二日連続で開かれるため半分も出席できなかったが、刺激的な発表・報告が多かった。

本書に私は「明治印度留学生東温譲の生活と意見、そしてその死」という文章を書いた。締め切りを超過し、迷惑を恐れて一時は執筆を遠慮しようと考えたが、やはり、「祭」は見ているより、御神輿を担いだ方がおもしろい。プラヒデ・カンダッタ改め英岳、俗名神田英昭君も「タイへ渡った真言僧」を投じている。

ゲシェーたちの引っ越しが終わった。今日が灌仏会(仏生会)の日なのも何かの縁である。彼らの新居は棟割りの二階屋で、部屋が四つとバス・トイレ・台所がある。おまけに、曼荼羅荘まで歩いて20秒しかかからない。
ある大学教員の日常茶飯

日本人の先祖はチベット人?

2016年04月07日
4月6日(水)
前日ゲシェーたちが移る宿舎の下見をし、この日の午後、事務方が出してくれた車で、彼らと一緒に橋本に下り、お店を三軒回って、布団、ベッド、IH調理器、掃除機など必要なものを買いそろえた。咲き誇っている桜を見せる目的もあった。D院の奥様からは、二人にいろいろなもの(電気炊飯器から茶碗・箸、米、茶まで)を頂いた。二人はD院の人たちにほんとによく馴染み、可愛がられていた。(二人がいなくなると)「さびしくなる」という言葉に、外国から来たばかりの二人がD院で幸せな時間を過ごしたことを確認できた。

帰途、ウセルさんがこんな話をしてくれた。チベットには、日本人の先祖はチベット人である、という言い伝えがある。その昔、チベット人の男女100人ずつが国外にでかけた。彼らは日本にたどり着き、気に入って住み着ついて、チベットには帰らなかった。彼らこそ日本人の先祖だ、という。この話がどこまで本当かは分からないが、自分は日本に来て、言葉などいくつかの点でチベット人と日本人が似ているのを感じている。

感想を求められて、私はこう答えた。その話は、すべて正しいとは言えないが、まるで嘘という訳でもないと思う。日本人とチベット人が似ているのは事実である。
こう言ったのは、近年、DNAの解析によって日本人のルーツの研究に新たな光が当てられていることが念頭にあったからであるが、それを説明するには、お互いの語学の進歩を待たなければならない。

ついでに、河口慧海が、日本語の中にはチベット語起源の言葉が含まれており、それは古代にチベット人が日本にやってきたからであるという説を唱え、それを先々代のパンチェン・ラマにも話して、感激させたという話をしてあげた。

4月7日(木)
強い雨。今日は彼らの新居に昨日集めた物品を搬入する予定だったが、午後になっても吹き降りが収まらないので、明日の引っ越し日に一挙にかたをつけることにした。

ある大学教員の日常茶飯

白須先生の祝賀会ほか

2016年04月05日
4月3日(日)
京都駅のホテルで開かれた白須先生の退職記念出版祝賀会に出席。K門主と同じテーブルという結構な席が割り当てられていて恐縮した。押さえ気味に飲んで、一次会でさっと引き揚げたのが、自分としては上出来だった。同じ様なメンバーの会合で、一昨年、二次会にうかうか付いていって痛い目にあっている。

ともかく、大変にめでたいことである。末永いご活躍をお祈りしたい。

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4月5日(火)
昨日の入学式から新年度がスタートした。

ゲシェーたちが高野山に来てからすでに5ヵ月が経過。その間、日本語の授業中心の生活を送ってもらったが、そろそろ変化が必要だと考え、大学の内外で、日本人にチベット語を教えてもらうことにした。学内では授業の助手として発音の指導などをし、学外では喫茶店を借りて、週1回1時間程度で簡単な会話を教える計画である。
ゲシェーたちには近々もう一つ大きな変化がある。D院を出て大学の宿舎に移るのだ。D院では本当によくしてもらっていた。おかげで高野山の冬も温かく過ごせたはずだが、そろそろ季節もよくなってきたので動いてもらうことにした。D院がよかっただけに、嫌がりはしないかとちょっと心配したが、とても前向きにOKしてくれたのでほっとしている。



ある大学教員の日常茶飯
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