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寒さが少し緩む

2016年01月29日
1月28日(木)
ああでもない、こうでもないとてこずっていた原稿がついに完成した。しかし、ああ、気が楽になった、と感じたのは、原稿を送信した後、30分ぐらいなものであった。気がつけば、次の締め切りが迫っている。

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*熊楠旧邸の庭の梅がちらほらと。1月10日。

1月29日(金)
寒気が緩んで、今日は雨が積もった雪を溶かしている。

図書館から平山優『真田信繁 幸村と呼ばれた男の真実』(角川選書、2015年)を借りて、興味のある部分だけ読んだ。
高野山麓の九度山での生活がそれである。高野山と九度山にあったという真田屋敷の関係などを自分なりに掴んでおきたかった。九度山での昌幸、信繁親子の生活は、伸之の援助頼みの厳しいものであったらしい。しかし、逆に考えると、幕府の「目を盗んで」、よく仕送りができていたものである。

おもしろいのは、秀頼の誘いを受けた信繁が、一族を率いて九度山を脱出し、大坂に参陣するくだりである。
平山氏は今の紀見峠を越えたと見ている。襲撃を警戒して、火縄に火を点け、刀を抜き払ったままでの行進だったらしい。またこの一行には、九度山周辺の猟師たちもかなり参加していたようだ。とすると、真田丸から東軍にすさまじい銃撃を浴びせた兵士の中にはそういう出身の者たちもいたと考えてよい。その姿を想像すれば、ちょっとおもしろいではないか。



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夜明けの月

2016年01月26日
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*本日午前6時半頃、西の空に月が出ていた。体感気温はマイナス8度程度。昨日よりはちょっと温いかな。

1月25日(月)
K学院大学に関係する研究者グループが来学し、学長の命でその対応に当たった。応接室でお話しをした後、学内を案内した。一行はそのあと奥之院の景教碑を見学する予定を立てていた。荷物を抱えたままだったので、せめて今夜の宿泊先であるD院まではと思ってお連れしたが、地理不案内な方々に、私はこれにて失礼します、雪中行軍くれぐれもお気を付けて、とも言い難く、そのまま奥之院まで案内した。
身体が芯から冷えきって、大学に戻っても、しばらくは何もできないほどであったが、いい刺激を与えてもらった。

年末年始にテレビの前でごろごろしていて気づいたのは、日本のすばらしさを外国人に体験的に語らせる、という番組がやたらに多いことである。多分、制作費が掛からない割に、一定の視聴率が見込めるのだろう。外人に認めてもらわないと、自分たちのよさが分からないのか、という声が聞こえてきそうだが、Coolだの、カワイイだのと、外国人に褒めそやされて気持ちがいいのは確かである。

日本はかなりいい国である。この点に私たちはもっと自信を持つべきだが、こういう番組はたいがいにした方がいいと思う。

ある大学教員の日常茶飯

ご回診です!

2016年01月23日
1月23日(土)
高野山は、いままでの季節の遅れを一挙に取り戻そうとしているように冬、である。

K-GURSの評議会のために95分だけ京都にいた。京都にはこの20数年間に何百回も行っているが、これは短い滞在の新記録かもしれない。帰りに難波の高島屋で「追悼 山崎豊子展」を見る。意外に沢山の人が展示に熱心に見入っていて、根強い人気を感じさせた。
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*難波の大阪高島屋7階グランドホールで2月1日まで。

折角なので、『山崎豊子 スペシャル・ガイド』(新潮社)と『白い巨塔』1(新潮文庫)を買って帰る。

うちで食事をして風呂に入った後、再び電車で高野山に向かう。明後日が締め切りなので、これも止むを得ざる仕儀だ。

電車の中で『白い巨塔』1を読み始める。初めてとは思えないほどすらすら読めて、各場面が次々に頭に浮かぶのは、前に見たテレビのおかげである。リメイク、ではない。田宮二郎のオリジナルである。世代にもよるだろうが、私にとって国立浪速大学附属病院第一外科の財前五郎は、田宮二郎以外にはあり得ない。

リメイク版が放映されていた時分、同じマンションの人に、大学教授の選考というのはあんなんですか、という意味のことを聞かれたことがある。「財前五郎、菊川昇、財前五郎・・・」というあれ、「金はなんぼでも出す」というあれである。いやあ、うちは金と権力には無縁ですから、と答えておいたが、業種が違うと何をやっているかさっぱり分からないということの例である。私だって、旧帝国大学附属病院では、やはり週に一度は、「○○教授の総回診です!」の声とともに、例の「大名行列」が行われていると、頭の片隅で思っていたりするのだから。

それにつけても、山崎豊子の仕事の大きさにはつくづく感じ入った。

ある大学教員の日常茶飯

今日一日

2016年01月19日
一昨日の晩から御山は荒れ模様である。昨日の朝はさほどでもなく、日本語の授業でも、「ので」の用例として、「あたたかいので、雨がふります」を練習したほどであったが、午後からは冷え込みが強まり、夕方には雹が降った。夜中に曼荼羅荘に戻る時分には肌がひりひりした。

今朝起きて思ったこと。
今日一日あることをテリー大明神に感謝しよう。

正月太りが解消できない。近頃食をセーブしはじめた。効果が出始めるのは半月後だろう。

*****
1時から黎明館で「海難1890」の特別上映会が行われた。最初に田中光敏監督の講演があるというので聞きに行った。僅かの時間も惜しい中のことであったが、とてもいい話だった。思ったのは、映画監督というのは、理想を掲げてチームをひっぱってゆくリーダーであり、そのためにもすぐれたコミュニケーターでなければならないということであった。

ついでながら正月に続いて「海難1890」を3分の1ほど見た。監督の意図が、細かい事実よりも真実を描くことにあるということが理解できた気がする。
ある大学教員の日常茶飯

ゲシェー二題と真田丸

2016年01月15日
「このくつはおおきいです」
「もっとちいさいくつをください」
「ちょうどいいです」
昨日、形容詞の学習の一環としてこんなフレーズを練習した。今日の彼らの話から、昨日の午後、彼らが本当に靴を買いに行ったことを知った。一昨日から高野は冷えて、うっすらと雪が積もっている。雪靴が必要だというF田先生のご配慮であった。

朝習ったことを、午後には実際の場で試すことができたわけで、こんな好ましいことはない。生きた言葉は教室の外にある。
******
1週間ほど前、ウセルさんが部屋に来て、知り合いから送られてきたという画像付きのニュースをタブレット端末で見せてくれた。それは、東日本大震災時に撮られた津波の動画を加工したものであった。ウセルさんは、もとよりそんなことは知らない。日本で何か大変なことが起こっているようなので、私に知らせに来てくれたのである。「これは2011年の大地震の時の映像で、今起こっていることではありません。どうぞご心配なく」と言うと、安心した様子で帰って行った。

この情報自体は悪意のあるデマである。どこかの国にはこんなことをする人間がいるのだ。

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どうしても比べてしまうのが「真田太平記」である。原作は読んでいないし、テレビもとびとびにしか視ていないが、シルエットの騎馬武者たちが地の底から湧き出て来るような勇壮なオープニングとこれにマッチした林光のテーマ曲が強く印象に残っている。メインキャストでは、何と言っても丹波哲郎と遙くららだったが、真田の兄弟を演じた渡瀬恒彦と草刈正雄もよかった。

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*あべのハルカス60階から大阪城方面を見る。彼方のビルの隣に白く光っているのが大阪城の天守閣。手前は四天王寺境内。大坂冬の陣で家康が本陣を置いた茶臼山は、写ってはいないが、この写真の左ななめ下に位置している。真田丸はどの辺りにあったのだろうか。
ある大学教員の日常茶飯

アムド

2016年01月14日
昨日、アムド人のKさんが研究所にきた。アムドは、チベットの伝統的な地域区分でのチベット東北部、中国の行政区分でいうと、青海省に大略対応する。日本留学が長く、慣れた日本語をしゃべる。私もアムドには多少土地勘があるので、その話題でしばし歓談した。彼の故郷○県は、私も10年ほど前に通ったことがある。菜の花畑の黄色い絨毯が延々と続く豊かそうな土地だったと記憶する。
アムド人とカンバ(東チベット人)の気質の違いについて、Kさん、

 カンバは武士のようで、言葉に嘘がないんです。殺すと言ったらすぐ殺す。アムド人は相手を倒すまで闘いを止めないんです。

物騒なたとえ話だが、青海でも似たような言い方を耳にしたことがある。

「アムドは美しい国だよね。草原もあれば砂漠もあるし、アムネマチンのような高い山も、ツォグンポ(青海湖)のような湖もある。ツァイダム盆地では毎日蜃気楼が見られる」
「私より先生の方がアムドのいろいろなところに行ってますね」

彼も故あって故郷を出た人だ。

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今朝、寝床でスマホをチェックしたら、久しぶりにドルチェさんからメールが入っていた。ある企画への寄稿の誘いだった。こうしちゃいられない。飛び起きて研究室に来た。
ある大学教員の日常茶飯

十二支考の猴(さる)

2016年01月11日
1月10日(日)
午後2時から田辺の顕彰館で、新春吉例 十二支考輪読「猴に関する民俗と伝説」が開かれ、「申年 熊楠も木から落ちるか」という題で1時間ほど発表させてもらった。12月の展示品とパネルの準備の段階から、『ラーマーヤナ』や庚申信仰などについて勉強できたのがとてもよかった。発表後にもらったいろいろなアドバイスも参考になった。ただし、このタイトルは、ほんのできごころから付けたもので、さして深い意味はない。

終わって、すぐに帰るつもりが、「あじみ」での夕食会に誘われ、ついつい飲んでしまった。田辺は魚がうまいのである。

朝、D院に電話を入れて、9時からの日本語授業を11時半に変更する旨、伝言を頼み、ホテルで朝食を取ってから、高野山に戻る。今日から形容詞に入った。

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(ムンバイに近いエレファンタ島の猿)

どうやら、猿もそっぽを向くような話だったらしく・・・

ところで、高野山にはサルはいない(ようだ)。昨日誰かに聞かれて、そういえば、キツネ、タヌキ、カモシカ、イノシシは見かけるし、クマもときどき出るそうだが、サルはいない。なぜだろう。
研究ノート

仕事始め

2016年01月05日
1月5日(火)
下界では昨日が仕事始めだったが、御山は今日になってもまだ眠ったように静かだ。

日本語は今日から始動。彼らの顔が明るい。元日にD院でお節料理の会食があったりして、日本のお正月がとても楽しかったらしい。「おしょうがつはなにをしましたか」と聞くと、今使える精一杯の日本語でいろいろ説明してくれた。ダムの水位が徐々に上がってきて、圧力が高まっている感じ。でもまだ水路は開かれていない。

一つ書き忘れていたが、大阪から帰る「こうや号」の車内で、たまたまナムギェルさんだけが、ひとり、見知らぬおじさんの隣の席になった。どうするのかな、と見ていると、ナムギェルさん、何と、サラリーマン風のその人に日本語で話しかけはじめたではないか。「わたしはチベットからきました」から始まって、時々メモ帳を見ながら、橋本までほとんどしゃべり詰めである。よくは聞き取れないが、その人も特に迷惑がるそぶりはなく、ちゃんと相手になってくれている。橋本で下りる時に、その人に、「どうもありがとうございました」と声を掛けたら、彼は「こちらこそ、ありがとうございました」という。クリスマスイブの晩である。難波辺りで一杯飲んできたのかもしれない。家路に就いたら、隣に座った男が日本語らしきものをしゃべるチベット人である。さぞや驚いたことだろう。でも本当にありがたかった。ナムギェルさんの積極性にも感動した。前に書いたように、難波でさよならしたかったのだが、ここまで付いてきてよかった、いいものを見せてもらった、と思った。
フィールドワークの記録

穏やかな正月

2016年01月04日
12月30日、31日は年賀はがきの作成に努めたが、プリンターが言うことを聞いてくれず、多大な労力と時間を費やした。

1月1日 日ごろから運動不足を実感しているので、お雑煮を食べた後、泉ヶ丘の遊歩道を10キロほど歩いてみた。
1月2日 この日も10キロのウォーキング。夜、レイトショーで「海難1890」を見にゆく。
1月3日 次女を連れて高野山に初もうでに行く。帰路、九度山の真田庵に寄ったが、参拝は四時までということで門は閉じられていた。先日の研修で、四天王寺から新世界へ歩く途中で、真田幸村(これからは信繁と言わなければならないのだろうか)終焉の地という所を通りかかった。安居天神である。茶臼山のすぐ近くで、あれ、こんなところで?とちょっと不思議だった。

大河ドラマの低視聴率が言われて久しいが、NHKにはとにかくいいものを作ってもらいたい。私のような潜在的な大河ファンは、むしろ「視ないこと」に飽きているので、そこをちょっと刺激してくれれば、ワッと飛びつくこともありうることで・・・




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