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フジキン講座、新梅田食堂街

2015年08月30日
8月29日(土)
高野山大学フジキン小川修平記念講座講演会が中之島のグランキューブ大阪で開かれた。西義雄(スタンフォード大学教授)、村上保寿(高野山大学名誉教授)、松長有慶(高野山大学名誉教授、前高野山金剛峯寺座主)の諸先生による講演が行われた。

終了後、大阪駅北側の量販店にカメラを見にいった。私は腕はさっぱりだが、撮る機会は多い。この辺でワンランク上の機器が欲しくなった。今回は見るだけにして、信号を渡って新梅田食堂街に寄り、名前が気に入って入った「初音」という立ち飲み屋で、ビール2杯、串カツ2本セットをたのんで締めて900円だった。これで「オーサカのおっちゃん」気分が満喫できるのだから安いものである。

8月30日(日)
午前中に手紙を5通認めた。すべて先日の赤倉行で御世話になった方々への礼状である。この調査の最初の報告は9月末しめきりと自分に課した。学会が終わる9月下旬、余裕があればまた行ってみたいと考えている。

ある大学教員の日常茶飯

赤倉のお湯

2015年08月28日
「対山」では毎日、「岡倉天心風呂」と名づけられた大浴場で湯を浴びた。おかげで左手も大分戻った感じがする。慧海は、持病のリウマチと痔疾の治療が赤倉に来る目的の一つであったようである。よく効くとの実感があったのだろう。

赤倉温泉は坂の町である。山峡の湯治場などとは趣が異なり、大正時代から高級な別荘地として、またスキー場として発展してきた歴史を反映してか、今も明るくモダンな空気が感じられる。天心は、赤倉を「東洋のバルビゾン」にする構想を持っていたという。慧海は、ここにかつて過ごしたヒマラヤの避暑地ダージリンの面影を重ねていたのではあるまいか。

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*赤倉本通り。妙高の山頂はわずかに雲に隠れている。

さて、翌24日は、K村さんの案内で細川別荘、天心公園、赤倉シャンツェなどを見た後、奥地の関温泉、燕温泉まで足を伸ばした。赤倉のお湯は透明だが、関は赤く、燕は乳白色だ。午後は下におりて、池ノ平を見、「対山」に戻ってしばらく休憩した後、再びG荘で話を聞いた。

帰宅したのは25日の午後3時半。「対山」を出てから6時間あまりであった。

今回もまたいろいろな方々の御世話になった。特にK村さん、そしてやさしく接してくださった新井・赤倉のみなさんには何と御礼を申し上げてよいか分からない。いつも書いていることで恐縮だが、「この御恩は成果を上げることでお返しいたします」。


フィールドワークの記録

赤倉温泉行

2015年08月27日
8月23日(日)
9時12分発のサンダーバード9号で大阪駅を発つ。前夜、ようやく発表原稿をM沢先生に送ったばかりなので、眠い。金沢で北陸新幹線に乗り換え、13時37分に上越妙高駅に降りて、Mさん、Iさんの出迎えを受けた。お二人とは初対面である。驚いたのは、K村さんとMさんが、何十年も前に同じ高校の先輩後輩の間柄にあったことである。K村さんがあるスキー大会で優勝した時、「私はコース作りを手伝いました」。

Mさんは、私との事前の電話のやりとりの中でこのことに気づいたらしい。一番驚いたのは、K村さんである。あとあと何度もその驚きを口にされた。結果的にこの再会を取り持ったのは、誰あろうこの私である。山田太一のドラマのタイトルを借りれば、人生は「ありふれた奇跡」に満ちている。

まず向かったのは、Mさんのお宅である。そこで、限られた時間ではあったが、I さんがわざわざ隣の市からお持ち下さったたくさんの資料を拝見した。その一部は許可を得て、同行したNさんとKさんが写真に撮ってくれた。
その中に、葬儀の祭壇を撮ったものがあったので、今日の午前中、茨城の妙行寺に送って見てもらうと、それは今から70年あまり前、大宮孝潤師が導師となって東京の大森で営まれた葬儀の時の写真であることが判明した。ここでも何かがカチッと繋がる手応えがあった。

3時過ぎ、車二台に分乗して赤倉温泉に向かう。台風の影響か、ひどく曇っていて、時折小雨がぱらつく。

赤倉温泉は妙高山連峰の山塊を仰ぎ見る高原の温泉郷で、かなりの傾斜地にホテル・旅館、土産物屋、レストランなどが軒を連ねている。大正時代、軽井沢などよりも早くからリゾート開発が進められ、周辺には久邇宮家を始めとする貴顕紳士の別荘が多く建てられた。シーズンはむしろ冬で、最近はオーストラリアなど外国からのスキー客が多いという。

この温泉での宿である「高原ホテル対山(たいざん)」に荷物を置くと、G荘に向かった。その昔、夏場になると東京から避暑をかねて研究・執筆にやってきた河口慧海がよく立ち寄った家である。慧海に「不知庵」という庵を提供していたのは、別荘「五秀山房」を持っていた日本画家の松林桂月である。「五秀山房」も「不知庵」も、今はもうない。

G荘の方々からお話を伺った後、この地で没した岡倉天心を記念した天心公園などを案内してもらった。

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*天心公園に立つ六角堂。五浦の六角堂を模したものだろう。中には天心の胸像が収められている。天気がよければ、妙高の峰が見えるはずだが、名物の霧がはばんでいる。


フィールドワークの記録

ハンティング

2015年08月22日
世界中を回ってボーガンで大型動物を狩るのが趣味。
今回は地元のハンターと地主に大金をつかませ、ライオンを国立公園の外におびき出した。
弓矢では仕留められず、40時間追い回したあげくに銃で射殺。
自宅のコレクションに加えるために、頭を切り落とし、皮をはいだ。

この愚か者!
いっぺん自分が狩られてみいや。
うちのテリーも怒っている。
「アタシだって、牙もあれば、爪もあるぞ。勝負、勝負!」

(恐ろしい事件が次々起こるなかで、つい忘れがちになるので、書いておいた)



ある大学教員の日常茶飯

スパ、スパ、SPA !!

2015年08月19日
8月19日
昨日の朝、頭を切り換えるために机の回りを片付けた。原稿が上がって不要になった本を図書館に返したら、30冊ほどもあった。それも大判の図版が多い。腰と腕の運動になった。

今度の日曜日から新潟の赤倉温泉に行く。目的はもちろん調査である。ではあるが、泊まる先には温泉が湧いているわけだから、ちょっと汗を流さないわけにもゆかないわけである。(これ、言いわけ。)
1月に骨折した左腕は完治したが、違和感が消えたわけではない。多分、骨折した時の「恐ろしい」体験がトラウマになっていて、無意識に左手をかばうことが影響しているのだろう。赤倉の名湯にじっくりつけて癒してやろう。
今回の調査は赤倉出身のK村さんの御高配によって実現する。河口慧海が使っていた不知庵はもはや存在しないが、いろいろな言い伝えを拾うことはまだ可能だということを私はK村さんに教えられた。入口を間違えると見えるものも違ってくるとも。岡倉天心を始め、赤倉ゆかりの著名人は他にも多い。

というわけで、先には楽しみが待っているので、今は不眠不休で机に向かっている。





ある大学教員の日常茶飯

終戦の日

2015年08月17日
喉にささった魚の小骨、いや、サーベルタイガーの牙が今日ぽろりと取れた。むちゃくちゃに迷惑をかけてしまったが、こうなったのは訳のあることで・・・
というわけで、原稿を送信して、実に晴れやかな気分である。今日は早く帰って寝よう。

8月14日は、夕方6時から戦後70年談話をラジオで聞いた。ライブで直接聞いたのは、あとの報道になると印象が変わることが多いからである。近頃、私も少々マスコミ不信なのかもしれない。

翌日は、正午の時報に合わせて一分間黙祷した。



ある大学教員の日常茶飯

湿度74パーセント

2015年08月14日
お盆は静かで邪魔が入らない。来月はイベント続きで大忙しになるので、今がかきいれどきだ。

7月1日に同じ建物の2階から1階に引っ越した。もっと正確に言うと、7月1日から引っ越しを始め、働きアリのように少しずつ荷物を運んで、つい三日ほど前に完了した。

新しい部屋は、湿度が高い。天気にもよるが、何もしないでいると、すぐに70パーセントを超える。机の上に置いた紙がしばらくするとしっとりした手触りになる。これでは本がたまらない。除湿機を回しっぱなしにして、やっと62パーセント程度まで下げている。

高野山は標高が高い割に湿気が強い。それが鬱蒼とした林、苔むした参道など、独特の趣のある景観を作りだしているのだが、実際生活するとなると、ちょっと気をつけなければならない点もあるのである。これがあと数十メートル高ければ、状況はかなり違っていただろう。実際、1階より2階、2階より3階が乾いているのが、肌で感じられる。そういう微妙なところに、この御山は位置しているのである。その割には、紙の文書が大量に残ったのはどういう工夫によるものだろう。これはひとつ、研究してみる価値がありそうだ。
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*壇場伽藍西塔奥の檜の切り株。切られて中門の柱の一本になった(07/08のブログを参照のこと)。樹齢は374年だという。ということは、江戸時代前期の寛永年間の誕生だ。その頃から、いつかは切って使うこともあろうと、枝打ちなどもして大切に育てられてきたのだろう。気の遠くなるような話だが、これが高野山だ。
ある大学教員の日常茶飯

再び福井に日帰り

2015年08月11日
10日(月)
再び福井市に日帰りした。B照寺から借り出した資料をお盆休み前に返却しておきたいと思ったからだ。前住職さんからは郵送でよい、と言われていたが、それでは自分の気が済まなかった。

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*福井城本丸址には県庁と県警の建物がそびえている。城跡には文化やスポーツ関係の施設があるのが普通だと思うのだが・・・業者風の男たちが「登城」している。

11時過ぎに福井駅に降り、かんかん照りの中、福井城本丸址を通って、福井市郷土歴史博物館に向かった。ここにも見たい資料があるのである。一渡り展示を見てから、学芸員を呼び出してもらい、用件を切り出すと、予想はしていたが、手続きのため出直すことが必要であることが分かった。今度いつ来れるかは分からないので、取り敢えず、資料目録を購入するに留める。

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*幕末の賢侯の一人に数えられた松平春嶽の像。福井市郷土歴史博物館。

城跡まで戻り、議員会館食堂で定食を食べながら目録をチェックしているうちに、博物館の所蔵品目録やウィリアム・グリフィス(明治のお雇い外国人、福井の藩校明新館で教えた)関係の資料も、あれば買っておいた方がよいと思い直し、博物館に戻った。その時には直接関係なくとも、アンテナを広く張って資料を集めていると、意外なところで役に立つものだ。

博物館からB照寺までは、先週乗ったタクシーの運転手さんを電話で呼び出して行ってもらった。御年78歳。話し好きで、福井空襲や福井地震の体験談などをいろいろ話してくれる。

B照寺で借りていた資料をお返しして肩の荷を下ろした。前住職さんは、先週私が来た後も、知り合いに問い合わせて、家系のことを調べてくださっていた。それをありがたく拝聴してから、件のタクシーでお寺を後にした。





フィールドワークの記録

名古屋に日帰りする

2015年08月09日
8月8日(土)
1時間のレクチャーのために名古屋に行く。その後、M野君と落ち合い、彼の案内で徳川美術館を見学した。
当然のことかもしれないが、武具の展示が多い。そのどれもが美しく洗練されているのに改めて驚く。
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*名古屋は県庁までお城だがね。でら、感動したわ。

ついでに近くの徳源寺を訪ねて、釈迦涅槃像を拝した。この涅槃像は、臨済宗の飯田道一が、1896年にインド仏跡を巡礼した折にクシナガラで見た涅槃像に強い印象を受け、志して建立したものである。川口先生の論文によれば、この涅槃像の建立は、同じ名古屋の日暹寺(現日泰寺)の仏骨奉安に並ぶほどのイベントであったというが、なぜかこちらはあまり知られていない。

夕食は、M野君と共に、伏見の焼き鳥屋で舌鼓を打った。名古屋に1泊の予定だったが、昨夜は家人が留守で、テリーをケアする必要ができたため、早めに帰途についた。
フィールドワークの記録

福井市へ日帰り

2015年08月04日
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*福井名物、「おろしそば」。左の碗の大根おろしたっぷりのそばつゆを右の碗のそばに「ぶっかけて」食する。他の名物にソースカツ丼があり、この二つのセットメニューもあったが、胃にもたれそうなのでやめた。

8月3日(月)
日帰りで、久しぶりに福井市に行った。最初は1泊を考えたが、そうもしておられない事情がいくつかある。それに我が家から福井市まではたった3時間だ。大阪から特急サンダーバードに乗り、11時過ぎに福井に着く。約束の1時までは時間があるので、駅近くの「福そば」で昼食を取った。その後、コーヒーを一杯飲むと、タクシーを拾って、B照寺に向かった。B照寺の前住職は、前と変わらぬ親切さで迎えて下さった。2時間ほどお邪魔して、話を伺い、資料を見せてもらった。

手応えがある訪問だったので、帰路はとても気分がよかった。7時過ぎに帰宅し、うまいビールを飲んだ。

福井には、またすぐに行かなければならない用事ができた。
フィールドワークの記録
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