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カレーライス

2015年06月29日
イチローの真似ではないが、朝はカレーライスと決めている。カレーもライスもレトルトだ。
ただ食欲のわかない朝は、コーヒー一杯ですませることもある。だが、こうすると、昼近くになって空腹でそわそわするので、やはり朝食は抜かない方がいい。

昨夜、久しぶりで「花燃ゆ」でも見ようかと、早めに曼荼羅荘に引き揚げたら、何とテレビが点かない。このテレビはF森先生が残した品で、地上波がデジタル化した後もチューナーが付けられて稼働していたが、ついに寿命が尽きたようだ。しかたがないので、カレーを食べて早めに寝たら、午前3時頃に目が醒めた。生きていれば、いろいろ気がかりなことはある。しばらく起きて本を読んでいたら、いいアイディアが一つわいた。
今朝は上天気で、そこら中に光があふれていた。いよいよ本格的な夏だ。

東京に本部を置くアンベードカル・インターナショナル・ミッション・ジャパンのSさんが、先週の金曜日、高野山に見えた。当初は、5月14日に予定されていた除幕式にインド・日本の各地から大挙参列という話だった。それが二転三転四転し、この度漸く、Sさん一人の来学が実現したという訳である。
10時半過ぎに県庁職員二人と一緒に大学に着いた。学長、事務局長との会見は午後2時からなので、その前に奥之院を案内し、中の橋駐車場側の「はちよう」で昼食にエビフライカレーを食べた。S氏は、外資系のIT会社に勤めているが、組織の歯車という感じはしない。むしろ個人企業家のように常々頭も身体も主体的に動かしているというタイプに見えた。

カレーは毎日、(もちろん本場の料理で)食べるが、日本のカレーも嫌いではないらしい。

小菅桂子『カレーライスの誕生』(講談社学術文庫)によれば、日本で初めてカレーという言葉を紹介したのは福沢諭吉らしい。福沢が万延元年に出版した『増訂 華英通語』にCurryとあるのがそれだという。ただし、発音は「コリ」と記されている。

ある大学教員の日常茶飯

ブログ拍手!御礼

2015年06月24日
このブログに送信していただいた拍手が10000回を越えました。全アクセスが80000回に達しない中でのことですから、これは快挙ではないでしょうか。もとより、これがコアな方々からの激励であることは、心得ております。

このブログを御覧下さったすべての方々に厚く御礼を申し上げます。

今後も無理をせずに、何かしらの発信を続けてまいる所存です。ありがとうございました。
ある大学教員の日常茶飯

恒例 庭掃除

2015年06月22日
土日に庭掃除をした。
手入れを怠っているうちに、庭がジャングルと化した。昼なお薄暗く、温かく、湿っている。こういう環境は蜂の営巣にもってこいだ。ご近所の手前もある。ついに重い腰を上げた。

初日はサルスベリの枝打ちをした。毎年やっているが、この木は成長が早く、高い枝は、二階のベランダの天井まで届く勢いだ。これはいくら何でもまずかろう。サルスベリは枝も幹ももろい。思い切って、ばりばりと折った。

二日目は、金木犀の上にのしかかり、こんもりと繁っているはごろもジャスミンのツタを引きはがしにかかる。はごろもジャスミンこそ我が家の庭の主であり、そこら中にツタを這わせ、巻き付かせている。
「朝顔につるべとられてもらい水」は情緒があるが、うちのジャスミンの場合、まるでエイリアンのように人間の居住空間まで進入してくるから、放ってはおけぬ。仏教では、草木は非情(心のないもの)に分類されるが、知性がないとはとても思えない。
1時間あまりの作業で、ようやく金木犀本来の枝ぶりが顕れた。今までさぞ重かっただろう。木が喜んでいるようで、私も嬉しくなり、このところ頭を覆っているもやもやも晴れる心地がした。
ある大学教員の日常茶飯

深夜食堂

2015年06月21日
ひそかに楽しみにしているのが、映画版「深夜食堂」のDVD化である。
数年前、それこそ深夜にテレビで何本か見た。それぞれに面白かったが、困るのは、「孤独のグルメ」と同じで、食べ物がキーになっているので、見ているとやたらにおなかがすくことだった。私はおおむね9時以降はものを食べないようにしているので、腹の虫が鳴いて仕方がなかった。
印象に残るのは、「バターライス」と「赤いウィンナー」と「レバニラとニラレバ」かな。「赤いウィンナー」では、松重豊もさることながら、光石研がよかった。「レバニラとニラレバ」では、その光石が引き立て役に回っていて、光石、いや光石の演じる新宿の刑事のファンである私は少々不満であったが、相棒役の篠原ゆき子が私にとっては「発見」だった。またオダギリジョーの「満更でもありません」のセリフも、とぼけていて、ふっと笑わせられる。オダギリは、「深夜食堂」の他のシリーズでは、カウンターの隅で酒を嘗めている正体不明の人物―ときどき「人生なめんなよ」と警句を吐く―を演じているが、この交番のお巡りさん役の方が、ずっといい。

ということで、6月も後半に突入。やるべくして、できていないことが、山のようにあるが、もう焦ったり、自分を追い詰めたりしないことにした。すべては業縁のしからしむることと覚悟して。
ある大学教員の日常茶飯

吉村昭『冬の鷹』

2015年06月17日
土曜日、泉ヶ丘の紀伊國屋書店に文房具を買いに行ったついでに、何か一冊と思い、つい吉村昭の『冬の鷹』(新潮文庫)に手を出してしまった。この忙しいのに、この晩はそればかり読んでいた。この小説を読むのは初めてではない。今から30数年前、法学部の友人の先輩から、これがいいという話を聞いて、読んだことがあった。

この小説の主人公は、『ターヘル・アナトミア』(邦題『解体新書』)の実質的な翻訳者である前野良沢である。彼の生き方が、同じくこの書の翻訳・出版に携わった杉田玄白の生き方と対蹠的に描かれる。むろん著者の思い入れは、本書の出版によって功成り名遂げた玄白よりも、不完全なものに訳者として名を残すことを拒否し、世間的な栄達に背を向けて、蘭学者としての道を追究していった良沢の方に深い。前に読んだときには、私も同感だった。しかし、今回は読後感が少し違ったものになった。ひたすら自己に沈潜し、清貧に生きることは、美しいが、エゴイスティックでもある。『解体新書』そのものの価値を考えれば、「とりあえず出しちゃう」決断をした玄白さんの方がよほど偉いともいえる。また、玄白は、結果的には富と後世まで残る名声を手に入れるのだが、当初は蘭書の出版主として、良沢よりも遙かに大きなリスクを踏んだのである。

ともかく、この二人に、中川淳庵、桂川甫周を加えた学者グループの、『ターヘル・アナトミア』との静かだが息づまるような闘いは、読み応え十分である。これも(調査力も含めた)筆力だなあ。
読書ノート

「仏教をめぐる日本と東南アジア」研究会

2015年06月15日
6月12日(金)
10時から、京都大学地域研究統合情報センターで「仏教をめぐる日本と東南アジア地域」研究会の第1回研究会に参加し、「明治インド留学生」の題で報告した。天台宗の大宮孝潤(おおみや・こうにん)を例に取って、明治のインド留学の諸側面を論じた。最近、大宮の留学をテーマに100枚ほど原稿を書いた。それをベースにした発表だった。この研究会は、2月に顔合わせ会があったのだが、急用が出来して参加できなかった。そこで自己紹介を兼ねた発表となった。
昼食をはさんで、A中先生とK嶋さんの発表があった。お開きの後、同じフロアーにアンドーさんを訪ね、久しぶりでしばし歓談した。相変わらず意気軒昂な人である。神田君と京阪で帰途についた。

6月14日(日)
早起きして佐々井師の講演会のために御山に戻る準備をしていたら、テリーが突然喘息の発作を起こした。その様子がいつもとは違うので、急遽予定を変更して、動物病院に連れて行った。レントゲンと血液検査の後、注射を一本打たれ、諸種の薬をもらって帰宅した。心臓と気管が弱っている。これからは一層注意してやらなければならない。

6月15日(月)
今日は青葉祭。弘法大師のお誕生日だ。大師教会での降誕会に参列。佐々井師の一行も来ていた。
気さくな感じの人だが、インドで信徒の前に立った時には凄いのだろうと思った。
ある大学教員の日常茶飯

法輪寺に行く

2015年06月07日
6月6日(土)
昼過ぎから田辺に行った。「南方熊楠と真言密教展」のために借りた黄檗版が未返却になっていた。顕彰館のスタッフに返却を任せても結果は同じであることは分かっていたが、どうしても自分の手で返さなければ、と思っていた。6月に入ったので、ここらが限界だと思い、思い切って出かけることにした。
3時少し前にN尾さんと法輪寺に行くと、住職はまだ帰っておられなかった。しばらく、庫裡でお茶を飲みながら待った。ふと見ると、庭の池の上に網が張ってある。明らかに池の魚を護るためだ。『徒然草』の1段を想い出した。後で聞くと、ゴイサギに何匹も捕られたのだそうな。

住職が戻られたところで、持参した黄檗版5帙を、借用証に照らして、一つひとつ冊数を確認してもらってから、本堂裏の収蔵庫の木箱の中に戻した。そのあと、住職と1時間ほどお話しした。
開創法会期間中に行われた永平寺の慶讃法会に水を向けると、声明を次々と何節も唱ってくださる。住職の声明は、本当に、ありがたい感じがして、自然に頭が下がる。法話もきっといいだろう。
住職は、私と同じ山形の出身だ。経歴などは聞いていないが、田辺に来られてから、半世紀以上は経っていると思われる。まったく見ず知らずの土地で、言葉からして違っていたというから、それなりに苦労はされたはずだ。

この人を見ていると、坊さんっていいな、と思う。私が柄にもなく、自分で借りたものは自分で返したいなどと言っていたのは、実は、この人にまた会いたかったからかもしれない。

お借りしていた黄檗版5帙は、いずれも熊楠が法輪寺から借り出して抄写したものである。
ある大学教員の日常茶飯

ひとつ原稿を送る

2015年06月04日
朝、原稿を一個郵便局に出しに行った。普通は、メール添付で送信なのだが、あいにくアドレスをしらない。図版もあるので、すべてをCDに入れ、さらに本文と参考文献表をプリントアウトして、注意事項などを書き込んだ。われながら丁寧な仕事である。ぎりぎりまで本文に手を入れたが、こういうのは切りがないので、とにかく出してしまうことにした。まさに「完璧よりまず終わらせろ」である。

部屋にもどって、ひとつ前のヴァージョンを一読し、「うん、よく書けている」。
膨大な時間がかかった。座りっぱなしなので、腰が痛い、肩がこる、膝が痛いの三重苦に苦しんだ。
悪くないできばえだ。
しかし、余韻にひたるのは、ここまでだ。

と思っていると、見慣れないアドレスのメールが来た。
すわ、原稿の催促か、と一瞬身構えたが、卒業生からのご相談メールだった。
早いところ、次にかかることにする。
ある大学教員の日常茶飯
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