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アンベードカル博士の銅像が高野山大学に建立される

2015年04月29日
高野山大学のキャンパス内にB.R. アンベードカル博士の銅像が建立され、5月14日(木)午後に除幕式が挙行される。
ビームラーオ・ラームジー・アンベードカル(1891-1956)は、現代インドの社会改革者、法律家、教育者、そしてダリット(不可触民の自称)の仏教改宗運動の始祖である。その思想と行動は、現代社会にも広く影響を与え続けている。日本でこそ、まだあまり知名度は高くないが、インドにおいてはマハートマ・ガンディーらと並び称される近現代の偉人である。

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*高野山での銅像の建立は、地元マハーラーシュトラ州でも大きく報じられている。

5月14日の除幕式には日本国内はもとより、マハーラーシュトラ州を始めとするインド各地から多数のインド人が参列する見込み。1200年の高野山の歴史にもかつてなかった特色ある盛儀となるだろう。そのプログラムの詳細は、高野山大学のホームページを御覧頂きたい。(このトピックはこれから断続的に続く)
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回復

2015年04月27日
1月に骨折した時、衝撃で腕時計の金属のバンドが切れて飛んだ。以来、腕時計なしで通して来たが、さすがに不便なので、この間、堺東駅前の時計のお店に行って修理してもらったら、300円で直った。「これが切れるのはよほど強い力が・・・」と言うので、これこれと話してあげた。(怪我を自慢してどうする!)

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先々週の金曜日、高野山診療所でレントゲンを撮り、怪我をした翌日から見てもらっている先生の診察を受けた。「うん、骨がしっかりできていて、この間を埋めています。もう大丈夫ですよ」。

先週の金曜日の晩、リハビリに通っている整形外科で久しぶりに先生に診てもらったら、「ああ、よく動きますね。何だったら、もういいですよ。来てもいいけどね」
ここで看護師さんにぐりぐりやってもらうのが痛気持ちいいので、もう少し通うことにする。

という訳で、一区切りついた。骨折百日というけれど、やっぱりそれ位かかっている。といっても、左手の違和感は取れていない。看護師さんのお勧めで、筋トレに励んでいる。私は元来左利きで、左手が右手より2割がた力が強かったのだが、今はすっかり負けている。筋肉は意識してトレーニングしないと付かないらしい。

昨日の日曜日、先月オープンした「さかい利晶の杜」に行ってみた。「りしょうのもり」と読ませるが、利は利休、晶は与謝野晶子である。堺の観光拠点として建てられた立派な施設で、従業員も多い。
併設されているスタバでお茶を飲んで帰った。

ああ、いい季節になった。



ある大学教員の日常茶飯

帰国

2015年04月25日
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*ゲストハウスにも猿の群れがやってきて朝から賑やかだ。もしゃもしゃ花を食べている。

3月13日(金)
午前中はビジターセンター周辺を視察した。石窟の見学客をどうしたらもっとビジターセンターに呼び込めるか。その観点から導線などが検討された。
駐車場の近くには中長期滞在用のコテージも何棟かある。内部を見て、「僕なら住める」という感想だった。たまには虎が遊びに来るらしい。
ゲストハウスに戻って昼食を取ったら、あとはもう帰るだけである。アウランガバード郊外の空港まで送ってもらって、MTDCのスタッフとはさようなら。夕方の便でデリーに飛び、夜中に関空行きに乗り換える。

3月14日(土)
昼過ぎに関空に到着。空港ビル内のそばやでランチを食べて解散した。

テーブルに着くと、誰かがすかさず、

「センター長、カレーうどんはどうですか」
「カレーはもう勘弁してくれ~」

気さくでおもしろい人だった。

*******
4月2日の中門落慶式に始まった高野山開創1200年大法会は、雨に祟られて今ひとつの日が続いていたが、気温も上がり、連休も近づいて、これから大いに盛り上がりそうである。

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*本山前で。
フィールドワークの記録

アジャンターにて

2015年04月22日
3月12日(木)
朝100キロあまりの道のりをアジャンターに移動。ここにある大石窟群こそ人類の至宝のひとつだ。
アジャンターに着いてまず訪れたのはビジターセンター。センター内には石窟を実物大で再現したものがいくつも並んでいてなかなか結構であった。
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アジャンターに来たのはただの見学ではなく、このセンターに和歌山県コーナーができた、そのこけら落としに立ち会うためだ。聞けば、東京の和歌山県事務所には去年すでにマハーラーシュトラ州を紹介するコーナーができているという。和歌山県もなかなかやるじゃないか。和歌山コーナーのオープニングセレモニーは、アジャンターの女性村長も出席して、とても盛大なものであった。私にもテープカットの役が回ってきて、少々面はゆかった。

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*文字通りの除幕である。
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*このパネル一枚作ってもらうだけでも、大変だっただろうねえ。

その後、ホールで昨日のBAMUと同様、センター長と私が話をした。テーマは同じだったが、昨日、あまり細かいことをしゃべっても仕方がないということが分かったので、二人とも短くまとめた。近郷近在の名士・有力者が集まったという感じであった。その後、事務所に10本くらい電話が掛かってきて、いずれも好評、今後とも協力関係を進めよという激励だったという。
こういう交流ができるのも、2004年に高野山と熊野が世界遺産に登録されたお陰。世界遺産の波及効果はやはり大きい。
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*ビジターセンター周辺には猿たちが群れている。『ラーマーヤナ』で大活躍するハヌマンラングールのようだ。

以上の行事が済んで、ようやく実物を拝む段になった。石窟群への最後のアクセスはビジターセンターの近くから出るバスによる。こういうパークアンドライド方式は最近よく見かける。私が経験したものを挙げると、アーグラのタージマハル(ホテルではなくて本物)がそうだし、中国の天台山や青海湖の渡り鳥の営巣地でも電気自動車が走っている。環境と文化遺産に配慮している訳だが、これを高野山でやろうとすると、住民の生活が不便になって困るかも知れない。それが「生きた世界遺産」という、他にはなかなかない高野山の特徴でもあり、実情でもある。

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*ワゴラー川が造ったU字型の峡谷の岩壁に30の石窟が並ぶ。すべて仏教のものだ。1819年、虎狩りに来たイギリスの士官によって発見された。
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第1窟。5世紀後半。1500年も前の壁画が美しい。列柱も装飾が見事だ。
アジャンターの呼び物はインド絵画の最高傑作といわれている保存状態のよい壁画群だ。壁画の主題は仏伝やジャータカが多い。古代インドのお坊さんたちは、ブッダの伝記やその前世の物語絵に囲まれて暮らしていたのだ。

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*アジャンターの壁画の中で最も有名なのが、この蓮華手菩薩(第1窟)。法隆寺金堂の壁画にも影響が見られると言われている。

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*第1窟の天井画。植物に混じって、現実には存在しない動物なども描かれている。

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*第17窟の天井画。
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*第26窟の入口。5世紀末。

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*第26窟のストゥーパと列柱。

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*第26窟の涅槃像。インド最大のものと言われている。

あっというまに時間が過ぎて、そろそろ戻りましょう、となった。いや、これからじゃないか、とも思ったが、素直に従う。今回はご挨拶だけで我慢しておく。
この日の宿舎はMTDCのゲストハウス。ちょっとだけビールを飲んで、いい気持ちになって寝た。








フィールドワークの記録

BAMU訪問

2015年04月19日
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この日はまだ終わらない。

エローラから帰って、ホテルでランチを食べると、次はアウランガバードにあるBAMU訪問であった。BAMUはDr.Babasaheb Ambedkar Marathwada Universityの略。簡単にいうとアンベードカル・マラサワダ大学である。アンベードカルは近代インドの社会改革者で、インド仏教復興の父でもある。マハートマ・ガンディーと同様、インドの独立に尽くした偉人のひとりだ。この大学の副学長(実質的な学長)であるC氏とはすでにボンベイで会っている。お返しの表敬訪問を兼ねた視察である。

一言で言えば、大変な歓迎を受けた。外国からのお客さんは時にはこんな風に迎えなければならない、ということを学んだ気がする。ただあまり忙しすぎて、目が回るようであった。そうこうしているうちに講演会の時間になった。最初に私が「仏教:インドと日本の絆」と題し、次いで、和歌山の世界遺産センター長のTさんが「和歌山における世界遺産の保存」と題して話をした。
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*講演会の様子。センター長が画像を見せながら話をしている。聴衆はPali and Buddhism専攻の学生たちが主のようで、女性が多かったが、前の席には上座部の僧侶が座った。

C氏によれば、この大学はキャンパス内に石窟寺院がある世界唯一の大学であるとのこと。最後にそれを見学して、この大学での日程を終えた。

夕食はMTDCの主催で、この町のタージマハル・ホテルの中庭で開かれた。このホテルがまた宮殿のような建物であった。マハーラーシュトラの伝統的な踊りを楽しんだ。
フィールドワークの記録

「南方熊楠と真言密教」シンポジウム

2015年04月12日
4月11日(土)、京都で所用をすませ、一旦帰宅した後、夕方から田辺に向かった。午後7時から顕彰館で開かれる学術部会議に参加するためだ。終わって、「しんべ」で夕食会。パークサイドに一泊した。

4月12日(日)、午後2時より特別企画展「南方熊楠と真言密教」に合わせたシンポジウムを開催。その内容は、
講演 
  乾仁志(高野山大学副学長)「曼荼羅とは何か」
研究発表 
  川染龍哉(高野山大学大学院)「土宜法龍と近代仏教」
  小田龍哉(同志社大学大学院)「熊楠と法龍:マンダラにいたる出会い」
  唐澤太輔(早稲田大学国際言語文化研究所招聘研究員)「南方マンダラはどう読まれてきたか」
  神田英昭(高野山大学密教文化研究所受託研究員)「南方熊楠と水原堯栄との交流」
ディスカッション
司会 奥山直司

その趣旨は、特別企画展の展示内容をよりよく理解してもらうため。大体の流れは、曼荼羅とは何か、土宜法龍とは何者か、土宜法龍と熊楠との出会いから何が生まれたか、南方マンダラ、そして晩年の熊楠と真言密教。

予想をはるかに上回る数の人々が来場され、イスの追加などのために開会が少し遅れるほどの盛況であった。
休憩のあとのディスカッションもなかなか活発で、閉会したときには5時を回っていた。レジュメが多すぎた、PCの交換に時間を取られた、など、事前にもっとしっかり打合せをしておけば避けられた類の問題もいくつかあったが、総じてよかったのではないだろうか。

これに先立って、Hさんご夫妻とK田君が高山寺の熊楠の墓前で法要をするというので同行した。

高山寺は田辺市の小高い岡に立つ真言宗の古刹である。ここには合気道の開祖、植芝盛平や熊楠の盟友だった毛利清雅の墓もある。熊楠の墓の背後に楠が繁っているのが印象的だった。

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*青葉若葉の間から熊楠の愛した田辺湾の島々も見える。


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研究ノート

カイラーサナータ寺院で蜂の大群が・・・

2015年04月08日
しかし、エローラでは、何と言っても、これ。第16窟、ヒンドゥー教のカイラーサナータ寺院である。

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シヴァ神の御座所、カイラーサ山をかたどったこの寺院は、8世紀にラーシュトラクータ朝のクリシュナ1世によって造営が開始された。

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玄武岩の岩山を幅45m、奥行き85mに渡って掘りさげ、高さ32mの寺院などを浮き彫りにした。取り除かれた岩は40万トンとも推計されている。

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*この寺院を千年以上も支えているのは石の象たちだ。

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*よく見ると、ライオンなどと闘っているものもいる。

さあ、お前たち、じっくり見てやるぞ、と思った次の瞬間だった。前方で、短い叫びが起こり、何かが目の前にわっと湧いて出たように見えた。蜂の群である。人々が出入り口に向かって避難しはじめる。私も同じ方向に早足で歩く。前の人の頭に蜂がたかっているのが見える。ぞっとして、小走りになる。

今から考えれば、これは全く間違った対応であった。こういう場合は姿勢を低くしてじっとしているにかぎる。だが、そんなことを考える余裕はなかった。気がつくと、蜂は私の頭の上でもブンブン唸っている。思わず、帽子で振り払おうとする。これは、蜂を怒らせる最もまずいやり方である。

結局、私は左の耳たぶを2箇所も刺されてしまった。MTDCのスタッフの一人は瞼を刺されて大分腫らしていた。
耳たぶはしばらくじんじんと痛み、少し腫れたが、幸い大事には至らなかった。それは蜂が、刺されると危険な種類ではなかったからである。

それからジャイナ教の石窟を見学したが、ペットボトルの水で耳たぶを冷やすのが忙しくて、写真どころではなかった。今考えれば我ながら情けない。だが、もっと口惜しいのは、蜂騒ぎで、カイラーサナータ寺院が半分も見れなかったことだ。
やれやれ、また行かねばならないではないか。

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*ビジターセンターにある模型。大体こういうものだということで。
フィールドワークの記録

エローラ石窟群

2015年04月06日
3月11日(水) 午前中はエローラ石窟とビジターセンターを視察した。アウランガバードから28キロメートル。エローラには6世紀から8世紀にかけて造営された仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の石窟寺院が合わせて34箇ある。

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*エローラ石窟群の、これはほんの一部。

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*第10窟。チャイトヤ窟(礼拝窟)と呼ばれるタイプの仏教窟。

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*どのように採光がなされているか、上の写真と見比べてもらいたい。

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*木造建築を模した内装。ストゥーパを背に説法印を結んだブッダ像が鎮座している。ここで通訳のマヤさんがパーリ語で三帰依文を唱えてくれた。その声の響くこと。まさに仏教の大聖堂だ。

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*第12窟。ヴィハーラ窟(僧院窟)と呼ばれるタイプの仏教窟。思わず錯覚してしまうが、これは下から上へ積み上げられたのではなく、上から下へ掘削されたのだ。

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*かつては僧侶たちの生活と修行の場であった。天井には絵の痕跡が残っている。

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*外に広がるデカン高原の大地。こういうところで暮らしたら、本当に修行が進みそうだ。







フィールドワークの記録

エレファンタ島視察

2015年04月01日
3月10日(火)
朝、チェックアウトしてから改めてホテルに荷物を預け、船でエレファンタ島に向かう。世界文化遺産に登録されているエレファンタ石窟群を視察するためだ。普通なら1時間以上掛かるところ、チャーター船を使ったので、30分もしないうちに島に着く。

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*桟橋で椰子の実ジュースを飲んでいると、こんな汽車がのこのこ迎えに来た。

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*主窟の入口。シヴァ神に捧げられた石窟神殿だ。

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*踊るシヴァ(ナタ・ラージャ)が迎えてくれる。

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*石窟寺院のすごいところは、柱も梁も床も神像もすべてひとかたまりの巨岩から彫り出されている点にある。

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*この神殿の主人、有名な三面のシヴァ(マヘーシャ・ムールティ)。胸像で、その高さは5.43Mもある。

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*左半身が女性のシヴァ(アルダナーリーシュヴァラ)。牡牛ナンディンに寄りかかっている。

ヒンドゥー教徒にとってシヴァ神がどんなに魅力のある存在かが少し分かったような気がした。

島から帰ると、MTDC主催の昼食会が待っていた。場所はタージマハル・パレス本館の一室で、そこに至るまでの廊下にはこのホテルの歴史がパネル展示されていた。

昼食会の後、私たちは空港に向かった。次の目的地、アウランガバードに行くためだ。日が暮れた頃、アウランガバードに到着し、キーズというモダンなホテルに投宿した。

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フィールドワークの記録
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