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公式行事の一日

2015年03月31日
3月9日(月)は、公式行事漬けの一日であった。朝食を取りにレストランに行くと、真夜中に飛行場に着いた仁坂和歌山県知事が先にきておられた。陽性で闊達な方のようだ。知事とは翌日まで行動を共にすることになる。

午前中はマニ・バワン(ガンディー博物館)を視察した。M.K.ガンディー(マハートマ)は、マハーラーシュトラ州の隣のグジャラート州の出身である。この博物館はガンディーがボンベイでの滞在先として使っていた屋敷を改造したもの。この種の博物館は各地にあって、私は行く度に写真を撮っている。こういうのは授業の教材にうってつけなのだ。今の学生もさすがに「インド独立の父」マハートマ・ガンディー(マハトマ・ガンジー)の名前くらいは知っている。ガンディーを入口にしてインドの歴史と文化を勉強してもらうという授業を私は10年位続けている。マニ・バワンの周辺は、VIPならではのものものしい警備ぶりであった。

次は、在ムンバイ日本国総領事館での昼食会。伊藤総領事を始めとする総領事館の方々に加えて、ムンバイ日本人会の人たちに迎えられた。インド最大の商業都市ムンバイには、日本の大手企業が多数支店を構えている。同じテーブルに座った大手商社の支店長が、たまたま大学の同窓生であった。駐在が6年になるという。インド社会で仕事をする苦労話などを聞いた。

午後は、ホテルのビジネス・センターの一室でアウランガバードから駆けつけたBAMU大学の副学長らと会談。これも仁坂知事が取り仕切ってくださった。

会議終了後、夕食会まで時間があったので、MTDCに車を出してもらって、ヴィクトリア・ターミナス(現チャトラパティ・シヴァジー・ターミナス)を見物に行った。ここまできて、世界文化遺産に登録されたこの有名な駅舎を見ないでは日本に帰れない。

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*ムンバイのコロニアル建築を代表するヴィクトリアン・ゴシックの殿堂。1887年竣工。
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車が真ん前に止まったため、近すぎて全貌が捉えられない。不測の事態を考えたMTDCに釘を刺されていたので、建物の中には入らず、車の側で写真を撮って戻った。

夕食会はマラバールヒルにあるマハーラーシュトラ州のゲストハウスで開かれた。州の迎賓館という格の立派な建物だ。主催は州首相、主賓は仁坂知事だった。


フィールドワークの記録

東京・横浜・横須賀

2015年03月29日
3月27日(金)
1泊2日で東京・横浜に出かけた。上野公園は桜が開花して、花見客であふれていた。まず東博で開催中の「インドの仏」展を観る。規模はさほど大きくないが、コルカタのインド博物館から物が来ているので、見逃す訳にはゆかなかった。実を言うと、私はインド博物館の大ファンなのである。

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上野駅構内のインド料理店で昼食をすませて、横浜へ向かう。横浜でみなとみらい線に乗り換えて馬車道で下り、神奈川県立歴史博物館、日本郵船歴史博物館を回る。

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*神奈川県立歴史博物館。ネオ・バロック様式のこの建物は旧横浜正金銀行本店だ。

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*日本郵船歴史博物館。コリント式の円柱が印象的な堂々たる建物。

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*山下公園の氷川丸。中学校の修学旅行でこの船に泊まった。懐かしい思い出。

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*山下公園近くには、老舗ホテルとして名高いホテル・ニューグランドがある。創業者は、土宜法龍の通訳としてシカゴからロンドン・パリを旅したこともある野村洋三である。スパゲティ・ナポリタン発祥の地としても知られる。翌日の昼、話の種に食べてみようと思ったが、1時間待ちと言われて諦めた。

一日目は期せずして、横浜洋館巡りとなった。この日は横須賀のビジネス旅館に宿泊。

3月28日(土)
朝、「マッサン」の最終回を見てから、旅館を出て、歩いて三笠公園まで行く。お土産に「海軍カレー」を買う。横須賀はカレーで町おこし中らしく、インド料理の店も目立つ。旅館で朝食をしっかり食べていたので、カレーはなしにして、横須賀中央駅から横浜に向かった。みなとみらい線の終点「元町・中華街」まで行って、まずホテル・ニューグランド内を見学し、それから中華街で担々麺でお昼をすませる。
その後、みなとみらい線を馬車道まで戻って、日本郵船歴史博物館を再訪。図書室で資料を調べ、若干のコピーを取ってもらった。日本郵船歴史博物館の調査は、積年の課題としてきたことであったので、実にすっきりした気持ちで帰途につくことができた。

フィールドワークの記録

ムンバイ日本人墓地

2015年03月25日
3月8日(日)
今日はこの旅で唯一フリーな日である。これを利用してムンバイ日本人墓地に参詣し、マラバールヒルの日本領事館跡を訪ねる予定を立て、日本山妙法寺の森田上人には前もってその旨メールしておいた。

午後1時過ぎ、タクシー二台に分乗して、日本山に向かう。一行は、マハーラーシュトラ州政府高官のM氏、県庁のY下さん、同じく県職員でアウランガバード駐在のM本さん、世界遺産センター長、同センター出向中のBoさん、そして私。当初、一人で行くつもりが、賑やかな訪問となった。

日本山妙法寺は、ウォルリー地区のアニー・ベサント・ロードにある。ベサントは神智学協会の二代目会長で、インド国民会議派の議長も務めたことのある、この研究分野ではお馴染みの女性。妙な契合を感じる。

一通りの挨拶とご本尊のお参りをすませた後、お寺の車で墓地に向かう。日本人墓地は、ヒンドゥー教徒の墓地の一画にあった。

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供養塔の側面に物故者の名前と享年と死亡年月日が刻まれた銅板が貼り付けてある。惜しいことに一番古い銅板は盗難にあって、失われている。残っているものの中で、最古の名前は、明治24年4月に20歳で亡くなった女性のものであった。
日本人墓地に関しては、いろいろ言うべきことはあるが、それはもう少し調査を進めてからにして、今は熱暑の地で世を去った日本人たちの御霊に手を合わせよう。

森田上人のお話では、この辺りは再開発が進み、高層マンションなども立ち始めていて、地上げの危機にある。ところが、最近、隣りにパールシーの葬儀場(ダフマ)が作られ、近くにはアンベードカル博士の夫人の供養所の設置も決まったので、何とか地上げは避けられるのではないか、とのことであった。

遅い昼食を近くの中華料理店で取った後、私はM本さんに付き添われて、タクシーでマラバールヒルに行き、旧・在ボンベイ日本領事館の跡地を訪ねた。
ムンバイ(旧ボンベイ)は、元来は七つの島の連なりだったものを埋め立てによって繋いだ半島にある。この半島は先端が二股に分かれており、その形は、左手首を横から見たのに似ている。マラバールヒルは、親指の付け根の関節の盛り上がりに相当する緑の濃い丘で、南ムンバイでは一番の高級住宅街である。

その一画のMount Pleasant Roadが、少なくとも明治43年から大正年間にかけて日本領事館があった場所である、というのが今のボンベイ総領事館のM本領事から頂いた情報である。

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番地は分からないので場所を特定することはできなかったが、雰囲気が味わえて満足感を覚えた。明治29年1月にこの町にやってきた天台宗の留学生大宮孝潤(おおみや・こうにん)は、この辺りを歩き回っていたわけである。大宮だけではない。川上貞信も河口慧海も藤井宣正も清水黙爾もここで身体を休めながら、遙か北の彼方のヒマラヤに想いを馳せていたのである。

ホテルの部屋に戻ってしばらく休み、夕方からお土産を探しに市中に出る。ホテルの前で拾ったタクシーが、私の指定する土産物店の場所を知らず、結局適当な所で下ろされてしまう。そこからガイドブックを頼りにしばらく歩いてその店にたどり着く。センスのいい物がある店、のはずだったが・・・お土産で成功したためしがない。こうなったら、という訳で、ちょっと高い「光り物」を買い、店の前でタクシーを拾ってホテルに戻る。それでも、ちょっと数が足らなかったので、ホテルのモールで追加。高級ホテルのモールだから、いい値段のものばかりだったが、時間がないから仕方がない。
夕食は一人、レストランで、タンドリチキンを食べたが、これまた相当高かった。
フィールドワークの記録

「南方熊楠と真言密教」展はじまる

2015年03月23日
21日(土)から田辺の南方熊楠顕彰館で特別企画展「南方熊楠と真言密教」が始まった。

インドから帰国したのが14日(土)。翌15日は高野山大学の卒業式。インドに出かける前に20数枚分のパネル原稿は送ってあり、展示品の借り出しの段取りもできていたが、自分が担当するパネル原稿8枚分が手つかずで残っていたので、16日~18日はちょっときつかった。

19日の正午前に5枚目と6枚目の原稿が出来上がった。残りは2枚だが、時間切れなので、出来た分を顕彰館に送信してから出発。顕彰館に着いたのは3時近くだった。直ちにN尾さんの車で黄檗版を借りに法輪寺に向かう。法輪寺の皆さんがとても温かく迎えて下さって恐縮した。本来もっと早く挨拶に参上すべきところ、骨折とインド出張という自己都合で、こんな慌ただしいことになってしまったのだ。 この日は、S戸さんが作ってくれたパネルのゲラを直して終わり。会食は断り、ホテルに直行する。

この晩ホテルの部屋で残り2枚の原稿を書き、ぎりぎりで間に合わせる。20日は最後の日。パネルが印刷されている間に一同展示にかかる。それを横目で見つつ、私は会場の隅で「ごあいさつ」の原稿を書き上げる。午後10時前に会場準備が奇跡的に終わる。まあ、私には奇跡でも、田村さんや顕彰館のスタッフは慣れているから、奇跡でも何でもないのかもしれないが、それまでぐちゃぐちゃだったものが急にすっきりきれいになって、一応終わったのには、ちょっと驚いた。

とにかく、顕彰館のスタッフの皆さんと田村さんをはじめ担当の先生方・院生諸君には御礼を言わなければならない。お陰様で、迷惑はかけたが、大迷惑は何とか回避できた。

南方熊楠顕彰館第18回特別企画展「方熊楠と真言教」は、5月6日(水)まで。ただし、3月23日、24日、30日、4月6日、13日、14日、20日、27日、28日、30日はお休み。
また4月12日(日)午後2時から、企画展に合わせたシンポジウムがあり、高野山大学副学長の乾教授のレクチャー「曼荼羅とは何か」や個別の発表などが予定されている。

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*闘いすんで。高野山大学からの出陳コーナー。


高野山大学の力

インド門とタージマハル・パレス

2015年03月17日
ムンバイには夜中に着いた。MTDC(マハーラーシュトラ州観光開発公社)の人々の出迎えを受け、車でホテルに向かう。
マリンドライブという名の、アラビア海に面する海岸道路をひた走り、やがて左に折れてしばらく進むと、闇の中に有名なインド門(Gateway of India)が見え、車はタージマハル・パレス(タージマハル・ホテル)の玄関に入った。

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翌朝9時にグランドフロアーのレストランで朝食を取った後、カメラをぶらさげてインド門周辺を散策した。インド門は1911年の英国王(インド皇帝)ジョージ5世夫妻の来印を記念して建てられた。礎石はこの年に置かれたが、完成したのは1924年である。一方、タージマハル・パレスはボンベイ(現ムンバイ)のパールシー(ゾロアスター教徒)実業家ジャムシェトジー・タタが作った高級ホテルで、1903年に開業した。

インド門は植民地時代の象徴、タージマハルはインド民族主義の象徴と言われるが、この二つがまさに対峙しているように見えるのがおもしろい。ジャムシェトジーはタタ財閥の創業者で、日本で言えば、渋沢栄一のような人。明治26年に来日して、政財界に説いて回り、日本郵船によるインド定期航路開設を促した。

海から見ると、こんな感じ。私は本館横のタワービルの方に泊まっていた。
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フィールドワークの記録

カレー、カレー、カレー

2015年03月15日
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インドに行きはじめて30年になるけれど、こんな高級なインド料理は食べたことがなかった。上二枚はマハーラーシュトラ州のゲストハウスで開かれた州首相主催の晩餐会、下一枚はタージマハル・パレスで開かれたMTDC(マハーラーシュトラ旅行開発公社)主催の昼食会で出たインド料理。いずれも仁坂和歌山県知事一行のお相伴。

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これはアジャンターにあるMTDCのゲストハウスで出たマハーラーシュトラの郷土料理。上の小さなバナナも甘くて美味しい。
という訳で今回は、食事からして、大変結構な旅であった。
フィールドワークの記録

土曜日出国、土曜日帰国

2015年03月05日
明後日から8日間、インド。

そのためここ数日はてんてこ舞いである。今朝方、起きようか、まだ寝ていようかと、不決断な時間を過ごしていた時、ふと、頭に浮かんだ。「そうだ、帽子だ!帽子が要るのだ!」インドやチベットは普段は被らない帽子が必需品だ。2012年にチベットに出かけるとき、関空のベンチに長年愛用していた帽子を置き忘れて、とても困った。帽子はラッサのバルコールで買えたのだが、その後それをどこにしまい込んだか、まったく記憶がない。私は頭が大きいらしく、ありきたりな店では合うサイズが見つからないのだ。弱ったなあ、帽子を買いに走る時間などないし・・・空港にあればいいのだが・・・とまた一つ余計な仕事を抱え込んだような気になり、たださえ重い足取りが倍になって、のろのろ学校に来た。何の因果か・・・

その帽子、何の気なしに、研究室に置いてあるたくさんの紙袋のひとつを開けたら、オッス!という具合に出てきた。お前、こんなところにいたのか、しっかりしてくれないと困るじゃないか。たっぷり叱っておいた。

県庁の人たちと一緒に行くので気は楽だ。山場は客観的に見ると某大学での講演ということになるのだろうが、私自身は、8日にマラバーヒルに旧領事館跡を訪ねること、日本山妙法寺に森田上人を訪ね、一緒に日本人墓地を参拝することが一番の楽しみだ。

マラバーヒルの領事館には、大谷探検隊も河口慧海も大宮孝潤も訪れている。建物はもうないらしいが、街路だけでも見てこようと思う。日本人墓地に、どんな名前が刻まれているか。知った名前があるか、今からその瞬間が待たれる。

ただし、夜は顕彰館特別企画展のお仕事に費やそうと思う。そのための準備を今日やった。S戸さん、N尾さん、これで勘弁して下さいね。

今日は、卒業予定者の告示があったらしく、二人の若者が挨拶にきた。「お陰様で・・・」
その二人、同じ卒業でも歩いてきた道も成績もかなり違うのだが、言うべき言葉は同じだ。
「よかったな、人生の節目だ。おめでとう!Good luck!」
ある大学教員の日常茶飯
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