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横浜三会寺

2014年09月27日
25日(木)
何とも蒸し暑い日、久方ぶりに横浜市の三会(さんね)寺を訪問した。三会寺はJR新横浜から1キロあまりのところにある真言宗の名刹だ。私にとっては釈興然さんの寺であり、また河口慧海がチベット旅行に出発する前に勉強していた寺でもある。

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*三会寺の山門。手前の石灯籠には寛政5年10月(1793)と刻んである。

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*境内の一画に大きな幼稚園がある。私もお寺の経営する幼稚園育ちだから、何とも懐かしい気がする。慧海は、この寺に近所の子どもたちを集めて日曜学校を開き、仏教の歌や遊戯などを教えていた。はからずもこの幼稚園は、その精神を継いでいる。

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*興然さんが建立したパゴダ・スタイルの仏塔。日本に上座部仏教を移植しようとした興然さんのスピリットを感じさせる。

ご住職のご高配により、思う存分、資料調査をさせていただいた。長年の願いが叶い、安堵と満足感を覚えた。
このご恩は研究成果を出すことで返させていただきます。
折角新横浜まで来たのだから、横浜や横須賀を見物して帰りたかったが、あいにく次の日から授業が始まるので、シュウマイと肉まんを買って帰途に着いた。

どうしても筆が進まない原稿を抱えて、土日も御山にいるはめに。昨夜自分に言い聞かせた。「いい仕事がしたかったら、時間をかけることだ」
この呪文が効いたのか、今日はじわじわ進んでいるぞ。
フィールドワークの記録

隊長、安らかに

2014年09月26日
先週の土曜日に隊長が亡くなり、月曜日にお通夜があった。

病気で療養していたが、こんなに早くさよならを言うことになろうとは考えてもいなかった。

遺影が爽やかな笑顔で、本来の隊長が戻ってきたような錯覚を覚えた。
導師は生前の約束ということで泉北のW師が務めたが、彼の話がまたよくて、泣かされた。

隊長はヒマラヤを愛していた。特にネパール西部の山々に関する体験的知識は抜群で、私も多大な恩恵を受けた。

偶々家が近かったこともあって、時々お邪魔し、ヒマラヤ談義に気持ちのいい時間を過ごした。ここ数年は、泉ヶ丘駅前で奥様もまじえて忘年会をするのが恒例だった。

昨日今日、惻々と寂しさがつのる。

隊長殿、御世話になりました。そして、ありがとうございました。
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ある大学教員の日常茶飯

高山寺とシバタ祭

2014年09月16日
14日(日)
お昼前、京都駅でプラヒデ・カンダッタ師あらため只の神田君と落ち合い、バスで栂尾山高山寺に向かった。神田君は帰国の挨拶、私は日頃の無沙汰のお詫びかたがた、初秋の高山寺を散策するのが目的だ。

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*4年ぶりで潜る高山寺の門。

お茶を頂きながら副住職さんとお話をしているところに、カルチャー講座の人たちが到着。いっしょに開山堂の明恵上人のお像を拝観することできてありがたかった。

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*高山寺にある日本最古の茶園。

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*国宝・石水院からの眺め。この透明度の高い緑は高山寺独特のものだ、と思う。何度来ても、気持ちのいいお寺だ。

4時過ぎに寺を辞してバスで京都駅前に出る。ホテルで開かれる「シバタ祭」、正確には「柴田幹夫先生出版記念会」に出席するためだ。会場に行ってみて、その盛大さに驚く。それは白須先生も同様だったらしく、主賓の挨拶でそのようなことを言っておられた。柴田先生、おめでとう。

勢いで二次会に行ったら、引き上げるタイミングを逸して京都に泊まるはめに・・・何年かに1度の失態であったが、いろいろ情報交換できたからよしとしておこう。
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ふたやま越える

2014年09月14日
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*同志社大学のチャペル。

9月12日
東京出張。時間に遅れないように早めに家を出るが、ひどく眠い。前夜、朝日新聞の謝罪会見と報道ステーションの検証番組を見たせいか、妙に寝つきが悪かった。
用事そのものは1時間半程度で終了。東京駅の大丸で虎屋の羊羹を買って帰る。これで、ふたやま越えたことになる。

9月13日
同志社大学に出かけ、日本宗教学会の学術大会のK-GURSのパネルに出席した。3日間に部会が14も立つ大きな大会だが、それがひと棟のふたつの階にすっぽり収まっているのにはちょっと驚いた。
というわけで、二週間に3つの全国学会に出席するというハードスケジュールを終えた。
ある大学教員の日常茶飯

日本仏教学会でひと山越える

2014年09月10日
9月9日(火)
種智院大学で開かれた日本仏教学会学術大会に出席し、「エンゲイジド・ブッディズムと社会参加仏教」と題して発表した。コメントや質問を多くいただき、後で個人的に意見をくださった方もかなりいて、自分としては満足できた。コメンテーターの野口先生にはお世話になった。

秋晴れのちょっと暑いが気持ちのいい日で、近鉄向島の駅を出ると、田んぼの稲がいい香りを放っていた。種智院大学の建物はすぐそこに見えているのに、「なかなか着かない田舎の道」で、小橋を渡り、用水路沿いの道を歩いて10数分かかる。なかなかいい風情であった。

会場の入り口でT野君にばったり会い、昼食を取りながら、震災後のいわきの様子などを聞いた。T野君とは会うのは20数年ぶりだ。

夕方、専用バスで京都駅八条口に移動し、ホテルでの懇親会に臨んだ。ここでもいろいろな人と情報交換した。
お開き後、イヌイさんと一緒に難波まで戻り、「なんなんタウン」の「二度づけお断り」の串焼きの店でもう一杯ずつビールを飲んでから、彼は南海高野線、私は泉北線でそれぞれ帰途に就いた。

これで一山越えたことになる。あとは明後日の東京出張がもうひと山。



フィールドワークの記録

カルカッタの夜

2014年09月08日
2001年の1月のこと、スリランカでの調査を終えてから、私はカルカッタ(今はコルカタだが、敢えて呼びたいカルカッタ)に飛んだ。途中、チェンナイ(旧マドラス)の飛行場で乗換のために随分待たされたので、カルカッタの飛行場に着いた時には午後8時を回っていたと思う。

この時、何と、私はホテルを予約していなかった。タクシーで、サダル・ストリートまで行けば何とかなると思っていた。そこにどのような事情があったかは記憶にないが、今から考えれば、魔都カルカッタをなめてかかっていたとしか思えない。
カウンターでサダル・ストリートまでのタクシー料金を先払いし、証明書をもらって、運転手と一緒にターミナルビルを出た。

まず驚いたのは、寒かったことである。荷物運びの男たちがみな頭から布をかぶり、白い息を吐いている。インドで息が凍るというのは思ってもみない体験だった。

タクシーは大通りを走った。電力事情からか、街路は驚くほど暗い。あちこちから水蒸気のような煙が立ちのぼっている。対向車はほとんどない。このメガロポリスがゴーストタウンのようだ。そこに時折、真っ黒な人影が動いているのがかえって不気味だった。まるでハリソン・フォードの「ブレードランナー」のセットを何百倍にもしたような町並みが延々と続いていた。

サダル・ストリートに着いた。ここもやけに暗い。トランクから荷物を出してもらうと、私はすぐその場を離れた。この町のタクシー・ドライバーは油断ならないと思っていたからだ。サダル・ストリートは著名な安宿街で、ゲストハウスが軒を連ねている。ところがそのことごとくが入口にシャッターを下ろしているではないか。そんなに遅い時間ではない。冬だから早じまいか。

シャッター越しに「部屋はないか」と呼びかけると、中で「ないよ」と答える。おそらくは従業員が、シャッターの向こうに寝ているのである。二三軒回ったが、すべて同じ調子であった。
私は漸く、自分がかなりまずい立場にいることに気がついた。サダルストリート界隈は治安があまりよくない。私は荷物を持っている。荷物をもったまま途方に暮れてうろうろしているのはいかにもまずいではないか。

この時、どうして表通りのチョーリンギーまで出て、オベロイグランドなりサルべーションアーミーなりに掛け合う智恵が湧かなかったのか、自分でも不思議でならない。

そこに、計ったように一人のやせた男がやってくる。
「檀那、いいホテルありまっせ」
「ノー!」
こういう場合、うかうか路地裏などについてゆくと、恐いお兄さんたちが現れないともかぎらない。

だがその男はその場を去らず、少し離れて私を観察している。私がサダルでは部屋を得ることができないことを見通していたのだと思う。時々近づいてきては、「部屋あるよ」を繰り返す。

暗く寒い路地を行ったり来たりしている間に私の頭に浮かんだのは、
「ひょっとすると、朝までは生きていられないかもしれない」

精根尽き果てて、私はついに男に言った。
「OK、そのホテルに案内してくれ」

結局、その男は、途中で強盗に変身することもなく、まあまあの商人宿に私を案内し、チップは明らかにほしがってはいたものの、自分から100ドルよこせ、などと吹っかけもしなかった。私は感謝しつつ、ケチな私としては多額のチップを渡したのであった。
朝外に出てみると、そこはニューマーケットのそばで、穏やかな冬の陽が降り注いでいた。昨夜のことなどまるで嘘のように。
フィールドワークの記録

ちょっとどうかと思うのだが、

2014年09月05日
9月9日(火) 日本仏教学会学術大会 於種智院大学
9月12日(金) 東京出張
9月13日(土) 日本宗教学会学術大会 於同志社大学
9月14日(日) 同上 +α

一年にいっぺんくらい、こういう週がある。

問題は9日の日本仏教学会だ。テーマ発表が当たっているのである。週末に目鼻を付けなければならない。13日には同志社にK-GURSの「屋台」が出る。私はK-GURSの研究委員会の委員長を拝命しているので、顔を出さないでは義理が立たない。次の日はその続きと夕方からの用事が京都である。一名シバタ祭。私はシラス祭は出ることができなかったので、せめてシバタ祭に出て無沙汰を詫び、未来志向で情報交換してきたい。
翌週は、原稿の締め切りが2つあるが、まあ、何とかなる。
ある大学教員の日常茶飯

乗っちゃいけない電車に乗ること

2014年09月04日
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*朝の虹 霊宝館前

日本印度学仏教学会に出かける前日の8月29日、和歌山市で開かれたある会合で「高野山と曼荼羅」と題して話をさせてもらった。時間は4時半からきっかり1時間。後の予定があるからくれぐれも時間を守るように言い渡されていた。
こういう場合は、とにかく早めに会場入りすることが原則だ。一つは主催者を心配させないため、もう一つは会場を見て、PCの動作確認などをしながら、心の準備をするためである。
ただ早く行き過ぎても主催者側に余計な気を遣わせてしまう。そこで今回は、4時までには参ります、と連絡し、その15分前には現場に行くことにした。

泉北高速で泉ヶ丘を出たのが2時過ぎだった。三国ヶ丘でJRの紀州路快速に乗り換えると、1時間で和歌山市に着く。しかし、三国ヶ丘駅は私にとっては鬼門だ。2年前、シンポジウムのために前泊で金沢に行く時、この駅で乗ってはならない各駅停車に乗ったために特急を逃し、本来金沢で1泊の予定が大阪駅近くのビジネスホテルに泊まらざるを得なかったという苦い経験がある。今日は用心しようという意識はあったのである。

だから、各駅停車や途中までしか行かない電車を慎重にやり過ごして、ようやく紀州路快速に乗り込んだ時にはほっとした。ところが何と、この電車、次の百舌鳥駅で停車するではないか。あれ、どうしてこんなところで。驚いて車内を見回すと、快速とばかり思い込んでいたのは鳳止まりの鈍行だった。その時、私の目の前を三国ヶ丘から乗るはずだった紀州路快速がたいそうなスピードで通り過ぎて行った。

一瞬呆然としたが、すぐに冷静になれたのは「歴戦の勘」のおかげである。この電車は鳳行きである。鳳は近い。鳳は阪和線の主要駅のひとつだから、和歌山方面行きの特急や快速は必ず止まるはずだ。しかも私は余裕をもって出てきている。最悪、4時20分頃までに現場に到着すれば問題ないはずだ。

結果は大正解で、私は鳳で次の紀州路快速に乗ることができ、3時55分には和歌山駅に降り立ち、責任者から私のケータイに確認の電話が入った時には、彼の前方10歩のところにいたのである。

それにしても、三国ヶ丘駅は要注意だ。
ある大学教員の日常茶飯

日本印度学仏教学会 in 有明

2014年09月01日
30日、31日と東京有明の武蔵野大学有明キャンパスで開かれた日本印度学仏教学会の学術大会に久しぶりで参加した。30日午後、ある部会が終わったら、TK沢大学のK林が教室の後ろから大きな声で呼びかけてきた。

 奥山じゃないか、やっぱり。後ろから見ていて、似たやつがいると思ってたよ。

K林は東北大学の同級生である。

 何か奥山に似ているなと・・・・しかし、痩せたな。

いったいいつの私を基準にして言っているのだろうか。それにしても、同級生というものは、つくづく、ありがたい、と思った。

東北大学名誉教授の村上真完先生が、及川真介先生と一緒に、鈴木学術財団特別賞を受賞された。
懇親会場で、K林を誘って、お祝いを申し上げに行った。

30日は東品川のホテルに泊まった。頼まれ原稿を一つ抱えていたので、31日の午前中はひどく眠かった。このままではいかん、とにかく眼を醒まさなければ、と思い、いろいろな会場を回って、私としては珍しく積極的にコメントと質問をした。おかげで大いに刺激を受けた。

来年の第66回学術大会は高野山大学で開かれる。日本印度学仏教学会はこの種の学会としては日本最大、いや世界最大の学会で、学術大会での発表者は毎回300人近い。準備が大変である。
総会で次期開催校挨拶があり、イヌイさんが登壇した。「あのー、全然アレなんですけど・・・」の決まり文句も飛び出さず、適度な長さの要領のいい挨拶だった。感心して、後で話を聞いたら、「何話すか、考えて来たんです」
そうか、普段は考えていないんだ、やっぱり!
ただ、緊張のせいか、開催日を言い忘れ、再登壇するという「ほほえましいハプニング」もあり、会場はなごやかな雰囲気に包まれた。さすが、です。
ある大学教員の日常茶飯
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