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龍谷大学図書館で雑誌を見る

2014年08月20日
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*龍谷大学本館(重要文化財)
日本仏教の近代化を象徴する建物だ。図書館は右手奥の方向にある。

龍谷大学大宮学舎の図書館に資料調べに行った。何もこの忙しい時期に、という思いもあったが、前から申込んでいることだし、それに、思い切って自分のこともやらないと、日々の業務に追われて一夏なにも残らなかったということになりかねない。
午前11時前に入って、午後8時前まで、途中30分ほどのコンビニ休憩を挟んで、ある古い雑誌を60冊ほど、1頁ずつめくって記事に目を通し、300枚ほどコピーを取った。この雑誌は以前もここで調べたことがあったので、今回は漏れ落ちのチェックであったが、思った以上にコピーする記事が増えたのは、興味がそれだけ広がっているからだと思う。

だがここまでやっても、「そーだったのか!」と驚くような記事は1つだけだった。
まあ、こんなものである。
一つの雑誌に時間が掛かりすぎたので、多くをやり残してしまった。最初の予定では、京都に1泊して2日にわたってやるつもりだったのだが、申込をした後で、大学の大事な用件が入ったので、1日だけになってしまった。また行かねばならぬ。
研究ノート

カルカッタ、グレートイースタン・ホテル

2014年08月18日
先日、調べていることとの関連で、コルカタ(旧カルカッタ)のグレートイースタン・ホテルのホームページを開いた。するとこのホテル、驚いたことにリニューアルされているではないか。そんな話、う~ん、あったかもしれないが、もう10年も行っていないからねえ・・・

グレートイースタン・ホテルはコルカタでも名代の老舗ホテルだ。創業は植民地時代の1840年頃だから170年以上の歴史を誇っている。
昔は外国人が宿泊できる施設は限られていたから、その気になって調べたら、いろいろな有名人が利用しているに違いない。
第1回中央アジア・インド探検を終えた大谷光瑞が、明治36年に父光尊の死の知らせを受けたのも、このホテルだったようだ。ちなみに、明治20年にインドを旅した南條文雄が泊まったのはウェルズレイ・プレイスのスペンセス・ホテルで、これはグレートイースタンよりも古いが、すでに廃業しているらしい。場所はラージバワン(旧インド総督官邸)の近くのようだ。

私は、この街では、チョーリンギー・ストリートのオベロイ・グランドや名前は忘れたがパーク・ストリートのホテルを利用したこともあり、安宿街として知られるサダル・ストリートのゲストハウスやニューマーケットの商人宿に泊まったこともあるが、一番利用してきたのは、このグレートイースタンだ。何と言っても地の利がよく、インド博物館やアジアティック・ソサエティまで歩いて行けるのに、チョーリンギーの喧噪からは一つ離れていて落ち着いた雰囲気がある。

しかし私が利用し始めた頃には、かつて「東洋の宝石」「スエズ以東第一」と讃えられたこのホテルの栄光の時代はとうに過ぎ去っており、ガイドブックにも、中級以下になりさがっていると書かれたりしていた。私も、最後に泊まった時には、「グレートイースタンはもういい」という感想であった。しかし、リニューアルされたとあらば話は別である。

近々一度行きたいものだ。ああ、インド博物館、アジアティック・ソサエティ、マハーボーディ・ソサエティ、カルカッタ大学、調べたいことはいくらでもある!
ある大学教員の日常茶飯

諸葛孔明

2014年08月13日
もう一冊、歴史上の人物としての諸葛亮孔明を知るための好著を紹介しておこう。

宮川尚志『諸葛孔明:「三国志」とその時代』(講談社学術文庫)

本書は、諸葛亮の実像について十分な知識を与えれてくれる。宮川氏はこれを大学院生の時に書いたというから畏れ入る。宮川氏は、軍事は必ずしも諸葛亮の本領ではなかったとし、陳寿(正史『三国志』の著者)による評、すなわち彼は政治には長じていたが、奇謀には短であったという評価を大筋で認めている(p.234)。
北伐において孔明は、長駆して長安を奇襲するという魏延の献策を退け、馬謖を信じすぎて街亭を失い、司馬懿の持久戦法に手を焼いて、ついに五丈原で陣没する。長い北伐戦の中で彼の天才的策略が一度でも図に当たっていたら・・・と思うのは、彼を惜しむあまりのファン(私も)の気持ちだ。

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これは、仙台市青葉通の晩翠草堂にある土井晩翠自筆の「星落秋風五丈原」冒頭。

祁山(きざん)悲秋の風更けて
陣雲暗し五丈原
零露の文(あや)は繁くして
草枯れ馬は肥ゆれども
蜀軍の旗光無く
鼓角の音も今しづか
丞相病篤かりき

「星落秋風五丈原」の「星落」は「せいらく」と「ほしおつ」の両様に読まれるようであるが、ここはやはり、「星落つ」と読みたいところだ。私は、1987年に成都の武候祠(諸葛亮廟)を訪ねている。




















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台風一過

2014年08月11日
6日から8日まで、田辺市立図書館タナベルで開催された南方熊楠研究会サマーセミナーに参加した。今後の発展を約束するような盛り上がった会であった。

8日の夕方に自宅に帰り着いたら、疲れがどっと出て、テリーを可愛がる以外には、何もする気が起きない。(この疲れの原因は、大部分が7日夜に「銀ちろ」本店で開かれた懇親会と二次会にあるのだが)。ちょうど家人が仕事で出かけていたので、冷蔵庫の中のものを適当に食べ散らして早めに寝た。
一昨日、昨日も台風情報を見ながらぐだぐだ過ごした。昨日になるとさすがに休むのに飽きてきたが、普段家では仕事はしないことにしているので、やりたくても道具も材料もない。そこで、手近にある本を読んで過ごす。
一つは、立間祥介『諸葛孔明ー三国志の英雄たちー』(岩波新書)、もう一つは、渡邊大門『黒田官兵衛ー作られた軍師像ー』(講談社現代新書)。
偶然、二つとも「軍師」ものである。『諸葛孔明』は、私たちのよく知る『三国志演義』の世界を離れて、あの辺の史実はどうなっているのか、という興味から、つい買ってしまったもの。『黒田官兵衛』を買ったのは、最近視聴率のV字回復が伝えられる大河ドラマとも無縁とは言えないが、直接的は、書店で手にとって、最終章に私が必要としていた情報が簡単に書いてあるのを見つけたからである。

土曜日には「軍師 官兵衛」の再放送を久しぶりで見た。私は大河の潜在的ファンなので、視聴率が上がるのは何となく嬉しいのだが、どうしても20年近く前の「秀吉」と比較してしまう。今回竹中さんが狭い茶室でポーンと跳ねて見せたのは、あれは、過去の自分へのオマージュかな。それとも「まだこれぐらいのことはできるんだ」かな。すぐに褌一本になるのがどうかと思っていたが、竹中秀吉を中心に出演者がみんな乗りに乗っている感じで、次回が待ち遠しかった。信長の渡哲也、光秀の村上弘明、「かあちゃん」の市原悦子、お寧の沢口靖子(堺出身)、秀長の高嶋政伸、家康の西村雅彦、忘れちゃいけないのは、足利義昭の玉置浩二。そのほかもみんなよかった気がする。

まま、これくらいにして。世間はこれからお盆休みだが、私の夏休みはこれでおしまい。

台風一過。熊楠での恩は熊楠で返さなければならぬ。
ある大学教員の日常茶飯

夏休みがやってきた

2014年08月01日
一昨日の晩は、8月、9月にやらなければならないことの多さを思って少々寝付きが悪かった。以前の私であれば、がばと跳ね起きて研究室に戻るところだが、まあ、何とかなるさと自分をごまかして寝に就いた。

それが昨日ひとつ終わり、今日もうひとつ終わった。これで一応夏休み。
ある大学教員の日常茶飯
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