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龍谷大学アジア仏教文化研究センター研究会

2014年05月30日
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*来年の開創1200年に向けて建設中の中門が姿を現した。

5月26日(月)龍谷大学アジア仏教文化研究センター主催のユニット2(中央アジア地域班)研究会に出席し、報告させてもらった。タイトルは「チベットをめざした日本人―明治インド留学生を中心に―」。ファシリテーターは入澤崇先生(龍谷大学文学部教授、龍谷ミュージアム館長」、コメンテーターは市川良文先生(龍谷大学文学部准教授)だった。

入澤先生とセンタースタッフの皆さんのお陰で、大変気持ちよく報告させていただいた。市川、入澤両先生を始め出席者のみなさんからいろいろコメントをいただき、大変勉強になった上、今後につながる手応えも得ることができた。さらに事後、わざわざ私の話を聞きに来てくださった京大のH先生も交えて、「反省会」を行い、愉快な時間を過ごすことができた。

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カンダッタ師三態

2014年05月19日
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えー、みなさん、不肖カンダも、えー、タイでは精一杯がんばってまいりました。

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周囲からは、よくしゃべるヤツと・・・タイ語会話ならまかしてください、テヘ。

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こういう日本のお菓子は、久しぶりで食うとうめえや。ぽりぽり・・・
高野山大学の力

「山の神仏」展

2014年05月18日
ヤンキースの田中将大投手の顔立ちは飛鳥時代の仏像のあるものに似ている。

まだ観ていないのか、と言われはじめたので、これは遺憾と思い、土曜日、大阪市立美術館で開催中の「山の神仏 吉野・熊野・高野」に出かけた。「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界文化遺産に登録されて10周年を記念した特別展である。

ちょっと地味な感じを受けていたのだが、何の何の、実におもしろい展覧会で、いいカミ・仏たちにたっぷり出会えた。私は吉野が一番興味深かったが、この展覧会は、高野山という自分の足場を見直すきっかけにもなってくれた。高野山から見れば、吉野はお隣である。熊野もさして遠くない。紀伊山地はまさに日本一のパワースポット集積地だ。

大阪が終わったら、名古屋、東京を巡回するようなので、是非どうぞ。



高野山大学の力

カンダッタ師の演説会

2014年05月16日
昨日の朝、下山するために密教文化研究所の玄関を出ると、中庭に一人の痩せた沙門が立っている。おお、何と神々しいお姿と、礼拝のために近寄ると、それは前バンコク日本人納骨堂貫主プラヒデ・カンダッタ師であった。

『いやー、立派に出世されたものだ、ウウッ』(この場合の出世は、「世に出る」ではなく、「世を出る」)
感極まっていると、頭上からカンダッタ師の声が降ってきた。

「先生、二年見ないうちに、ふけましたね!」

じゃかましい、コラ!
という訳で、テンションのたいへん高いカンダッタ師であった。その凱旋帰国大演説会が5月20日15:00から高野山大学本館第3会議室で挙行される。関係者は参堂、拝聴するように。
高野山大学の力

佐々木健一著『辞書になった男―ケンボ―先生と山田先生―』(文藝春秋社)

2014年05月07日
10日ほど前、この本を携えて家に帰ると、映画「舟を編む」が録画してあったので、縁を感じて早速視た。視てからまた続きを読んだ。「舟を編む」は現代における1つのパラダイスを描いたものである。この忙しい時代に10数年かけて1冊の辞書を編む、しかもそれで給料がもらえるなんて、これ以上の幸せは滅多にない。

『辞書になった男』の方は、三省堂の国語辞典の編纂を巡る見坊豪紀と山田忠雄という二人の優れた辞典編纂者の人間ドラマを綿密な取材によって掘り起こしたものである。

三省堂の『新明解国語辞典』の語釈と用例にユニークなものがあることは、赤瀬川原平氏の『新解さんの謎』(文藝春秋社、1996年)の出版をきっかけに広く知られるようになったが、その前から『新明解』は日本でも指折りのよく売れる国語辞典だったし、語釈のユニークさでも際立っていたのである。

今から30年以上前、国文学者のH先生に意見を伺ったところ、先生は即座に、あの辞書には「芋辞書」など語釈や用例におかしいものがある、別の辞書を使いたまえ、とおっしゃった。
確かに、私も、例えば「時点」の用例は変だと思う。「一月九日の時点では、その事実は判明していなかった」
その「一月九日」が山田先生個人にとって(そしてケンボー先生にとっても)重大な意味を持つ日であった、というのが著者の結論なのであるが、もしもその通りなら、やはりそれはやり過ぎというものである。

ただ、私は、語釈に踏み込んだ意味や裏のニュアンスを記してゆくこと自体はいいことだと思っている。そういう微妙な点に、おおげさに言えば、学識のすべてを掛けるのが学者の醍醐味というものだ。H先生の忠告にもかからわず、私が『新明解』を使い続けてきた理由は多分そこにある。

しかし、『新明解』も版を重ねるごとに「普通の辞書」に近づいているようである。私の手元にあるのは第三版だが、これには「芋辞書」は載っていない。「恋愛」の語釈には、すっかり有名になった「出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら」という説明が健在だが、先日、泉ヶ丘の紀伊國屋書店まで行って確認したところ、最新版では別の表現に置き換えられていた。

ちなみに、芋辞書とは、『新明解』初版によれば、「大学院の学生などに下請けさせ、先行書の切り貼りででっちあげた、ちゃちな辞書」である(『辞書になった男』p.178)

やはり、凄い。

読書ノート

4月後半の記録

2014年05月05日
ダライ・ラマ法王ご来訪の興奮も覚めやらぬ4月後半にも、いくつか記録しておくべき出来事があった。以下にそれをまとめておこう。

4月18日(金)龍谷大学ミュージアムで開催される「チベットの仏教世界」展の内覧会に行き、大いに刺激を受ける。それを短く表せば、「今年度は動くぞ。倍返しだ」。

4月19日(土)京都のV先生のお宅のホームパーティーにお呼ばれし、イタリアの家庭料理に舌鼓を打った。その前に時間があったので、八坂神社から霊山歴史館・霊山護国神社などを回る。この神社は、坂本龍馬をはじめ幕末維新以来国のためにたおれた人々の墓があることで知られるが、中にはこんな碑も。

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*野砲兵第122連隊の顕彰碑の側に立つ「愛馬の碑」に桜の花びらが散りかかる。砲兵隊の兵士たちと一緒に重い砲の運搬に汗を流した馬たちだろう。そのうちの何頭が内地に帰れたのか。哀惜を感じる。

4月28日(月)和歌山大学観光学部大学院博士課程設置記念式典に学長の代理で出席。盛大な式典に彼らの本気を感じた。顔なじみのK先生、W先生に懇ろに挨拶しておく。

4月29日(火)この日高野山大学は通常授業日だった。1時間目の授業が終わってからオダ君と一緒に田辺に向かう。特別企画展に合わせて開催される『和漢三才図会』のシンポジウムに出席するためだ。あいにくの雨だったが、13時半の開幕に15分ほど遅れただけで顕彰館に着くことができた。

田辺に出かけることは、日常から解放された、ちょっとした命の洗濯だ。これは私だけではないようで、懇親会はいつも盛り上がる。この晩は、「しんべ」と「あじみ」でいい時を過ごした。

ある大学教員の日常茶飯

ダライ・ラマ法王14世講演「人はどのように生きるべきか―21世紀の宗教と倫理―

2014年05月02日
9時、いよいよ講演が始まった。最初に藤田学長の挨拶。と、それが終わらないうちに法王様が松長管長の手を取って舞台に現れ、砂マンダラを見たりしはじめた。お二人は舞台中央に置かれたソファーにご一緒に着座。それからはすべて法王様のペースであった。

開口一番、昨日までの灌頂や密教について何か質問はないか、と仰る。質問はひとしきりお話になった後、と思い込んでいたので、これには意表を衝かれたが、マリヤさんが機敏に対応してくれた。用意された質問をここに入れてくれたのである。これがまるでそのために用意されたもののようにうまくはまった。あとは自然の流れに任せればよかった。

お話の途中で、法王様が藤田学長を舞台に呼び寄せて、ソファーに一緒に座らせるということが起こった。これも楽しいハプニングで、会場はさらに和やかなムードに包まれた。

お話が一段落して質問の時間になった時、質問希望者の列に高野山大学生や専修学院生が何人か並んだのも積極的でとてもよかった。時間の都合で質問は途中で法王様ご自身によって打ち切られたが、それは仕方がないことで、質問ができなかった人々も理解してくれるだろう。

こうして高野山でのすべての日程が終了し、法王様は、お食事の後次の目的地に向かわれた。別件が片付いていなかったので、私は空港まではお見送りできず、黎明館の通用口でお別れした。最後はドアのガラス越しに法王様が車で出発されるのを目で追った。

この人は、今日と同じように、明日も、また明後日も、世界中を回って人々に教えを説いてゆくのだろう。

こう思ったら、なぜか胸がちくりと痛んだ。




高野山大学の力
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