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ダライ・ラマ法王記念講演 質問の時間

2014年04月28日
今回は司会は勘弁してもらいたい、というのが私の希望だった。前に書いたような事情に加えて、今回はプロのアナウンサーに影でアナウンスをしてもらうことになっている。司会者がなすべきことはほとんどないはずである。

ただ問題は質問の時間であった。ダライ・ラマ法王は、講演時には必ずといってよいほど質問時間を取られる。今回の記念講演でもそれがあると考えた方がよい。ただそれがどのようなタイミングで始まるかは、その時になってみないと分からない。それを決めることができるのは、法王様ご自身だけである。

これが完全にフリーで質問を受けるということならば、マイクを廻す準備だけをして待てばよい。だが私には一つの思いがあった。うちの学生、生徒に法王様と直接言葉を交わす体験をさせてやりたい。

せっかく高野山大学で開くのである。高野山大学生、高野山高校生、専修学院生を優先することは、許されてよいはずだ。こういう訳で質問が3つ用意され、そのメモが学長から通訳のマリア・リンチェンさんに渡された。あとは法王様とマリアさんにすべてお任せである。大船に乗った気分で、私は私の席に着いた。15日の8時半頃のことである。

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*【国宝】誕生釈迦仏立像(東大寺)のレプリカに甘茶をかける女の子。「東大寺」展が開かれているあべのハルカス美術館前で(本文とこの写真は直接関係ありません)
高野山大学の力

お迎えの準備2

2014年04月20日
実は私には、ダライ・ラマ法王関連のイベントに全力投球できない訳があった。大学にとって極めて重要な書類の提出期限が迫っていたのである。そのため法王様の高野山ご滞在中も毎日長時間会議を開き、作業を続けなければならず、それとの関係で、胎蔵マンダラ灌頂はパスせざるを得なかった。

2011年には金剛界マンダラ灌頂を受けている。今度胎蔵マンダラ灌頂を受ければ、両部の灌頂を完了したことになるはずだった。残念ではあったが、仕方のない成り行きであった。期間中、大学の他の機能がほとんどストップしたために、むしろ作業が進んだ面がある。こういう形で法王様のお陰を被るのも何かの因縁と言えるかもしれない。



高野山大学の力

お迎えの準備1

2014年04月18日
どうも緊張感が足りない。こう思ったのは先々週のことだった。ナムギェル僧院の一行による砂マンダラの制作は進んでいる。それに合わせてスタッフは買い出しにかけずり回っている。準備は一見順調のようである。

2011年の時は、大阪舞洲アリーナでの講演会という、うちとしては未曾有のビッグイベントがあった。その後のダライ・ラマ法王の高野山ご滞在も3泊4日と長く、プログラムも「青年僧との対話集会」、「金剛界マンダラ灌頂」、「科学者との対話」、「密教学者との意見交換」と盛りだくさんだった。そのためその準備は並大抵のものではなかった。

それに比べて今回は妙に静かである。前回の経験が大きくものを言っているわけだが、こういう時こそ、どこかに落とし穴がないか、注意した方がいいのではないか。

こう思って、急遽、最後の打合せ会議を開いてもらった。
高野山大学の力

ダライ・ラマ法王による灌頂・講演会

2014年04月16日
昨日の講演会のもようが昨日のうちにYouTubeやTibetonline.TVで流れている。13日、14日の胎蔵灌頂の映像も同様である。これは前回同様、Tibetonlineのクルーの活躍によるもの。そのおかげで高野山大学での行事の一部始終やインタビューの映像が世界中で見られるようになっている。

ここ数日のことをゆっくり振り返りたいのだが、重大な校務がクライマックスを迎えているので、しばらくその余裕がない。
高野山大学の力

主役を待つばかり

2014年04月12日
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いよいよ明日からである。すっかり準備が整い主役を待つばかりとなった高野山大学松下講堂黎明館。
高野山大学の力

三花祭

2014年04月09日
昨日8日は我が国では、釈尊の誕生を祝う灌仏会(花祭)の日であった。

南方仏教圏やインド・ネパールでは、釈尊の誕生、成道(じょうどう=悟りを開く)、入滅(にゅうめつ=涅槃に入る)は、すべてヴァイシャーカ月(4月から5月)の満月の日の出来事であったとする伝承に基づいて、この日に祝祭を行っている。それは南方部教圏ではウェーサーカ(ウェサック)祭、インドやネパールではブッダジャヤンティーと呼ばれている。

河口慧海も、これに則って、誕生、成道、入滅の祝いを三花祭(みはなまつり)と称し、4月15日に行っていた。彼の「釈尊三花祭歌」には次のようにある。

 今日は四月の十五日  我等の慈父(ちち)なる釈迦仏(みほとけ)は
  この日に生れて同じ日に 成道入滅したまへり

 今日は四月の十五日  世界に輝く雪山(ヒマラヤ)の
   藍毘尼園(るんびにおん)なる無憂花(むゆうげ)に 仏は誕生したまへり

ちなみに、今年の4月15日(来週火曜日)には、高野山大学の黎明館でダライ・ラマ法王の記念講演がある。

研究ノート

フォーラム 堺学

2014年04月03日
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拙文を載せた『フォーラム 堺学』第20集(公益法人堺都市政策研究所)が届いた。題して「河口慧海を支えた人々―堺の篤志家・肥下徳十郎を中心に―」。これは、去年10月の府大Uホールでの講演録に、去年1月の堺市博物館での講演内容を加えたものである。メインはUホール講演だが、後半の内容は以前、『フォーラム 堺学』に載せたことと重複するので、代わりに博物館講演を入れたのである。博物館講演は肥下家資料の記念すべきお披露目で、自分としてもとても手応えがあったので、是非形に残したいと考えていた。

私は、以前に比べれば、ずっと丁寧に校正するようになったので、担当の齋藤さんには随分お手数をお掛けしたが、齋藤さんの的確な仕事ぶりに助けられて、気持ちよく仕事ができた。それにこの表紙は、何とまあ、清学院ではないか。清学院は、慧海の生まれた街である北旅籠町に残っていた山伏寺を堺市が修築して町屋博物館として再生したもの。明治の初めまで文字通りの寺子屋をやっていた関係で、中には小さい子供用の天神机やすり減った硯などが並べてあってなかなか楽しい。慧海も子供の頃、ここで学んだ。

それにしても、堺都市政策研究所にお世話になるのは、これで三度目である。堺に移り住んで10数年。私が、この町のために何かできるとすれば、それはやはり慧海さんを通じてのことである。だから、こうして使ってもらえるのはとてもありがたい。
研究ノート
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