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情報ダイエット

2014年03月23日
冬の間にうっかり太ってしまった。例年以上に座りっぱなしで運動不足になり、しかも食べることが唯一の楽しみという生活を続けた報いである。ダライ・ラマ法王の高野山法話までにしっかりダイエットしたい。

同じように深刻なのが情報太りである。まずいつのまにか広告メールが毎日大量に来るようになった。これは、例えばホテルの予約時にメルマガ配信のチェックを外すのを怠ったりしたことに起因する。メール好きの私もさすがに嫌になってきた。そこで最近は、そういうメールが来る度に配信停止の手続きをしている。これが功を奏して、近頃は大分すっきりしてきた。

より深刻なのは、ウェブ上のニュースや映像を見たり読んだりする癖がついてしまったことである。これはほとんど依存症に近い。ご存じの方も多いと思うが、ネットには、「表のメディア」とは相当違った論調があふれている。これは結構面白いのでついつい見てしまうが、ほどほどにしないと、自分で自分を洗脳してしまうことになりかねない。




ある大学教員の日常茶飯

昨日は卒業式

2014年03月16日
昨日3月15日は高野山大学の卒業式(学位授与式)であった。卒業、修了、みんなそれぞれにおめでとう、と申し上げたい。祝賀会を終えて部屋に戻ったら、酔いがいっぺんに回って、そのまま3時間近く眠ってしまった。

一昨日、Yさんが一年ぶりで高野山に来られたので、夕方滞在先のR院を訪ね、1時間半ほど歓談した。何時会ってもソフトで気持ちのいい人である。熱烈なファンが多いのもよく分かる。

院生諸君が「高野山大学院生会マガジンMIGO」なるものの発行を始めるという。その創刊準備号ができて、さっそく見せてもらった。AMIGOならぬMIGOは、「未悟」のことで、「イマダサトラズ」とも読ませるのだそうだ。ちょっと粗い紙質とシルクスクリーンの文字が独特の風合いを作りだしている。いいセンスである。中身はこれから拝見だが、院生会が自主的にこういうことをすることはとてもよいことだ。なるべく多くの院生を巻き込んだ動きにしてもらいたい。

高野山大学の力

東日本大震災から3年

2014年03月11日
3月6日にアメリカ議会上院の本会議場においてダライ・ラマ法王が祈りを捧げられた。
それを例えばヨミウリ・オンラインは次のように伝えている。

ダライ・ラマは、最も好きな言葉として、「宇宙や生きとし生けるものが存在する限り、私もとどまり、苦悩をなくす手助けをする」と述べた。

これは、古代インドの仏教詩人シャーンティデーヴァ(7-8世紀)の『入菩提論(にゅうぼだいぎょうろん)』の一節である。
東日本大震災が始まってからまる3年の今日、大乗仏教を学ぶ者が等しく胸に刻むに相応しい言葉だ。そう考えて、今日の通信制大学院生研究発表会の冒頭挨拶でも紹介した。より原文に即した訳を法王の著作『ダライ・ラマ 至高なる道』(谷口富士夫訳、春秋社、2001年)より引用しよう。

  虚空があるかぎり、
  また、衆生が存在するかぎり、
  私もこの世界にとどまって
  衆生の苦しみを除くことができますように。
ある大学教員の日常茶飯

モンユル・コリドール

2014年03月09日
午前中、「ジャマイカ」でコーヒーを飲んで眼を醒ましてから、コンビニでマイケル・アリスの本をコピーした。本は線を引いたり、余白にメモを書いたりしながら読みたいのだが、これは大学図書館の本なので、そうするわけにはゆかないのだ。

アリスはブータン仏教の研究で知られるイギリスのチベット学者。もう亡くなったが、アウンサンスーチー女史の夫だった。私は欧米の東洋学者の中ではイタリアのジュゼッペ・トゥッチを最も敬愛している。アリスはトゥッチのような天才肌の人物ではなかったかもしれないが、著作を読んでみると、手堅くて本当にいい学者だと思う。

これとの関連で、このところ毎日のように、グーグルアースでインドのアルナーチャル・プラデーシュ州の西北部を覗いている。専門家の間で「モンユル・コリドール(回廊)」と呼ばれている一帯だ。モンユル・コリドールは北のチベット高原と南のアッサム平原とを直接繋いでいる細長い土地である。

グーグルアースは最近精度が上がっていて、私の力では普通の地図からではとても読み取れないようなことをいろいろ教えてくれる。

例えば、タワン地区は、三方を渓谷に囲まれた、丸く盛り上がった台地で、何やら恐竜の卵のような形をしている。タワンから北の峠を越えて、おそろしく寒々とした高原を北へ北へと進んでゆくと中央チベット南部の拠点ツォナ・ゾンに至る。タワン川に沿って西に下れば、数日で東ブータンの要地タシガンに達する。逆に東に向かい、セラ峠を越えると、ディラン・ゾンがあり、さらに下れば、やがて道は亜熱帯の森林地帯に入る。その先にはアッサムの沃野が開けている。

タワンはまさに交通の要、戦略上の要地なのである。ここにメラ・ラマ・ロドゥー・ギャムツォが要塞のような大僧院を築いた理由もよく分かる気がする。





研究ノート

のほほんな日曜日

2014年03月03日
午前中、家の近くの喫茶店で『堺研究』への投稿のゲラを校正した。一段落して南図書館に行くと、高野山大学の4回生で、ここでアルバイトをしている○子さんが出てきて挨拶した。そういう話は前から聞いていたが、実際に会うのは今回が初めてである。そこで西原理恵子の本を紹介してあげた。素直な子で、早速借りていた。

ケヤキ書房(近所の本屋)に「永遠の0」のコーナーができていた。この種の本では、城山三郎の『指揮官たちの特攻』が気になっているのだが、なぜかまだ読んでいない。

百田尚樹の本では去年『黄金のバンタムを破った男』を読んだ。昔、田舎ではテレビのチャンネルが少なかったせいもあって、ボクシングの世界タイトルマッチはよく見ていた。もう見ないけれど、世界タイトル戦と聞けば、独特の感覚が今も蘇る。著者が再三強調する、世界チャンピオンが各階級に一人しかいなかった時代のことである。それにしても、「あしたのジョー」のホセ・メンドーサのモデルは、やっぱり「黄金のバンタム」ことエデル・ジョフレなのだろうか?そうだとすれば、矢吹丈のイメージの一部はファイティング原田が・・・

駅前の書店で辻原登著『許されざる者』(集英社文庫)を見つけて、思わず手に取った。むろん同名の映画とは無関係である。ジャンルが違うとはいえ、過去の有名な作品と同じタイトルをつけることは、どの程度許されるのだろうか、などと思いながらカバーの裏の説明を見てぎょっとした。

紀伊半島の熊野川河口の町、森宮。医者の槇隆光は「毒取ル先生」と呼ばれていた。ときは1903年…

森宮は「もりのみや」ではなく、「しんぐう」と読ませるんだろうね。

いったい誰がモデルでしょうか?

はい、ご名答。新宮の大石誠之助ですね。即購入した。

大石、いや槇はインドのボンベイ(現ムンバイ)大学に留学していたことがある。その帰途、カルカッタから日本人の青年が九人も乗り込んでくる。リーダーは群を抜く長身の美丈夫。みんな京都弁をしゃべっている。

はい、誰でしょうか?

答えは大谷光瑞。いや光瑞をモデルにした誰か。一瞬、知らなんだ、そんなことがあったとは!と思ったが、よく考えてみると、大石の帰国と第1次探検を終えた光瑞一行の帰国とは時期がずれていたような・・・まあ、その辺は小説のことで、はっきりとした意図があるのだろう。

先が楽しみだが、読みふけっている時間は今はない。



ある大学教員の日常茶飯
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