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ヴィクトリアン・レディートラベラー

2013年11月27日
2週間ちょっと前にメールが来た。

「お原稿の分量は90枚を予定しています。今月末までに確定よろしくね。ひゃっひゃ。かしこ」(取意)

無茶だ…

というわけで月末が近づき毎日が辛い。

その一方で、近頃イザベラ・バードに関する本に目を通している。もちろん、今さらこの著名なヴィクトリアン・レディートラベラーに手を出そうというのではない。今頭の中で進行中の次の研究計画の下ごしらえのひとつだ。これは資料が膨大で未知の領域が広いから、何年がかりかの大きな研究になる。何たってネタがすばらしい。料理の仕方によっては、何通りにも楽しめる。

そのうちに科研費を取るのもいい。その時にはあの人とあの人に是非入ってもらわねば。それからRAは彼と彼に頼んで…と、まあこんな具合に、頭の中でスケッチしては消しているような状態が一番楽しい。

現実には、今夜は早く帰って眠りたい。

ある大学教員の日常茶飯

晩秋の中之島

2013年11月24日
23日(土)朝から中之島の大阪府立図書館に調べ物に行ったが、あいにく休みであった。図書館が世間と同じに休んでいてどうする!がしかし、これはどうやら今この文化財の建物で進んでいる耐震補強工事と関係がありそうだと思い直す。
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*中之島図書館への道

ともかく、こんなことでくじけてはいられない。大阪は二重行政の本場である。府がだめでも市があるさ。地下鉄を乗り継いで西長堀の大阪市中央図書館に行った。

ここの3階で5時間以上も粘って、データベースから新聞記事の取得に努めた。
ある大学教員の日常茶飯

チベット学会大会終わる ダライ・ラマ法王との茶話会

2013年11月17日
明日からチベット学会大会が高野山大学で開かれる、という記事を書くつもりでいたのに、会場校の事務責任者として動き回り、個人的にも予期せぬハプニングに見舞われて、あたふたしているうちに大会は終わっていた。

いまさら言うのも何だが、私は学会というものはあまり好きではない。学会に出れば、どうしてもいろいろと刺激を受ける。その分終わってから忙しくなるので「迷惑」なのである。今回は途中で逃げ出すこともできず、最後まで付き合わざるを得なかったから、普通の学会の何倍も「迷惑」だった。
とにかく、今年は学会やシンポジウムなどのイベントですこぶる忙しかった。主なものを並べると、

2月 人文研研究班お四国合宿研究会 コーディネーター・コメンテーター
3月 ルチア・ドルチェ先生講演会 京都大学人文科学研究所・高野山大学 コーディネーター
5月 第二回中国密教国際学術研討会 中国紹興市 発表
7月 密教研究会学術大会 高野山大学 発表
9月 人文研国際シンポジウム 人文研 コーディネーター
10月 デューク大学学会 アメリカ合衆国ダーラム市 発表
11月 第61回日本チベット学会大会 高野山大学 会場校事務責任者

この間に大小の講演を5回、集中講義のようなものを1回こなしている。
自分でもよくやったと思う。今年残っているのは12月7日の講演のみだ。

翌18日(月)東京に出かけた。午後2時半から荻窪で融道元(とおる・どうげん)師のお孫さんたちにお会いしていろいろなことを教えていただいた。それから、早めに八丁堀のホテルにチェックインし、天然温泉に入ったりしてゆったり過ごした。

19日(火)午前中は麻布の外交史料館で調べものをした。勘が的中してとてもよい資料が手に入った。
午後は中央区のホテルの一室で開かれたダライ・ラマ法王との茶話会に参加した。この会は法王様と日本のチベット学者の対話を目的に企画されたものであった。法王様は相変わらずお元気そのもので、過密なスケジュールを精力的にこなしておられるようであった。
最後に部屋の出口まで皆でお見送りした時に、L代表が目ざとく私を見つけて「高野山大学の人です」と耳打ちしてくれたおかげで、法王様が振り返って念入りに握手してくださった。ちょっとしたご褒美をもらった気分だった。







フィールドワークの記録

村川さん来学

2013年11月11日
先週の月曜日の午前中、S西先生が来て、「君、川上さんって知ってる。今日はA先生に頼まれてグループを案内するんだけど、そのなかにその人がいて、君のことをよーく知っているらしいんやけど」
「え、川上さんですか?川上、川上…、どこの川上さんです?」
「知らんけど、山形、じゃないの?」

私は世間は決して広くないが、それなりに長く生きているから、そういう人にも会ったかもしれない。失礼があってはならないので、よくよく考えてみた。だがまったく心当たりがない。川上貞信の親族の熊本の川上さんなら知っているけれど、熊本の川上さんの方で私のことを「よーく知っている」とまでは言えないだろう。小中学校の同級生にも、高校の友だちにも、先生にも、川上という人はいない。
それっきりで、余り気にもとめずにいたら、午後になって、そのグループが私の部屋の前で立ち止まった気配がした。と思ったらドアが開いて、最初にS西先生、それからA先生が顔を出した。
「君、この人、知ってる?」
何だか妙な展開だなと思って立ち上がったら、あ、
川上さんじゃなくて、村川さんの一番上のお兄さんであった。

「同期生」のグループ旅行で、昨日は大阪に一泊し、今朝電車で高野山に来られたという。そこにかつての同僚のA先生が加わっていたのには驚いたが、村川さんに電車の中で話を聞いたA、S西両先生も驚いたらしい。「世の中はほんとに狭い」としきりに感嘆していた。その割に名前を取り違えたのがご愛嬌である。

詳述は控えるが、村川さんご一家には、幼児どころか、ほとんど嬰児の頃から、言い尽くせぬほどお世話になった。このブログは、村川さんの兄弟もたまに読んで下さっているらしい。照れくさいが、この機会に一言御礼を申し上げておきたい。

つたない身ではありますが、私の人間としての基本は、半分は両親からもらい、もう半分は村川家のみなさんからいただいたものです。宮町のあの家は今も目の中にあります。本当にありがとうございました。

グループはD院に一泊し、翌日山内を見学して御山を下りた。






ある大学教員の日常茶飯

今日この頃

2013年11月04日
10月26日(土)
文句をいう前にまず観てみよう。こう思って劇場に足を運んだ。リメイク版「許されざる者」である。周知のように、オリジナルはクリント・イーストウッド監督のUnforgivenである。前にも書いたことがあるが、この映画は世界映画史上に残る作品だ。
それが明治初期の北海道に舞台を移してリメイクされた。で、観た感想は、というと…………オリジナルの偉大さを再確認した。

10月28日(月)
大学に台湾からのお客さん。台湾大学の陳光華先生と西蓮浄苑のみなさん。陳先生はわれわれもお世話になっているCBETAの関係者だ。応接室で古文献の電子化の説明を受けた。高野山は「山の正倉院」と呼ばれる古文献の宝庫だ。そのことが最近とみに海外からも注目されている。宝の持ち腐れにならないように、まずわれわれが力を付ける必要がある。

10月30日(水)
これも宝の持ち腐れにならないように、というお話。ニンマ派の化身ラマ、ニチャン・リンポチェ師が2年ぶりで来学された。2年前よりお元気そうなで安心した。応接室での談話の後、第二書庫のニンマ派文献コレクションをお見せした。といってもこの資料は、昔ニチャン先生が高野山大学に勤めておられた時に苦心して集められたものだ。最近はチベット語資料がウェブ上でどんどん公開されるようになってきた。それでも、このコレクションは価値を失っていない。これも公開に向けて舵を切らなければならない。
その後、昼食をご一緒した。先生はカリンポンにお寺を持っている。その場所はカリンポンの東部だというので、ブータンハウスの辺りですか、と言うと、まさにその近くだという。私は10数年前、ダージリンからカリンポンに行き、ブータンハウスの写真を撮ろうとして、インド軍守備隊の兵士にえらく怒られ、ほうほうの体でダージリンまで逃げ帰ったことがある。その話を一席やって、ちょっと盛り上がった。ちなみに、カリンポンの宿はシルバーオークスがお勧めだ。

11月2日(土)
高野山大学の大学祭「曼荼羅祭」の初日。センスのいいポスターを含めて、うちの学生たちもなかなかやると思った。カラオケ大会にY先生が去年のディフェンディング・チャンピオンとして出場したが、惜しくも2位となり、来年のリベンジを誓っておられた。

11月3日(日)
パナンウェラ・ニャーナーランカーラ師がスリランカから私に本を買ってきてくれたので、伊丹のスリランカ寺までもらいにいった。大型本で値段が高いので、早く引き取る必要があった。梅田から三宮行きの阪急電車に乗り、途中塚口で伊丹線に乗り換える。久しぶりの訪問である。まずは仏壇のお釈迦様に手を合わせ、ニャーナさんにパーリ語のお経を唱えてもらう。そのあと本場のセイロン紅茶をいただきながら、しばし歓談。以前から疑問に思っていたことをいくつか教えてもらった。
本は、私の予測通りコロンボのゴールロードの書店で手に入ったというけれど、日本まで持ってくるには他人に頼んだりして結構手間がかかったらしい。申し訳ないことをした。本は、デュークの学会の折にジャフィ先生がほめていた通りのすてきなもので、とても役に立ちそうだ。

日本シリーズは東北楽天の優勝で幕を閉じた。ペナントレース中に応援していた訳ではないのだけれど、ここら辺りで東北を根拠地とするチームが優勝するのは悪くない。前夜160球投げた田中の気迫が勝ちを呼び込んだか。対する巨人は何だか淡泊だった。ラジオで聞いていて、日本シリーズの頃の仙台がえらく寒かったのを想い出した。
ある大学教員の日常茶飯

信貴山の絵馬

2013年11月01日
10月24日(木)
午後2時45分から大阪府立大学Uホールで予定通り講演をおこなった。堺都市政策研究所と府大のみなさんのお陰で、80分間、とても気持ちよく話をさせてもらったが、資料を用意しすぎて紹介しきれなくなるという悪い癖が出たのは反省材料であった。

この講演のため、その10日ほど前に信貴山に写真を撮りに行った。
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*奈良盆地を見下ろす信貴山朝護孫子寺。毘沙門天の信仰で知られている。奥の一段高いところにあるのが本堂。
仁王門から赤門に至る手前に納経所があって、その横が休憩所になっている。この休憩所の中にたくさんの古い絵馬が掲げられている。

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*毘沙門天の額の左右の絵馬にはムカデと虎が描かれている。ムカデは毘沙門天のお使い。虎は信貴山ゆかりの動物。中央下の五重塔は波銭で形作られている。

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その中に、慧海の父親の河口善吉(樽善)が明治15年11月に奉納した絵馬がある。虎に岩や笹竹をあしらった図で、虎は波銭でかたどられていたが、波銭は今は一枚もなく釘だけが残っている。虎は信貴山に縁の深い動物と考えられている。定治郎がまた寅年生まれだったから、この山との縁はことさら深く感じられたであろう。

右の縁には「願主樽善」、左の縁には「宿坊光明院」と墨書されている。光明院は今はない信貴山中の塔頭で、河口家の所縁坊であったと見られる。その場所は今の本坊のところであると、これは現在「信貴山縁起絵巻」尼公の巻が特別公開中の霊宝館の切符売りの女性に聞いた。それなりに心得のある人らしく、いろいろ詳しかった。画面の左上には、この写真ではよく見えないが、「細工人 堺釘力」と書いてある。これがこの絵馬を作った職人である。また右下の角に「河口姓子息連名」として、善吉の子どもである定治良(=定治郎=慧海)、梅吉、岩吉、善七、竹松、世以(せい)の名前が連記してある。

河口家は信貴山の毘沙門天への信仰が篤く、毎月25日には仕事を休んで一家で月参りをしていたと伝えられる。この絵馬はその証しである。仏道に志した定治郎が「禁食肉、禁酒、不淫」の三条の誓いを三年間守り通す願をかけたのも信貴山の毘沙門天であったことを考えれば、この地こそ河口慧海の仏道修行の出発点だったことになる。

私はこの絵馬の存在を青江舜二郎の『少年伝記文庫 河口慧海』に教えられて、10数年前に確認していたが、写真をちゃんと撮っていなかった。そこでこの機会に、と思い立ったのである。

ところで、信貴山には、そこらじゅうに大小の虎がいる。この山の縁起に加えて、金運を上昇させる縁起のいい動物として信仰されているためだ。

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*張り子の大虎。電動式で首が上下するはずだが、この時は止まっていた。

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*これは小虎。千両箱に片足をかけて、一丁前に吼えている。

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