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余韻にひたっている暇はない シンポジウム2日目 

2013年09月30日
22日(日)は9時に開始なので早出して、前日と同じようにバスで人文研に行った。3連休の中日で、「客足」が心配されたが、それなりに集まってくれた。この日の3つの講演についても詳しく紹介したいが、明後日からアメリカなのでゆっくり書いている暇がない。予めチラシ用に書いてもらった講演要旨をもって代えることをお許し願いたい。

ランジャナ・ムコパディヤーヤ先生(デリー大学東アジア研究科)「グローバル化の時代におけるエンゲイジド・ブッディズム(「社会参加仏教」)
 エンゲイジド・ブッディズムは、グローバル化が進行する中で、次第にその地域的・文化的な特殊性を超えて、世界平和、人権、環境など普遍的な課題を標榜するトランスナショナルな運動に発展しつつある。その様相を検討する。
コメンテーターは守屋友江先生(阪南大学国際コミュニケーション学部)

山下博司先生(東北大学大学院国際文化研究科)「グローバル化のなかのヒンドゥー教」
 インド人の国外進出は、労働移民の時代から近年のIT技師の流出まで、多様なフェイズを経てきた。移民活動には仏教も随伴する。タミル系ヒンドゥー寺院の世界展開を軸に、「ヒンドゥー教」の今を考える。
コメンテーターは田中雅一先生(人文研)。

川橋範子先生(名古屋工業大学大学院)「『フェミニズム』と『仏教』の接触-トランスナショナルナ視線」
 ジェンダーあるいはフェミニズムの視点と「女性の視点」は同義ではない。フェミニスト仏教が可能であるならばどのような形を取るのか。欧米はアジアの女性たちの取り組みを補助線に、想像を試みる。そのなかで、エンゲイジド・ブッディズムからジェンダーの視点が欠落する理不尽さについても、述べてみたい。
コメンテーターは同じく田中先生。

全日程が終了したのは4時頃だった。最後に私がまとめならぬ謝意を述べて締めくくりとした。ちょっとスリリングな出来事もあったが、全体的にはスムーズな運営ができたと思う。お世話になった方々、特に京大の事務スタッフには厚く御礼を申し上げたい。

翌23日午前10時、打合せのためランジャナさんのホテルを訪ね、2日前に約束した資料調査のため大谷大学図書館に向かう。調査には長時間を要したが、寛容な大谷大学図書館スタッフに助けられた。ランジャナさんとは地下鉄の中で別れ、堺の自宅に帰り着いたのは夜の10時過ぎであった。

さてさて、最初に書いたとおりで、今は専ら発表のための準備で忙しい。スーツケースが長年の酷使でいつのまにかひび割れていたので、昨日泉北の店を回って買い換えた。明日は少し静かにしていたいので、出発前はこれが最後のアップロードということにしたい。帰国は9日です。

研究ノート

シンポジウム初日

2013年09月27日
一昨日、高野山大学密教文化研究所主催の講演会でHUGハウスの堤澄子さんが講演された。もちろん宇根さんも一緒である。講題は「被災地におけるスピリチュアルケアの実際」。「沈黙」やアイコンタクトの実習も含めて2時間半近く熱弁を振るわれた。一年ぶりの再会で、その折の様子もスライドで見せてもらい、とても懐かしかった。今年はどうにも動きがとれないが、思いは被災地に残している。

さて、
21日(土)夜中に起きて陳継東さんの講演のコメントの予習をした。終わって電気を消すと、窓から月光が差し込んで、いい風情だった。
9時前にホテルを出た。ランジャナさんが泊まっているホテルの向かいの停留所から17番のバスに乗ると、京大まで直通である。今まではこれを知らずに、三条から京阪に乗ることばかりを考えていた。京都はバスを乗りこなして一人前であることを痛感する。

10時から旧研究班の会合があった。テーマは成果の出版をどうするか。2010年の7月から2年9ヶ月の研究期間に人文研からは少なくない予算をいただいた。これを成果に換えてお返ししなければ格好がつかない。今回のシンポジウムはその一環だし、出版はその一応の締めくくりだ。何だかんだで出席者は少なかったが、方向性は見えてきた。

11時半すぎになると高野山大学から助っ人の院生二人が到着し、さっそく撮影の準備にかかる。なかなか頼りになる。ちなみに事務方との細々した交渉や手続き、さらに懇親会場の押さえに当たってくれたのは、京大の院生のK本さんである。彼女がいなければ準備の手間は何倍にもなっただろう。

午後1時半、いよいよシンポジウム開始である。最初に私が趣旨説明と称して思いの丈を述べた。次いでトップバッターの陳継東先生(青山学院大学国際政治経済学部)の講演が始まる。講題は「釈迦の原典を探す―近代仏教学の形成と日中仏教者の交流」である。陳さんは、近代中国の仏教者の研究でとてもよい成果を上げてきた。日中の仏教者の交流にもとても詳しい。今回はその十八番(おはこ)の部分をたっぷり聞かせてくれて、とてもおもしろく参考になった。コメンテーターは私が務めた。

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*シンポジウムの一場面

続いて、4時からミシェル・モール先生(ハワイ大学マノア校宗教学科)による「ユニテリアンと日本仏教の接触-明治・大正時代に於ける普遍的真理の摸索とその挫折より学べるもの」があった。モールさんはジュネーブ生まれのスイス人。日本滞在が留学時代から数えて19年に及ぶという。ヨーロッパ、日本、アメリカで学び教えるという経歴の持ち主だ。講演は、アメリカン・ユニテリアン協会の日本での活動を特に仏教との接触を軸に論じたもので、戦後の日本までを見据えた刺激的なものだった。コメンテーターは吉永進一先生(舞鶴高専)にお願いした。

黄檗文華研究所の田中先生、「アジアの会」のH島さんらも聞きにきてくださり、とてもありがたかった。

1日目は予定の6時頃終了し、それから百万遍交差点近くの「門」で懇親会を行った。気持ちよく酔い、しゃべり、悪酔いしないうちにお開きになってホテルに戻ったので、私としては上出来だった。






研究ノート

シンポジウム前日

2013年09月24日
とにかく、まあ、今年最大のイベントが無事に終わった。これから12月までは、デュークの学会も含めて、楽しむことだけを考えたいものだ。

20日、泉北高島屋で手土産を買い、11時前の電車で京都に向かう。まず河原町三条のホテルにランジャナさんを迎えに行った。彼女とは、2011年の秋にゲストスピーカーとして研究会に来てもらって以来である。

上天気で日差しが強い。「今の季節はデリーより暑い」というのが彼女の感想だった。

京阪で出町柳まで行き、そこから歩いて人文研に向かう。
約束の13時45分に人文研に着くと、モールさんがすでにロビーで待っていた。本当に律儀でまじめな人である。さっそく会場の1階セミナー室でPCの接続試験を行う。その合間に私は人文研の事務へ挨拶に行った。それから文化系の合同事務室に行って二人の手続きを済ませる。

その後、京大構内の喫茶店でしばらく休憩してから、ランジャナさんと三条まで戻った。私の今回の宿はコープ・イン京都。チェックインし、シャワーを浴びて休憩した後、7時に再び落ち合ってランジャナさんと夕食を取った。




研究ノート

明日から人文研国際シンポジウムウィーク!!

2013年09月20日
いよいよ明日から人文研国際シンポジウムウィークが始まる。準備は99%終わっているから、あとは来場者を待つだけだ。

明日20日はランジャナさんを三条のホテルに迎えに行って人文研に案内し、そこでモールさんと合流して、打合せ、事務手続き、会場の確認などを行う。

明後日21日からが本番だ。

午前中は旧研究班員だけの打合せ会議で、研究成果の刊行などの方針が話し合わせる。

午後1時30分からシンポジウムが始まる。柱となっている5つの講演と講師を繰り返し紹介する。

9月21日(土)13:30~18:00
陳 継東(青山学院大学教授)「釈迦の原典を探す―近代仏教学の形成と日中仏教者の交流」
ミシェル・モール(ハワイ大学准教授)「ユニテリアンと日本仏教の接触―明治・大正時代に於ける普遍的真理の摸索とその挫折より学べるもの」

9月22日(日)9:00~16:00
ランジャナ・ムコパディヤーヤ(デリー大学准教授)「グローバル化の時代におけるエンゲイジド・ブッディズム(「社会参加仏教」)」
山下博司(東北大学教授)「グローバル化のなかのヒンドゥー教」
川橋範子(名古屋工業大学准教授)「『フェミニズム』と『仏教』の接触―トランスナショナルな視線」

ちょっと覗いてやろうという人は、人文研玄関の解錠時間にご注意!というのも土日は基本的に休みのため、警備上の理由から、解錠時間が決められているのである。すなわち、

21日は12:30~14:00(シンポジウムは13:30開始)
22日は8:00~9:30(午前の部は9:00開始)、13:00~14:30(午後の部は14:00開始)

です。それでは宜しくお願いします。





ある大学教員の日常茶飯

デッドライン

2013年09月16日
台風18号は各地に甚大な被害をもたらして消え、今日は一転して爽やかな秋空である。それにしても年々自然災害の規模が大きくなっている気がする。

昨日の朝、豪雨を突いて研究室に入った。デューク学会の原稿提出のデッドラインは15日である。といってもこれは向こうの時間で、時差が13時間あるから、日本時間の16日午後1時までは15日である。もちろん夜中にチェックしている訳でもなかろうから、神経質にならなくていいのだが、けじめとして締め切りは守りたかった。

曼荼羅荘は朝から停電だった。大学もこうだったらPCが動かない。事なきを得たが、ちょっとひやりとした。頻りに山内放送が流れるが、雨の音でほとんど聞き取れない。後で知ったのは、ケーブルカーが浸水のために不通になったこと、塔頭寺院のいくつかが床下浸水したこと、図書館の地下室に水が流れ込んだこと、下流で道路に冠水があることなどである。
高野山はもともと水量の豊富なところである。そこに大雨が降って排水能力を超え、小さな洪水が起こったのだ。山上で洪水というのも変な話だが、何十年に一度は起こることらしい。

デュークのK准教授に原稿を送ったのは午後1時過ぎだった。その頃には雨も止み、雲間から青空が覗き始めていた。夜になって(向こうは朝になって)K女史から受け取りの連絡が入った。それから参加者全員向けのメールが届いた。「まだ提出していない人は19日までに必ず出して下さい。困るから」
まあ、こんなものである。

ドロップボックスにアップロードされたJ氏の原稿に目を通して、急激にやる気が湧いてきた。
ある大学教員の日常茶飯

河口慧海の歌碑

2013年09月14日
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河口慧海の歌碑が宇治の黄檗山万福寺の境内に建立された。

万福寺文華殿の田中先生から、礼状、歌碑説明文、募財芳名一覧、記念品の色紙・絵はがきがまとめて送られてきた。
御影石の碑には次の歌が刻まれている。慧海の自筆だ。

「ゆきの原雪をしとねのゆきまくら雪をくらひつゆきになやめる」

最後の「ゆきになやめる」は「雪に悩む」と「行き悩む」を掛けている。この歌は『チベット旅行記』の第43回に出てくる。もとは『河口慧海日記』(講談社学術文庫)の1900年9月30日の条の欄外に書きとめられた歌である。この時慧海は、西チベットの原野で命の危険にさらされていた。あてにしていた遊牧民村がすでに引き払われていて食が得られなかった上、山羊が背負っていた荷物をいつのまにか落としたため敷物、靴、薬品などを失ったのである。そのため野宿し、「雪大いに降りて厳寒はなはだしくして眠ること能はず。加ふるに依雪眼病(雪眼)のために眼の痛み強くして通夜困難せり」という有様だった。

こんな時によく…、と思うが、こんな時だからこそ、自らを慰め励ますために、こういうどことなくおかしみのある歌を詠む、というのが正しいのだろう。このどんな時も余裕を失わない態度こそ彼の真骨頂だ。

この碑の側面には、タ・タイチョーがトルボのスムド・ゴンパでもらったというマニ石がはめこまれている。チベット文字で観音の六字真言「オン、マニペーメ、フーン」が刻まれた石だ。

慧海の顕彰碑は、カトマンズのボードナート、ラサのセラ寺、世田谷の九品仏浄真寺、同じく世田谷の旧宅跡にあるが、今回のは、彼の出身教団である黄檗宗の大本山に建てられたところに大きな意義がある。アメリカから戻ったら一度訪ねようと思う。
研究ノート

潮目が変わる

2013年09月12日
昨日、私にとっては大きな懸案事項に二つ取り組んで、まだ完全解決はしていないが、昨日の夕方を境に潮目が変わったのを感じる。
脳みそに他のことを考える余裕ができた。余裕ができた途端に、棚上げしていたことを思いだし、今朝からそのことで動いている。11月のチベット学会関連のことだ。

21日、22日のシンポジウムの準備はほとんど出来ている。数日前にハワイ大学のモールさんから、シンポジウムでの服装の打診があった。モールさんは日本暮らしが長かったから、日本の学者がフォーマルな席になるとサラリーマンのような格好になることはよくご存じだ。だがそれを持ってゆこうとすると荷物が大きくなるというのである。

「アロハシャツでも何でもお好きなものを着てください」と返事した。

デューク大学での発表を準備している過程で、頭がすっかりスリランカになってしまった。近頃忙しくて堺の家には半月も帰れず、食事はコンビニが頼りという生活を送っている。そのせいか、思い浮かぶのは↓のようなものばかり。


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こちらコロンボのウィドヨーダヤ・ピリウェナという有名な仏教学校の食堂のご飯。調査に行ったら、食べてゆけ、というわけで、坊さんたちといっしょにいただいた。

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これはゴールに行く途中で寄った街道沿いのセルフサービスの食堂でのランチ。白飯と赤飯と豆などを盛り合わせてみた。
ある大学教員の日常茶飯

仕事も一段落

2013年09月08日
ひょっとして、マドリード?

と思いながら寝て起きたら、東京、になっていた。まずはめでたい、と言っておこう。7年後だから、まあ、1種目ぐらいは生で見たいものだ。

イスタンブールは残念だったが、そのうち必ず出番が回ってくる。イスタンブールにはオリンピックで町が変わってしまう前に、行きたいと思っている。

宮﨑監督にはあと2作は作ってもらいたいと思っていたから、今回の長編アニメの制作からの隠退は残念な気がするが、理由を聞いて、なるほどと思った。同じクオリティーで作ろうと思ったら、若いときの何倍も時間がかかる。その時間がもうないのだ。

さきほど原稿を書き上げて次の行程に送った。気が緩んで眠くなってきた。

この原稿を書くのに必要があって、書きためてまだ活字にしていない別の原稿を見ていたら、これがなかなかよく書けている。はやくまとめて日の目を見せてやらねばのう。

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*食べかけをお見せして申し訳ないが、セイロン島南部アハンガマのウィドヤーチャンドラ・ピリウェナという仏教学校に泊まった時、朝食にキリバットを出してくれた。赤米を炊いて菱形に切ったもので、お祝いごとに用いる。日本でいうと赤飯だが、これは地の色らしい。これは私のためにわざわざ作ってくれたもので、とても恐縮した。キリバット、おいしゅうございました。










ある大学教員の日常茶飯

幸せなことに

2013年09月05日
雨がたくさん降って、御山は涼しさを通り越してちょっと寒くなった。

このところ食べることと眠ることだけが楽しみである。
残りの時間のほとんどはPCに向かって原稿を書いている。

天の声「幸せなことじゃないか」

おっしゃる通り。この境遇に感謝しなければならぬ。これまた幸せなことに、体力だけは人一倍ある。それはウチの娘たちにも遺伝しているはずなので、しっかりやってもらいたい。

最近、スリランカの南部に住むDr.Jと頻繁にメールのやり取りをしている。共通の話題があるからだが、やり取りをするうちにまたスリランカに行きたくなってきた。チベットとはまた違う熱帯のよさがある。

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*この前写真を出した珊瑚のかけらを拾った海岸。明治のセイロン留学生たちも時々この海岸に気晴らしに来たようだ。


ある大学教員の日常茶飯

必死の集中

2013年09月02日
9月2日(月) 明け方から雷を伴った激しい雨が降った。

昨日は集中して1本終わらせた。前回の「調子が出ないときには」では、何だかだとバカなことを書いたが、考えてみれば、あれはまだまだ甘いのである。本当に追い詰められたら、あんな悠長なことはしたくてもできなくなる。というわけで、必死の集中で、とにかく終わらせた。Done is better than perfect. 完璧を目指すよりまず終わらせろ。Facebookの社是らしい。

今日は朝からよい集中ができた。午後は昼飯を食べたあと少しだれたが、それは人間の自然だから仕方がない。残された時間は僅かだが、よい集中でいい仕事がしたい。



ある大学教員の日常茶飯
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