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調子が出ないときには

2013年08月30日
調子が出ないときには、お茶を飲む、コーヒーを飲む、ヒゲを剃る、トイレに行く、メガネを拭く、音楽を聴く、映像を見る、メールをチェックする、ネットニュースを見る、頭をかく、鼻をすする、耳をほじる、廊下を用もないのに歩いてみる、かけなくてもいい電話をかける、打たなくてもいいメールを打つ、またメールをチェックする、掃除なんかする、よせばいいのに他の研究室に行って話し込む、事務室に郵便物を取りに行く、構内を歩き回る、何か食べる、関係のない本を読み始める、また郵便物が来ていないか見に行く、目薬をさす、鼻の横に軟膏を塗る、またお茶を飲む、またまたメールをチェックする、古い雑誌をめくる、独り言を言う、はははと笑ってみる、くしゃみをする、ブログを更新する気になる、誰もいないのを見計らって大声で叫んでみる、いいかげんにくたびれる、コロンボの海岸で拾った珊瑚のかけらをめでる、やっと落ち着いて原稿を書く気になる。

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*私にとってはお宝。
ある大学教員の日常茶飯

清々しい一日

2013年08月27日
冷たい雨が降って、季節の輪を先に回したようだ。昨日は半袖では涼しさを通り越して肌寒かった。今日はからっと晴れて、清々しい一日だった。夕方、密教文化研究所の軒下を燕たちが盛んに飛び交っていた。夜に入って気温が下がっている。今夜は毛布を出した方がいいかもしれない。

一昨日の晩は、どうせ早く帰っても「半沢尚樹」を見ちまうだけなので意識して遅めに帰宅したが、昨日は10時前に曼荼羅荘に帰って、NHKの「プロフェッショナル」で「風立ちぬ」のmakingを視た。見終わって思った。

「俺はまだ自分の追い詰め方が足りない」




ある大学教員の日常茶飯

新版 高野山大学学報

2013年08月24日
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高野山大学の学報が面目を一新した。名付けて『Mahā Vairocana(マハーヴァイローチャナ=大日)』。フリーペーパーのような味わいで、いろいろな「顔」が見える構成になっている。

この記念すべき第1号の特集「道を歩む僧侶たち」には長谷川祐龍師と神田英昭師が取り上げられている。ふん、ふん、なるほど、そうか、そうか・・・

一昨日午後3時から通信制大学院生の修士論文口述試問に副査として出席したが、暑さと乾きと心労でしんどい思いをした。水分補給は高野山でも大切だ。

夜、アルコールフリーのビールテイスト飲料を試飲した。随分おいしくなったものだ。おかげで脳がビールと錯覚してちょっと酔ったような気分になる。

夏の終わりで内臓への疲労の蓄積が自覚される。
高野山大学の力

高野山動物記

2013年08月22日
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研究棟の廊下を歩いていて、なにげなく窓から裏の崖を見たら、真っ昼間からカモシカがいるではないか。部屋からスマホを取ってきて、カモシカ正面の窓を開けて撮影したが、ちっとも逃げないので、この写真のようにしばらく見つめあう結果となった。

午後11時頃、シャワーを浴びて、さあ寝ようという段になって、デリーのランジャナ・ムコパディヤーヤさんから来月のシンポジウムに関するメールが入る。インドと日本の時差は3時間半だから、向こうはまだ7時半だ。即答した方がいい内容だったので、すぐに着替えて研究室に戻った。込み入ったメールはスマホでは打てない。

いくつか調べて返事を送った後、すっかり眠くなって曼荼羅荘への坂を上ってゆくと、前方の暗がりに犬のような動物がいて、一声「ギャア」と鳴いて走り去ってゆく。犬にしては膨らんだ尾っぽが不釣り合いに大きい。夕方、院生の小田君から、文化通りの辺りには狐が出ますよ、と聞いたばかりだった。

なるほど。狸じゃなくて狐であるところが、ひとつ山深い感じがしていいじゃないか。
これが熊だったり、猪だったりしたら怖いが。



ある大学教員の日常茶飯

仏教を歩く 大谷光瑞・河口慧海

2013年08月19日
先週末、家に大切なお客さんがあった。そのための大掃除で、私は襖4枚の張り替えを担当したが、あまりの暑さに2枚でダウン。まあ、何とか乗り切った。

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週刊朝日百科「仏教を歩く」の改訂版が出ている。日本仏教の名僧たちを柱にしたシリーズで、初版から好企画であった。今日届いたのは№28「大谷光瑞 河口慧海」(定価580円)。15年ほど前であれば、いったい誰がこの二人の組み合わせで一冊などと考えついたであろうか。

というわけで、河口慧海は私の担当。旧版(2004年5月)が出た直後に慧海の探検日記が発見され(2004年秋)、さらに肥下徳十郎宛の手紙も発見された(2012年)。そこで改訂版では、日記に基づいて越境ルートを描き改め、さらに文章にも徳十郎たち後援者に関する記載を入れてもらった。ビジュアルでなかなか楽しい仕上がりになっている。


研究ノート

15日を過ぎて、秋。

2013年08月16日
高野山もそれなりに暑いが、15日を過ぎて秋の気配が濃厚に感じられる。アキアカネが群れをなして飛び交っている。

映画「風立ちぬ」の最初の方で、二郎が菜穂子たちを助けたあと、本郷の東大キャンパスに行って本庄に会う場面がある。

誰もあまり注目しないと思うが、そこに本が山積みになっている。東大は関東大震災による火災で大きな被害を受け、多くの貴重資料が失われた。しかしこうして助けられたものもある。その中には河口慧海と高楠順次郎がカトマンズ盆地で収集した梵語仏典写本500数十部も含まれている。

このコレクションは梵文学研究室に保管されていた。それを助けたのは、数人の一高生だと言われている。彼らは地震直後にドアを破って中に入り、梵文学・宗教学・印度哲学の各研究室にあった書物を手当たり次第に窓から外に放り出した。この活躍のおかげで世界有数のコレクションのほとんどが救われたという訳である。

大学の火事というのはそんなのものか程度で見過ごしてしまいそうな場面だが、ここにも綿密な取材が活きていると言えるだろう。



ある大学教員の日常茶飯

風立ちぬ

2013年08月13日
お盆週間に入り、つかのまの休戦を楽しんでいる。

一昨日「風立ちぬ」を見に行った。開演は午後1時。車で行くのも暑そうなので、泉ヶ丘から1駅離れた「クロスモール」のTOHOシネマズまで、わざわざ電車とバスを乗り継いで行った。

126分があっという間だった。

風、雨、光、雲などの描写はジブリが十八番とするもので、もちろんすばらしかったが、今回はさらに、ゆるやかな空気の流れといったものまで感じさせようという表現に驚いた。

丹念に描かれる戦前の日本の風物も印象的だ。

宮﨑駿氏は今年72歳というから、大正から昭和初期はご本人も直接には知らない「父親の時代」だ。それを一技術者の人生を通して再現する。その根底には、その時代の空気を肌で感じてみたいという願望があるのだろう。

この映画には賛否両論があるらしいけれど、私は宮﨑さんには何の文句もない。今回もとてもいい時間をありがとうと言いたい。

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*本文とは何の関係もありませんが、スリランカのコロンボにあるフォート駅の時刻表示板。
ああ、列車に乗ってどこかへ行きたい。



ある大学教員の日常茶飯

K-GURS院生発表会と藤本さんの力作

2013年08月07日
先週の火曜日(7月30日)は、龍谷大学大宮学舎でK-GURSの大学院生発表会が開かれた。これに先だって、地下鉄丸太町駅の出口近くでアクティブKeiさんから出来立てのシンポジウムのチラシ100枚を受け取り、評議員会と発表会で撒かせてもらった。人文研のシンポジウムはK-GURSとは直接関係がないから、事務局の特別な取り計らいを得た訳で、恐縮この上なかった。

もっとも、ミシェル・モールさんは京都で長く勉強した人だからK-GURS関係者の中にも知り合いは多いのである。

さて、院生発表会では、今年も若手の意欲的な発表が行われた。今回の高野山大学大学院からの発表者は、この春密教文化研究所の受託研究員になった池田英司君である。テーマは、彼が長年取り組んできたインド密教の成就法であるが、専攻を異にする人にも分かるように語ってもらいたいという事務局からの要望を受けて、福神としての大黒天に言及するなど、彼なりの工夫が見られた点を評価したい。

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角川書店が出している『怪』は「世界で唯一の妖怪マガジン」と銘打たれたすごい雑誌だ。どのくらいすごいかというと、あの水木しげる先生が編集後記を担当しているくらいすごい雑誌なのである。その39号に見開き2ページの短い文章を書かせてもらった。題して「河口慧海 漂泊の思いに動かされた人」。「旅人 『怪異』を目撃し、伝承する人々」という特集の中のさらに「〝怪〟的旅人五傑!」の中に、木喰、菅江真澄、井上井月、山下清と並んでの登場だ。口絵には東北大学大学院が所蔵する河口コレクションの中から選ばれたタンカやツァツァや護符の写真が載っている。

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*ヒマラヤの娘の木版画をあしらった『山岳』Vol.108の表紙。

忘れてならないことがもう一つある。藤本慶光さんがついに「河口慧海勧請書」(東洋大学図書館蔵)の研究をまとめ、「河口慧海を支えた財界人とその時代」として日本山岳会の年報『山岳』Vol.108に発表したことである。「河口慧海勧請書」と呼ばれるのは、慧海が財界人井上公二に宛てた大正8年7月26日付けの手紙である。その中で慧海は、井上を始めとする財界人たちの資金援助を得て行っていたチベット語教授の成果として、初めて5人の卒業生を得たことなどを報告し、寄付金の収支を明らかにし、今後の経典翻訳計画へのさらなる後援を依頼している。「チベット後」の慧海が、自らが収集した貴重資料を基に何をどのように進めていたかを具体的に明らかにする貴重資料である。

藤本さんを「勧請書」研究に駆り立てたのは、最初の5人の中に藤本さんのお父上、藤本真光師が含まれていたことだったと思う。しかし、できあがった論文は、そうした個人的な想いを超えて、チベット語経典の翻訳などという「一文の得」にもならないような事業にも支援の手を差し伸べていた当時の財界人ネットワークの存在を照らし出すものとなっている。(その中には高橋義雄も入っている。梅ちゃん、これは事件だ!)

忙しい生活の合間をぬうようにして進められた研究には時間がかかった。その完成をお慶び申し上げたい。というのも今から10年ほど前、最初に藤本さんに出会った直後に「勧請書」を紹介したのは私だったからである。


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