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所感

2013年04月30日
10時間以上、布団の中にいた。先週引いた風邪が抜けきらないまま、学生2人を連れて田辺の南方熊楠顕彰館に出かけ、シンポジウムと学術部会議に参加。昨日は南方熊楠記念館に案内した後、大阪に出る2人と田辺駅前で別れた。午後2時には大学に戻ったが、疲労感が強く、何もできなかった。

真夜中から夜明けにかけて頻々と目が覚めた。やたらに喉が渇く。7時近くになって思い切って起きて、研究室に入った。

人間は、休息して心身の疲れをある程度癒したら、つらくてもまた立ち上がり、前を見て、今なすべきことをなさなければならないのだ。
ある大学教員の日常茶飯

ボストン美術館 日本美術の至宝展

2013年04月21日
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*会場の入口では曽我蕭白の龍がお出迎え。

土曜日、大阪市立美術館に「ボストン美術館 日本美術の至宝」展を見に行った。
会期は6月16日までで、まだ大分余裕があったが、こういうのは思い立ったらすぐに行かないと結局見逃してしまう。
蕭白や若冲もそれはよかったが、一番気合いを入れて見たのは、「吉備大臣入唐絵巻」と「平治物語絵巻」の「三条殿夜討巻」であった。特に後者は、ついに本物を見ることができたという感激があった。

ある大学教員の日常茶飯

ことしゃ学会の当たり年

2013年04月19日
高野は今桜が見頃である。一昨日、夜桜をめでながら散歩していると、すれ違う人はみんな外人観光客だった。

ところで、

ことしゃ学会の当たり年~、トテチン・・・

6月27日~30日 中国密教国際シンポジウム(中国紹興市、発表)
7月12日~13日 密教研究会学術大会(高野山、発表)
9月21日~22日 人文研共同研究旧奥山班国際シンポジウム(京都、世話人)
10月4日~5日 デューク大学国際学術大会(米国ノースキャロライナ州ダーラム、発表)
11月16日~17日 日本西蔵学会学術大会(高野山、下働き)

考えただけでゲップが出そうになるので、今日は早めに山を下りて休むことにする。

研究ノート

コンタクト・ゾーンの人文学4

2013年04月16日
土曜日、京都に出かけたが、早朝の地震のために鉄道のダイヤが乱れ、1.5倍ほど時間がかかった。

日曜日、所用で山形の実家に帰り1泊。昨日兄の運転で町に出た。青空をバックにした朝日連峰、月山、葉山の白い、たおやかな峰々が目にしみた。自分はこういう風景を見ながら18歳まで暮らしていたのだ、と改めて思った。

柄にもなく、庭の雪囲いを解く作業をしたので、節々が軽く痛い。

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こんな本が出た。田中雅一・奥山直司編『コンタクト・ゾーンの人文学』4:Postcolonial/ポストコロニアル、晃洋書房、である。本書は、4巻シリーズの4巻目。全体のテーマ、すなわち、コンタクト・ゾーン(複数文化接触領域)という概念を導きの糸にした新しい人文学の可能性の探究は、田中先生を中心とした研究者たちの野心的な挑戦である。

今回私が共編者になったのは、ひとえに田中先生のご配慮による。
ある大学教員の日常茶飯

花に雪

2013年04月11日
桜がほころびかけていると思ったら、昨夜から雪が降った。今朝はちらつく程度だが、昨日の夜はかなりの勢いだった。高野の桜もさすがに驚いていることだろう。

桜に雪。何ともすさまじい風情である。

先週から今週にかけて、またまたいろいろな連絡で忙しかった。ひとつは6月に中国浙江省の紹興で開かれる中国密教国際シンポジウムである。忙しさから、先月20日の参加申し込み期限を何となくスルーしていたのだが、せっかくだからと思い直して連絡したら、発表OKとなってしまった。

思い直したのは、会場のある紹興市が天台山に近いことに気づいたからだ。後でもらった招待状にも、天台山の見学の日程が組まれているではないか。

私は中国は結構行っているが、もっぱら青海やチベットなど辺境回りである。行くべき所には、できるだけ行っておきたい。
発表のトピックは、あれです、あれ。でも、その原稿提出が5月10日締め切りなので結構忙しい。それから9月に・・・シンポジウムがあり、10月に・・・学会がある。この3つだけでも今年のスケジュールは相当埋まってしまう。


ある大学教員の日常茶飯

新年度

2013年04月05日
高野山大学は昨日が入学式だった。新年度がいよいよ始動した。

午後には大学院通信教育課程のオリエンテーションがあった。そのあと御山を下り、淀屋橋の大阪倶楽部で木曜会に出席した。木曜会はもう50年も続いている大阪の名士の集まりである。私は、この会のK林さんのお誘いを受けて、これまでに2回お話させていただき、昨日が3回目だった。トピックは「河口慧海と肥下徳十郎」。1月の堺市博物館での講演をそっくり持って行ったようなもので、この講演に出席されたK林さんが、木曜会でもしゃべるようにとご下命下さったのが今度の会であった。一時間ばかりお話させてもらった後、出席の方々からいろいろな意見や質問が出て、とてもためになった。私にとっては、ありがたい人間関係の一つである。

話かわって、

去年の10月、流通ジャーナリストの金子哲雄さんが41歳の若さで亡くなった時には、教職員の間からも悼む声が聞かれた。金子さんは、高野山大学大学院通信教育課程の大学院生でもあった。つまり私たちの大切な学生でもあったのである。
このことは個人情報であるために、外に向かって言う者は誰もいなかったが、金子さんの遺著『僕の死に方 エンディングダイアリー500日』(小学館)の最終章に金子さん自身がはっきり書いているのを見つけたので、安んじてここに紹介したい。

金子さんは書いている。

「夏に願書を出し、入学したのが2011年9月。面接試験や論文も、あの状態でよく受かったものだと思う。
 生きるか死ぬかについて真剣に学びたかった。正しい死に方を勉強したかった。でも実際は、日々の仕事のスケジュールをこなすのに精一杯で、勉強どころではなかったのだけれど。
 それでも、妻とふたりで高野山を訪れた際には、久々にいい緊張感を味わった。(中略)ああ、この森の中で勉強するんだ。そう思うと、いつものハイテンションにはならずに、むしろ、充足した落ち着きを覚えた」(140頁)

この春もたくさんの方々が、高野山大学大学院通信教育課程に入学された。さまざまな思いを胸に抱いてのことと思われる。受け入れた側としては、ゆめゆめ粗略には扱えない。金子さんの本はそのことを改めて教えてくれる。ここに書いたのも自戒のためである。





高野山大学の力
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