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資料熟覧

2013年03月29日
昨日の午後1時半に堺市博物館に行き、河口慧海関係の新出資料を熟覧させてもらった。
今年1月に発表された例の資料である。それを所有者に返却する期限が今月末に迫っていた。

最初は、消印のほか2,3ヵ所を確認するだけで十分だから、2時間もあれば足りると思っていた。ところが、いざ現物を目の前にすると、やはり本文のすべてを用意の翻刻文と一応つきあわせてみようという気になった。
結局終わった時には4時半を回っていたから、3時間以上も見ていたことになる。しかし疲れはちっとも感じなかった。

やはり本物と写真は違う。

おかげで何カ所も修正することができた。その中には、こういう機会がなかったら、おそらくは一生気づかなかった点もいくつか含まれている。ああ、あぶなかった。

それにしても、墨と和紙の文房具としてすぐれていることよ。封筒こそ古ぼけているが、手紙そのものは、最近書かれたかと思うほど、みずみずしさを保っている。もっとも、慧海の書簡は最も古いものでも明治25年だから、このくらいで驚いてちゃいけない、わけだ。

ちなみに私は、毎年1度は授業の中で学生諸君に、高野山大学図書館が所蔵するデルゲ版チベット大蔵経を見てもらうことにしている。見てもらうだけでなく、できるだけ触ってもらうことにしている。人類文化へのチベット人の偉大な貢献を、東チベットで漉かれたごわごわした紙の触感を通じて記憶してもらいたいと願うからだ。これまた本物があるからできることである。

文化財課のN村さんから、慧海資料が紹介された『歴史読本』と『Brutus』と『トイロカルチャー』(自然総研発行)をいただいた。『Brutus』では「あの人が、旅路の果てに見た理想郷」という特集の中に、「ポール・ボウルズのタンジール」、「ゲーテのナポリ」、「田中一村の奄美大島」、「ウォルター・ウェストンの北アルプス」などと並んで、「河口慧海のラサ」がある。ライターが書いた記事で、切り口が面白い。

研究ノート

ドルチェさんからのメール

2013年03月27日
ドルチェさんに礼状をメールで出したら、すぐに返事が返ってきた。しかも新しいメールと古いメールが一緒になっている。古い方は、奈良を経て京都に戻った後で書かれたもので、Wi-Fiの不調かなにかで、送ったはずが、こちらに届かなかったものだ。ドルチェさんは、私のメールを読んでこのことに気づき、新しいメールに添付したというわけだ。

ロンドンは今、季節外れの大寒波で凍るような寒さらしい。その中で、日本訪問のせいでほったらかしにしていた仕事の処理に追われながら、高野山での日々を懐かしく想いだしているという。

大事なことは、ドルチェさんが、SOASと高野山大学の交流が進み、近い将来、ワークショップか学術大会が共同開催できれば素敵ね、と書いている点だ。もとよりわれわれに異議のあろうはずがない。

メールは次のように結んであった。

高野山にも春が巡ってきているのでしょうね。春とともに、新学期のてんてこ舞いの日々(hectic days)が始まるのですね。お体くれぐれもお大切に!

高野山大学の力

K-GURS評議会

2013年03月25日
先週の土曜日、京都の佛教大学で開かれたK-GURSの評議会に出席。私は監事なので1時間早く行ってO野田先生の部屋で会計監査を行う。もとより何も問題はなく、短時間に終了した。

評議会では、来年度の研究委員長を拝命することになった。事務局や編集委員長よりは仕事は楽だが、「仏教と一神教」研究会や講演会またはシンポジウムの企画をやらなければならない。これも早めに動くことが肝心だ。

評議会が始まる前に、R大のN須先生に、ある件で、アメリカのH大のMM氏の紹介を頼んだら、二つ返事で引き受けてくれた。帰りの電車の中でN須先生からメールが入る。もう先方に連絡してくれたという。こうでなくっちゃいけないよなあ、とほとほと感心した。

MM氏への連絡はK-GURSとはまた別の話である。

大阪駅で改札を出て、ヨドバシカメラで思いっきり買い物して帰った。



ある大学教員の日常茶飯

何かおもしろいこと

2013年03月22日
御山も春である。

4月に入ってくる新人のために部屋を移るように命じられた。普通なら引っ越しなど迷惑千万だろうが、私はたまの家移りは苦にならない。それどころか歓迎すべき事だと思っている。これを機に資料の整頓と仕分けができるからだ。その引っ越しも院生の水野君が手伝ってくれたおかげで今日で完了だ。

作家のYさんが御山に来た。会いたいという連絡を受けて月曜日の夕方、F院に行き、Yさんや同行の人たちと会食した。橋本まで下りて買ってきた柿の葉寿司といっしょに、『河口慧海日記 ヒマラヤ・チベットの旅』(講談社学術文庫)を手渡すと、帰りに読みます、という返事。Yさんはとても律儀な人だ。

「何かおもしろいことをやりましょう」

が、Yさんの別れ際の一言だった。

水曜日、H大のO川先生の一行が来学。学長との懇談会に私も同席した。O川先生の側からは、さまざまな示唆や提案がなされたが、基本的には、意思の疎通を図り、こちらのリアクションを待つという姿勢だ。大事なことは、彼らが何かを押しつけようとしているのではなく、「いっしょに夢のある楽しいことをしよう」と誘っているということである。

YさんもO川先生たちも、要は、高野山でしかできないようなことをいっしょにやろうよ、と言ってくれているのだ。これから季節がどんどん明るくなるなかで、心ものびやかに、わくわくすることをやりたいものだ。
高野山大学の力

じゃあ、またね!

2013年03月20日
3月12日(火)
今日も上天気である。8時半過ぎ、大学で木下さんと落ち合い、私の車で、まず日野西先生を連れにゆき、次に大円院に行ってドルチェさんとトランクを乗せた。行く先は、かつらぎ町天野である。

標高450mの天野は、隠れ里の印象のある小盆地である。その中心をなす丹生都比売(にうつひめ)神社は、天照大神の妹、丹生都比売大神などを祀る。弘法大師は、この女神から高野山を借り受けて真言密教の修行道場としたとされる。天野と高野山の関係は1200年以上に渡ってとても深い。

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*神社の輪橋。

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*木下さん、ドルチェさん、日野西先生。

私たちが行くと、宮司の丹生さんが出てきて、境内を案内してくれた。この神社のあれこれについて、日野西先生の詳しい説明を受けたことは言うまでもない。
たっぷり2時間ほど見学してから、とても充実した気持ちで天野をあとにした。

麓に下り、橋本に向かう途中、小じゃれたレストランに入って、フランス家庭料理の昼食を取った。ドルチェさんは、今日は奈良に泊まってお水取りを見る予定で、人文研の講演にも来たLさんと待ち合わせている。3時か4時頃奈良に着けばいいということなので、こちらもゆったり構えていた。前もって調べたところでは、1時38分橋本発の特急がちょうどいい。

ところが気がつくと時計が1時を回っている。次の特急は1時間以上あとだ。食事を中断して支払いを済ませ、急いで車に乗り込んだ。

私「橋本までどのくらいかかるでしょうね」
木下「20分はかかりますよ」
私「え、もう1時17分ですよ。これは微妙な時間だなあ」

運転しながら、いっそこのまま奈良まで行こうかとも考えたが、ほかの二人をこれ以上引っ張るわけにもゆかないと思い直す。

九度山を通って橋本の町に入る。駅への道を一度でも間違えたらアウトである。木下さんにナビをしてもらいながら進む。
駅に着いたのは、1時35分頃だったろうか。ドルチェさんが飛び出し、木下さんがトランクを抱えて追いかける。一拍おくれて駅舎に入ると、JRの窓口でドルチェさんが「切符!」と叫んでいる。「そこじゃない、上、上!」
エレベーターで2階に上がり、南海の窓口でドルチェさんが切符を買う間に、私と木下さんはプラットホームに下りた。すべりこみセーフであった。

「それじゃ、また」
「いろいろお世話になりました」
「こちらこそありがとうございました。いい旅を!」

電車が見えなくなるまで手を振ってから、車にもどると、日野西先生が車の側にぼんやり立っておられた。

それから御山への道中、日野西先生から民俗学こぼれ話をいろいろ聞いた。それにしても先生のお元気なことよ。

研究室に戻り、椅子に腰掛けると、しばらくは、音楽を聴く以外、何もできなかった。








高野山大学の力

密教談話会:ルチア・ドルチェ先生を囲んで

2013年03月19日
3月11日(月)
東日本大震災から丸2年のこの日、御山は朝から晴れ上がっていた。放射冷却現象で空気はとても冷たい。

午前中をフリーにしていて助かった。午前10時から通信制大学院生の研究発表会があったのだ。ドルチェ・ウィークですっかり意識から抜け落ちていた。発表者諸氏には悪かったが、午後の密教談話会の準備のため、私は会場を出たり入ったりした。

天野、については明日見送りがてら寄ればいいことに気がついた。明日も天気はよさそうだ。

談話会のコメンテーターの一人である日野西眞定先生が早めに来られたので、天野の丹生都比売神社に紹介を頼むと、何と先生がいっしょに行ってくださるという。御年90歳の先生に負担をかけるのは恐縮だが、民俗学の権威である日野西先生に案内していただければ、これ以上のことはない。しかも、木下さんも、日野西先生の「君もどうかね」の一言で、同行してくれることになった。これは心強い。

午後2時から金堂で震災の犠牲者のための法要が一山を挙げて行われた。私もちょっと拝みに行ったが、すぐに引き返し、午後2時46分は自分の研究室迎えた。

さて、「密教談話会:ルチア・ドルチェ先生を囲んで」は、法要への出席で遅れた人を待って、3時15分から始まった。題して「中世日本の密教」。ドルチェさんの専門中の専門である。
この日のために私が頼んだコメンテーターは次の方々。

日野西眞定(民俗学)
山陰加春夫(日本史、高野山史)
乾 仁志(密教思想)
佐藤隆彦(事相=密教儀礼)

また、用意したトピックは、
1.日本中世の宗教信仰の特色とその意義
2.両部不二思想の中世的展開
3.中世の異形の神仏の信仰と儀礼
4.中世高野山の信仰、儀礼、民俗

いずれも大きな問題で、しかもお互いに重なり合っているが、中世の密教をテーマにしたこのような会が高野山大学で開かれるのは、おそらくこれが初めてなので、間口を思い切り広くとって、どこからでも自由に発言できるように、と考えたのである。

最初にドルチェさんに、自己紹介を兼ねて、SOASの日本宗教研究センターの活動とドルチェさん自身の研究と興味について話してもらった。それから、コメンテーターの諸氏に順番に話を振って、コメントをもらい、ドルチェさんとの間で質疑応答してもらった。


詳細は省くが、議論はかなり盛り上がって、なかなかいい会になった。これが次につながってもっとテーマを絞ったシンポジウムなり発表会なりができれば、最高である。

また出席者が一様にドルチェさんの日本語の達者さと話のおもしろさと学識の深さに感銘を受けた様子が伝わってきて、コーディネーターとしてはとてもうれしかった。

その後夕方から大円院で懇親会が開かれた。ドルチェさんは明日御山を下りるので、これは送別の宴でもあった。



高野山大学の力

高野山大学図書館にて

2013年03月17日
3月10日(日)
前日までとは打って変わって朝から雨模様である。早めに研究室に出てパソコンに向かったが、あまり集中できない。8時半過ぎ、図書館に行って木下さんと簡単な打ち合わせをしてから、大円院に向かった。

ドルチェさんはもう玄関先に出ていた。今日のメニューは大学図書館での資料閲覧である。

1200年の伝統を誇る高野山は「山の正倉院」とも呼ばれる貴重資料の宝庫だ。高野山大学図書館には、真言宗の聖教類(しょうぎょうるい)、およそ10万点が保管されている。全国屈指の規模であることは間違いない。

ドルチェさんの本領は日本中世の宗教儀礼の研究であるから、関心がないはずがないのである。といっても、時間は限られている。ご指名のものを何点か見てもらうだけで精一杯だ。

そのうちに武内孝善先生も研究室から下りてきて、今取りかかっているホットな研究について、パソコンの画像なども交えて話してくれたので、私は大助かりだった。高野山大学図書館のホームページにこの模様を写した写真が載っているので、一応お知らせしておく。
資料の閲覧は、昼食をはさんで4時間以上に及んだ。それから霧が濃くなるなか、奥之院、大門、大師教会を案内して1日を終えた。

ドルチェさんは天野の話に興味を持ち、行きたがっているが、この天気、この寒さで、私は二の足を踏んだ。それに明日の午後2時からは3.11の法要があり、3時からは「密教談話会:ルチア・ドルチェ先生を囲んで」がある。遠出は控えて、明日の午前中は愛染堂の護摩などを独りで見てもらうことにした。


研究ノート

ドルチェ・ウィーク 後半戦

2013年03月14日
3月9日(土)
9時にホテルに迎えに行き、京阪と御堂筋線を経由して、ドルチェさんを南海の難波ターミナルまで案内した。ドルチェさんは京都には詳しく、高野山にも20年ほど前に来たことがあるというが、大阪はよくわからないらしい。

彼女が11時12分発の「こうや号」の切符を買うのを見届けてから、車を取りに泉北線で一旦帰宅した。

家で3時間ほど休み、午後2時過ぎ、改めて高野山に向かう。一昨日から始まったという黄砂の飛来で、遠くがぼんやりかすんで見える。おまけに目がかゆく、くしゃみが出やすい。スギ花粉に黄砂が重なっているのかもしれない。

大円院の向かいの駐車場に車を止めて、ドルチェさんのプリペイド・ケータイに電話すると、彼女はすぐそばにいた。大円院の事務所に荷物を預けて、伽藍などを見て回ってから、奥之院に行こうとしたが、日が傾いて寒くなりそうだったので引き返してきたという。チェックインはまだ済んでいなかったが、たまたま事務所に誰もいないので、隣の梵恩舎に入り、チャイを飲んで一息入れた。

健さんたちには前もってドルチェさん来訪を話していた。店にはちらしも貼ってもらっている。ドルチェさんがシチリア出身と知って、健さん、

「シチリアのどこですか、パレルモ? シチリアはきれいなところですよね。私も一回行ったことがあって…」

健さんは、行ったことがないところを探す方が難しい人だ。

まもなく電話が通じたので、梵恩舎を出て大円院に行った。彼女が玄関に上がったところで、それじゃ、また明日、となった。




研究ノート

講演会の日

2013年03月13日
3月8日(金)
夜明け前に目が覚め、パソコンに向かった。ドルチェさんの今日の講演のアブストラクト(要旨)の翻訳がまだ完成していないのに加えて、頼まれている書評が思うように進まないのだ。

今日の講演会は午後6時からだから、ひまをもてあますのではないかとおそれていた。いっそ堺の家に戻って、テリーの散歩でもしてやろうと思ったほどだ。ところが、講演のアブストラクトが本当にアブストラクト(抽象的)で、なかなか訳が付かない。ぎりぎりまでホテルの部屋で頑張ることにした。

3時前にホテルを出て、出町柳まで電車で行った。百万遍の交差点近くのコンビニでアブストラクトを30人分コピーして、進々堂でホチキス止めをした。この研究会の事前打ち合わせをした後でこの喫茶店に寄ったのは、3年前の7月のことだ。

季節が一巡したのを感じた。

6時から始まった講演会は、年度末のこの時期(春休みで海外に出ている人も多い)にしては、なかなか盛況だったと思う。佛教大学の斉藤先生が来てくれたのもありがたかったし、北大のK本君が、大谷大学のM宅先生を連行してきたのもおもしろかった。SOASで学び今は同志社に席を置いているL氏が連絡して、留学生が4人も来てくれたのもよかった。
1時間ばかりの英語の講演のあと、質問や意見が多く出たので、ドルチェさんも喜んでいた。ヨーロッパでは、こういう話をしても聴衆の反応は鈍いのだという。

8時すぎに閉幕したあと「おむらや」で懇親会を開いたが、5人程度で予約していたところへ11人も参加し、嬉しい悲鳴だった。日本酒が大好きというドルチェさんが最初から冷でやりだしたので、私も飲みすぎない程度に付き合った。11時過ぎ、同じ方面に帰る4人でタクシーに分乗してホテルに戻った。


研究ノート

しゃべりすぎた

2013年03月12日
ホテルから人文研までずっとしゃべりづめだった。おかげで三条から乗った京阪を途中の丸太町でまちがって降りてしまい、乗りなおすはめに。

人文研の事務室に行き、経費の受け渡しに立ち会う。妙な話だが、この瞬間に肩の荷が下りるのを感じた。ロンドン・伊丹往復チケットの実費に規定通りの日当と宿泊費を足すと、まとまった額になる。年度末にもなって、万一ここに穴が空いたら…、というのがここ数カ月の私の悪夢だった。この瞬間を待ちわびていたのである。

それから明日の会場となる4階の大会議室に行って、事務のT井さんに機器の操作の仕方を教えてもらい、ドルチェさんのパソコンとの接続をテストした。

人文研を出てから、京大の構内を横切って、ヴィータ先生のオフィスを訪ねた。イタリア語が分からない私のことを慮って、イタリア人の二人が日本語で会話するのがおかしかった。ヴィータ先生は明日所用でイタリア行を控えていたので早々に辞した。「4月になったらビールでも飲みましょう」実はヴィータ先生からは、ドルチェさんの話とは別に、すてきな提案をもらっているのである。

それから「おむらや」に寄って明日の懇親会を予約してから、電車で三条に戻った。

三条もなかなか賑やかなところである。ホテルの近くには池田屋の跡があり、本能寺も遠くない。佐久間象山や大村益次郎が遭難した場所というのもある。

以前山折哲雄先生や阪大の川村さんたちと一杯やった蕎麦屋に入って夕食を取った。2時間半ほどそこにいたが、その間ずっとしゃべり通しである。私は、家族にはおしゃべりな男と思われているが、ドルチェさんには到底かなわない。もっぱら聞き役に回って、明日の講演会や11日に高野山大学で予定されている密教談話会のための取材に努めた。

別れ際に、ドルチェさんが一言。

「今日はちょっとしゃべりすぎたな」

お見事。

烏丸御池のホテルにチェックインし、仕事をしようとしたが、すぐに嫌になって寝てしまう。
研究ノート
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