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今年もお世話になりました

2012年12月30日
12月27日から配布が始まった「広報さかい」1月号に告知が出たのでもう「こそこそ」しなくてもよくなった。

1月23日から2月17日まで堺市博物館と清学院で河口慧海関係の新出資料のコーナー展示が行われ、1月27日午後には博物館で私がこれにちなんだ講演を行う。展示のタイトルは「河口慧海と肥下徳十郎-新発見!堺の友への手紙-」、講演のそれは「河口慧海と肥下徳十郎-新たに発見された資料から-」である。

肥下徳十郎(ひげ・とくじゅうろう)は堺北旅籠町の資産家であった。慧海とは少年時代からの親友で、慧海のチベット旅行を物心両面で支えた最も頼りになる後援者が徳十郎であった。このことは今までも漠然とは知られていた。今回発見された資料は、その関係を具体的に肉付けする、とても貴重でおもしろいものである。

講演はそういったことの概括的な報告になる。

別に秘密めかすようなことでもなかったのだが、市役所には市役所の手順があろうと思って具体的なことは何も書かずにいたのである。

お近くの方は、展示や講演に足を運んでくださるとありがたい。

というわけで、今年もお世話になりました。皆様にとって新年がとてもよい年になりますように。では、また。
ある大学教員の日常茶飯

罰当たり

2012年12月27日
放射冷却現象も加わって、御山はいい塩梅に冷えている。

8時過ぎに起きて、テレビをつけたらワイドショーでとんでもない話題を扱っていた。
最近四国や和歌山の神社の御神木が何者かによって枯れさせられる事件が相次いでいるという。その手口は、根元に細いドリルで穴を空け、除草剤を注入するというもので、大木が真っ赤に立ち枯れて神主や氏子さんたちが困っているところに、相当な値段で引き取りの打診があるという。たまたまその神社に参詣して、樹齢何百年の御神木が枯れているのに心を痛め、この際一肌脱ぎましょうと申し出た善意の人物だろうね、きっと(?)。
いずれにしても、これは単なる器物損壊ではなく、殺神事件として捜査してもらいたい。

と思いながら続けてみていると、話題は、空飛ぶ防犯ロボットに移る。大手の警備会社が開発したもので、自動的に怪しいヤツを感知して飛び上がり、追跡して映像を撮りまくるというものである。これで攻撃力を備えたら「ターミネーター」のスカイネットである。

これを神社でレンタルしたらどうだろうか。鬱蒼とした神社林の中でどこまで動けるかは保証の限りではないが、罰当たり者が忍びこんだところに、頭上からブーンと巨大な蚊のようなロボットが襲いかかり、赤い塗料か何かを吹き付けるというのは、なかなかの構図ではないか。

とにかく、人としてやっていいことと悪いことがある。


ある大学教員の日常茶飯

エル・グレコ展

2012年12月24日
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*縦3.5メートルの大作「無原罪のお宿り」を用いたちらし。

22日土曜日、中之島の国際美術館に「エル・グレコ展」を観にいった。グレコと言えば、10頭身以上に引き伸ばされた、波打つような人体表現で知られているが、本物を見てまず驚いたのは、タッチの荒々しさと細部の大胆な処理だった。これは特に晩年に顕著になった特徴らしい。おそらくは聖堂内の祭壇衝立やボールト天井など高い位置に取り付けられた時に効果を発揮するよう計算されているのだろう。

人物の背景に描かれた不安定な空模様、とりわけ圧倒的なボリュームで視界をさえぎる黒雲もこの画家の特徴だと思う。これもおそらくは神の恩寵の光をより効果的に印象付ける演出なのだろうという気がした。またグレコが絵画と彫刻と建築を融合させた礼拝空間をプロデュースしていたことや、自らの作品の縮小版を工房で注文生産したり、銅版画にして売り出したりと、結構な商売人だったらしいことも知ることができた。

というわけでとても楽しませてもらった。この展覧会は大阪では今日までで、1月19日からは東京都美術館で開かれる。

帰りは中之島から心斎橋筋・戎橋筋の人混みの中を難波まで歩いた。
ある大学教員の日常茶飯

にっき餅

2012年12月21日
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*堺銘菓、八百源のにっき(肉桂)餅。贈答用菓子の定番で、堺ではこれを贈ればきちんと礼を尽くしたことになる。

月曜日、N村さんと一緒に堺のO川さん宅を訪ねた。O川さんは、慧海の友人であった植物学者、河野学一のお孫さんである。びっくりするほどお元気で、20年も前に私が初めてお電話したこともよく覚えていらした。あの時は、学一の出身寺院である堺の万福寺からO川さんの名前を教えてもらい、104で番号を調べていきなり電話したのである。それから数年して、一度お訪ねしてお話をうかがった。

O川さんは東京生まれの東京育ちで、堺に来られたのは戦後である。その頃は、言葉がなかなか通じず、買い物ひとつするのも不便だったという。それから何十年も堺でくらしてこられたわけだが、O川さんの人となりは、いかにも東京の奥様のそれで、人というものは、20数歳を過ぎれば変わらないものだと改めて感じた。

河野学一については、このブログの前身の教員ブログで書いたことがあるので、ここでは繰り返さない。

ただ驚いたことに、その日、つまり12月17日は学一の命日だった。O川さんにそう告げられて、先祖の位牌などが祀られた部屋で学一のことをひとしきり話したことがいくらか供養になった気がした。

2時間半ほどもお話してからO川さん宅を辞し、自転車で職場に戻るN村さんと別れて、小雨の降る中を堺東駅まで戻った。駅ビルの蕎麦屋で熱い蕎麦をすすって体を温めた。
ある大学教員の日常茶飯

ダライ・ラマと日本人

2012年12月10日
年末も近いのに、出すべきものも出さないで何をやっているのか、と叱られそうなので、こっそりお知らせするが、

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徳間のTOWN MOOKから『ダライ・ラマと日本人』が出た。先に紹介した『宗教の事典』は25000円+税だから、お近くの図書館に購入希望でも出してもらえればありがたいが、こっちの方は860円という敷居の低さでありながら、ダライ・ラマ法王のお言葉と田村仁氏の美しい写真が満載で、松長有慶猊下も一文を投じておられるという、実にリーズナブルな出版である。

学術的なバックアップは田中公明、石濱裕美子、合田秀行の諸先生と私がやっている。私の受け持ちは「チベット仏教とは何か?」というパートで、企画がムック的というのか、どんどん図式にあてはめようとしてくるのに最初のうちはちょっととまどったが、最終的にはまあまあの形に落ち着いたと思っている。

田村氏の写真の中には、先月4日にパシフィコ横浜で撮られたものも含まれている。私は前日の夜に鶴見駅で編集担当のS本氏と会って打ち合わせをしており、まだその時には少なくとも私の分はできていなかった。それから一ヵ月で本が店頭に並ぶのだから、その腕力は並ではない。新潮新書の『傷ついた日本人へ』の作り方とはまた別の意味で驚かされた。

追加:一つ忘れていたが、S本さんは『傷ついた日本人へ』に感動してこの企画を立てたのだという。こうして縁はつながってゆく。

読書案内

雪の進軍

2012年12月09日
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高野山はこの冬初めての本格的な雪である。

昨日の朝刊でBS某局が「八甲田山」(森谷司郎監督)を放映するのを知り、録画の予約をした。この天気にふさわしい、否ふさわしすぎる映画だが、録画してもう一度観ようと思った理由はほかにある。

9月に南三陸町を訪問した際、私は、お祖父さんが八甲田山雪中行軍隊の生き残りだったという老人に出会った。特にそのことについて話を聞いたわけではないが、強く印象に残った。

そこで帰ってから調べてみた。明治35年1月に起きた八甲田山遭難事件は、青森歩兵第5連隊の雪中行軍隊210名中生存者わずか11名という悲惨極まりないものであった。まったく同じ時期、弘前歩兵第31連隊の雪中行軍隊も八甲田を横切ったが、こちらは一人の犠牲者も出さなかった。この事件を小説化したのが新田次郎の『八甲田山死の彷徨』、この小説を映画化したのが「八甲田山」である。

青森5連隊のわずかな生存者の中から、出身地や階級を考慮して、多分この人だろうという人物を割り出すのに、それほど時間はかからなかった。確証はないし、プライベートなこともあるので詳述はしないが、私の推測が正しければ、その人は、5連隊のその日の宿営予定地であった田代温泉にたどりついて救助された唯一の人物である。映画では緒形拳さんがこの役をやっている。

私は、可哀そうな下士卒たちが雪の中にばたばた倒れてゆくのを見たいわけではない。むしろそういうものはなるべく見たくない。小説は、これからが遭難というところで読むのを中断したくらいである。それでもこだわっているのは、これが、人間と風土との関係を劇的な形で描こうとしていると感じるからである。これは小説というよりむしろ映画の特徴だ。そういう点に注意してもう一度おさらいしてみようと思う。

午後9時を回った。雪の様子は分からないが、風呂で温まって早く寝よう。






ある大学教員の日常茶飯

高野山大学フジキン小川修平記念講座講演会

2012年12月02日
11月30日午後1時より、中之島の大阪市中央公会堂で、高野山大学フジキン小川修平記念講座講演会「宇宙の摂理への想い」があった。
プログラムは次の通り。

講演1 平野俊夫(大阪大学総長)「いのちと医学-大阪大学の歴史とともに-」
講演2 棚次正和(京都府立医科大学教授)「いのち・いやし・いのり-宗教と医療の根底にあるもの-」
講演3 帯津良一(帯津三敬病院名誉院長)「地球の自然治癒力の回復をめざして」

シンポジウム 司会 中村本然(高野山大学教授・密教文化研究所長)
       鮎澤 聡(筑波技術大学准教授)・帯津良一・棚次正和

フジキン小川修平記念講座は、故小川修平氏の遺志を受けて今年度から始まった講座で、宗教と科学の対話をその柱としている。
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*講演する帯津先生。このホールは大正7年に竣工した。実に風格がある。

平野先生の講演は、宇宙的な時間の中での生死を改めて考えさせるものだった。手塚治虫の漫画を導入に使って素人にも分かりやすくポイントを提示するプレゼンテーションも印象に残った。「一個の生命は死により星の成分の原子に戻る」という認識は、空漠としてもの悲しくもあるが、物理的には事実と言ってよいのであろう。問題はこれで自分や親しい人の死が納得できるかということである。

棚次先生の講演は、日常生活におけるいのりの効用に気付かせてくれるものだった。そういえば、最近あまり祈っていない。今会場で買った村上和雄先生との共著『人は何のために祈るのか』を読んでいる。

帯津先生はホリスティク医学によるがん治療に長年携わってこられた方で、その熱意、探究心、ユーモアは、どれもすばらしかった。分野は違っても「生き方」として見習いたい。「古典に学ぶこと」の大切さも改めて教えていただいた気がする。

総じて、どの方も、言葉こそ違うが、「今この瞬間を大切に生きる」ということを強調していた。こういう違った学問分野同士の対話は、安易に相手のフィールドに踏み込もうとするよりも、それぞれの専門領域を掘り下げてゆき、その結果通じ合うものが出てくれば、それを大切にするというのがよいと思う。今回は医学が主で、ほとんど違和感を感じさせることはなかったが、今後宗教と科学との本格的な対話を進める場合に、こういう構えが重要になってくるだろう。

また、宗教には「いのり」に代表されるようなスキルがいろいろとあり、それらを宗教色を抜きにして一般の生活に応用できるような形で提供するということもわれわれの重要な仕事であると感じた。




      

高野山大学の力
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