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ダライ・ラマ法王ご来訪から1年

2012年10月30日
ダライ・ラマ法王が大阪・高野山に来られてからちょうど1年が過ぎた。この1年いろいろあったから決してあっという間という気はしないが、同じ季節になり、あの時のことがしきりに思い出される。

今日の授業中、1年前の10月31日の「青年僧と語る」のセッションで両猊下に質問したI藤君に、「あの時はどういう心境だった」と尋ねてみたら、「顔がとても赤くなりました。今でも赤いような気がします」となかなか殊勝な答えが返ってきた。

法王は今秋も来日される。11月4日には横浜で法話・講演をされる。今日、そのチケットが届いた。8時会場、10時開演なので前泊することになるが、仕事が詰まっているので横浜入りは夜になる。しかもそれから打ち合わせが一個入るかもしれない。嬉しい悲鳴、というところである。







高野山大学の力

乙!

2012年10月29日
2時に北旅籠町の清学院の戸をくぐると、S記者はもう来ていた。名刺交換のあと、ちびっこ用の天神机やすり減った硯、本堂の仏像などを見ながらしばらく話をする。清学院は山伏寺で、幕末から明治初期に清光堂という寺子屋を営んでいた。同じ町内で生まれ育った樽屋の定治郎、のちの河口慧海も小学に上がる前はここで学んだ。その建物が崩れ落ちそうになりながらも生き延びていたのである。これを堺市が大々的に修理して町屋博物館として再生させたことは1年以上前にこのブログに書いた。

それから慧海の生家の跡、菅原神社の御旅所などを巡った。道々話したのは、エカイとサカイの関係についてである。これがめでたく記事になったらまた紹介しよう。

それから「ろおじ」に行き、お茶を飲みながら、続きを話す。これにS賀さんも加わる。ひとつは、「へうげもの」(ひょうげもの、と読む)の絵柄は人によって好き嫌いがある、ということ。まあ確かに、万人向けではないわなあ。

S賀さんは最近、LRV研究を兼ねて岩手の三陸鉄道に乗りに行った。宮古、八戸、仙台と3泊したが、八戸の町が気に入ったとのことだった。そんな話をしているうちに、山口家住宅の入場制限時間の3時45分が近づいたので、せっかくだからS記者といっしょに行ってみることにした。

山口家住宅は江戸時代初期に建築された町屋で、国の重要文化財に指定されている。私は中に入るのは初めてだったので、まずその重厚な作りに圧倒された。この文化財ウィークに「へうげもの」の原画が一番多く展示されているのはここである。

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*いらっしゃりませ。(山口家住宅にて)

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*乙!(同)
ある大学教員の日常茶飯

仕事が進まない

2012年10月28日
降ったり止んだりの一日だった。夕方から西の空に稲妻が光り、雷鳴が轟いた。

今日は早めに堺の家を出て御山に戻り、研究室で原稿作成にいそしんだが、まったくはかどらない。夕方気分を換えるために外出し、喫茶店でトマトジュースを飲みながら資料をチェックした。それから曼荼羅荘に戻り、蕎麦をゆでて食べる。私は料理はだめだが、麺類だけは何とかいける。

風呂に入ってリフレッシュした後、研究室に戻ったが、途中、雲の切れ間から月が顔を出した。今はまた強い雨が降っている。実に不安定な天気だ。

最近心がけていること
1.歩くときはなるべく早足で歩く。
2.満腹になるまで食べない。特に夕食は早い時間に軽めに取る。
3.酒は一人では飲まない。付き合いで少量は可。

ある大学教員の日常茶飯

Myuking !

2012年10月24日
一転、快晴である。

朝からメールを出しまくる。

最近開眼したことがある:仕事は抱え込んではならない;他人にどんどん投げてゆけば、自然に道筋ができるものだ。

来月10-11日に能海寛研究会の面々が田辺・白浜に研修にやってくる。顕彰館と記念館を回って熊楠の顕彰・研究・資料保存、さらに展示施設のマネージメントなどについて学ぶという企画だ。案内役は当然私ということになる。昨夜はホテルの予約にあたふたした。今日は懇親会場を押さえなければならない。

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堺の文化財特別公開×「へうげもの」ウィークが近づき、週末からプレイベントが始まる。「へうげもの」の成功は、何といっても古田織部の造形にある。もっといえば、その百面相にある。基本形は、上のようないかにも曲者の表情だ。

あるところから取材の申し込みがあったので、月曜日の午後に清学院前で落ち合うことにした。こうでもしないと、結局特別公開に行きそびれてしまうからだ。

そのためにも、まず仕事、仕事。

ある大学教員の日常茶飯

冷たい雨

2012年10月23日
昨夜から冷たい雨がざんざん降って、御山はすっかり寒くなった。

なぜかそぞろ落ち着かない一日であった。強い心が欲しいと思う。

昨日午後6時から京都の佛教大学でK-GURSの評議会があった。早めに会場に行って待っていたら、同志社大学のSさんがやってきたので、しばし懇談した。気が合うというのか、話がはずむ。前にも書いたが、この人、率直で親切で学識が深い。相手が楽しくなるような話し方ができる。人文研もそうだが、こういう人に会えるのが一番の収穫かもしれない。








ある大学教員の日常茶飯

日本密教学会学術大会 in 高野山

2012年10月20日
昨日と今日、本山で日本密教学会の学術大会が開かれた。
この学会は、高野山同学会、種智院密教学会、智山勧学会、豊山学会の四学会よりなり、回り持ちで学術大会を開いている。高野山にはオリンピックの年に番が回ってくる。

昨日は「宗学の現代的意義ー大震災を経験してー」というテーマでシンポジウムがあった。
基調講演が三つあり、どれもおもしろかったが、その一つは高野山足湯隊の辻雅榮師によるものであった。南三陸町で研修を受けた際、町外れに「こうやくん」が描かれたプレハブがあったので、神割崎へ行った帰りに寄って話を聞いたら、辻さんのグループが建てたものであった。名付けて「寺子屋こうやくん」。

辻さんは高野山の出身で、金沢を拠点に活動している。昨日聞いたら、足湯隊は去年の4月から南三陸町に入っている。その後もはるばる金沢から何回も行っているというから頭が下がる。「寺子屋」を建てたのは、被災地の子どもたちに勉強を教えるためだ。私たちが訪れた時、足湯隊のメンバーはいなかったが、地元の協力者が話をしてくれた。中では子どもたちが東京から来た学生ボランティアに勉強を教わっていた。

足湯隊は来月も出かけるというので、情報だけはもらえるように頼んでおいた。すぐに行けるとは思わないが一度同行するのも悪くない。自分も足湯ができるとまでは思わないが。
高野山大学の力

深みで助けて

2012年10月14日
予期していたわけではないが、聞いても今さら驚かないのが、いわゆる「復興予算の流用問題」である。

日本全国には老朽化した庁舎が山ほどあるだろう。大地震が起こった時、救援センターとなるべきそれらの建物がまっさきに倒壊したのではお話にならない。危険な橋も増えているはずだ。それらを改修すること自体は必要なことだ。調査捕鯨の「シーシェパード」対策だって必要なのは分かる。

しかし何もこの予算でやらなくてもいいではないか。デフレ不況対策を兼ねた財政出動は今後も必要だと思うから、別口でやってもらいたい。

大災害が起ったら、その地域に人・物・金を短時間に大量投入して、すばやく復興の道筋をつけてしまう。こういうやり方をこの国の「癖」にするべきだと思う。

思い出すのは南三陸町の仮設住宅で聞いたことわざである。

「深みで助けて浅み(浅瀬)で殺す」

被災地ではこれが今現実のものになろうとしている。急がないと人も地域も死んでしまうのだ。

ある大学教員の日常茶飯

吉村昭著『彰義隊』

2012年10月10日
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*「新居」の窓からの眺め

昨日夜明け前に目が覚めた。近頃ではこういうことが珍しくないが、ここ数日酷くなった。なかなか眠りにもどれないので、枕元に置いている読みさしの本の続きを読んだ。

 吉村昭著『彰義隊』新潮文庫

これはこの間、山形から帰る際に電車の中で読むために買った本である。

大分以前のこと、同じ作家の『長英逃亡』の新聞広告を見て、高野長英が逃げるだけで小説になるのだろうか、と疑問に思った記憶がある。数年後、実際に読んでみて心の底から納得した。逃げるだけで立派な小説になるのである。むろんそこには、逃亡者を執拗に追跡してゆく作家の目がある。

『彰義隊』も『長英逃亡』同様、「逃げる話」である。逃げるのは上野寛永寺の貫主だった輪王寺宮(のちの北白川宮能久親王)である。宮は、明治天皇の叔父であるにもかかわらず、戊辰戦争では皇族でただ一人朝敵になってしまう。それは上野戦争に巻き込まれ、東北に逃れて奥羽越列藩同盟の盟主に推戴された結果であるが、そのそもそものきっかけは、徳川慶喜の助命嘆願に赴いた宮に対する東征大総督有栖川宮熾仁(たるひと)親王の態度が非礼で、宮と宮の側近たちを憤慨させてしまったことにあるらしい。

私が一番面白かったのは、上野が落ちた後、宮の一行がどうやって官軍の追及を逃れ、品川沖の榎本武揚の艦隊まで逃げおおせたかというところである。この辺りのディテールの確かさには舌を巻く。多分普通の学者であれば、見逃すか、見てもここまでは想像力が及ばないのではないかと思われる。この作家の執拗なまでの事実の探求が、思いもよらない新しい光景を開くのは、例えば『生麦事件』の場合と同じである。

なお、宮は、仙台藩が降伏した後、自らも降伏し、その後プロシア留学を許されて軍人としての道を歩んだ。明治28年、日清戦争によって割譲された台湾に近衛師団を率いて出征。マラリアのため現地で薨去している。






読書ノート

学者の人格

2012年10月09日
昨夜は山中教授のノーベル賞受賞をネットのニュースで知って、少し早目に曼荼羅荘に戻り、テレビ番組をチェックした。研究業績と人格は別物と考えられがちだけれど、学者にとっても人柄は大切だということを再認識した。縁もゆかりもないけれど、やはりうれしい。今年はあと一人か二人出てもらいたいものである。

ある大学教員の日常茶飯

金曜の夕べ

2012年10月05日
気持ちのよい秋晴れの一日だった。金曜日の夕方、学内が静かになるとさすがに気が緩む。土日はオフだ。

9月にちょっとした異動があって文学研究科委員長なるものを拝命した。大学院生の世話係といった役どころである。小さな研究科とはいえ責任は重いが、ひとつだけよかったことは、広い部屋がもらえたことである。今はここに根城を移して、毎日少しずつ本や資料を運び込んでいる。資料と情報をきちんと管理するスマートな研究者になる最後のチャンスだと思っている。

大学院生の諸君には次のように言いたい。

「諸君は幸運にも、2年なり3年なりの間、大手を振って学問に集中できるという贅沢な環境を手に入れた。こうなった以上、恥も外聞もかなぐりすてて、狂ったように勉強してもらいたい」


ある大学教員の日常茶飯
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