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ウェスティ文芸講座「河口慧海」

2012年06月26日
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もう募集期間を過ぎてしまったのであるが、一応掲示しておく。

ウェスティ文芸講座「河口慧海―堺出身のチベット探検僧―」

講師:奥山直司(高野山大学教授)
日時:7月1日(日)13:30~15:00
場所:ウェスティ西文化会館
受講料:1000円

ウェスティ西文化会館は、堺市西区の鳳東町にある。家からは車で20分くらいで行ける。

鳳には日本武尊を祀る大鳥神社がある。伊勢で亡くなった日本武尊の魂が白鳥になって舞い降りたのがここ、とのこと。家の近くの多治速比売神社に祀られる多治速比売命(たじはやひめのみこと)は、日本武尊の奥さんの弟橘媛(おとたちばなひめ)と同一ともいわれる。私は、以前、大鳥神社でおみくじを引いて珍しくも大吉を引き当てたことがあるので、大鳥(鳳)は験の良い場所だと思っている。

行基さんが生まれた家原寺(えばらじ)もそう遠くないし。

ある大学教員の日常茶飯

雨の長崎③

2012年06月22日
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グラバー園を出て坂を下ると、すぐ右が大浦天主堂だった。正式名称は日本二十六聖殉教者堂。

堂内で「信徒発見のサンタマリア」を拝みながら、これにまつわる物語を聞く。この堂(最初のもの)が落成した1865年、浦上の隠れキリシタン数人が密かにサンタマリアを拝みにして、フランス人神父に「発見」される感動的な物語だ。しかし、「浦上四番崩れ」という大弾圧事件はその後に起きているから、発見の喜びは悲劇の前兆でもあったのだ。

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*1930年に来日した5人のカトリック宣教師(大浦天主堂旧羅典神学校蔵)。中央は、ポーランド出身のコルベ神父。1936年に帰国し、1941年、アウシュヴィッツ強制収容所で他人の身代わりになって餓死刑を受けた。その左は、同じくポーランド出身のゼノ修道士。1945年、長崎で被爆。その後、全国で恵まれない人々の救援活動を展開し、「アリの街の神父」と呼ばれた。

ああ、神も仏もただ人を通じてこの世に働きかける。

*  *  *  *  *

天主堂を出て坂を下り、お土産を買ってから路面電車でホテルに近い築町まで行く。預けていた荷物を受け取り、出島(→雨の長崎①)を見学してから空港行きのバスに乗った。短いが充実した旅だった。




フィールドワークの記録

雨の長崎②

2012年06月21日
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*オランダ坂。この先にはミッション系の活水学院(1879年創立)がある。

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*旧グラバー邸。国指定重要文化財だ。

グラバー園は長崎港を見下ろす小高い丘の斜面にあった。ホテルのスタッフに教わった通り、グラバースカイロードの斜行式エレベーターを使ってまず丘のてっぺんに登り、そこから下りながら園内を見て回る。ここには旧グラバー邸以外にも、旧三菱第2ドックハウス、旧ウォーカー邸、旧リンガー邸、旧オルト邸などたくさんの建物があって、見ごたえ十分だ。

「龍馬伝」はとびとびにしか見なかった私でも、グラバーといえば坂本龍馬である。前夜、思案橋で長崎ちゃんぽんの遅い夕食をとったが、その店は隠れた名店らしく、「龍馬伝」の出演者たちの色紙が何枚か飾ってあった。本物のグラバー邸でロケしたのだなと察しがついた。

ただし、グラバー園の出口の店で買った『グラバー家の人々』(ブライアン・バークガフニ著、平幸雪訳、長崎文献社)には、トーマス・グラバーと龍馬の関係についての直接の言及はない。

この本によると、維新後にグラバー商会が倒産したのは、トーマス・グラバーが西南の諸大名に掛け売りで売った軍艦、武器、弾薬などの代金が回収できなくなったことが大きいようだ。維新を後押しした陰の功労者に、この結果は何とも皮肉だが、グラバーはその後も数々の事業に関係してゆく。その一つがビール会社ジャパン・ブルワリ・カンパニー、つまり現在の麒麟ビールの創業だ。

ということは、お酒といえばビール、ビールといえば麒麟の私も、う~んと間接的には、グラバーさんの恩恵を受けてきたことになる。

一通り回ったところで、早朝から何も食べていないことに気付き、園内の旧自由亭という趣のある喫茶店でダッチコーヒーとカステラをいただいた。なんでも自由亭は日本最初の西洋料理のレストランであるとのこと。勘定をすませ、階段を下りかけて、入る時には気付かなかった一枚の肖像画にふと目が止まった。「旧自由亭主人 草野丈吉氏像」とある。ええっ、あの草野丈吉!「自由亭」とはあの「自由亭」か!喫茶室に取って返して確認し、手持ちの資料を撮らせてもらう。

草野丈吉(1840-1886)は、現在の長崎市伊良林町の農家に生まれ、出島商人に奉公したり、オランダ軍艦で2年間ボーイ、コック、洗濯係として修業するうちに、西洋料理を習得し、24歳で我が国最初の洋食屋「良林亭」を開業した。これが自由亭の前身である。明治2年、大阪の川口居留地に外国人止宿所が作られる際に、五代友厚との縁で、その司長(ジェネラルマネージャー)に就任。のちに独立して、「自由亭ホテル」を創業した。

私が草野の名を知ったのは、『評伝 河口慧海』を執筆していた時のことである。この本の中で草野に触れたのは次の箇所だ。

「(慧海の)師蓬山(佐伯蓬山)は大阪中之島の自由亭ホテルに出入りするようなハイカラな面を持ち合わせていた。大阪最初のこの西洋式ホテル兼レストランを経営する草野丈吉が、彼に帰依していたからである」(p.61)

たったこれだけであるが、これを書くために川口居留地関係の書物を読み、大阪市立図書館まで行って話を聞いた。
佐伯蓬山は幕末に清国に渡ったことがある。当然長崎から船に乗ったであろう。長崎には興福寺、崇福寺、福済寺と黄檗宗の寺院があるから、当然立ち寄ったはずだ。長崎出身の草野との接点はその辺りにあると思われる。そのうちに時間ができたら調べてみよう。


ある大学教員の日常茶飯

雨の長崎①

2012年06月19日
日曜日、長崎国際大学で開かれている「宗教と社会」学会の学術大会に部分参加するため、伊丹から長崎に飛んだ。仕事は、テーマセッションでコメンテーターを務めることである。二つ返事で引き受けたのは、ほかならぬT川さんの依頼だったからであるが、長崎という町に漠然とした憧れをもっていたからでもある。

だから日曜日の宿は、長崎市内に取った。ところが大学は佐世保市のハウステンボスの近所にあり、長崎市までは結構遠い。私はひょんなことから佐世保の早岐駅からJRに乗ったが、1時間40分はかかった。

学会については別に報告することにして、まず長崎である。

伊丹から長崎空港まではJALを使ったので、ついでにホテルもJALシティ長崎にしたら、これが大正解だった。新地中華街のエリアにあって、「どおおおすりゃ、いいの~よ」思案橋も遠くない。長崎といったら、グラバー園とオランダ坂と出島くらいしか思い浮かばなかった私であるが、有難いことにこれらがすべて徒歩圏内だった。

というわけで月曜日、早起きして雨模様の町に出た。

長崎といえば、私の中ではまず出島である。出島は、最後の訪問先だったが、まずこれから始めよう。

江戸時代の出島が再現されているとは聞いていたが、特に期待していたわけではない。ただ、出島の狭さを肌で感じればよいと思っていた。ところがこれが案に相違して、なかなかに面白かった。
だいいち建物が、映画のセットのようなものではなく、ライデン国立民族博物館に所蔵される「ボロモホフの出島模型」に基づいて再現された本格的なものだ。この模型、写真で見る限り、部屋の壁紙の柄まで再現した実に精巧なもので、当時の長崎の職人衆の腕の冴えを偲ばせる。

展示も興味深いものが多かった。例えば、オランダ東インド会社のVOCのマークが刻まれた銅貨。これは当時日本からの輸出品だった棹銅を切断してマークを刻印したものである。展示品解説によると、東インド会社は、オランダ本国から、貿易地で貨幣を鋳造することを許可されていたという。スリランカのゴールのことが思い出され、この二つの港町が海の道でつながっていたことが実感できた。

オランダ商館長(カピタン)の事務所兼住宅(カピタン部屋)には、「オランダ冬至」の祝宴の食卓が再現されていた。「オランダ冬至」は、禁教令のためクリスマスを大っぴらに祝えない彼らが冬至にかこつけて開いたお祝いである。「オランダ正月」ともいい、大槻玄沢ら蘭学者たちもこれを楽しんでいたことは、以前、何かで読んだことがある。

こういう知識が仕入れられたのも、傘をさして案内してくれたボランティアのおじさんのお蔭である。この人がまた素朴でなかなかよかった。私が「へ~」とか「おもしろい」とかいうと、いちいち、はっきりと喜んでくれるので、こちらも褒めがいがあった。

最後のところまで来て、

おじさん「昨日長崎はあいさい祭りだったんですよ」
私「愛妻祭り?へえ、なかなかいきな祭りじゃないですか」
おじさん「ここにも、あちこちに」
私「あ、なるほど」
小雨のなか、年季の入った夫婦が何組かそぞろ歩いている。愛妻祭りの余韻だろうか。
おじさん「…植えてるんです」
私「愛妻を植えてる?!」
おじさん「ええ、なにしろ市の花ですから、アジサイは」

そうしているうちに空港行きのバスの時間が迫ってきたので、おじさんには懇ろにお礼を述べて出島をあとにした。

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*グラバー園にあるプッチーニの像と紫陽花。
フィールドワークの記録

三国志

2012年06月12日
このところ毎日ネットの無料動画サイトで「三国志」を視ている。一日一話更新なのがちょうどいい。
私見だが、劉備玄徳も曹操も、数年前に公開された「赤壁の戦い」をテーマにした大作映画よりも、はるかによい。だいいち、原作に忠実だ(と思う)。劉備は義の人、曹操は乱世の奸雄。こういう「定番感」は大切だ。周瑜ごときが諸葛孔明と対等だなんてありえない。

そこで言いたい。歴史ドラマは、いい原作を探し、その通りにせよ、まちがっても、にわか勉強の
脚本家に小賢しい解釈などさせるな、と。

ある大学教員の日常茶飯

佐治晴夫先生の講演

2012年06月10日
6月8日、9日の両日高野山大学で密教研究会の学術大会が開かれた。

初日の午後には佐治晴夫先生の講演「時間と心の万華鏡―最新宇宙論の視座から人間を考える―」があった。JAXAの月周回衛星「かぐや」から見た「地球の出」の映像で始まったこの講演会は、実に感銘深いものであった。ちなみに「かぐや」は、この映像を撮った直後の2009年6月11日(今からちょうど3年前)に月面に制御落下し、その生涯を終えている。最後の最後に「かぐや」に「母なる地球」の姿を見せてやりたい、という配慮が働いたのだそうな。「はやぶさ」と同じで、これだけで「ぐすん」とくる話ではないか。

さて、佐治先生はもとより高名な科学者である。

先生は、昨年のダライ・ラマ法王14世ご来訪の際、高野山講演最終日午前中の「科学者との対話」のセッションに、茂木健一郎先生、ナターリア・ポリュリャーフ先生といっしょに出席された。

その時、私は、控室で先生をお迎えした時から、その飾らないお人柄と何をお尋ねしても即座に「次元の異なる」答えを返されることに、強い印象を受けた。

だがこの時は、何といっても主役は法王様であるし、間に通訳が入る3人の対談者のおひとりということもあって、先生のご発言時間は長くなかった。そのことが私には心残りだった。

そこで密教研究会の理事会で次回の学術大会の講演を誰に依頼するかが議題に上ったとき、迷わず「佐治先生にお願いしては」と発言した。それが実現したわけで、私もちょっぴり鼻が高い。むろん佐治先生がお引き受けくださったのは、啓蒙活動に熱心な先生の御意思と高野山という場のもつ力によってである。

講演の前に、応接室でお昼をいただきながら先生のお話を拝聴した。私一人に与えられたとても贅沢な時間だった。
高野山大学の力

スクープハンターとトンネル

2012年06月05日
昨夕学生によるバーベキューパーティーというのがあった。イヌイさんを誘って顔を出した。その結果は、「もう酒は飲むまい」。

さて、近頃よく見るテレビ番組にNHKの「タイムスクープハンター」がある。なんでもシーズン4に入っているそうで、それなりに人気があるのだろう。

この番組、タイムスクープ社という未来の会社が、過去にジャーナリストを派遣して、日本のいろいろな時代の庶民の営みを取材し、アーカイブする、という趣向で、毎回、取材中になにかしら事件―辻斬りが番屋で暴れるとか、女相撲の興行がすんでのところで中止になるとか、お氷さまが山賊に襲われるとか―が起るのが「お約束」になっている。

先週は江戸の古紙のリサイクル業の話で、とくにおもしろいというほどでもなかったが、後味は悪くなかった。日本人は、昔から知恵と勇気で、決して楽じゃない人生をたくましく生き抜いてきた、というのが番組全体のメッセージだと思う。

特徴は、知った顔がでないということである。これには二つの意味がある。一つは、知った役者が出ないということ。こういうと出演者に失礼のようだが、とにかく、要潤と杏以外、どこかで見たという顔が一つも出てこない。これはこの番組にとってはとても大事なことで、そのためにドキュメンタリーのようなリアリティが生まれている。
もう一つは、歴史上の著名な人物が登場しないということ。あくまで名もなき庶民の生活を取り上げるというコンセプトが一貫している。

これはつまり、昔NHKで放映していた「タイムトンネル」というアメリカのテレビシリーズの逆を行っているのですね。というと特定の年代トークになって恐縮だが、覚えている人も多いはず。こちらの番組の設定は、砂漠の地下で密かに開発中のタイムトンネルというタイムマシンに青年科学者二人が飲み込まれ、毎回いろいろな時代に飛ばされるというもの。未来にも行くが、過去の方が圧倒的におもしろかった。なにしろ、彼らは、陥落寸前のアラモの砦でデイビー・クロケット(?)に会ったり、恐怖政治下のパリで若きナポレオンとすれ違ったり、トロイでヘレンを見たり、となぜか必ず有名な事件に立ち会い、有名な人物に会ってしまうのである。

そこへゆくと「タイムスクープ」は地味な話ばかりだが、実験的な要素もあり、制作者サイドが歴史民俗学的なお勉強をしていることも伝わってくる。これからも著名人を出さずにがんばってもらいたい。と、ここまで書いて今日が放送日であることを思い出した。まあ、多分、おそらくきっと見る。






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