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何が悲しくて

2012年02月29日
いったいなにが悲しくて、みんな争うようにケータイやスマホを買い求め、大した用事もないのにせっせと「通信」に励んで、その手の会社を儲けさせているのか…  などと考えながら、スマホが手放せなくなりつつある今日この頃である。

一昨日の夜明けにどっさり降った湿った雪が、雨ですっかり溶けてしまった。

関西に住んでいてつくづく感心するのは、ほぼカレンダー通りに季節が推移することである。三寒四温がしばらく続くのだろうが、気分は、もう春、といきたいところだ。

ある大学教員の日常茶飯

仙台のシンポジウム

2012年02月22日
片平さくらホールは公孫樹食堂の跡地に立っていた。

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シンポジウム「聖典とチベット」はなかなかの盛況だった。

磯田熙文先生がわざわざお越し下さったのには恐縮したし、後藤敏文先生もお忙しいところお顔を出された。河北新報のマサアキさんは仙台駄菓子のお土産までくれた。驚いたのは、「わでぃ・はるふぁ」のマスターのN田さんが来てくれたこと。「わでぃ」は昔よく行ってラッシーなどを飲んだ青葉通の喫茶店で、私が初めてインド行きのチケットを買ったのもN田さんからだった。

O先生を始めとする東北アジア研究センターの人々、菊谷君、スタッフとして働いた方々にはとてもお世話になった。感謝したい。

翌日の早朝、五橋のホテルで目が覚めた。例によって、しばらくの間、残留アルコールに苦しみながら自己嫌悪と闘う。「二次会でまた変なこと言っちゃったかな…」
7時過ぎに大浴場で汗を流してから、無理に朝食を取ると、少し気分がよくなった。

昨日のお礼に「わでぃ・はるふぁ」に行ってみたが、閉まっていたので、バスで仙台駅にとって返し、山形行きの列車に乗った。

仙台駅の本屋でこの本を買った。マサアキさんによれば、よく売れているという。たまたま見かけてほとんど義務を感じて買った。

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河北新報社編集局『再び、立ち上がる!―河北新報社、東日本大震災の記録』筑摩書房

もとが新聞記事だからコンパクトにまとまっていて読みやすい。読みながら、この時点ではまだ書けなかったこと、今でも書けないこともさぞかし多かろうなどと考えた。

山形は30年ぶりの大雪で、積雪量は例年の3倍だという。実家に一泊して、翌日夕方の新幹線で帰途についた。













ある大学教員の日常茶飯

ダマラさん殺害事件と「東電OL殺人事件」

2012年02月17日
一人は1カ月ほど前に大阪の路上で理不尽な暴行を受けて殺害された。もう一人は15年前に東京で女性会社員を殺害したとして逮捕、起訴され、有罪が確定して服役中である。

ともにネパール人で飲食店で働いていたこと以外、表向きは特に共通点はなさそうなのに、二人が重なって見えるのはなぜだろうか。

ダマラさんが無抵抗で暴行を受けたのは、乱闘で警察沙汰になることを恐れたためだろう。日本人には手を出すな、と日頃から仲間に話していたらしい。それが、差別的な取り扱いを受けることを恐れての決断であるとすれば、とても悲しい。

マイナリ受刑者については、去年、あらたな証拠となる可能性のあるDNA鑑定が出たとの報道がなされ、再び注目を浴びた。事件当時は、容疑者よりも、被害者の私生活に猟奇的な関心が集まり、マスコミが蜂の巣をついたように騒いだと記憶するが、今となっては、やはり彼のことだ。





ある大学教員の日常茶飯

ベンガル・アジア協会旧館

2012年02月16日
コルカタの目抜き通りチョーリンギー・ストリートとパーク・ストリートが斜めに交わる角にベンガル・アジア協会の建物がある。ウィリアム・ジョーンズ以来のインド研究の拠点の一つである。

ここに何回行ったかはよく数えないと分からない。楽しい思い出もあれば、お役所仕事の壁にはねかえされた苦い思い出もある。

今回は楽しい方。8年ほど前、服部・白須両先生と訪ねた折、隣接する旧館に案内してもらった。植民地時代の空気を閉じ込めたままのような重厚な建物の一画に、チョーマ・ド・ケーレスが使っていた部屋があった。とても狭く、窓を開けていないせいで暗い部屋だった。彼がチベット語の辞書と文法書(1834年刊行)を執筆したのはこの部屋らしい。

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*カメラは一台に制限されたので、白須先生が代表で撮られた。
研究ノート

チョーマ・ド・ケーレスの墓

2012年02月15日
忙しい時に限って、別の仕事がやってくる。めずらしいことではない。ゲラひとつ、昨夜曼荼羅荘で校正し、午前中に追加の確認をしてようやく終わった。それにしても、これ、熊楠の第三弾である。是が非でもブームにしようという強い意思のようなものを感じる。

昨日、こんどのシンポジウムで何か珍しい写真でも見せてやろうと探していたら一つ、ちょっと面白いものが見つかったので以下に掲げる。ダージリンの共同墓地にあるチョーマ・ド・ケーレスの墓である。チョーマは、近代のチベット研究の祖と目されるハンガリー人で、「西洋の菩薩」の異名を持つ。カルカッタでチベット語の辞書と文法書を出版した後、民族の源郷を探そうとしてチベットに向かったが、途中、この町でマラリヤのために死んだ。
10年ほど前、スリランカからカルカッタを経由してダージリンに行った時に探し当てた。

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*柱状の墓の後ろに彼の偉業を讃えるプレートがたくさん貼られている。ダージリンには、ヴィヴェーカーナンダの女弟子のシスター・ニヴェーディタの墓もあるとされるが、こっちの方はまだ見つけていない。
研究ノート

厳冬期高野山合宿

2012年02月13日
2月11日(土)、12日(日)の両日にわたり、人文研公募研究会冬期高野山合宿がD院を会場にして、にぎにぎしく開催された。二日ともお天気には恵まれたが、下界から来た人にはやはり相当寒かっただろう。なかにはマイ湯たんぽを持参した人もいた。プログラムは次のような盛り沢山な内容だった。

2月11日 午後2時過ぎより
 講演① 日野西眞定先生「高野山の民俗」
 発表① 谷口真梁師「国際布教」
     コメンテーター:福西加代子
 発表② 沼野圭翆師「遍路―つながる―」
     コメンテーター:奥山直司
2月12日 午前9時より
 講演② 藤田光寛先生「高野山の歴史と文化」
 発表③ アンドレア・デ・アントーニ「あの世から心霊スポットへ?-現代恐山における体験とモノのエージェンシー」
     コメンテーター:山下博司
 発表④ 河西瑛里子「現代の欧米の女神運動にひかれる人たち―イギリス、グストンベリーの事例から」 
     コメンテーター:萩原卓也

一日目は図書館の木下さんと院生の梅原豪一君も来てくれた。梅原君は夕食後の飲み会にも途中から参加した。また国際交流基金で半年間日本に研修に来ているタイ・タマサート大学の大学院生Kさんも全プログラムに参加した。

二日目が終了し、昼食をいただいて解散した後、高野山は初めてという若手を奥之院と壇場伽藍に案内した。一番受けていたのが企業墓で、UCCのコーヒーカップの中をのぞいたりして大はしゃぎだった。

4時半、小田原通りのバス停で彼らを見送った後、梵恩舎でランチとチャイで身体を温める。D院には二日間大変お世話になった。

現場の声が聴けて新鮮だった、というのが参加者の多くの感想だった。私にとっても、高野山という場の力を見直すきっかけになった。

さあ、次は19日仙台でのシンポジウムだが…












高野山大学の力

ええっ?!

2012年02月11日
2月5日の毎日新聞の「今週の本棚」に『南方熊楠大事典』が取り上げられた。<南方マンダラ>の項が「感動的」と紹介されている。そこでさっそく、バンコクのプラ・ヒー・デ・カーンダ師に送ってあげた。
「こんな出ましたけど」

しばらくして返事がきた。

「♪はじめてほめられた気分です♪」

ムムッ、これは聞き捨てならぬ。

「ワシがいつもほめてたやないか」

「ええっ?」

「ええ!」


歴史とは現在と過去との対話である(E.H.カー)




ある大学教員の日常茶飯

カモシカさんのお出まし

2012年02月07日
昨日の朝、大学の本館と生協の間を通ったら、ばったりカモシカに出くわした。驚かさないように、距離をおいて見守っていたら、そのうちにゆうゆうと出ていった。なかなかりっぱなヤツだった。

ニホンジカなら、高野山と龍神温泉をむすぶスカイラインを夜通ると、ヘッドライトの光の輪の中に何頭も浮かび上がることがあるが、カモシカを見たのは高野山では初めてのことだ。Gさんに聞いてみると、山内ではちょくちょく出没しているそうな。熊やイノシシは困るが、カモシカは歓迎だ。

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二日にわたって修士論文の諮問があった。

一晩中降り続いた雨が雪を溶かした。しかし今夜から気温がぐっと下がって、雪解け水を凍らせるのだそうな。今度の土日には、いよいよ「人文研公募研究プロジェクト奥山班 厳冬期高野山合宿」が挙行される。何と物好きな!
ある大学教員の日常茶飯

阪堺電車

2012年02月06日
4日(土)A路さん方へ弔問に行ったが、留守のようだったので、「ろおじ」で時間を過ごした。たまたま話が阪堺電車に及んだので、つい告白する気になった。

「実は私、まだ阪堺電車に乗ったことがないんですよ」
「エーッ!エーッ!エーッ!」

あわてて弁解する。
「いやなに、泉北の住人は生活圏が阪堺電車とはまったく違うので…」

阪堺電車は、前にも紹介したことがあるが、大阪の天王寺・恵美須町と堺の浜寺を結ぶ路面電車である。料金は一律200円とお得だ。

泉北に住んでいると「足」として使うことはできないが、大阪・堺のモダニズムのシンボル的存在として失くしてはいかんという気持ちは持っている。

「それじゃ、これから乗ってきますわ」となった。

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*これは風情のあるクラシックなタイプ。

高須神社から天王寺駅前までおよそ25分。近鉄百貨店を少々ぶらついて戻った。駅ごとにこちらにカメラを向けている人がいる。いわゆる「撮り鉄」でなくても、この電車は撮りたくなるよ。

5日(日)午前中、A路さん方を訪れ、お参りさせてもらう。一日車検で車が使えないので、電車で堺東まで行き、そこからバスに乗り、綾ノ町電停前で降りた。行ってみると、今日がちょうど49日の法要であるという。間がよかったわけだが、これから寺に行かれるということなので早々に辞した。帰りはまた阪堺電車に綾ノ町から大小路まで乗ってみた。

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*パンダ電車とすれちがう。
ある大学教員の日常茶飯

聖典とチベット

2012年02月01日
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仙台からこのチラシが送られてきた。

東北大学東北アジア研究センターシンポジウム「聖典とチベット―仏のことばを求めて」

日時:2012年2月19日(日)13:00~18:00
会場:東北大学片平さくらホール2階

主な内容:
講演① 奥山直司(高野山大学)「河口慧海による梵語・チベット語仏典の収集とその意義」
講演② 長岡龍作(東北大学)「日本美術史研究者にとっての河口コレクション」

発表① 高本康子(群馬大学)「多田等観関連資料の現在」
発表② 菊谷竜太(東北大学)「インド仏教聖典の翻訳とチベット大蔵経の形成」
発表③ 井内真帆(日本学術振興会)「蔵外文献をめぐる学界動向と日本所蔵蔵外文献の活用に対する提案」
発表④ 吉崎一美(ネパール研究家)「河口コレクションとネパール仏教」

こりゃ、ちょっと準備しなければならぬ。

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朝から御山を下りて、調べものをするために、一年ぶりで中之島図書館に行った。ほんのちょっとした確認なのだが、こういうところで手を抜くと、ろくなことがない。案の定、明日までのゲラに何ヵ所か直しが入った。終わって、大阪市役所の地下の郵便局からそれを出し、南海難波に戻って、こうや号に乗った。御山は吹雪もようになっていた。

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研究ノート
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