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『フリースタイルな僧侶たちのフリーマガジン』ダライ・ラマ法王 in 高野山

2012年01月31日
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明日から2月。一年で最も忙しい期間に入る。忙しいのは年中慢性的に忙しいのだが、何となく気ぜわしく落ち着かないのがこの月の特徴だ。

和泉の弘法寺の渡邊弘範師(高野山大学大学院修士課程修了)が、できたばかりの『フリースタイルな僧侶たちのフリーマガジン』第15号を届けにきてくれた。この号は渡邊師が輪番編集長となって編集したもので、「ダライ・ラマ法王 in 高野山」特集号になっている。

表紙に使われている写真は、11月4日の朝、法王が金剛峯寺の大玄関を出られるところ。左は松長有慶高野山真言宗管長。この表紙も含めてほとんどのページがダライ・ラマ法王の高野山訪問の記事で埋められている。メインは高野山大学における法王の法話の紹介で、なかなかよくまとめられていると思う。渡邊師は、10月31日の「ダライ・ラマ法王、青年僧と語る」で、二人の猊下に直接質問をした人のひとりである。

『フリースタイルな・・・』は、いろいろなところに配布されているようであるが、HP(上記)を介しても入手できるから、興味のある人は覗いてみてほしい。彼らの運動については最近知ったばかりだが、今後注視してゆきたいと思っている。



ある大学教員の日常茶飯

生井先生の最終講義など

2012年01月29日
1月21日(土)人文研で公開講演会。雨にもかかわらず、それなりの人数が集まってくれた。最初にプラユキ・ナラテボーさんの講演、続いて泉経武さんの講演。ローズさんのコメントは質問中心で、それにまた二人の講演者が実に丁寧に答えてくれた。おかげで理解が進んだと思う。2時から始まり、途中20分の休憩を入れて、きっちり6時まで、充実した時間を過ごすことができた。

1月25日(火)11時から生井智紹先生の最終講義があった。最後までしっかり中身の詰まった講義であったことが、生井先生らしかった。先生には、この大学に着任して以来、さまざまな形でお世話になった。先生は勉強する人間には理解があり、支援を惜しまれない。ずっと言いたいことを言わせてもらってきたが、大きな恩恵を受けたと感じている。特に印象深いのは、ハワイ大学での学会にご一緒したこと、高野山国際密教学学術大会の運営委員を学長時代の先生の下でやらさせてもらったことだ。先生はこういう学術の場でこそとても栄える。今後のご活躍を祈りたい。

1月28日(土)所用で京都に行った帰りに難波の高島屋で「隠元禅師と黄檗文化の魅力」展を見た。最初にインゲン豆、スイカ、レンコン、タケノコ、寒天などのサンプルが展示してあったのには驚いた。いずれも17世紀に隠元禅師の来日によって日本の食文化に加えられたものとされている。タイトル通り、文化財より文化そのもので押すコンセプトらしいと気づく。宇治の黄檗山万福寺から、伽藍堂の華光菩薩、天王殿の韋駄天、それから大雄宝殿の十八羅漢のうちの何人かがお出ましになっていて、しごく結構であった。いつも通り図録を買ったが、美術展の図録としてはちょっとユニークなものであった。

ある大学教員の日常茶飯

立ちあがる気力

2012年01月27日
このところ寒くて、目覚めてもすぐに寝床から起き上がる気力がわかない。
スマホが来て以来、メールは寝床でも見られるようになったので、無理して研究室に出かけてゆく動機が弱くなった。

と思っていたら、今朝方、枕元でスマホが冷たくなっていた。電源を入れても、うんともすんとも言わない。電池が切れたのである。またか。

最初にこれをやられた時には、もう故障か?と慌ててお店に駆け込んだ。応対に出た店員はこう言った。

 このスマホは立ち上がる気力を失くしているんですね。

要するに立ち上がるだけの元気、いや、電気がない、ということのようだが、面白いことを言うものである。

さて、昨日の続きである。

1月7日(土)、今年から始まった「十二支考」輪読会に出席するため田辺の南方熊楠顕彰館に行った。

今年は辰年で、お題は「田原藤太竜宮入りの譚」である。せっかくの機会だから前もって読んでおくことにしたが、読み終わったのは、田辺に向かうオーシャンアロー号の車内でだった。決して読みやすいものではない。ついつい眠くなるので、線を引きながら読んだ。

輪読会では松居先生が例によってきわめて明快に解説してくれた。お年玉として配られた「引用洋書一覧」もかなりの労作で、熊楠が若いころロンドンの図書館に通って作った抜き書きが「十二支考」を執筆する際にずいぶん活かされたということが、目に見える形で提示された。

お年玉といえば、今龍谷大学に来ているブリジ・タンカ先生(デリー大学)が飛び入りで話をしてくれたのもサプライズなお年玉であった。

さて、「博引旁証」は熊楠の文章を論ずる際の枕詞だが、やる気と時間と資料があれば、あのくらいの引用書目を並べ立てることは決して不可能ではないという気がする。むしろ問題は、そうして得た情報をどう管理し、組み立て、立論するかということの方である。そこで登場するのが、「腹稿」と呼ばれる新聞紙大の大判用紙に書かれたメモである。情報のユニット同士を線でつないだおそろしく饒舌なものだが、じっと見ていると、一種の美的感興がわいてくる。完成した文章と「腹稿」とを丹念に照らし合わせてゆけば、彼の発想がトレースできるかもしれない。

この日は例によって田辺のホテルに一泊し、翌日午前中は顕彰館で過ごし、お昼をC本先生と一緒に取ってから、帰りの列車に乗った。

ある大学教員の日常茶飯

犬はよろこび

2012年01月26日
雪だ。とにかく雪だ。


正月以来、スマホにかまけてブログの更新がおろそかになっていた。たまに読み返すと、自分の記録としてまったっく役に立たないわけではない。これからも、だらだら続けてゆこう。

そこでまずたまっていたトピックを少し整理しておきたい。

まずこれだ。
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『別冊太陽 南方熊楠』(平凡社)

『南方熊楠大事典』とほぼ同時発売となった。盛りだくさんの内容で、それが実にビジュアルに構成されている。「図説 熊楠大事典」と呼ぶべきもの。
それにしても最近のM居先生は騎虎の勢いというべきか、辰年だから昇り竜というべきか。あやかりたいものである。

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次はこれ。白須淨眞編『大谷光瑞と国際政治社会』(勉誠出版)

去年の10月に出たもので、最近、書評が次々と現れて、どれも高い点を付けている。第一この表紙の写真がすごい。1910年の正月にカルカッタで撮影されたというこの写真、前列中央に大谷光瑞夫妻。これはまあ当然として、私があっと思ったのは、二列目右端に河口慧海が写っていることだ。光瑞と慧海が同じ写真に写っているというのは珍しい。さらに、説明によれば、光瑞夫人の左に座っているのは、当時のカルカッタ総領事代理の平田知夫、前列右端にたっているのは大谷探検隊員として知られる橘瑞超、慧海の左隣りは織田恵秀(名古屋長母寺)だという。役者がそろっているではないか。

以上の2書には私も一文ずつ投じているが、いずれも「他人の褌」に過ぎない。この「借り」はそのうちきっと返させてもらう。

まだまだあるのだが、これから雪中行軍をしなければならない用事があるので、ここで一区切り。最後に、
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*倪正著『蔵獒』より

かわいいチベット犬の写真をどうぞ。タ・タイチョー、これでも見て元気を出してや、がう~。


ある大学教員の日常茶飯

高野山大学同窓会徳島県支部総会

2012年01月25日
月曜日、高野山大学同窓会徳島県支部総会に講師として呼ばれて徳島市に行った。難波のオーサカシティ・エアターミナル(OCAT)から12時15分発の高速バスに乗り、淡路島を通って、14時半頃徳島市駅に到着。会場のホテルへ早めに行くと間もなく支部長の山田師がみえられた。

16時半から1時間あまり「高野山大学ダライ・ラマ法王14世招聘事業報告」と題して話をさせてもらった。

阿波は高野山とは昔から縁が深く、阿波僧侶は高野山真言宗内では一大勢力だ。

私は、K崎君あらためN村君やA石君など、よく知った若手に久しぶりに会うことができてうれしかった。

翌日は、鳥居龍蔵記念博物館を見て帰ろうと思ったが、どうしても時間が合わないので、眉山(びざん)の麓の「阿波踊り会館」で鳴門金時を一袋お土産に買って、早々にバスに乗った。眉山は徳島市のシンボルで、同名の小説が映画やテレビになっている。

鳥居龍蔵記念博物館は、鳴門市にあった時代にゼミ旅行で一度訪れているが、徳島市に移転新築されてからは行ったことがないし、眉山山頂にあるモラエス(徳島で没したポルトガルの元外交官)の記念館もまだだ。他にも徳島には見るべきものが多そうだ。今度は車で出直して来よう。

支部長の山田師、事務局長の上田師には本当にお世話になった。

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*早朝、JR徳島駅付近の歩道橋から眉山方面を望む。徳島も寒かった。

ある大学教員の日常茶飯

風邪が流行っている

2012年01月18日
学内に風邪が流行っている。特に事務室は要注意なので、長く居ないようにしている。そういう時にかぎって会議が立て続けにあり、どれも長い。

昨日イヌイさんがマスクをして訪ねてきた。イヌイ菌には去年ひどい目にあっているので、ひやひやした。この部屋で咳をしないでくれ。彼が「土日寝込んで、ようやくよくなったんですよ。おかげで少しやせましたけどね」と言いながら、太鼓腹をさするので、台湾のお菓子をあげた。「これを食べて盛り返してください」

『南方熊楠大事典』を読み続けている。せっかくだから線を引きながら読んでいる。最近は忙しくてまとまった時間が取れないが、事典という形式は、スケジュールの隙間を埋めるのに適している。

ただ電車の中で読むには向いていない。このあいだ試みたが、すぐに腕が疲れてダメだった。

ある大学教員の日常茶飯

スマホ元年

2012年01月17日
今年の目標、スマホを使いこなせるようになること。

元日、泉ヶ丘のお店に出頭し、スマホ様を拝領する。その辺りには柔らか銀行、コドモ、アウーがすべて出店しているが(これはお正月の漫才のネタ)、高野山でもよく受信できるということで◎を選んだ。それから2週間以上が経ち、さすがに使い慣れてきたが、キーボードが小さいのと電池の消耗がはげしいのに閉口している。

このあいだM沢嬢に聞いたら、彼女もよく押し間違えるし、面倒なので、来たメールに返事をしないでいたら、いつのまにか「返事が返ってこない子」にされてしまったとのこと。

買う前は、これで写真を撮って即ブログにアップなどと身の程知らずなことを考えていたが、この老眼と指の太さとですぐに断念した。

ケータイもほとんど持ったことのない私がスマホを持つようになったきっかけは、ある「事件」にあるのだが、これはまたおいおいお話したい。

今日はどの機能を覚えようかな。

ある大学教員の日常茶飯

南方熊楠大事典が届く

2012年01月13日
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朝、事務に行ったらこれが届いていた。

「これは罪作りな本だよ。一度読みだしたらなかなかやめられない」とはC本先生の言であるが、まさにその通りで、時間が経つのを忘れる面白さがある。おかげで昼過ぎの会議に遅れそうになった。

800ページ近い大冊だが、大事典と銘打つ以上、これぐらいあるのは当然で、むしろ項目を絞り込んで何とかこれだけに抑えたという感じである。私なら、たとえば、人名録には「中村錠太郎」を入れたいところだが、そういうのをいちいち取り込んでいると、今でさえ「枕のような」と言われる本がほとんど立方体になってしまうだろう。それはそれで面白いのだが・・・

何項目か読んでみて、感心することがとても多かったが、人によって随分観点が違うものだ、とも思わせられた。この出版を機に研究者間の情報交換がさらに進むことを期待したい。
読書ノート

成人の日

2012年01月09日
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*新成人を二人の熊楠くんが正装してお出迎え。顕彰館の庭で。

ある大学教員の日常茶飯

南方熊楠大事典

2012年01月06日
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松居竜五・田村義也編『南方熊楠大事典』勉誠出版、9800円+税

今月末に刊行されるという知らせが来たので、ご紹介したい。従来、類似の出版物に松居・中瀬・桐元・月川編の『南方熊楠を知る事典』(講談社現代新書)があり、ハンディで私のような初学者にはとても便利であったが、最近は手に入らなくなっていた。

こちらは、最新の情報と研究成果を満載した800ページの文字通りの大事典である。私はほんの3項目執筆しただけで、ほかの原稿は読んでいないが、各分野の専門家による記述には、思わず、うーむ、と唸りたくなるような内容が多いらしい。

今後、本書を参照しなければ、この人物を少なくとも学術的に語るのは困難になるだろう。出版が待たれる。
研究ノート
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