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坂の上の雲 第3部

2011年12月05日
ポイントはやはり乃木愚将論だろうなと思いながら視た。柄本明の乃木大将は、もっさりした鈍重な感じで、かつてこの役を演じた仲代達也や笠智衆とは相当違う。これも演技上の計算かなと思うけれど、それは次回を見ないうちは何とも言えない。

司馬遼太郎の原作以来一般化したかに見えるこの論に対する批判が出始めたのは、日露戦争100年の2004年頃からだったと記憶する。当時の要塞攻撃はああいうやり方しかなかったのだ、あの大要塞をわずか半年で落としたのだから立派なものだ、トンネルを掘り進んで要塞を爆破するなど合理的な作戦を実行しており、やみくもに突撃させて犠牲を増やしたのではない、などなど。

もう一つ、第3軍が203高地に攻撃目標を切り替えたのは、旅順港に立てこもるロシア太平洋艦隊を撃破して、バルチック艦隊との決戦に備えたいという海軍からの強い要請に応えるためであったとされるが、最近言われているのは、この艦隊は、それ以前の黄海海戦と第3軍による山越の砲撃とですでに使い物にならなくなっていたということである。

もしもそうであるならば、「坂の上の雲」や映画「203高地」に見られる、屍山血河の大激戦→203高地占領→観測所の設営→28サンチ砲による砲撃→艦隊の撃滅→→→日本海海戦の大勝利、という日本人にとって「痛快な」ストーリーは崩れることになる。では、あれだけの犠牲はいったい何のためだったのか、ということになるが、203高地でロシア側に大出血を強いたことが早期の旅順開城につながった、などいくらでも理屈はつけられそうな気がするから、この位にしておこう。





ある大学教員の日常茶飯

サバーの100回目

2011年12月04日
サバー(サンスクリット語などで集会の意)は古坂紘一先生が主宰する気楽な勉強会だ。それが昨日区切りの100回目を迎えるというので、久しぶりに出てみた。時間は5時から、会場は今里のとあるマンションの集会所。4時45分に今里駅の改札口集合というので、5分ほど早めに行くと、すでにK先生が待っておられた。この間の「クッ」の公演にちなんで在日のムーダンの話などをしていると、N口先生とU野さんがやってきた。

今回の発表者は、記念の回にふさわしく古坂先生で、そのタイトルは「インド仏教素描―初期仏教から大乗仏教まで―」。インドの初期仏教から大乗の興起までの流れを大づかみに解説された。

先生には『宗教史地図 仏教』(朱鷺書房、1999年)という一般向けではあるが学術的にも確かな著書もある。

終わってその場で懇親会。とても和やかなものだった。

私はこの会には10数年前から誘いを受け、これまでに4回発表させてもらっている。熱心な参加者というわけではないが、年に5回のペースで開かれているこの会に1、2回ずつは顔を出している。

この会がよいのは、いろいろな経歴の人がてんでに好き勝手なことを話して、決して無理がなく、雰囲気もよいことだ。それにしても100回、20年というのは大変な積み重ねである。これだけ続いたのも古坂先生と事務局のU野さんのお人柄によるところが大きいと思う。



研究ノート
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