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かわいい砂曼荼羅が姿を現しつつある

2011年10月28日
ここ二日間の作業によって、大きくて、美しく、なおかつカワイイ砂曼荼羅が出現しつつある。仏たちの姿を直接にではなく、それを象徴するさまざまな物で表した三摩耶(さんまや)曼荼羅だ。一言でいって、「本、格、的」。実にうれしい。

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*常時、7、8人が相談しながら作業を進める。マニュアルを見てやるわけではない。綿密に下絵を描いた後は、もう分かっているという感じで、それぞれがどんどんやってゆく(26日夜)。

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*最も重要な中心部から描いてゆく。中心から周辺へ。まあ、こういう感じで描くので、それ以外の方法はないのだが。

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*彼らは真剣そのもので、その粘り強さは、感嘆のほかない(26日夜)。

え?曼荼羅をもっと見せろって?それは、今のところちょっと・・・

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*替りに道具類を。角状容器は二個一で用いる。元の口から色砂をすくい入れ、刻み目をもう一方の角でコリコリこすって振動を与えながら、先端の小さい口から少しずつ出してゆく。色は15色で、白、青、黄、赤、緑の5色が基本だが、それぞれ濃淡3色ずつあるのでグラデーションも出せる。





フィールドワークの記録

トルマの軍団

2011年10月26日
マンボウ・キータ氏が逝去された。最近も寝床で『どくとるマンボウ航海記』を読み直して、氏のたぐいまれな資質に改めて感銘を受けたばかりだった。哀悼。

さて、気を取り直して、

トルマの軍団、整列!

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ザッ!

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前へ進め!  ザッザッザッ・・・・

おお、機甲師団も登場だ。
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ずりずりずりずり・・・

プルパ(橛=けつ)部隊も現れた。
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俺たちゃ怖いぞ、ぎゃー、ぎゃー、ぎゃー!!

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というわけで、本尊への供物が勢ぞろいした。

トルマはタケノコ状の仏への捧げもの。本来ならばツァンパ(大麦を炒って粉にひいたもの)を用いるが、彼らは強力小麦粉で器用に作ってしまった。
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その場での対応に苦労しながらも、準備は着々と進んでいる。


フィールドワークの記録

ナムギェル僧院一行、到着

2011年10月25日
昨日の夕方、ナムギェル僧院一行10人が高野山に到着した。彼らの第一の仕事は、11月1日、2日に行われる灌頂に用いる金剛界曼荼羅を色砂で描くことである。砂曼荼羅はインド以来のもので、インド後期密教の曼荼羅儀軌には、「以上の曼荼羅を色砂(ラジャス)で描いてもいい」と規定されている。
また灌頂ではダライ・ラマ法王の手伝いもする。特にチャト・リンポチェは、法王も一目置く瑜伽タントラのエキスパートだ。

今朝8時から彼らは松下講堂で下準備をした。少々焦っているらしく、明後日からは深夜まで作業して30日の夕方に完成を目指すという。本来ならばもっと長くかかるものなのだ。

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*この青い板の上に曼荼羅を描いてゆく。最初は、この板と同じサイズの高さ90センチの台を用意してくれというので、「えーっ!聞いてないよ」となったが、結局この台で我慢してくれることになった。彼らの仕事ぶりは丁寧だが、融通はきくのである。

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*昨日ブログに書いた四面大日のタンカを掛ける。

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*これでひと仕事オワリッ。


フィールドワークの記録

四面大日如来、到着

2011年10月24日
先週、四面大日如来のタンカ(プリント)が到着した。四面大日を中尊とする金剛界37尊の図である。それが今日、小林写真工業さんの手で補強され軸が取り付けられた。本来ならばきちんと表装しなければならなが、今は時間がないから応急の措置である。

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モンゴルから発送され、東京のチベットハウスを経由して高野山に届けられたこのタンカは、11月1日、2日にダライ・ラマ法王によって金剛界曼荼羅灌頂が厳修される際に会場に掛けられ、そのあと高野山大学に寄贈される。
フィールドワークの記録

また北旅籠町。

2011年10月23日
昨日に続いて北旅籠町に行った。別に毎日行かないでもよさそうなものだが、昨日あんまり愉快だったので、また行ってみる気になったのである。つまり「脳が喜んでいる」。

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*途中ふとん太鼓の行列にであった。

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*阪堺電車。映画「自虐の詩」に登場したのはこれだ。

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*この電車には、こんな乗客がよく似合う。

「ろうじ」がまだ開いていなかったので、堺鉄砲館に行って堺火縄銃保存会の前の会長さんからいろいろな説明を聞く。

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*これは驚いた焙烙火矢。鉄砲で発射する火矢で焙烙製の鏃には火薬が詰めてある。今でいえば、ミサイルランチャーだね。この方によると、鉄砲の生産は、1つの炉に対して職人が6,7人付いて、1日に造れるのは1、2挺だったとのこと。それじゃあ大量の注文にはどう対処できたのでしょうとたずねたら、堺筒は注文生産ではなく、既製品を納屋衆がストックしていたから、急に大量の注文がきても対応できたとのこと。なるほど。持たせてもらった鉄砲はずっしり重かった。

それから鳳翔館まで行って休憩してから、大道筋にとって返し、水野鍛錬所をのぞくと若旦那が刀や包丁を造る鍛冶場を見せてくれた。高須神社にお参りしてから、北半町角のたこ焼き屋でお好み焼きを食べ、一般公開されている内田家住宅を見学させてもらい、それから「ろうじ」ののれんをくぐると、S賀さんがぎょっとした表情で迎えてくれた。なんでも、A路さんの奥さんが私に会いたがっていて、そのために11月6日は錦西小学校に来てくれるかもしれないので、その旨私に連絡しようとしていたというのである。
そうと聞いてはこのまま帰るわけにはゆかない。A路さん夫妻は私の大恩人だ。S賀さんといっしょにA路さん宅の勝手口を訪ねると奥さんが出てこられた。ご無沙汰を詫び、ご主人のお見舞いを言い、あまり無理をしないようにお願いした。実は私はA路さん夫妻に長らくご無沙汰していることを苦にしていたのである。それが今日少し楽になった。6日の講演会が終わったらまた来よう。

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*水野鍛錬所。明治5年創業の打ち刃物製造販売店。店の左横には著名な鉄砲鍛冶、榎並屋勘左衛門と芝辻理右衛門の屋敷跡の標柱と説明板にはさまれて、このブログの「七まち」に引用した与謝野晶子の歌碑が立っている。晶子の一番新しい歌碑だ。

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*内田家住宅の内部。二階の階段付近から撮影。間口が狭く奥行きが深い構造で、屋内に井戸がある。この家は醤油、味噌、みりん、酢、酒などを造っていた。とってもいい感じだが、維持するのは大変だろうなあ。


帰りがけに「ろうじ」でチャイを飲みながらしばらく話しこんだが、そのまましゃべっていると夜になりそうだったので、思い切ってきりあげた。

さあ、ダライ・ラマ法王ウィークの始まりである。





ある大学教員の日常茶飯

七まち

2011年10月22日
  住の江や 和泉の街の七まちの 鍛冶の音きく 菜の花の路

                         晶子

七町とは、堺北部の北旅籠町、桜之町、綾之町、錦之町、柳之町、九間町、神明町を指す。実に色彩豊かな名前ですなあ。この辺り、戦災を免れて、古い町屋と町割りが残っている。貴重な文化遺産だ。

堺・北旅籠町の清学院に行ってきた。今日をおいては、11月6日の錦西小学校での講演までにここを訪れるのは不可能だったので、堺市のK林さんの御配慮で、中を見させてもらったのだ。数日前には「タイフーン」と「ハリケーン」夫婦も来襲したらしい。

ついでに「ろおじ」(町屋を改造した喫茶店&ギャラリー)に寄ってS賀さんの機関銃のようなしゃべくりを全身に浴びた。帰りは慧海の親せき筋のH田さんの車で堺東駅まで送ってもらった。
さかいはいいねえ~。

月曜日から来月3日までは疾風怒濤の日々が続く。今日はダライ・ラマ法王ウィークに向けて完全にリフレッシュできた。

ある大学教員の日常茶飯

パンフレットにGO

2011年10月19日
いよいよダライ・ラマ法王ウィークが迫ってきた。大阪舞洲アリーナの特別講演は、A席が追加販売されることになった。買いそびれていた人はローソンチケットで。

大阪特別講演のパンフレットの最終校正を終えてGoサインを出す。初校を見たときには、一瞬なんだこりゃ、と思ったが、1回の校正で見違えるようになった。ウイング(和歌山市)はなかなかいい感覚をしている。納品されたらお目にかけたいが、ここにあしらわれている文字は、ランジャ文字とチベット文字による「オン、マニペーメ、フン」である。これは六字大明呪(六字真言)と呼ばれるもので、ダライ・ラマ法王の本地と考えられている四臂観音の真言である。テレビでよく見るチベットの巡礼が五体投地をしながらぶつぶつ唱えているのははほとんどがこの真言だ。

チベットは観音菩薩の浄土なのである。

原板は私が東チベットのデルゲ(徳格)のパルカン(印経院)で入手したものを使ってもらった。デルゲのパルカンはチベットで最も有名な経典印刷所で、大量の版木を貯蔵しており、今も経典を刷り続けている。高野山大学図書館が所蔵するチベット大蔵経もここで刷られたデルゲ版である。そのうちカンギュル(仏説部)は河口慧海師の口利きで購入することができた。テンギュル(論疏部)は、高野山大学の卒業生で戦前北京に留学した吉井芳純師が雍和宮出入のチベット商人に注文し、苦心の末に購入に成功したものである。

また多田等観先生によって請来され、『東北大学蔵 西蔵大蔵経總目録』(いわゆるTohoku Catalogue)が編集されたのもこのデルゲ版であった。東北大学インド学研究室のチベット学の伝統はここから始まる。そのような実績のおかげで、のちには河口慧海が持ち帰った造形関係資料(「河口コレクション」)が東北大学に入ることになった。このコレクションの図録に関わったことが、私の勉強のターニングポイントの一つになった。

こう考えてくると、今回のイベントはいろいろなことの結節点になりそうな予感がしてくる。大学にとってだけでなく、私個人にとっても大切な行事になりそうだ。





研究ノート

何の因果で

2011年10月17日
昨日の9時過ぎにRさんをロイヤル・ホテルまで迎えに行った。彼女と会うのは去年の9月にデリーの彼女のオフィスを訪ねて以来だ。三条から京阪で京大に向かう。人文研で10時過ぎから2時間半ほど意見交換。そのあと進々堂で彼女を囲んでランチを食べ、1時半ごろ解散した。

それから帰宅して30分ほど休んでから高野山に向かう。何の因果でここまで忙しいのか…

夕方6時過ぎに大学の事務に顔を出すと、D氏が「いまKさんたちが原稿の校正をしてもらいにD院に行ってますよ」というので、駆けつけて、10時まで学長とプログラムの内容について検討した。それから研究室にもどると、もはや何をする気力もない。しばらく動画サイトをのぞいた後、曼荼羅荘に帰った。長い一日だった。
ある大学教員の日常茶飯

人文研共同研究プロジェクト 秋の陣

2011年10月16日
昨日から人文研共同研究プロジェクト(奥山班)の研究会で京都に来ている。

昨日の発表は次の通り。

金泰勲氏「植民地朝鮮における宗教政策の導入と宗教的領域の再編成」
稲葉穣氏「ヒンドゥークシュ南北に於けるイスラームとインド宗教の接触」

どちらも大変刺激的な発表だった。これで今年度4回目の研究会となる。昨年度は2回だから今年度はわれながらよくやっている。

いつもなら終わったあとは、よかったら夕食でも、となるが、みんないそいそと帰りかけるし、私もさすがに「外出疲れ」を感じていたので、また明日、で別れて、ひとりで夕飯を食べ、ホテルにチェックインして早めに寝た。

今日はこれからRさんを宿所まで迎えに行き、人文研に案内して2時間ほど話を聞く。それからランチをいっしょに食べ、それからいそいで堺に戻り、夕方から大学での会議に臨む。



研究ノート

札幌に出張する

2011年10月14日
昨日今日と札幌に出張した。用務は「高野山真言宗北海道宗務支所」の教師研修会ならびに支所教師大会で藤田学長の代理として挨拶かたがた大学の現状について報告すること。

10月13日8時5分関空発のANAで新千歳空港に飛び、そこでエアポートライナーに乗りかえて札幌に入る。

会場は札幌プリンスホテルの別館の国際館パミール。パミールとはパミール高原のことだというが、命名の由来は聞き漏らした。

岩田君、阿部君、中原君に久しぶりに会えてうれしかった。

出番が終わってホテルにチェックインしたあと、懇親会までの空き時間を利用して、たぬき小路にお土産を探しに行った。ねらいはピリカメノコの木彫レリーフだったが、気に入ったものは見つけられなかった。どこの土産物屋も中国人の団体で賑わっていた。

懇親会では支所長の岩田師をはじめ多くの方々からさまざまなご意見をいただいた。それらは学長に詳しく報告することになる。

行きは関空から出たが、帰りは神戸に飛んだ。その理由は、そこから京都の日文研に直行して「仏教と近代」のシンポジウムを聴講しようともくろんだからだが、疲れていたのと、ダライ・ラマ法王関連行事の準備が気になるのとで、結局予定を変更し、自宅を経由して高野山にもどった。

新千歳空港内の公衆電話に手帳を置き忘れた。神戸空港でそれに気づいて慌てて電話したら、無事保護されていた。今日にも着払いの宅配便で送ってくれるという。大助かりである。

ある大学教員の日常茶飯
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