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清学院の一般公開

2011年09月28日
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堺市北旅籠町にある清学院が修復なり、「堺市立町屋歴史館 清学院」に生まれ変わって、10月下旬から一般公開される。

清学院は山伏寺で、江戸後期から明治初期にかけて寺子屋を開いていた。北旅籠町生まれの河口慧海も数え年6歳の明治4年からここで読み書き算盤を学んだ。しかし翌5年に学制が公布されると、堺県庁は通達を出して市中の私塾・寺子屋を廃止させ、代わりに四つの県学分校(今の小学校の前身)を開設した。そこで慧海も、そのうちの一つ(現在の錦西(きんさい)小学校の前身)に入学して、以後5年間勉強することになる。

河口正(あきら)の『河口慧海』(春秋社)では、この寺の名が世学院と記されているが、「せいがく」を「せがく」とつづめて言う地元の言い方を慧海が記憶していたために、後年年譜を作った際に「世学」に誤られたのだろうと思う。

以前の清学院の建物は、見た目にもそれとわかるほど傾いていて近づくのが怖いほどだったが、上の写真のように立派に修復されたようだ。これを記念した講演会の一つを任せられた。講演の場所がまた慧海さんの学んだ錦西小学校の体育館だ。日時は11月6日の10:45から、テーマは「河口慧海ヒマラヤを行く~堺出身のチベット探検僧の生涯~」。ちょうどこの日は小学校の授業参観の日で、小学生と保護者の方々も聞いてくれるらしい。

11月6日といえば、ダライ・ラマ法王関連イベントもすっかり終わっているから、リラックスして楽しい話にしたいものだ。

研究ノート

ペーラーデニヤ植物園

2011年09月26日
商売がら博物館にはよく行くが、一人旅で時間が自由に使える時には、なるべく植物園や動物園なども訪れるようにしている。その土地の基本を学ぶのに有効だと思うからだ。

印象に残っているのは、10年前に訪れたスリランカのペーラーデニヤ植物園だ。古都キャンディの近くにあるこの植物園は、イギリス統治時代の1821年に旧キャンディ王家の庭園を利用して開設された。5.6平方キロメートルの広大な園内に、スリランカだけでなく世界中の熱帯植物が集められ、栽培・研究されている。1894年、世界一周旅行の途上でここを訪れた真言宗の土宜法龍は、この植物園をロンドンのリージェンツ・パークを凌ぐ「天下第一の園」と讃えている。法龍は、ロンドンではリージェンツのすぐ近くに宿を取っていたから、彼の言うことには実感がこもっている。

こういうものを作らせたのは、いったいどういう精神か。

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*川島昭夫『植物と市民の文化』、世界史リブレット、山川出版社、1999年

というわけでこの本を買った。著者の川島昭夫氏はイギリス文化史の専門家で、私は熊楠研究会で親炙している。熊楠の研究サークルには、専門を異にするユニークな研究者が多数集結している。それを利用して勉強の幅を広げなければ損だ、と最近とみに考えるようになった。













研究ノート

話すのは苦手

2011年09月23日
一昨日のイヌイさんのラジオ出演はなかなかのものだったらしい。私もラジコで聴こうと思っていながら、メールにかまけていて、気が付いたら時間が過ぎていた。それにしても、私が見抜いた通りだ。漫才師は大阪人にかぎる。

ところで、私は生来人前で話すのが苦手だ。特に筋道を立てて論理的に話をするのが下手だ。それでは教師は務まらないから、それなりに練習を重ねて今日に至るが、それが得意であるわけでは決してない。
その一方で、小学生のころから、見た映画とか、読んだマンガのストーリーを同級生に話して聞かせると、みな感心して聞き入るので、こっちの方は大いに自信をつけて今日に至る。以上は、私の仕事の基本的性格にもなっていると思う。
ある大学教員の日常茶飯

雨が降りすぎる

2011年09月21日
このところ雨が降りすぎている。紀ノ川の南海電鉄の鉄橋は検査に時間がかかるらしく、ダライ・ラマ法王が来日される10月末までに復旧するかどうか不確定だ。しなければ、橋本駅から対岸の紀伊清水駅までがバスの代行運転になり、その分時間がかかることになる。ご予定の方は、南海高野線の運行状況にご注意願いたい。

外が静かになった。台風が通り過ぎたようだ。しかし、どうせまた他所で暴れるのだ。先日、「天を恨まず」という言葉が立派だと話題になった。古来日本人は、そう思いながら自然の猛威に耐えてきたのだと思う。だが、今年の秋は天を恨んでいる人が大勢いるだろうな。

ダライ・ラマ法王の講演会の広報の一環として、先日藤田学長がラジオに生出演した。パーソナリティの一人は、あのシルク姉さんだ。その時の写真は、「高野山大学HP→ダライ・ラマ法王14世特別講演・特別法話」で見ることができる。うぬぬ、これは役得じゃないか。

今日はイヌイさんがラジオ大阪に出演するので、昨日の会議の席で心構えを伝授しておいた。「絶対に原稿を読むな。講演会の宣伝は最後の最後に『高野山大学HPを見てください』で十分だ。持ち時間が過ぎてもしゃべりまくれ。高野山大学にもこんなおもろい先生がいる、というのが最大の広報だ」

実は私も先日電話で出演したのだが、もちろん原稿を読み上げた。

ある大学教員の日常茶飯

藤田美術館

2011年09月17日
わけあって京都に行った。帰りに何か見たいと思った。このところDK協会関係の会議で、拷問を受けるような毎日を送っているので、たまには息抜きがしたい。

京都市美でフェルメール、大阪市美で岸田劉生をやっているが、いずれも混んでいそうだった。雨天でやたら蒸し暑いのに、人混みに行く気がしない。

そこで大阪城近くの藤田美術館に行ってみた。先日奈良博で見た「玄奘三蔵絵」はこの美術館の所蔵品で、その一部が展示されているので、それを改めて見たいと思ったことが一つの理由、藤田美術館のもとを作った明治の実業家藤田傳三郎がU原君の修士論文のテーマに関係していることがもう一つの理由だ。
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美術館で割引券をくれたので、向かいの太閤園に入り、コーヒーラウンジでケーキセットを頼んで休憩した。美術館と太閤園を含む一帯は、藤田傳三郎の屋敷跡で、一部は公園になっている。桁外れの金持ちだったようで、蔵を改造した展示室には、明治45年に9万円で落札したという香合(こうごう)があった(上のパンフレット表紙の「審美眼」の下に写っているもの、現物はもっと落ち着いた黄色)。正確には計算できないが、今のお金に直せば数億円であることは確かだ。いい茶道具は金に糸目をつけずに買い集めていたようだ。

22日の2時から学芸員による講演会がある。U原君にも教えてやらねば。
ある大学教員の日常茶飯

今年もテンジン・ヌルブ

2011年09月16日
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*今年もテンジン・ヌルブ絵画展が各地(笠間市、東京、高野山、高崎市)を回る。

高野山展は以下の通り。
場所:梵恩舎
期間:10月31日~11月4日
時間:午前10時~午後5時 31日は午後1時より
電話:0736-56-5535
ある大学教員の日常茶飯

中秋の月

2011年09月12日
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*高野山上を照らす望月。密教では月は瞑想の対象だ。
ある大学教員の日常茶飯

インド博物館とサダル・ストリート

2011年09月10日
リチャード・フォーティの『乾燥標本収蔵1号室』の中に、次のような一節を見つけて私はにんまりした。

「大英帝国の、賞賛に値する数少ない特質の一つは、博物館と植物園を作りたがることだ。二、三年ほどまえのことだが、わたしはコルカタ(旧カルカッタ)のインド博物館を見学した。そこもまた荘厳な雰囲気の漂う巨大な建物で、インド亜大陸の工芸品が収蔵されていた。近くにはやはり古い歴史をもつインド地質調査所があり、一九世紀末に収集された三葉虫の標本が、当時の紙箱のまま保管されていた。その場所全体が、イギリスが撤退したときと何も変わらず保存されているかのようだった。まるで、化石化した博物館とでも呼べそうな代物だ。(中略)事務員は毎朝一〇時に出勤し、羽根ぼうきで埃を払うと、あとは終日、仕事らしい仕事はしない。暑くけだるい午後、ハエの羽音だけが聞こえてくる。」

コルカタのインド博物館は、私が最も多く足を運んだ外国の博物館だ。近所のパークストリートの角にはベンガル・アジア協会(Asiatic Society of Bengal)もあり、そこの事務員たちは、フォーティが描写したのと寸分変わらない勤務態度で毎日を過ごしている。博物館も研究所も協会もみんなイギリス人が持ち込んだものだから、彼らのやり方ももとは英国流で、それを彼らなりに解釈して実践しているのだろう。

コルカタ一番の目抜き通りであるチョーリンギー・ストリートから、インド博物館横のサダル・ストリートに入ると、そこは「荘厳な」知識の殿堂とは裏腹の安宿街で、世界中からバックパッカーが集まっている。今から四半世紀も前、初めてインドに来たとき、私もここのゲストハウスでお世話になった。やたら日本人ばかりが集まるゲストハウスで、居心地は特に悪くなかったが、その周辺は、ありとあらゆる「悪徳」が集まってごった煮のようになった世界で、それが私には少なからずショックだった。

以前、コルカタ出身の留学生に、サダル・ストリートの話をしたら、名前は聞いたことがあるが、行ったことはないという。これにはこちらが驚いたが、要するに、そこは彼のような上流階級の坊ちゃん、嬢ちゃんたちが行くべき場所ではなかったのだ。

サダル・ストリート界隈は、曲がりなりにも分別がついてからは、私にとっても行きたい場所ではなくなったが、10年前に一度だけ「間違って」行ってしまったことがある。そのことについては、そのうち気が向いたら書くことにしよう。
ある大学教員の日常茶飯

秋晴れの日

2011年09月07日
台風12号は大きな爪痕を残して去り、今日はさわやかな秋晴れとなった。

私は中国やインドの山岳地帯や乾燥地帯から帰るたびに、日本ほど自然が豊かで、変化に富んで美しく、しかも優しい国はないと思ってきた。だが今年は、その豊かさ、美しさが、圧倒的な自然の暴威と裏腹のものであることが痛感される年になった。

橋本から高野山に上る道は、シリグリの先からダージリンに登る道によく似ている。同じ照葉樹林帯に属するからだろうか。高野山の周囲の針葉樹林は人間が育てたものだから、自然に任せれば、植生はますます似てくるに違いない。

2001年の9月半ばにダージリンの隣りのシッキムを訪れた時のこと。カルカッタからバグドグラ空港に飛び、専用車の出迎えを受けて、ティスタ渓谷の道をさかのぼってゆくと、あちらこちらで小さな滝が道路に流れ落ちており、まるで山全体から水が噴き出しているようだった。

この豊かな水が深い森を育てる。だが同時にシッキムは土砂崩れの本場でもある。

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*ガントク(シッキムの州都)の北方にある大規模な土砂崩れの跡。

その後、アルナーチャル・プラデーシュでも大規模な土砂崩れの現場を何度も通った。去年、ヒマーチャル・プラデーシュに行った時も雨に降られてひやりとした。それより前、青海省のツァイダム盆地の都蘭の近くで、車が川の中で動けなくなり、水が車内に流れ込んできて、あわてて脱出、ということもあった。
だから今回の台風による水害の映像は、初めて見るような気がしなかった。自分でも知らない間に結構危ない橋を渡ってきたのかもしれない。

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*西シッキムのタシディン僧院。

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*タシディン僧院の境内。真言を刻んだマニ石の垣根の前にコスモスが咲き競っている。シッキムの秋はコスモスが咲き、ススキの穂が風になびいて、日本の秋のような風情である。












ある大学教員の日常茶飯

ダライ・ラマ法王14世による金剛界マンダラ灌頂

2011年09月06日
昨日所用で難波に行った。高野山駅まで行くと、紀の川の鉄橋に検査が必要になったとのことで、電車が不通になっている。そこで代行運転のタクシーで橋本まで下りた。こんなのは初めての経験である。

有吉佐和子の小説でも知られる紀の川(奈良県では吉野川と呼ばれる)は、日本有数の多雨地帯である大台ケ原に源を発し、吉野・高野の水を集めて和歌山県北部を西に流れ、和歌山市で海に注いでいる。橋本の橋から見た紀の川は赤茶けた濁流だった。水はピーク時よりは大分引いているようだが、一昨日の状態はすごかったはずである。

難波で時間があったので、グランド花月の近くで昼食を取り、ジュンク堂で本を見てから、散髪までしてしまった。

さて、タイトルのダライ・ラマ法王による金剛界マンダラ灌頂だが、灌頂に用いる砂曼荼羅を作るためにチベットのお坊さんたちが10人も先乗りしてくることがはっきりした。彼らはこれまで世界中で砂曼荼羅を制作してきたトップ集団だ。しかもこれを指導するのは、ヨーガ・タントラ系の儀礼に特に詳しい高僧である。

今回高野山大学で行われる「チベット密教 金剛界マンダラ灌頂」は実に貴重な機会となるだろう。

しかも場所が日本密教のセンター高野山である。太古の昔から高野・吉野・熊野・大峯に宿る神々も感応して、すばらしい饗宴になることは疑いない。

準備には相変わらずヒーヒー言わせられているが、これは楽しみになってきた。
高野山大学の力
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