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ベシカ湾

2011年09月04日
雨が降り始めて3日経った。これほど長く続く大雨というのはちょっと記憶にない。紀伊半島を中心に各地で大きな被害が報じられている。高野山は午後1時ごろから空が明るくなり小止みになっているが、山内と下界とを結ぶメインの道路が土砂崩れで通行止めになっているらしい。いい加減煮詰まったので家に帰ろうと思っていたけれど、これでは無理だ。

さて、coveの次はbay、というわけではないが、ベシカ湾(Besika/Basika Bay)というアナトリア(小アジア)北西部にある小さな湾の名を意識したのは10年ほど前からである。

1890年12月26日朝、この湾に日本海軍の練習艦「金剛」が到着した。ちょうど冬枯れの季節で、実に荒涼としたながめであったらしい。そこにはオスマン帝国海軍の通報艦タリヤ号が待っていた。まもなく「金剛」の姉妹艦の「比叡」もやってきて、ベシカ湾の南方のユケリ湾に投錨した。両艦には、その年の9月16日に熊野灘で遭難したオスマン帝国海軍のフリゲート艦エルトゥールル号の生存者69名が分乗していた。
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*ボスポラス海峡のドゥルマバフチェ宮殿前に繋止された「比叡」または「金剛」。三本マストの装甲コルベットだ。串本町大島のトルコ記念館に所蔵される写真を許可を得て撮影。

このブログでしばしば触れてきた「比叡」と「金剛」の大航海の一場面である。

グーグルアースで覗くと、ベシカ湾は湾とは名ばかりの浅い入江である。

私はこの湾の位置や名前に、自分でも不思議なほどこだわってきた。確かにこの湾はダーダネルス海峡のエーゲ海側の入口にある戦略上の要地である。近くには第一次世界大戦の激戦地ゲリボル(ガリポリ)半島もある。しかし「比叡」「金剛」の物語の中では、重要ではあるが一通過点に過ぎない。

ふと思い立って調べてみると、ベシカ湾から内陸に6キロメートルほど入り込んだ場所にかの有名なヒッサルリクの丘があるではないか。なーるほど、こういう仕掛けだったのか。歴史好きの人ならお分かりと思うが、この丘こそ、ハインリッヒ・シュリーマンが、ホメーロスの叙事詩『イーリアス』に謳われたプリアモスの城町トロイアと信じて古代都市の発掘にいそしんだ場所なのである。この同定が正しいとすれば、ベシカ湾はミュケーナイの王アガメムノ―ンに率いられたアカイア軍がトロイア人との10年にわたる戦の間、陣屋を構えていた海岸線ということになる。

私は昔から歴史が好きで、この手のテレビ番組も欠かさず見ていたから、ベシカ湾の名も知らず知らずの間に頭の片隅に入っていたのかもしれない。

それからもう一つ。シュリーマンが旅行先のナポリで急逝したのがまさにこの日、つまり「金剛」がベシカ湾に入った1890年12月26日であったことも私には不思議な暗合に感じられる。
研究ノート

コーヴ

2011年09月03日
今日はさすがに遅出して、11時過ぎに研究室に入った。風雨はまだしばらくは止みそうにない。

実は二日ほど前までは、この週末を利用して那智勝浦に行こうと考えていた。決行していたら、今頃はひどい目にあっていたに違いない。那智勝浦に行く目的は、一つには熊楠が籠っていた那智の大阪屋旅館を自分の目で見ることであるが、同時に9月1日に解禁された太地のイルカ漁の現場、いわゆる「コーヴ」(cove,入江の意、隠し撮りで作られた映画の題名でもある)を一目でも見ておきたいという気持ちもあった。

折からネットのニュースで、貝殻を使って漁をするイルカが発見されたということが報じられている。こういうことがまたイルカ漁を違法な手段で妨害する自称「環境保護団体」を勢いづかせなければよいが。そういえば、3月にコロンボのホテルで震災関連のニュースを見ていたら、スカイプを用いた現地からの通信に「日本のイルカを救え」という団体のメンバーが登場した。今こういう外国人があちこちの漁場に入り込んでいるのかもしれない。彼が彼の愛するイルカほどに被災した日本人に同情しているとは思えなかった。

ある大学教員の日常茶飯

台風

2011年09月02日
あと●日
*8月4日に新大阪駅で見かけた「大阪マラソンまであと87日の掲示板」。マラソンがあるのは10月30日、ダライ・ラマ法王の舞洲アリーナでの講演会と同じ日だ。この日の時点で87日てえことは、今では残りが…ちょっと空恐ろしくなってくる。

のろのろ台風が接近してきたため、明日に予定されていたオープンキャンパスは、9月10日(土)に延期された。その影響でイヌイさんがやるはずだった模擬授業が私に回ってきた。イヌイさんは4日から10日まで学生たちと一緒に震災復興ボランティアで釜石に行く。高野山大学が取り組んでいる東日本大震災復興ボランティア活動の第三弾だ。彼は私以上にコロコロしているので急に無理をして腰など痛めないように注意しておいた。

そういえば、今朝、卒業生のO田君の顔を見たので、どうだいと声をかけた。彼は実家が塩釜で、震災後いちはやく東松島、石巻、気仙沼、南三陸などの被災地に入り、ご遺体安置所を回ってお経を唱えるなど、坊さんであることを生かした活動を単独で続けている。彼の伝える現地情報は生々しいものばかりである。先日の医療フォーラムの席上、山折哲雄先生が、被災地を見た際に感じた鎮魂の思いを「海行かば」の歌に託しておられたが、震災直後の状況は、まさにこの歌の前半分そのものだったらしい。

今日教えてもらった話の中にも、とてもここには書けないものがあった。

昨日書いた学会への招待を受ける旨のメールを出したら3分で「ありがとう」の返事が来た。タイミングということもあるが、こうでなくちゃいけないよなあ、と痛感した。ちなみに、私を選んでくれたのは、多分デューク大学のリチャード・ジャフィ教授だと思う。名誉なことではある。

いよいよ台風が近いらしい。明日お店が開くかどうかが心配だが、「柿の種」があるので半日ぐらいはしのげるだろう。
ある大学教員の日常茶飯
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