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学会への招待状

2011年08月31日
昨日メールでソウルのK大学から来年の6月に開かれる学会への招待状がきた。招待予定者リストを見ると、日本人は私とK大のO原さんだけだ。まあ、ペーパーひとつ読んだら、あとはあちこち見ながら帰ってくればいいんだろ、ということで、この招待を受けることにした。

今年は何といっても三大イベントで動きがとれないわけであるが、年が明けたらお勉強に没頭したいものだ。
これからの公私の予定を今決まっているだけ書き出してみると、

9月29,30日 基準協会実地調査
10月30日~11月3日 ダライ・ラマ法王特別講演、特別法話
11月6日 堺市で講演
12月10日 熊楠ゼミナールで発表
2月19日 東北大学でシンポジウム
3月   チベット調査

1月に何もないのもさびしいので、これから考えて何か入れておこう。

研究ノート

テンジンヌルブもやってくる

2011年08月29日
ダライ・ラマ法王14世が高野山大学で特別法話をされるのに合わせて、ネパールの絵師テンジンヌルブがまた高野山にやってきて、今度は絵画展を開く。いつも通りアースワークスの大谷さんの企画で、場所は梵恩舎を借りる。同時に飾れるのは10枚もないかもしれないけれど、テンジンヌルブはトルボ地方のティンキュー村の出身で、民族はチベット系、しかももとはチベット仏教の僧侶である。ダライ・ラマ法王と一緒の空気を吸えるだけで幸せを感じるはずである。

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*一昨年の12月に堺市民会館で開かれたテンジンヌルブ祭りのひとこま。


ある大学教員の日常茶飯

「空海と密教美術」展と医療フォーラムと「天竺へ」

2011年08月28日
26日(金)翌日の21世紀高野山医療フォーラムのために東京に行く。ついでのことながら上野の東博で開催中の「空海と密教美術」展を見に行った。ところが電車が上野に着く前から激しい雷雨になり、上野公園口から外に出られなくなった。しばらく待ったが雨脚は弱まったり強まったりで止みそうにない。そこで意を決してキヨスクでビニール傘を買い、豪雨の中を東博に向かった。
この展覧会、たいそう混んでいると聞いていたが、この天気で客足がやや鈍ったのか、それほどでもなく、高野山、東寺、醍醐寺、仁和寺、神護寺、善通寺などから出陳された「お宝」の数々を堪能することができた。
そのあとG大にD信を訪ね、上野で痛飲した。

27日(土)8時半すぎに上野のホテル丸谷を出て会場の東京ビッグサイトに向かう。新橋からゆりかもめに乗り、集合時間である9時半ぎりぎりに会場に着いた。このフォーラムは今回で8回を数える。作家の柳田邦男氏を理事長に、「医療と宗教が手を結び、人々を病苦と死への不安から解放する道を探ってきた」(「理事長あいさつ」より)。特に今回は東日本大震災を受け、「いま、問われる命と心の絆」をテーマに掲げている。藤田光寛学長の基調講演にはじまる講演・報告・シンポジウム・ワークショップは、とても充実していた。
 
二つの報告はいずれも今回の震災に関連したもので、感銘の深いものであった:
辻雅榮氏「仏足頂礼 高野山足湯隊―被災地における傾聴ボランティア―」
岡部健氏「人みな被災者―深層の宗教心に触れて―」

岡部さんは宮城県名取市を拠点にチームで在宅緩和ケアを進めている人で、津波で看護師の女性スタッフを一人失った。地震直後に病気で動くことのできない患者の家を訪ね、二階にその人を押し上げようとしている最中に津波に呑まれたという。手を放して逃げようと思えば逃げることができたのではないか、なぜそうしなかったのか、あるいはできなかったのか、いまだ気持ちの整理がついていないという。

岡部さんが強調したのは、宗教儀礼の重要性、「命のケア」における宗教者の関与の必要性などである。

岡部さんたちは、津波で亡くなった看護師について、「○さんは他人のために命を捧げたのだから、死んで菩薩になったのだ」という思いから、病院の裏手にお地蔵さんを建立して祀っているという。

飾らないその語りに、こちらも泣けて泣けて仕方がなかった。

今回の津波では警察官、消防団員、町役場の職員をはじめとする多くの人々が、他人を助けようとして自分の命を失っている。南三陸町で最後の最後まで避難を呼びかける放送をして亡くなった遠藤未希さんのことはよく知られているが、他にも大勢の「未希さん」がいたのである。

岡部さんが言うように、人間にも、極限状況では、自分という個を超えて、集団を守ろうという本能のようなものが働くのだろう。それは私にも理解できるような気がする。

フォーラムの本体は午後6時過ぎに終わった。7時からはワークショップがあり、教職員で残った人も少なくなかったが、私はここでお役御免になり、帰途についた。新大阪着が11時5分、何とか泉北線の最終に間に合い、帰宅したのは零時過ぎであった。

今日28日(日)は早起きして車で奈良市に向かった。奈良博で開かれていた「天竺へ―三蔵法師3万キロの旅」が今日までである。阪和と西名阪の2つの自動車道路を使うと、私の家から斑鳩までは約40分、奈良市にも1時間ちょっとで行ける。この展覧会の目玉は藤田美術館所蔵の「玄奘三蔵絵」である。全12巻のこの長大な絵巻が、前期・後期2期に分けてではあるが、全巻展示された。「全部見せる」というのが最近の流行らしい。まことに結構な、見ごたえのある展示であった。




研究ノート

ダライ・ラマ法王14世の講演・法話の要旨がアップされた

2011年08月24日
ダライ・ラマ法王14世の大阪舞洲アリーナ・高野山大学での特別講演・法話の要旨が専用ホームページにアップされた。要旨といっても簡単な説明にすぎないが、参加予定の人は是非お読みいただきたい。ただし、当日の講演・法話がどのような方向に展開するかは予断を許さない。それがライブのおもしろさである。請う、ご期待。
高野山大学の力

「きてら」のそのまま橙

2011年08月23日
昨日、「きてら俺ん家(ち)そのまま橙(だいだい)」という調子のいいネーミングのジュースがひとビン届いた。ちょうど喉が渇いていた時だったので、カップになみなみと注いで、くっとあおったら、口中に生のレモンをがぶりとやった以上の衝撃が走った。思わず「そっ、そのままだっ!」と叫ぶ。果汁100パーセントと書いてあるのを見逃していた。

お礼のメールを出したら、「へ~~~そのまま飲んだんですか?できれば焼酎で割って飲んでください」という返事が返ってきた。

おかげで残暑がどこかに飛んだ。昨晩はこれでビタミンCとアルコールの同時補給に努めたことは言うまでもない。

そのまま橙
*熊やんもびっくり。ご用命は秋津野直売所『きてら』(検索)まで。
ある大学教員の日常茶飯

角谷大三郎

2011年08月21日
南方熊楠の大正11年の「上京日記」を読んでいて、おや、と思うことがいくつかあった。その一つがこれである。

角谷大三郎(すみや・だいざぶろう)。この人については以前このブログでまったく違う文脈で触れたことがある。それは、明治30年にチベット旅行に出発する直前の河口慧海のもとを訪ねてきて、「ばかなことはやめろ」と諭してくれた「今の和歌山の判事」としての彼である(ただし『西蔵旅行記』第三回の彼の名前には「かどや」のルビが振られている)。河口正の『河口慧海』によれば、角谷氏は、慧海がかつて禅の手ほどきをしたことのある人で、当時は大阪で弁護士をしていたという。

その人がどうして熊楠の日記に出てくるのか。それは、彼が、明治19年12月、熊楠がアメリカに渡る前に東京湯島で開かれた送別会の出席者の一人で、和歌山学生会の創立にもかかわっていたからである。熊楠と同時代に東京で学んだ和歌山中学の同窓生と見てよい。また彼は紀州藩士の家系であったようだ。

河口慧海と南方熊楠は、慧海が1歳だけ上という同時代人である。慧海は泉州堺の町場の生まれ、熊楠は和歌山城下で育ったこれまた都会っ子である。慧海を有名にしたのは、明治のチベット探検であり、熊楠もある時期チベットには大いに興味を持っていた。ところがこの二人を結びつけるラインというのはなかなか見つからないのである。
そういう中で両方を知っていた人物の存在は貴重である。大三郎氏のお孫さんの角谷さん(高野山大学卒業生)に連絡して、いろいろ情報をもらうことにした。
研究ノート

通信制大学院修士論文口述諮問

2011年08月20日
今日は通信制大学院の後期セメスター入学希望者二次面接と修士論文口述諮問と、これらを受けた拡大大学院委員会があった。

修士論文は一つだけ副査として審査したが、力のある長いものだったので、読むのに結構時間がかかった。こういうのが増えるのはいいことだが、夏休みがないのは困ったものだ。来週後半には医療フォーラムに動員されるし。

今年も仙台のカルダイ社から『東北大学案内』が届いた。母校は大震災にも負けず頑張っているようだ。
今回も「新刊にみる同窓生たちの活躍と東北大学」に取り上げてもらっている。私は大角修さんと川村邦光さんの間だ。去年も同じようなことを書いたと思うが、自分の励みにはなるね。

高野山大学の力

大阪のオカン

2011年08月19日
この際だから「●流ごり押し」だけでなく、日本のテレビ番組のありかたそのものを議論した方が生産的だ。

だいたいどの局もつまらないバラエティが多すぎる。あれを減らすだけでも大分違うはずだが、

と思いながら、テレビをつけると、「大阪のオカンあるあるベスト7」というのをやっている。それが結構スリリングな展開なのだ。

なにしろ、「大阪のオカンは動物柄(がら)を好んで着る」というよく知られた事実が、ベスト6辺りに低迷している(注:動物柄というより、むしろ豹を中心とする猛獣柄であるが)。この上にいったい何があるというのか。

結局、ベスト1が「電話に出ると声の調子が変わる」というもので、誰だってそうじゃないか、で幕だったが、なかなか楽しかった。

バラエティ、おそるべし。


ある大学教員の日常茶飯

乾燥標本収蔵1号室

2011年08月17日
忙しい時ほど、仕事と無関係の本が読みたくなってしかたがない。こういう経験を持っている人は少なくないだろう。

買いました。リチャード・フォーティ著『乾燥標本収蔵1号室』NHK出版、2011年。
カバーには次のように謳われている。

古生物学の世界的権威である著者が、30年間を過ごした古巣の素顔と、そこに生息する浮世離れした住人たちの姿を、軽妙な語り口で綴った「大英自然史博物館全史」

なんでも著者は三葉虫研究のスペシャリストだとか。どうです。ちょっと読みたくなってくるでしょ。

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*熊楠も出入りしたサウスケンジントンの大英自然史博物館(大きすぎて、この距離からだと全貌がファインダーに収まらない)。去年の2月にはなぜか門前を素通りしただけに終わった。次回は必ず行かねばならぬ。

第1章の初めにはこうある。

 人生は記憶という名の館長が管理するコレクションで成り立っている。人は思い出や出来事を拾い集めて保管し、半ば忘れ去り、あるいは心の奥の棚にしまい込む。なかには思い出したくないこともあるが、そうやって保管されたもののすべてが、よくも悪しくも自分という人間をつくり上げている。

なかなかの名調子ではないか。いつかこんな感じの本が書けたらと思う。「浮世離れ」した生活をしている点は、こちらも同じなのであるし。

*ダライ・ラマ法王14世の大阪・高野山大学での講演と法話についての簡単な内容紹介が、高野山大学のHPに載ることになった。いつからかは分からないので、興味のある人はウォッチしておいてもらいたい。
*昨日、タ・タイチョ―宅を見舞ったら、ネパール土産の紅茶をくれた。タ・タイチョ―、いっぺんメールください。アドレス帳が見られない言うたでしょ。
読書案内

日記に読む近代日本

2011年08月16日
日記に読む近代日本

来月から「日記に読む近代日本」というシリーズ(全5巻)の刊行が始まる。版元は吉川弘文館。その第5巻「アジアと日本」(武内房司氏編)に「河口慧海日記」と寺本婉雅の「蔵蒙旅日記」について書かせてもらった。

同巻では、人類学者・民俗学者の伊能嘉矩の「台湾踏査日記」、人類学者鳥居龍蔵の妻鳥居きみ子の「蒙古行」、清末民初の革命家で北一輝とも親交があった宋教仁の日記などおもしろそうな日記が多数紹介されることになっている。

そういう中に「河口慧海日記」が入ったのも嬉しいが、慧海は何といってもビッグネームである。寺本婉雅という慧海に比べればはるかにマイナーだが、きわめて重要な人物がこういう形で紹介できたことに喜びを感じる。

読書案内
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