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空の屋根

2011年07月31日
明日、釜石に行き、不動寺さんのお世話で、ボランティアの真似事をさせてもらう。帰りに山形に寄り、堺に戻るのは4日。次の日から田辺市の南方熊楠顕彰館で2泊3日の研究合宿。6日(土)の2時からはシンポジウムがあるが、何をしゃべっていいのか分からないまま、うん、と言ってしまった。安請け合いして、後で泣きをみるのはいつものことだが。

今夏は秋口からの高野山大学三大イベントの準備のためどこにも出かけられそうもない。三大イベントとは、

1.21世紀高野山医療フォーラム 8月27日(土) 東京ビッグサイト国際会議室

2.大学基準協会実地視察    9月29日(木)、30日(金) 高野山大学

3.ダライ・ラマ法王14世特別講演・法話 10月30日(日)~11月3日(木)大阪舞洲アリーナ、高野山大学

1は動員、2は担当者、3は実行委員。いやはや…

ふらりと旅に出たい心境だが、8月のH組の青海調査も断っちまったしなあ。

 空の屋根つちをしとねの草枕雲と水との旅をするなり  (河口慧海)

フランスの写真家・映画監督のエリック・ヴァリは、ダイアン・サマーズとの共著『ヒマラヤのキャラバン』の冒頭にこの歌の英訳を掲げている。

  The sky will be my roof; the earth my bed;
The grass, my soft pillow.

Like the clouds and the streams
I will traverse these immense deserts alone.

ヴァリはヒマラヤの内奥トルボ地方を舞台にした映画「キャラバン」で知られる。この歌は、彼が百年前のヒマラヤ踏破の大先達に捧げたオマージュだ。
ジャルコット
*ネパール中西部カリガンダキ峡谷。地上最大の谷といわれている。手前の村はジャルコット。河口慧海は1899年5月にここを通過した。




ある大学教員の日常茶飯

ダライ・ラマ法王 in 大阪・高野山 8月1日から一般受付開始

2011年07月30日
7月29日(金)午後3時から大谷大学を会場にして、K-GURSの大学院生論文発表会があり、各大学・大学院から選ばれた8人がそれぞれに力のこもった研究発表を行った。

高野山大学大学院からは、徳重弘志君(高野山大学密教文化研究所受託研究員)が「降三世明王の尊容の変遷」の題で発表した。また高野山大学大学院を出た眞木教日子君も、種智院大学代表として発表した。題目は「三密の一考察」である。二人ともなかなか頑張っていたと思う。

発表会の後は、去年と同様、ビッグヴァレーで交流会。眞木君は所用のためこれには参加しなかったが、徳重君は、他大学の複数の先生から、なかなかおもしろかったとお褒めの言葉をもらっていたようである。こういうリラックスした場で挨拶したり、意見をもらったり、情報交換したりすることも研究者には大事なのである。

「若い者」は、こういう競い合いの場で試されるのがいい。去年の神田英昭君もそうだが、うちは結構いい線いっているのではないかと思う。

さて、いよいよ8月1日から、ダライ・ラマ法王14世関連イベントの一般受付が始まる。専用ホームページから申し込み用紙をダウンロードし、それに記入してファクスで送る仕組みである。会場に大阪の舞洲アリーナ(10月30日)と高野山大学(10月31日~11月3日)との二か所があって、どのプログラムも有料全席指定であるから、よくプランを練って申し込んでもらいたい。

今日(30日)は大学のオープンキャンパス(キャンパス見学会)があり、私は模擬授業を担当した。
とても短い期間だけれど、月曜日から釜石にボランティアにでかける。

高野山大学の力

嫌韓流でなく

2011年07月29日
私は中華料理はもともと好きだし、韓国料理は、以前Yさんの学院で手料理をごちそうになって以来、悪くないと思っている。

だが、どの料理を食べるかは自分の意思で選びたい。

日本料理とばかり思って食べていたら、実は韓国料理だった、というのは御免こうむりたいのだ。食事ならばうまい、まずいで済むが、広い意味での情報の世界でそれをやってもらっては困る。ないと思うが、念のため。



ある大学教員の日常茶飯

ひぐらし

2011年07月27日
ひぐらしが鳴いている。日中は湿度が高いこともあって御山も暑いが、早朝はとても涼しい。8月になってアキアカネが飛び出したら秋の気配だ。

テリーへたる
*一方、堺では・・・テリーが尻尾で自分を扇いでいる(?)

ある大学教員の日常茶飯

哀悼モニカさん

2011年07月25日
二日間にわたった人文研研究会がおわって、今日はオフ。

気が付くと庭がジャングルになっていたので、午前中は庭木を切った。剪定というようなものではなく、伸びすぎた枝と絡まりついた蔦をかたっぱしから切るだけである。鬱蒼としていた庭が少し明るくなったところで、一段落。耳が痛くなるほど鳴いていた蝉の声がぴたりと止まる。

最近、どこからともなく猫どもがやってきて夜となく昼となく、ニャー、ニャーやるのでうるさくて仕方がない。テリーに出動を命じても、「猫は怖い」としりごみするばかりである。昨日近所のペットショップで例年通り丸坊主になってきたので、ますます迫力がなくなった。そこで、「猫よけ」薬を買ってきて、進入路とおぼしきところに撒いておいた。これで少しは収まってくれるだろうか。

一昨日の晩、懇親会でヴィータ先生から聞いた話は私を驚かせた。3月10日にモニカ・エスポジトさんが急逝したというのである。モニカさんには一度もあったことがない。電話もしていないから声を聴いたこともない。写真を見たこともなかった。ただ6年近く前から、フランス極東学院の「19、20世紀のチベットのイメージ」という大部の論文集への投稿ですっかりお世話になった。連絡はすべてメールであった。それは数十回に及んだ。彼女は、編者として多くの執筆者と数年にわたって同じようなやり取りをしていたはずだから、その手間は膨大なものだったに違いない。そのやり方に、私は編者の仕事とはこういうものであると教えられた。

実際には一度も会わずに手紙(メール)のやり取りだけに終始する、というのは特に珍しいことではないのかもしれないが、彼女は、欧米や中国を忙しく飛び回っている様子ではあったが、家は京都にあり、人文研にも関係しており、ヴィータ先生という共通の知人もいる。無理に会おうとしなくたって、そのうち必ず顔を合わせることになるのだろうと思い、そういう関係も悪くないと感じていた。だから、そういうことはもうない、ということがうまく飲み込めなくて、しばらくぽかんとした。

今日になって写真を見ることができた。聞いていた通り、美しい人だった。

哀悼。



研究ノート

百太郎

2011年07月22日
Y脇氏「今、誰かと話しながら出てこられたようですが」
私「は? あ・・百太郎です。紹介しましょうか」
Y脇「あ、いえ、結構です。よろしくお伝えくださーい(逃げるように去る)」

近頃また独り言を言う癖がひどくなったようだ。
ある大学教員の日常茶飯

人文研公募研究プロジェクト研究会

2011年07月21日
人文研公募研究プロジェクト(奥山班)の今年度3回目の研究会が今度の土日に迫った。プログラムは次の通り。

7月23日(土)午後2時から5時半まで
人文研4階 大会議室
公開講演会
講師:阿満利麿先生(明治学院大学名誉教授)
講題「エンゲイジド・ブッディズムの定義とその課題」

コメンテーター:
泉 惠機氏(元大谷大学)
シルヴィオ・ヴィータ氏(イタリア国立東方学研究所)
川橋範子氏(名古屋工業大学)
司会:
奥山直司

7月24日(日)午前10時から午後3時まで
人文研3階 セミナー室4(331)
研究発表
1(午前10時~12時)
山下博司氏(東北大学)「グローバリゼーションと伝統宗教-シンガポール・ヒンドゥー教の事例によせて」
2(午後1時~3時)
佐藤道信氏(東京藝術大学)「進化論と狩野芳崖筆『悲母観音図』」


私がやったことは、守屋友江さんを通じて阿満先生にご出馬願ったこと、三人の個性的な先生方にコメンテーターをお願いしたこと、そして山下、佐藤両氏を拝み倒して発表してもらうこと、である。23日の講演会のあとの懇親会が楽しみだが、あまりはめを外さないようにしよう(自戒)。
研究ノート

稲むらの火

2011年07月18日
御坊を後にして広川町に向かう。訪ねたのは、濱口梧陵記念館と津波防災教育センターである。

濱口梧陵(はまぐち・ごりょう 1820-1885)を有名にしているのは「稲むらの火」、つまり稲束に火を放って、安政南海地震による津波に襲われた広村(現広川町)の人々を高台に導いた話であるが、彼の本領は、この大災害の後、被災者用の小屋(今でいう仮設住宅)の建設、農具・漁具の配給、さらには堤防の築造などに発揮された。小規模ながらも復興担当大臣を自ら買って出たようなものである。

彼の本業は醤油醸造業(現・ヤマサ醤油)であったが、社会事業にも熱心で、特に医療技術の開発に支援を惜しまなかった。また中央にパイプを持つ地方政治家としても活躍した。

それから今回初めて知ったのであるが、メゾチントの浜口陽三は梧陵の子孫である。昔私の家では『芸術新潮』をとっていたので、中学頃からこの版画家の作品は見ていたが、数十年後にこんな形で再会するとは。

記念館と防災教育センターはいずれも立派なもので、展示も興味深かった。今回の震災のデータはほとんどないが、しきりに身につまされた。折から、中学生の団体が「学習」に励んでいた。

3Dシアターの映像は、2004年のインド洋大津波のデータを参考にして作ったのか、とてもリアルなものであったが、私たちは不幸にも、これよりはるかに恐ろしい本物の映像をこの3月から何度も見ているわけである。神戸には「人と防災未来センター」があり、ここにはこれがある。今はそれどころではないだろうが、いずれ東北にも今回の惨害を後世に伝えるための施設が造られなければならない。

「稲むらの火」は、明治29年、明治の三陸大津波のニュースに接したラフカディオ・ハーンが梧陵の逸話をヒントにして「生き神さま」(A Living God)を書き、それを中井常蔵が再話した「稲むらの火」が小学国語読本に掲載されるに及んで一般に広まった。中井は梧陵が設立した学校の流れをくむ中学の卒業生であった。こういう説話の形成・伝播過程そのものが興味深い。

稲むらの火
*津波防災教育センター内のモニターに映し出された梧陵が稲むらに火を放つシーンの再現。実際とはいくらか違っているかもしれないが、梧陵の生涯を象徴するシーンとして十分に感動的だ。ついでにいえば、これほど劇的ではないにしても、命がスパークするような瞬間は、どの人にも生涯に何度かは訪れる気がする。

醤油
*広川の隣りの湯浅は日本で最も古い醤油生産地の一つ。市街地が古く道が狭くて、とってもいい感じだった。今度はここの旅館に泊まろうかな。

最後の訪問先は、海南市南部の藤白神社である。目的はなんといっても、この神社の御神木の大楠を見ることだが、

鈴木さん

まずはこんなのぼりに迎えられる。この神社は全国の鈴木氏の発祥地の一つという。

大楠3
*境内にある子守楠神社(右奥)。子どもの神様。ここにお参りして、楠、藤、熊の名を受けると、その子は長生きして出世するという。熊楠は熊と楠の2文字をもらった。彼の兄弟は1字ずつで、藤吉、くま、常楠、楠次郎、藤枝である。

大楠2
*裏から見た子守楠神社の御神体の楠神さま。どうです、なかなかのものでしょう。河口慧海であれば、自分の知った少年にこう書き送ったに違いない。

「明治(あきはる)さん よくべんきょうしてますか。この楠の大樹は約600年を経たものであります。能(よ)く雨や風や雪や日光の熱を忍(た)へて漸く大樹となりました よく ごらん」(拙著『評伝 河口慧海』429ページ)

大楠4
*木肌にそっと手を触れると、ひんやりして気持ちがいい。二百年後も三百年、五百年の後も、ずっとここに立ち続けていてもらいたい。

台風が近づき、大雨警報が出て、今日は午後から授業(補講)が中止になった。
俳優の原田芳雄氏が亡くなった。追悼の意味を込めて「父と暮らせば」を見ることにしたい。

研究ノート

入野、道成寺

2011年07月18日
御坊の旅荘に着いたのは午後7時過ぎであった。宿のおかみさんに聞いて、R42沿いの居酒屋まで歩いてゆく。

翌朝8時半に宿を出て、かんかん照りの中、まず道成寺に行く。安珍と清姫の伝説であまりにも有名な寺である。ここの目当ては、なんといっても絵巻を用いた絵解きであるが、時間的にちょっと早かったので、参道の茶店で道を聞いて、まず入野(にゅうの)に行ってみることにする。

和歌山県日高郡日高川町の入野は南方熊楠の父弥兵衛の出身地である。入野の入は「にう」つまり丹生ではないかと私は思うのであるが、どんなものだろうか。この名から、高野山麓の天野(あまの)のような隠れ里を連想していたが、実際の入野は日高川沿いの細長い集落だった。前は日高川の堤防、後ろは低い山で、耕作地はそれほど広くない印象である。
入野村
*入野の風景

道沿いにお寺があるので寄ってみた。浄土宗栄林寺とある。住職は瞳の明るい人で、いきなり訪ねたにもかかわらず、気さくに対応してくれた。熊楠の名前を出すと、向畑家はあそこの青い屋根の隣り、親戚の古田家はこっちの蓮池の側と話が早い。

栄林寺は江戸時代に真言宗から浄土宗に転宗した寺らしく、本尊の阿弥陀如来立像は、寺伝によれば、高野山麓に安置されていたものを村人がもらってきたものだという。ここにも高野山とのつながりがある。

padma.jpg
*入野の蓮池

南方弥兵衛はこの村の庄屋向畑庄兵衛の二男に生まれ、13歳の時から御坊村で丁稚奉公をした。後に和歌山城下に出て、南方家の入り婿になり、努力と才覚によって一代で富を築いた。

熊楠は、土宜法龍宛の明治26年12月16日付の手紙の中に次のように書いている。

「吾等父の生れし入野村といへる寒邑に一夏おくりしことあり。其処の人来りて色々の農事をはなす。小生も植物学又化学など知れる故、稲虫ありと聞ば、盥に水入れ灯を泛べて之を駆り、麦に黒奴つきたりと聞ては、早速之を焼失せしむるなど、又其村の辺は昔は畠山の領分なりしが、秀吉に亡ぼされしことなどとききかせ、浄瑠璃の舎あれば、往て今語りし『鎌倉三代記』の「時まつたいらの時政」とあるは、「松平の」とつづけてかたるが口伝也、これは頼家と時政の名を仮りて、実は秀頼と家康のことを作りし也、昔は世の中がかやうに不自由にて、言いたきことも表向は言れぬ世なりし、今は有難き事に非ずやなど、語り聞す」(奥山・雲藤・神田編『高山寺蔵 南方熊楠書翰』藤原書店、2010年、77ページ)

これはおそらく明治19年の記憶である。

入野を後にし、道成寺に向かう。

土産物屋
*道成寺門前の土産物屋。名物つりがねまんじゅうの中にはあんちんならぬあんこが入っている。

鐘巻
*鐘巻之跡。大蛇に変身した清姫が安珍を鐘ごと焼き殺したスポット。女性は怖や、怖や・・・

本堂の国宝の千手観音などを拝んだ後、小野俊成師による絵解き説法を聞いた。参拝者を適当にいじりながら進める説法はおもしろく、さすが「お経を読むより、絵解きをする方が多い」というだけのことはあった。聴衆が少なかったので反応も控えめだったが、団体が入った時にはもっと盛り上がるに違いない。同じセリフでも間の取り方によって、おもしろくもなれば、つまらなくもなることがよく分かる。落語をはじめとする日本の伝統話芸の多くはお寺に発祥した、ということが実感された。

女子サッカーのワールドカップで日本チームが優勝。一日中気分がよかった。
研究ノート

密教研究会2011

2011年07月17日
花園あじさい園
*花園あじさい園 しゃくなげも見事らしい。

がくあじさい
*幾何学的なのがおもしろい。

紀伊山地
*あじさい園近くの展望台から見た紀伊山地の重畳たる山並み

15、16日の両日にわたって今年も密教研究会の学術大会が開かれた。私は、公開講演の講師にお招きした智山伝法院院長の廣澤隆之先生の送り迎えなどのために、初日の研究発表は聞けなかったが、例年通り、力のこもった発表が多かったらしい。

廣澤先生の講演は、刺激に富んだ内容で、聴衆に感銘を与えた。お忙しい先生は、講演が終わるとすぐに、「新橋でまた飲もう」のことばを残して、帰路に就かれた。

昨日、学術大会二日目が終わった後、御坊方面に調査に出かけた。来週の土日が人文研の公募プロジェクト(奥山班)の研究会、次の週の金曜日がK-GURSの大学院生発表会、その翌日が高野山大学のオープンキャンパスと休みなく行事が続くので、今月自由に使えるのはこの連休しかない。

昨夜は御坊の紀州鉄道御坊駅前の旅館に泊まり、今日は入野(にゅうの)、道成寺、広川、湯浅、藤白神社と回った。今日はいささか疲れたので、その報告は明日にしよう。

研究ノート
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