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自由都市・堺

2011年06月29日
熊楠扇
*マイPCと「猫楠の扇子」(南方熊楠顕彰館謹製) 今日も暑いにゃ~・・・

しばらく前に堺都市政策研究所から機関誌『Urban』が届いた。上田正昭先生が「百舌鳥古市古墳群を世界遺産に」を書いておられる。堺は巨大古墳の町だ。なにしろ日本最大の大仙古墳(伝仁徳天皇陵、墳丘長486m)と三番目の石津ヶ丘古墳(伝履中天皇陵、墳丘長365m)、何番目かは知らぬがこれも大きいニサンザイ古墳(墳丘長290m)を含む百舌鳥古墳群があるのだから。泉北高速鉄道の高架からは、それらがこんもりとした松山としてよく見える。

ただ堺全体に見ものが多いかというと、今はさほどでもない。戦災で焼けているから、というのが一つの答えだが、堺はユニークな人材がたくさん出ているのだから、活用の道はあるはずだ。今回の『Urban』で、さいとう・たかを氏が指摘しているのもその辺りのことで、「ゴルゴ13記念館」とか「橋田壽賀子 渡鬼の館」とか「沢口靖子姫の竜宮城」とかがすぐにできるわけではないにしても、工夫次第でいろいろやれるはずだ。

前にも書いたが、私は、堺市の肝いりで「河口慧海賞」を設立して、現代における大冒険・大探検を奨励してはどうかと思っている。南方熊楠賞と同じで、もらえれば理屈抜きにうれしい賞になるだろう。この秋には、慧海も子どものころに通った北旅籠町の寺子屋清学院が修復なって一般公開されるとも聞いている。

「よく聞け。われらは堺を捨てるのではない。われらが堺を持ち去ってゆくのだ。堺は永久(とわ)にわれらの心の中に生きているのだ。(火矢を放つ)さらばだ!」(「黄金の日々」より)

若き日の松本幸四郎(ルソン助左衛門役)の名台詞である。堺は自由を求める人間の精神の中にこそある。
ある大学教員の日常茶飯

スリランカのバティック・カード

2011年06月24日
今日は高野山も下界なみに暑い。スリランカ土産のバティック(ろうけつ染め)カードで涼んでもらいたい。

バティック1
*名物のストルト・フィッシング

バティック2
*古きよき時代の雰囲気がよう出てはりますなあ。

この鸚鵡もデザイン的に面白い。
バティック3
ある大学教員の日常茶飯

まあ、今日です

2011年06月19日
私はこれまで自分と同じ誕生日の人間にはあまり出会ったことがない。

その数少ない人物の一人は、高野山大学に赴任したその年に、NHK学園の同行講師として西北インドのラダックに行った時に、そのグループの添乗員だったY沢さんである。ちょうど今頃のことで、成田出発が確か6月16日だった。同行の人たちの配慮で、デリーのホテルで二人一緒にお祝いをしてもらい、記念品までいただいた記憶がある。

もう一人は、このあいだ結婚したばかりの今治の某師で、司会者による新郎のプロフィール紹介では確かそういう話だった。聞き間違いかもしれないが、確かめる機会はまだない。どんなもんでしょ。

6月にふさわしく紫陽花の写真でも飾ろうと、高野山から16キロほど離れた花園あじさい園に行ってみたら、まだ全然咲いていない。茶店の人に聞くと、見ごろは7月10日以降だという。Hemis.jpg
*ラダックのへミス・ゴンパで開かれた春の大祭、ツェチュ祭。僧院の中庭で僧侶たちが仮面をつけて踊る。近郷近在の人々に混じって、外国人観光客も大勢見物している。背後はムーンランドとも呼ばれる乾ききった土地。1994年6月。
ある大学教員の日常茶飯

のど風邪の治りかけ

2011年06月18日
咳ばかりしていたような1週間だった。昨日薬が切れたので、会議の合間に高野山病院に行って診察を受け、調剤薬局から薬をもらった。それが効いたのか、それとも、たまたまそういう時期だったのか、昨夜は比較的楽に過ごせた。

大師教会

毎年6月15日には青葉祭、すなわち弘法大師の降誕会が開かれる。写真は、大師教会で営まれた法要の模様。

今日、研究仲間の一人について、気の毒なニュースが入った。午後になって、S先生に確認の電話を入れてから、弔電を打った。こっちまで気がくさくさするので、明日はアジサイの写真でも撮りに行こう。



ある大学教員の日常茶飯

「Stop the Hysteria」

2011年06月15日
ダニエル・カール(Daniel Kahl)氏は、山形県民よりも山形弁が上手という稀有なタレントである。その彼が、震災発生以来流している動画をYou Tubeで見ることができる。題して「ヒステリーを止めろ(Stop the Hysteria)」。

これは、今度の震災、特に原発事故に対する外国の「とんでもない」報道が、日本在住の外国人社会に動揺と混乱を与えていることを憂い、その是正をもとめて、作成、投稿されたものだ。興味のある人はご覧いただきたい。

まずダニエルさんには、心の底からありがとうと言いたい。

しかし、この時点でダニエルさんとその支持者たちが依拠していた情報は、まことに止むを得ないことながら、東電や政府・保安院、そして一部の学者たちが流していた「ただちには健康に影響しない」という類の「大本営発表」だったのである。

この国の悲劇をあらためてかみしめる。

再び和合亮一氏の詩を引用したい。

放射能が降っています。静かな、静かな、夜です。



ある大学教員の日常茶飯

弱り目に祟り目

2011年06月13日
イヌイ菌によるシツコイのど風邪に加えて、一昨日からは結膜炎を併発。たまりかねて、昨日は内科と眼科を回った。ついでに、テリーを深井のいなくま動物病院に連れて行って、血液検査を受けさせ、フィラリヤの予防薬を出してもらう。

いなくま動物病院は、7年ほど前、「堺の中心」に認定されたことがある。「探偵ナイトスクープ」で、「サカイの中心で愛を叫びたい」という視聴者の切なる願いに応えて、大阪府立大かどこかの先生に計算してもらったところ、堺の中心はこの病院ということになった。言いだしっぺのその人物、この病院の待合室で心行くまで愛を叫んだらしい。だがその後まもなく、堺は美原町と合併したので、その中心もどこかほかの場所に移ったと思われる。

堺は、好きな町だ。『評伝 河口慧海』に、「堺は夕日の美しい町であった」と書いたのは、私の堺へのひそかなオマージュです。





ある大学教員の日常茶飯

田辺大回り

2011年06月12日
一昨日、昨日と田辺に行ってきた。

イヌイさんからうつされた風邪が、本人同様、なかなかしぶとくて、夜中咳が止まらない。一昨日の晩の「あじみ」での会食の席では、熱燗を流し込んで体の内側から消毒を試みたが、量が少なかったせいか、あまり効果がなかった。

昨日は朝からシャワーのような大雨。午前中、顕彰館で調べものをした後、帰り道、「ひき岩」のふるさと自然公園センターに寄ってみた。熊楠の作った昆虫標本を故後藤伸先生が再現したものがあると聞いたからである。

ふるさとセンター熊楠標本
*センターの熊楠コーナーの一角。

その後、龍神村に向かったが、途中の交通案内版で、龍神スカイラインが土砂崩れのために閉鎖されていることを知る。そこで龍神村の入り口まで行って昼食を取ってから、有田方面に転じた。

途中、有田川町で明恵上人の生誕地(吉原遺跡)に立ち寄る。明恵上人石塔婆
*生誕地に立つ石の卒塔婆。

カーラジオを点けたら、「通行止めになっていた龍神スカイラインは午後2時に開通しました」

なんだ。まあ、明恵上人の生誕地がお参りできたからいいとしよう。R42に出て、和歌山市経由で帰ることにする。

運転しながら、NHKの柳田邦男氏と和合亮一氏の対談を聞いた。

和合氏が朗読した自作の詩の一節「この震災は何を私たちに教えたいのか」に思わず涙する。

何もあるはずがないではないか。




















ある大学教員の日常茶飯

ブッダガヤーの降三世

2011年06月08日
この春高野山大学密教文化研究所の受託研究員になった徳重君が、7月のK-GURS院生発表会で発表してくれることになった。テーマは降三世(ごうざんぜ)にかかわるものだ。降三世は密教の重要な仏の一つで、日本では五大明王の一つに数えられている。

私は彼に秘蔵の写真を提供することにした。

ブッダガヤーにある降三世の石像である。初公開というほどのものではないが、実際に現地に行って自分で写真に撮ったという人は少ないだろう。だいいち、これはひどくわかりにくい場所に置いてあるのだ。

trai.jpg

これはそのうちの一枚。当時はまだスチールカメラを使っていたので、現像してもらうまではどんな写り方をしているかわからず、それが結構スリリングだった。私はこのカメラを愛用し、ムスタンにもシッキムにも持って行った。それが酷使に耐えられなくなってついに壊れた後、今のデジタル1眼レフを買ったのである。

だからこれはスライド化してあったポジフィルムをスキャンしてパソコンに取り込んだものだ。私の部屋にはスライドが山のようにある。今折を見て、それらをせっせとスキャンしている。
研究ノート

木になりたまえ

2011年06月06日
あゆみ

南方熊楠顕彰館から「あゆみ 南方熊楠賞の20年と顕彰事業の足跡」が送られてきた。

去年も似たことを書いたように思うが、どんな学者でも、もらえるものならもらいたい、と思うのが南方熊楠賞だ。これはその20年の歩みの記録である。

この賞が、熊楠を敬愛する大勢の人々によって育てられてきたことがよく分かる。

さっそく第1回「人文の部」受賞者、バーバラ・ルーシュさんの記念講演録を読み、その中にとても感動的な一節を見つけた。以下にそれを引用しよう。この時、ルーシュさんは、学問への行きづまりと、近親者の死が重なって、何をする気力もなくしていた。精神的な危機である。そんな11月末のある日、ふと熊野への旅行を思い立ち、奈良の東大寺前から熊野行きのバスに乗る。30年ほど前に私も五条駅前から乗った十津川経由の路線である。


(熊野本宮に)ついたのは、朝7時前後だったと思います。その日は雨上がりのもやのかかった日でありました。神社を仰ぐ階段のところに着きました時には、もうだれ一人まわりには見あたりませんでした。曇り空の下、木で覆われた、まだ雨で湿った階段を私は一段ずつ登りはじめました。その時です。ある事が起ったのです。突然パチパチという一連の音にはっと立ちつくしました。誰かが私めがけて小石を投げたのかしらと思い、まわりを見回しましたが、誰も見あたりません。石なんて、誰が、どうして、投げたのでしょう。色々思いをめぐらしてみましたが、思い当たることもなく、また階段を登りはじめました。と、もう、十段もすれば大社にたどりつくというところで、さらさらと風が吹いて、私の目の前の階段目がけて、また、何か「もの」が当たりました。そうしてやっとわかったのです。先程のパチパチという音は、私めがけて小石が投げられたのではなく、風に吹かれ、樫の木からどんぐりの実が落ちてきて、石の階段にあたったせいだったのです。
 その時です。決して忘れようのないでき事を私は体験しました。突風を感じた時のように私の中で日本語で「木になりたまえ」という声を聞いたのです。
 その時の驚きはどんぐりの実で驚いた時などと比べようもないものです。かつて聞いた事のない魂の声は私の身体をつつみ込みました。その声は耳から聞こえたというものではなく、心の奥深くから聞こえてきました。その声は男性的な声で命じるような厳しい響きがありました。この声を聞くやいなや、いままで重くひしがれていた私の心は突然、軽くなり、本宮大社の御神木が私の心を洗い潔めて下さったような心境になりました。


ルーシュさんは、どんぐりの実を一つハンカチに包んで持ち帰った。いまも木箱にしまって枕元に置いているという。



そういえば、去年熊楠賞を受賞された山折哲雄先生は、揮毫を求められて、色紙に、

「わだば粘菌になる」

と書いていた。棟方志功の「わだばゴッホになる」のもじりである。「木になりたまえ」とはまた随分違った心境だが、山折先生が、これからも粘菌のように、ねばり強く活躍されることはまちがいない。

研究ノート

今日じゃない、のですけれど

2011年06月05日
今だから書けることだが、関西の桜が満開を迎えた4月のとある土曜日の出来事である。

久しぶりで京都の某所を訪ねると、X氏はいつも通り満面の笑みで迎えてくれえた。そのため私は、その瞳の奥に浮かんでいる困惑の色を見逃してしまった。

2分後。

X氏「あのお、今日ではない、のですけれど」
私「・・・あれっ、今日じゃないんですか・・・」
X氏「はい、今日じゃありませんのです」

日にちを間違えた理由はすぐに分かった。それからしばらく打ち合わせのようなことをしたが、ばつの悪さが消えるわけではない。長居は無用である。立とうとすると、

X氏「ちょうど今日あたり、桜が満開ですし、京の春の一日をゆっくりお楽しみいただければと・・・」

さすが京都人である。

私「そうですね。こりゃ、間違えて、かえってよかったかな、あはは…」

くそっ。

まったくの無駄足であったが、それでも約束をすっぽかすよりははるかにましである。変に時間が空いたので、思い立って、「法然展」を観に行った。「間違えて、よかった」と、本当にそう思った。



ある大学教員の日常茶飯
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