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なんじゃ、こりゃあ!

2011年05月26日
今だから言えることだが、この2月、私はある重大な病気を疑われていた。これに気付いた時の心境は、「太陽に吠えろ」の松田優作ふんするジーパン刑事の最期のせりふそのままだった。

なんじゃ、こりゃあ!

たまたま部屋に来たF先生にそのことを話すと、先生曰く。

すぐに大きな病院に行って検査を受けなさい。そしてその結果がよくても悪くても知らせてください。健康に自信を持っている人ほど、パタッと逝くものです。

それでもなんだかんだで、その週は病院に行けず、その間にも私の自覚症状は進行した。次の月曜日に某大学病院を訪ねた。町医者を通さずにいきなり行ったせいか、3時間も待たされた。その挙句、問診で言われたことは、それでは4月に検査の予約を入れましょう、だった。大病を心配してきているのに、検査が2か月先とはあんまりじゃないか。即キャンセル。

翌日から高野山病院で数度の検査を受けた。その結果を聞くために診察室の外で待っている時の心境は、

今度ばかりは見逃してほしい。

だった。

してその結果は、・・・・・・

「ご心配いりません」。

ひゃっ、ひゃ。

今日からまじめに生き直そう、と心に誓った。
ある大学教員の日常茶飯

自虐の詩

2011年05月24日
最近いいなと思う女優は、中谷美紀である。そう思い始めたのは、「仁ーJIN-」で花魁野風の演技を見た時からで、それまでは正直言って、柴崎幸と区別がつかなかった。彼女が本格的なインド・フリークで、まだ読んではいないが、『インド旅行記』という本を出していることも、評価のポイントの一つだ。

というわけで、日曜日に映画「自虐の詩」のDVDを借りた。

業田良家の原作マンガで知っている人も多いだろう。映画はとても丁寧に作りこまれていて、俳優陣も父親役の西田敏行、ラーメン屋の主人役の遠藤憲一はじめ適材適所で、たっぷり笑わせ、泣かせてくれる。おっと、一人忘れた。名取裕子が、はすっぱで無教養な水商売系の女を演じているのも見もの。物語の舞台を原作の東京から大阪の通天閣界隈に移し、関西芸人をたくさん起用しているのも成功の原因だろう。

幸江の故郷が気仙沼に設定されていて、回想シーンに港が多く登場するのは、3.11以後のことを重ね合わせると胸が痛むが、これはむろん映画の評価とは関係がない。

このままだと「阪急電車」も見に行ってしまいそうで、ちょっと自分がコワイ。
ある大学教員の日常茶飯

ついに老眼に

2011年05月16日
メガネをかけたままでは細かい文字が読みにくい。特に辞書を読むのがきつい。これじゃあ仕事にならない。一年半位前から自覚していたことだが、ついに昨日たまりかねて眼科に行った。

お医者はあくまでソフトな人であった。

「老眼鏡というのは、つまり近くを見るためのメガネなんですね。英語ではこれをリーディング・グラスィズ、つまり読書用のメガネと言います」
「はあ」
「ほかに何か聞きたいことありますか」
「いや別に・・・あ、公共施設などで、読みにくかったら使ってください風に置いてあるちゃちなメガネ、あれはいったいなんですか」
「あれはですね、あくまで遠くのものが見える人が・・・・(5分省略)」

よけいなことを聞いて時間をくったが、ともかく、これで私も大分「老人力」がついたことを自覚せざるをえなかった。

帰りに「けやき」に寄って本を買った。最近心がけていることの一つは、本を買うならなるべく町の本屋さんで買うことで、人にもこれを勧めたい。そのうち近所に一軒も本屋さんがなくなっても全然かまわない、と思うなら別だが。

買ったのは、佐野眞一著『甘粕正彦 乱心の曠野』(新潮文庫)である。甘粕が、1923年9月の関東大震災の直後に、無政府主義者の大杉栄と伊藤野枝と大杉の甥の少年を惨殺したという事件はよく知られている。この事件は、甘粕個人の犯行として処理されたが、どす黒い背後関係があったことは今日では自明のことだろう。実はこの時、もう一人の大物「主義者」である堺利彦も危なかったのだが、彼は服役していて助かった。これは黒岩久子さんの『パンとペン』に教えてもらったことだ。堺は、大逆事件の時も刑務所に入っていて助かっている。よくよく運のよい男である。

甘粕正彦は、仙台の北三番町の生まれで、父親は旧米沢藩士、先祖は川中島でも戦った上杉謙信の有力家臣であった。私が彼に興味を持つのは、そういうこともあってのことかもしれない。甘粕事件の甘粕といえば、「エロス+虐殺」とか、ベルトルッチの「ラストエンペラー」における坂本龍一の怪演とかがすぐに頭に浮かぶが、いずれも暗いムードである。佐野氏がこれをどう料理しているかは、通して読んでみないとはっきり言えないが、昨夜と今朝、数十ページ読んだ印象では、なんだかちょっと違うぞ、という感じである。



ある大学教員の日常茶飯

20ミリシーベルトでご免。

2011年05月15日
3月14日のことだったかと思う。コロンボのホテルの部屋でBBCかCNNで震災情報をチェックしていると、日本を逃げ出す日本人の親子なるものが紹介された。放射能が怖いから出国するのだという。その父親と娘の英語がやたら流暢なのに違和感を覚えつつ、「こんな日本人もいるんだ」と開いた口がふさがらなかった。いや、その少女に罪はない。しかし、いかにも、しれっとした感じの若い父親には反感を感じた。

翌日そのことをナンダセーナさんに話すと、ナンダセーナさんも、「ニャーナさんは日本に戻ったんですよ!」とi憤りを隠さない。確かに、ニャーナさんとその父親との間には、人間性において、天と地ほどの差がある、と私も考えた。

ところが、である。

その後の、東電、保安院、政府、学者、マスコミこぞってのドタバタ報道ぶり、情報操作と言われても仕方のない対応を見ていると、ああやって、とりあえず避難するというのも正しい選択だったのではないか、と思えてくる。

お上の言うこと、いわゆる大本営発表など、初めから信じていないだけ立派なのかもしれない。

この前、田辺で飲んだとき、C先生が言うには、先生は小学生の息子さんに「20ミリシーベルトでご免」と謝ったという。なぜならば、学校の校庭で年間被曝限度量20ミリシーベルトというのは、とんでもなく高い数値である。それを決めたのは政府だが、それを許した、あるいはそれを防げなかった責任は有権者であるわれわれにもある。そしてその被害を最も多く受けるのは、選挙権を持たない子どもたちなのだ。大人の一人として、今は、申し訳ないと謝るしかない、というわけである。

なるほど。これも世代間倫理というものであろう。電気はじゃかじゃか使いながら、原発行政には無関心であったという意味で、責任の一端はわれわれにもある。今はフクシマがこのまま収まってくれることを祈るしかないが、この問題の解決は、私たちの世代の責任として、果たさなければならない。





ある大学教員の日常茶飯

青葉と石楠花

2011年05月14日
9時にU原君と待ち合わせて霊宝館に行き、設立90周年記念特別展「宝を護れ」を観た。なかなか力の入った展示であった。U原君は去年とは打って変わって熱心に取り組んでいる。ツボにはまると一所懸命やるタイプなのだろう。

高野山は四季折々、美しくない季節はないが、今の季節もなかなか素敵だ。霊宝館正面
*霊宝館正面入り口。

特に今年は石楠花の開花が遅れて今が見ごろ。青葉若葉との饗宴が例年以上に美しい。

石楠花
*石楠花の森。

『三十光年の星たち』の上巻を読んだ。下巻はまだ買っていないのでしばらくおあずけだ。どんな展開が待っているかは予断を許さないが、今までのところ、素材に使われているのは、マイクロファイナンス、つまり無担保小口融資だ。バングラデシュのグラミン銀行は、この方式を世界中に広めたことで知られ、その創始者であるムハマド・ユヌスはその功績によって銀行そのものとともにノーベル平和賞を受賞している。グラミン銀行とユヌス氏についてはさまざまな評価があるが、彼らが始めた貧困層、特に女性向けの小規模事業融資というアイディアが与えた影響はとてつもなく大きい。

宮本輝も、ひょっとしたら、こういうところからヒントを得ているのかもしれない。

ある大学教員の日常茶飯

山笑う

2011年05月10日
山笑う季節である。

宮本輝の『三十光年の星たち』を買った。ふつうは新刊書に飛びついたりはしないのだが、上巻のカバーが、あまりにも今の季節にマッチして綺麗だった。

今治からの帰り、福山の駅前で、平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)の五浦釣人(いづらちょうじん)像を見た。田中の代表作(レプリカ)で、田中の師、岡倉天心が五浦で釣りをする姿をかたどったものだ。天心が設計した五浦の六角堂は、今回の津波で流されてしまったが、いつかは五浦を訪ねて、タゴールよろしく、天心とその弟子たちの活動のあとを偲んでみたいものだ。

そういえば、今治の駅前には、猿飛佐助の像がある。立川文庫の原作者山田阿鉄が今治出身であるのにちなんだものという。

福山には、近頃有名になった鞆の浦もある。中国地方のこの辺りを自動車旅行するのも悪くない。

故障していたメインのパソコンが、サーバー管理者のN川さんのおかげで、5日ぶりに回復した。うれしい。故障の原因は、「やってはならない操作をした」こと。一部のデータは失われたが、最も重要なマイドキュメンツとマイピクチャーズは無傷で助かった。パソコンは出荷時の状態に戻ったが、ごたごたしたものがきれいさっぱり消えて、かえってすっきりした、ということにしておこう。



ある大学教員の日常茶飯

今治に来ている

2011年05月07日
白川密成君とあかねさんの結婚披露宴に主席するために昨日今治に来た。披露宴は、当地のおだやかな風土に加えて、新郎新婦の人柄を反映してか、なごやかで温かいものだった。白川君と同期の大分の篠原君や福岡の佐伯君に久しぶりに会えたのもうれしかった。

披露宴が終わり、一度ホテルの部屋に引き上げてから、例の村山清作の実家の探訪に出た。片原町一丁目はホテルから簡単に歩いてゆけるところにあった。地図で見てだいたいはわかっていたが、片原町は港湾沿いの民家のないエリアであった。これでは探しようもない。村山は浄土宗に縁故のある人だった。そこにいちるの望みをたくして、近くの浄土宗の寺院を3軒訪ねたが、いずれも村山という家にすぐには心当たりがない、という話だった。

私は、九州同様、四国にもうとい。ここまで来たついでに、松山を訪ねて「坂の上の雲ミュージアム」でも見て帰ろうかと思っていたが、よく考えてみると、今日中に堺を経て高野山に帰った方が都合がいい。あと一時間ほどでチェックアウトすることにした。

帰路は、昨日の逆で、今治から福山まで高速バスでしまなみ海道を行く。今日も天気がいいので、絶景が期待されるが、今回はカメラがないので、残念ながら、お目にかけることはできない。
高野山大学の力

特別企画展シンポジウム「神島 今、昔」

2011年05月02日
土曜日、田辺の南方熊楠顕彰館で開かれた特別企画展シンポジウム「神島 今、昔」を聴講に行った。

基調講演 玉井済夫先生「神島の森―変遷と現状―」

展示企画担当者講話 濱岸宏一先生、土永知子先生、安田忠典先生

パネルディスカッション「熊楠と神島」
コーディネーター 岩崎仁先生
コメンテーター 玉井、濱岸、土永、安田

総合司会 土永浩史先生

*国の天然記念物に指定されている神島(かしま)は、熊楠たちの運動が実って開発から守られた島だ。


シンポジウムの後、学術部会議に出席してから、田辺駅近くの居酒屋で「反省の夕べ」を開いたが、どういうわけか出演者はみんなさっさと帰ってしまい、集まったのは、顕彰館のM川、N尾の両氏と、調査に来ていた精華大学のKさんの他は、野次を飛ばしただけの私と、C本先生とT村先生だけであった。要するに、飲むのが目的で、口実は何でもよかったわけで。

パークサイド・ホテルに一泊し、昨日は9時ごろから顕彰館で熊楠の蔵書とノートを調べた。2時を回り、そろそろ店じまいしようと考えていたやさきに、思わず「アー!」と叫びたくなるような事実に気付く。おかげでここしばらく持っていた疑問が氷解したが、『アジア遊学』に出している原稿にいくつか修正を施さなければならなくなった。資料の調べ方が甘かったと反省。


熊楠の庭の花
*熊楠の庭に咲くカラタネオガタマ。モクレン科で、バナナに似た香りがする。シンポジウムでは前の席に陣取り、出演の面々を撮りまくったが、御本人の許可を得られそうにないものばかりなので掲載は見送る。
研究ノート
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