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関空まで

2011年04月17日
エア・ランカーの成田行きの出発時刻は23時53分の予定であった。それが空港で待っているうちに21日の1時5分になり、それがまた2時40分になった。それがしばらく後には4時20分に変わる。

いっしょの機を待っている日本人の団体の添乗員が、飛行機はまだローマにいるらしいと教えてくれた。これじゃあ、いつ出発になるのか分からない。だんだんお腹が空いてきたが、待つこと自体はあまり苦にならない。遅くなっても飛んでくれればおんのじだ。でも欠航になったらちょっと困る。

やがてチェックインが始まったが、係員が私のEチケット控えを見て、ちょっと待ってくれと言い出す。私は帰路、コロンボ~成田~関空のチケットを予約していた。ところが彼らによれば、このままだと成田~関空のJALには間に合わない。予定では、成田で6時間も待つことになっていたので、飛行機が多少遅れても大丈夫とたかをくくっていたのだが、まさかこんな事態になるとは。

ここで大分待たされた。倚子に座ってうとうとしていると、この空港で仕事をしている赤帽たちがやってきて、「これスリランカ・ルピーに替えれるか」と手の中の100円硬貨4枚を見せる。ルピーの持ち合わせがなくなった日本人が渡したものに違いない。「ああ、いいとも」1円が1.25ルピーだとすれば、500ルピーか。「500ルピーでいいか」「ああ、いいよ」私が渡した500ルピーを持って喜んで引き上げようとする彼ら。ちょっと待てよ。あれはホテルでのレートだ。銀行ではもう少しレートがよかったぞ。呼び止めて、さらに40ルピー渡す。そこまですることもなかったのだが、日本人として小銭をごまかしたか、手数料を取ったように思われたくなかった。

そうこうするうちにカウンターに呼び戻され、手続きができたと告げられた。彼らは、私をエア・ランカーからキャセイ・パシフィックに移してくれたのだ。このまま成田行きに乗ると、成田で1泊しなければならない。これに対してキャセイは相当早く出発できるし、この便はバンコク経由の香港行きで、香港で関空行きの便に乗り替えるので、かえって好都合だ。感謝しつつも、一応できあいの詫び証文をもらっておく。予定とは違う飛行機に乗った理由が航空会社の都合によることを証拠立てるためだ。出国手続きを済ませ、免税店で買ったお土産を抱えて、飛行機に乗り込んだ。

今回は往きも帰りも多少波瀾があったが、運よく切り抜けることができた。

香港の空港ビルは巨大で、乗り換えに時間がかかってひやひやしたが、これも何とか間に合い、この日の夕方、関空に帰着した。翼よ
*「翼よ、あれが浪速の灯いや」はまだ早すぎるか…


フィールドワークの記録

最後の一日

2011年04月17日
ウェラワッタの夕景2
*ウェラワッタの浜で夕日を眺める人々
波と戯れる
*波と戯れる女性たち

3月20日
朝、ホテルで車を雇い、8キロほど離れたマウント・ラヴィニアに行く。車代が1000ルピー、現地での1時間の待ちが300ルピーだ。マウント・ラヴィニアはスリランカ最古のシーサイドリゾートと言われている。ここを特に有名にしているのは、スリランカ最高の格式を誇る白亜の殿堂、マウント・ラヴィニア・ホテルだ。
マウント・ラヴィニア・ホテル

ラヴィニアのビーチ

と言っても、わざわざここまでホテルを見に来たわけではない。
このマウント・ラヴィニアにも明治の留学生たちが訪ねたお寺があり、それを探しに来たのだ。それはラオスの僧ゆかりの寺で、確かにそれらしい寺を見つけることができた。

ウェラワッタに戻って休んでいると、チェックアウトタイムの正午になったので、荷物をカウンターに預け、外で昼食を取るなどして、ナンダセーナさんが来るのを待つ。3時半、彼が現れ、ウェラワッタを出発。スリランカ最後の訪問先は、コロンボ国立博物館だ。

コロンボ国立博物館
*これも植民地時代の建物。10年前に比べて展示の仕方がスマートになっていた。内容はもともととても豊かだ。

この樹
*博物館の敷地内で。スリランカには大きい樹が多いけれど、なかでもこれは横綱級だ。地球研のK坂さんにメールで、「♪この樹、何の樹、大きな樹♪」とたずねたら、明らかにクワ科イチジク属の植物で、葉っぱがよく見えないので断定はできないが、インドゴムノキかガジュマルである可能性が高い、でもこの属は大きいので他の樹かもしれない、と教えてくれた。こういう時、専門家に知り合いがいると便利だ。

ブーゲンビリア
*ブーゲンビリアも咲き誇っている。

博物館を出て、少し早かったが、空港に行ってもらった。ナンダセーナさんがいてくれて、今回も本当に助かった。この空港も、土囊を積んだ上に大型機関砲が据え付けてあった10年前とは大きく変わった。やはり、平和が何よりだ。





フィールドワークの記録
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