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前回のスリランカ

2011年03月03日
タ・タイチョーが、
「アンタが南スリランカやったら、アタシャ西ネパールにいくんやさ…」
とかブログ(楽天ブログ 台風日記)に書いている。

はは、愉快、愉快。

3月、4月のヒマラヤなんてまだ冬でっせ。それより、太陽が燦々と降り注ぐ白い砂浜、真っ青な海、椰子の木陰でのんびりお昼寝、なんてのはどうでしょうか。

前回は2000年12月30日の夜中に関空を発ち、夜明けにバンコクに着いた。スリランカ行の便はその日の夜中なので、タイに入国してワット・リアップの境内にある日本人納骨堂に中原君(高野山大学での私の教え子)を訪ね、いろいろ案内してもらったりして、時間をつぶした。

夜中の飛行機に乗ってしばらくしたら、機内放送があって「新年と新世紀おめでとう!」となった。それから30分ほど後だろうか、一部の乗客が、また、わっと歓声を上げた。さっきはタイ国時間で新年、今度はスリランカ時間で新年が来たのだった。

要するに、私という奴は、年末年始に家を空け、家族をほったらかしにして、スリランカやインドをうろついていた訳である、ああ。

当時のスリランカは北部を中心に内戦がまだ続いており、コロンボの街や幹線道路には自動小銃を水平に構えた兵士がうようよしていた。彼らの眼光の鋭さに、内戦の現実を感じた。あれから10年、戦闘は終結したと伝えられており、テロの情報もない。しかも今度行くのはシンハラ人文化の強い西南部だからその点は心配していないのだが…。

ある大学教員の日常茶飯

多田等観先生

2011年03月02日
一転して、細雪の降る寒い一日だった。

昨日、多田等観(ただ・とうかん)はチベットから大蔵経を何セット持ち帰ったのか、という問い合わせが仙台のK谷氏からあった。

なこと、自分で調べてくれ、と思いながら、聞かれて悪い気はしない。

等観先生は、大正時代にチベットに10年も留学して、ラッサ郊外のセラ寺に学び、先代ダライ・ラマ13世にとてもかわいがられた。木訥な人柄が、日々難しい国政の舵取りをしているこのチベットの大活仏に愛されたのだ。

以前、等観先生が自らを語った録音テープを聴いたことがあるが、秋田訛りの、実に飄々とした語り口であった。

胸を張って言えることではないので、小声で話すことにするが、私は先生のひ孫弟子に当たる。



研究ノート
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