01月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728≫03月

春の嵐

2011年02月28日
今日は春の嵐の一日だった。

風雨をついて、しばらくぶりに奥の院を参拝した。

若い頃は「神仏を尊んで神仏を恃まず」という境地に憧れたが、今は「正しき道を歩ましめたまえ」と祈る。
ある大学教員の日常茶飯

今度は卒論の口述試問

2011年02月25日
二日にわたった卒業論文の口述試問がようやく終わった。

昨日、仕事の合間にY新聞のM記者の取材を受けた。かなり込み入ったことを話したのに、しっかり付いてくるのはさすがだった。聞いてみたら、タ・タイチョーには電話をかけたことがあるわ、O谷さんは知ってるわ、テンジン・ヌルブは知ってるわで、初対面なのにほとんど関係者状態。世の中はせまい。

「カタールはお金持ち国ですから、機内サービスもいいですよ」

KRKの山本さんのこのことばもあって、ドーハ経由でのスリランカ入りを選択した。ドーハでは遠回りだが、ペルシア湾の水の色を見ておくのも悪くない。より大きな理由は、関空発のタイ航空だとバンコクでの待ち時間が10数時間にもなり、おまけにスリランカ着が真夜中になるからだ。今回は前のように迎えがないから、よく知らん国に真夜中に着くのはきつい。おまけに空港から町までかなり距離がある。その点、カタール航空を使うと、夕方4時過ぎに着けるのである。

ところが昨今のアラブ情勢である。カタールは平穏らしいが、隣のバーレーンではデモが報じられている。飛行機が飛ばないと困る。

私「山本さんの読みはどうですか」
山本「読まないことにしてます」
私「なるほど!」

正しい判断である。そこで一転して伊丹→成田→直行便でコロンボとなった。KRKはこういうことに気軽に応じてくれるからありがたい。





ある大学教員の日常茶飯

スリランカへお出かけ

2011年02月24日
は?い、今日は楽しいことです。

来月12日から21日までスリランカに行くことになった。へっへっへ。

暖かいを通り越して、暑い熱帯の島で思い切り羽を延ばしてくるつもりだ。

コロンボのグランド・オリエンタル・ホテルに予約を入れた。グランド・オリエンタルは19世紀に創業した老舗ホテルで、コロンボ港がよく見える(らしい)。船の旅が一般的であった時代にはコロンボは東西航路の要石の一つで、長い停泊時間に旅客は港に近いこのホテルで休憩したり、食事したりすることが多かった。漱石や鷗外だって立ち寄ったかもしれない。いちど泊まりたいと思ってたんだよね?。

と、ここで電話が鳴る。出てみるとN井さんという人物で、伊丹のスリランカ寺の関係者だという。私がニャーナーランカーラ師に入れておいた留守電を聞いて、わざわざ電話をくれたのだ。「ニャーナさんは今スリランカに行っていて、来月の15日に帰国の予定」とのこと。おいおい、それじゃ行き違いだよ。そこで、私は12日から14日まではグランド・オリエンタルにいるから、できれば連絡がほしい、15日からは鉄道で南下してゴールとマータラに行くので、人を紹介してもらいたい、他にも頼みたいことがあるので連絡欲しいと、連絡してもらうことにした。

ニャーナ師は高野山大学大学院修士課程の修了生だ。彼には10年ほど前に初めてスリランカに行った時にも、弟のナンダセーナさんを紹介してもらった。私はナンダセーナさんの家に入り浸り、彼の車でシーギリヤ、ポロンナルワ、キャンディーを案内してもらったのであった。

グランド・オリエンタル
*10年前グランド・オリエンタルのロビーで撮ったグランド・オリエンタルの昔の写真。
ある大学教員の日常茶飯

アラビアのロレンス

2011年02月22日
昨日は午前中でかけただけで、夜まで家にいて、メールをあちこちに送っていた。ついでながら近頃ようやくデジタル化したテレビを操作してみると、映画が何本か録画してある。そのうちから「アラビアのロレンス(完全版)」を半分くらい見た。

「アラビアのロレンス」は想い出のある映画だ。昔のように夢中になって見ることはできなかったが、見ながらいろいろなことを考えた。この映画は、知っての通り、第一次世界大戦中にアラブ人を組織して砂漠で反乱を起こした英国将校の栄光と挫折を描き切った、ぶっちぎりの英雄物語だ。監督のデヴィッド・リーンについては、他の作品でいろいろ言いたいこともあるが、実にうまい監督だとは思う。個人的には、ロレンス(ピーター・オトゥール)がカイロの英国軍本部の一室でアラビアの地図を描いている最初の方のシーンが好きだ。特別なシーンではないが、なんでも、事前に「地図」を描いている時が一番楽しいに決まっている。

これを歴史物語として観れば、「民主化ドミノ」といわれる今の状況が、百年近く前のアラビアの状況と直接つながっていることが理解できるはずだ。


映画を見ながら、映画のことだけではなく、自分のこれまでのことなども、とりとめなく頭に浮かんだ。

昔の私は、極端で大げさなものを好み、がさつで、他人の気持ちがまるで分からないという、手に負えない人間だった。これは結局、今もあまり変わっていないということになるかもしれないが。

今日はもっと楽しいことを書くはずだったが、まずはこんなところで。



ある大学教員の日常茶飯

今度は面接です

2011年02月19日
月曜日に高野山大学通信制大学院の修士論文の口述諮問があったことは記述の通り。昨日の土曜日はその入学面接試験だった。

うちの通信制は、仏教、密教、弘法大師、真言宗に特化した他に例のないユニークなものだ。興味のある人は、気軽に、大学までお問い合わせ願いたい。0736?56?2921(代表)

今回受験した人たちの経歴、年齢、目的はさまざまだが、めでたく合格した人たちすべてが、数年後には、たくさんのものを得て「修士号」というゴールに達することを願わずにはいられない。

それにしても2月は忙しい。去年ロンドンに出ることができたのが奇跡のように思える。

が、今日はよんどころない事情もあって、完全オフにすることにした。今午前11時。今日は時間を大切に過ごしたい。
ある大学教員の日常茶飯

仏教新紀元

2011年02月18日
昨日からの雨が雪を溶かしてくれた。

誰かが言っていた。今年を日本仏教の新紀元にしたいと。
5月にはティク・ナット・ハーン(エンゲイジド・ブッディズムの指導者)が来日する。手塚治虫原作のアニメ「ブッダ」も封切られる。これに先立って、東博で特別展「手塚治虫のブッダ展」があるとのこと。アニメよりもむしろこっちの方がおもしろそうだ。

今の流れがそう簡単に変わるとは思えないが、長い目で見れば、あの年がターニングポイントだったと回想できるような年になってもらいたい。

ある大学教員の日常茶飯

高所プロの本が出た

2011年02月17日
高所プロ
総合地球環境学研究所のプロジェクト「人の生老病死と高所環境」(高所プロ)の本が出た:

奥宮清人編『生老病死のエコロジー チベット・ヒマラヤに生きる』(昭和堂)

これは高所プロがチベット・ヒマラヤの三箇所で実施している調査研究の中間報告的な出版で、20人もの研究者が共同執筆している。中心となるテーマは、チベット族の高地環境に対する生理的、文化的適応を探るというもの。

私は「青海地方とチベット仏教」の一文を寄稿しているが、このプロジェクトではアルナーチャルの班に属している。医学、農学、植物学、地質学など、専門の違う仲間たちから、こちらにはない視点をじっくり学ばせてもらおうと思っている。
読書案内

西太后

2011年02月15日
前にも書いたが、田中裕子の西太后は相当いい。「蒼穹の昴」の話である。近頃はあまり視る機会がないが、たまたま視たときには、早く田中太后が出てこないかな、とそればかり思う。他がつまらないこともあるが。

西太后は1861年にクーデターで粛順一派を打倒して権力を握った。最初は東太后、恭親王との寡頭制だったが、やがて性格の強い彼女が主導権を握った。1898年には再びクーデターを起こして百日維新をつぶし、甥の光緒帝を幽閉した。1900年の義和団の乱では八ヶ国連合軍の北京攻略によって西安に逃れたが、そこでも北京にいる時と変わらない贅沢三昧の暮らしをしたあげく、なぜかみごとに復権し、1908年に没するまで権力の座にあり続けた。実に半世紀近くの間、清朝を支配した女傑なのである。

中国では歴史上の人物を善玉と悪玉に色分けするのを好むようだ。その伝でゆくと、西太后は悪玉中の悪玉、底知れぬ権力欲に取りつかれた中国史上最大級の悪女である。だがそれだけに注目度も高い。

その役をいまだに「おしん」で人気の高い日本の女優が演じる。中国人はどんな思いでこのドラマを見たのだろうか。

私が西太后に興味を持つのは、私の好みの人物たちが駆け回る舞台の一つが1900年前後の中国であるからだ。
1900年の義和団の乱に際して、北京の東交民巷の外国公使館区域に籠城し、日本人義勇軍の一人として戦った川上貞信(かわかみ・ていしん)はその一人だし、籠城者救援のために出動した広島第5師団に通訳官として加わった寺本婉雅(てらもと・えんが)もそうだ。驚くべきことに、寺本は、醇親王派遣の大官らと共に密かに西安に至り、「(光緒皇帝と西太后に)日本軍の清朝に対する誠意の存するところを上奏し」、北京への帰還を勧めたという(寺本『蔵蒙旅日記』p.357)。寺本は1907年11月に青海のタール寺でダライ・ラマ13世に拝謁した時にも、もし北京に参朝する意思があるならば、日本の官憲が協力すると約束している。いずれもきな臭い話であるが、調べてみる価値はありそうだ。
研究ノート

通信制大学院修士論文口述試問

2011年02月14日
雪が無遠慮にわさわさ降っている。この冬の高野山は何十年ぶりかの大雪だそうだ。

タイトルを見て、ひやりとした人もいるかもしれない。今日は朝から晩までこれであった。私は主査が一人で、あとは副査だったから比較的楽だったはずなのに、終わると、かなりの疲労を感じた。なにしろ、一人の持ち時間が1時間半である。

これから出す人、出したい人、いつかは年貢を納めなければならないと思っている人に柴田トヨさん風のエールを送っておこう。

あきらめないで
きっと、あなたにも書けるから
ほら、冷たい雪の下にも
春が芽生えようとしているの

(我ながらまずう)



ある大学教員の日常茶飯

熊楠のキャラメル箱

2011年02月12日
キャラメル箱
*南方熊楠顕彰館所蔵のキャラメルのボール箱

1929年6月1日、熊楠は、田辺湾の神島に行幸された昭和天皇に、御召艦「長門」の艦内で粘菌や海中生物について進講した。昭和天皇も粘菌などの生物を研究していたから、興味に共通点があった。写真は、その時熊楠が粘菌の標本を献上するのに用いたのと同じ型のキャラメルの大箱で、普通のポケットキャラメルが60個とか入るもの。最初は桐の箱を用意したものの、どうにも納まりにくいので、日頃から使い慣れたこれに替えたという。

熊楠らしい、ということで誰もが納得する逸話である。

いつか田辺の人に聞いた話だが、田辺という町はよそから入ってきた人にやさしいのだそうだ。これはなかなかない美徳です。熊楠も居心地がよかったのだろう、ここが終の棲家になった。

研究ノート
 | HOME | Next »