12月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫02月

不退転

2011年01月31日
不退転

政治家などが使うと、この言葉も実に軽いが、お坊さんが使うと本物の迫力がある。もともと仏教用語だからね。

土曜日の会議の席上、H岡氏により、M氏のことばとしてこれが伝えられた。

うむむ… これが今年の言葉だ。

何のこと?と思うだろうが、今はここまでしか書けない。
ある大学教員の日常茶飯

どうにか復活

2011年01月30日
昨日は心斎橋で重要な会議があり、その後イタリアン・バイキングの夕食をとったが、おいしいはずの料理が、風邪のせいでほとんど味が感じられなかった。いっしょに行った●さんなど、がつがつ食べているのに、私は最初の一皿でごちそうさま。アルコールは要りません。

その後、同じ方面に帰る三人と難波までいっしょに行き、ついでのことながらと、なんなんタウンで串カツの店に入ったが、「二度づけお断り」の名物串カツも熱燗もちっともおいしく感じられないので、「風邪なので失礼します」と一人だけ早引けした。原稿のこともあったが…

しかしそれで終わるような私ではない。うちに帰って風呂に入り、テレビを見ているうちに(インドのナガランド、やってました、芋虫料理がほんとにおいしそう)なんとなく力の復活を感じたので、その後は熱燗をまたちびちびやりながら・・・
ある大学教員の日常茶飯

風邪をひいてしまった

2011年01月28日
一昨日、図書館で資料を整理している頃から喉がイライラ、いがいがしはじめた。
ちょうど元留学生の中国人Zさんが、中国の大学の先生たちを案内していたので、久しぶりに彼女をからかっているうちに段々ひどくなってきた。


それから二晩咳のためによく寝られず。どうやら三年にいっぺんの風邪らしい。

補講も終わってようやく原稿に集中できると思っていたのに。元気を付けるために、もらった論文の悪口でも書いて送ることにしよう。
ある大学教員の日常茶飯

隣人は選べない

2011年01月27日
昨日の朝、研究室に入って一番にしたことは、ネットのニュースで前夜の勝ちを確認することであった。延長終了間際に一点取られてPK戦になったのはいただけないが、勝ったからよしとしよう。

猿パフォーマンスとかいう愚行で満天下に恥をさらしたキ某など、二重の意味で敗者だ。

その一方で、昨日は10年前新大久保の駅で転落した人を助けようとして犠牲になった韓国の若者の追悼式が行われた。

まあ、いろいろという訳だ。

隣人は選べない。
ある大学教員の日常茶飯

去りゆく仏

2011年01月24日
京都S寺の有名な釈迦像が今度天竺に帰ることになったと聞いたので、大阪南港まで見送りにいった。桟橋にはすでに大勢の老若男女がつめかけていた。

お釈迦さんはと見れば、小舟の舳先に立って群衆に手など振っている。

その姿はなぜか、あのせんと君の着ぐるみから角を取ったようなものであった。

私は、『お釈迦さんは日本を見捨てるのだろうか』と考えた。

すると彼はこちらを振り返り、丸い目をぱちくりさせて、こう言った。

「チョーネンさんの案内で、この国に渡ってきてから1000有余年、土着の神々さえこの国を出て行くご時世に、私もこの辺が潮時と思うばかりだ。神仏は遊行するものだから、いつかまたこの粟散辺土に舞い戻ることもあろう」

ああ、日本人がお釈迦さんを捨てる前に、お釈迦さんが日本人を捨てるのだ。こう思ったところで、地下鉄が淀屋橋駅の構内に滑り込んだので、私は白日夢から醒めて座席を立った。

日曜日に小峯先生にいただいた『中世日本の予言書―<未来記>を読む』(岩波新書)には、いたるところに興味深い話が出てきて、想像力を刺激される。安元の大火(1177)から一年ほど後、都に嵯峨の釈迦仏が天竺に帰るという噂が立った、というのもその一つである。これを伝え聞いた都人の受けた衝撃はいかばかりであっただろうか、と考えているうちに、こちらにまで彼らが感じたであろう喪失感が伝わってきたようだ。

研究ノート

立教大学鼎談

2011年01月23日
9時過ぎにホテルを出て、池袋駅西口の先の立教大学池袋キャンパスに行く。

10時より2時間、飯倉照平先生、小峯和明先生と「南方熊楠とアジア」のテーマで鼎談。司会は田村義也先生。私は碩学の皆さんの間に入って、まとまりのないことをしゃべったに過ぎないが、「勉強にはなりました」。

これはある雑誌の特集号のためのもので、2月10日には続きが田辺の顕彰館であるが、いずれにしても田村さんが「オレ、こんないいことしゃべったかな」と驚くような原稿に仕上げてくれるはずである。

終わって、近所の中華屋で昼食と称して紹興酒のぬる燗で一杯やって解散した。

帰宅したらまたまた某先生から本が届いていた。先日「礼状」というタイトルでおちゃらけたことを書いた罰が当たったのかもしれない。これも目を通してから礼状を書こう。
研究ノート

東洋大学アジア文化研究所のシンポジウム

2011年01月23日
池袋のホテルでこれを書いている。

先日予告したように、今日は東洋大学アジア文化研究所でのシンポジウム+年次大会に参加した。

三澤先生が連絡したようで、日本トルコ文化交流会の人たちがずいぶん来てくれたし、飯塚先生がなんだかすごく私を持ち上げてくれて恐縮のきわみであった。1時から6時までさまざまな出し物が連続してあり、そのすべてに参加あるいは出席したので、懇親会のビールがいつもより相当にうまかった。

今日はもう眠いので詳しい報告はまたにしよう。明日は、池袋のR大で田村さんが「仕組んだ」テーダンだから、よく寝て、最近錆つきがひどい頭を少しでもクリヤーにしなければならぬ。
研究ノート

カリスマキャバ嬢のメール術

2011年01月21日
2週間くらい前だったろうか。NHKの夜遅くの番組で「カリスマキャバ嬢のメール術」という実に「らしくない」コーナーをやっていた。うろ覚えだが、そのポイントは:

1.メールをもらったら、取りあえず何でもいいからすぐ返信する。
2.メールに相手の名前をできるだけ入れる。
3.朝は「いってらっしゃい」、夕方は「今日も一日お疲れ様」と送る。

これは、誘蛾灯のように、お客をお店に誘いこむテクニックの一つである訳だが、3はおいておいて、1と2は私でも納得できるものであった。
逆を考えればすぐわかる。メールを出してもなかなか返事がない。やっと来たと思ったら、用件だけぞんざいに書いてあって宛名もない。これじゃ、好きになれという方が無理だ。

それじゃおまえはどうだ、と聞かれれば、実は前から実践しています、と書こうとして、はたと思い出した。ここ1週間、だんまりを決め込んで、逃げ隠れしているメールが一個あることを。とほほ。。。。



ある大学教員の日常茶飯

礼状

2011年01月19日
人からものをもらってありがとうと言うのは、人間として当たり前のことで、それが郵送されてきたものである場合には、すぐに礼状を認めるのが筋というものである。

私の場合、愛用の文箱をさっと取り出す。そこには、各種の便箋、封筒に加えて、鉛筆から筆ペンまでの様々な筆記用具、おまけに切手までストックしてある。これによってきわめてスピーディーに礼状を書き上げ、その日のうちに投函する。

というのは真っ赤な嘘で、これまでどれほど失礼を重ね、自分でも気まずい思いをしてきたか知れない。

特に面倒なのは、送られたものが、その人の著書や論文抜き刷りである場合だ。たいていの相手は早く感想を知りたくてうずうずしているからである。

読まないで礼状を書く時には、一刻も早く出すことが肝要だ。「ありがとうございました。いつもながらの力作で」とか「画期的な御著書と拝察いたします」などという美辞麗句に混じって、「これからよく読ませて頂きます」とか「座右において参照させて頂きます」などと書いてあるのはこのケースだから要注意である。

これに対して、一応読んで、寸評を付けて返さなければならぬと思うこともある。もちろんこれが本来あるべき姿だ。だがこれは、さしあたっての時間は稼げるが、そのかわり膨大な仕事を我が身に課してしまう危険がある。

というわけで、今、後者を四件ほど抱えちまっている。ちゃんと読んでますから、みなさん、もう少しお待ちのほど。
ある大学教員の日常茶飯

縦書きと横書き

2011年01月18日
日本人が、漢字や仮名文字の文章を上から下へと縦書きしてきたのは、むろん中国文化の影響である。調べた訳ではないが、文字を縦書きするのは中国文化の影響を受けた東アジア、内陸アジアの諸地域固有の文化だと思う。

同じアジアでもインド文化の影響を強く受けた地域では文字は横書きである。チベットもそうだ。チベット文字は7世紀にインド系の文字をモデルにして作られたと考えられている。横書きもその時一緒に取り入れられたと考えてよい。

ところが、いつ頃からかは知らないが、本家の中国が、縦書きをほとんど止めたようである。この国でいまだに縦書きしている人間は、書家と頑固な学者位だろう。

縦書きの伝統を最後まで守る国は日本であるに違いない。ガラパゴスと言わば言え。ガラパゴスで結構だ。

もっとも、学校の教科書でも縦書きされているのは国語の教科書くらいなものである。横書きの方が便利だと思っている人も多いだろう。加えてITのますますの普及。日本の縦書き文化も実は危ないところに来ているのかもしれない。

早い話、このブログも横書きしている訳だが、私は縦書きこそ正式な日本語の書き方だと思っている。幸い、一般書の世界では縦書きがまだ優勢である。縦書きが健在なうちに一冊でも多く自分の本を出すことをこれからの目標にしたい。

ある大学教員の日常茶飯
 | HOME | Next »