FC2ブログ
12月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫02月

雪ニモ負ケズ

2011年01月17日
高野山に来てからこんな寒い冬があっただろうか、と思うくらいの寒さである。長女からは、もういいかげん年なのだから(根性や自己暗示でなく)衣服だの帽子だのをうまく使う工夫をせよと命じられている。昨日は家原寺の帰りにユニクロに寄ってヒートテックを買い込んだ。

今朝、密教文化研究所の玄関前でTさんが雪かきをしているのに出くわした。

「雪ニモ負ケズ」と声をかけたら、

こんな時、何言うてるんですか、という顔をされたので、次に用意していたことばを飲み込んで、そそくさと玄関に入った。そのことばは「花粉症ニモ負ケズ」。高野山は周辺が杉だらけである。3月になると、ぶわ?と来る。しかし、それでもこの寒さよりはましだ。

T村さんから23日にR大でやる「鼎談」の案内が来た。22日のシンポジウムの後、一泊してこれである。

ある大学教員の日常茶飯

行基

2011年01月16日
正月飾りを家原(えばら)寺に持っていってとんどの火に焚いてもらった。この寺のとんど祭は大規模なことで知られている。

家原寺は行基の生誕地とされる。

私の住む泉北地区には、行基が掘ったという井戸や潅漑用のため池、ゆかりの寺塔などが多い。古代、堺市南部から和泉、狭山、岸和田の一帯は須恵器の一大生産地だったが、この陶器も行基がはじめたという伝説から行基焼の異名を持つ。行基は泉北一帯の守護聖人のような存在だ。

NHK大阪が制作し去年の4月に放映された「大仏開眼」は、脇役ながら行基が登場する珍しいドラマだった。「大仏開眼」といいながら、主な中身が皇族貴族の権力争いだったり、玄は出るのに、どうして道鏡がでないのか、などの疑問もあったが、NHKならではの重厚な作品であった。

國村隼演じる聖武天皇のことば:「理屈ではない。私は大きな仏が見てみたい」は、その場面の中では、天皇が大仏建立を決断する動機としては十分と思わせた。

ある大学教員の日常茶飯

厳寒の中之島

2011年01月15日
寒ーいなか、久しぶりに大阪の大阪府立中之島図書館に行った。

淀屋橋の地下鉄の駅を出ると氷雨がぱらついている。大阪もこんなに寒い日があるのだ。

中之島図書館は、一部が国の重要文化財にも指定されている古くて立派な建物だ。

府立図書館の本館は荒本にあるが、中之島には中之島にしかない資料がある。今日見たかったのは、大正6年の「大阪毎日新聞」だ。マイクロフィルムをそれ自体文化財になりそうなビューワーで見る。

ふむふむ、なるほど。マイクロフィルムを巻いたり、戻したりしているうちに、目的の記事を見つけた。これは使える。閉館時間が近づいたので、複写を大学まで送ってもらう手続きをして図書館を後にした。

晩になってますます天気は荒れている。










ある大学教員の日常茶飯

シンポジウム「近代日本とトルコ・タタール系世界」

2011年01月12日
misawa.jpg

1月22日のシンポジウムのちらしが送られてきた。
題して「近代日本とトルコ・タタール系世界」

異業種交流に行くようなものだが、知らない世界を覗くのもまた楽しいことである。

私の題は「エルトゥールル号事件を契機とした日本人僧侶のトルコ・欧州訪問」

1890年9月に起きたトルコの軍艦エルトゥールル号沈没事件については、このブログでもしばしば触れてきた。その生存者69人をイスタンブルに送り届けるため、日本海軍の練習艦「比叡」と「金剛」が出動する。この両艦に、スリランカのコロンボから乗り込んだ二人の日本人僧侶があった。これは二人の目を通した「比叡」と「金剛」の航海と彼らの異文化体験に関する報告である。

与えられた時間はあまり多くない。準備しすぎないように、準備したい。



研究ノート

伊達直人

2011年01月11日
 子どもたち「タイガーマスク、ありがとう」

「言わすなー!」と私は思わずテレビに突っ込みを入れていた。

やっているのは団塊の世代のおじさんたちだろう。ランドセルよりお金の方が、と思うが、朝起きたら施設の玄関にランドセルの山が、が彼らの美学なのかもしれない。

*今日は日が照っているのに何という寒さ!



ある大学教員の日常茶飯

K-GURS公開シンポジウム

2011年01月09日
先週の土曜日の午後1時から4時過ぎまで、同志社大学神学館のチャペルを借りて、K-GURS公開シンポジウムが開かれた。

テーマは「宗教系大学の歴史と未来を考える」。司会は私で、出席の先生方は次の通り。
   
   基調講演 本井康博(同志社大学教授)
   パネル・ディスカッション   
   パネリスト:頼富本宏(種智院大学教授)
         山極伸之(佛教大学教授)
         赤松徹真(龍谷大学教授)

これは今年度から始まったK-GURS独自科目であるチェーンレクチャーが各大学の建学の精神を共通テーマにしていたことを受けたもの。
基調講演者にチェーンレクチャーでもお話しいただいた本井先生を再度お招きし、パネリストはたまたま各大学の元学長、現学長、次期学長のそろい踏みとなった。

今、宗教系大学は、めまぐるしい時代の変化の中で、伝統を守りつつ、現実に対応するという難しい課題を背負わされている。今回のシンポジウムを通じて、そのことを改めて痛感すると共に、いろいろなヒントをもらった気がする。

とまあ、こういうわけで、大きな行事が終わった。新年度に向けたパンフレットの編集が残ってはいるものの、あと三ヵ月で評議会議長の任期が終わり、肩の荷をおろすことができる。
研究ノート

99歳の詩人2

2011年01月08日
ネットをめくっていたら、柴田トヨさんの詩を現代詩として良く知られた詩人たちと同列に扱えるかどうか、と疑問を呈している人がいた。ずいぶん余計なことを気にする人がいたものだ。

柴田さんのケースは、老人、特におばあちゃんの言うことは一理も二理もあるものだ、ということで、そういう意味では「トイレの神様」とあまり変わらないと思う。萩原朔太郎や中原中也、三好達治などと比較しようと考えることがどだい間違っている。大切なのは、柴田さんの言葉に触れて感動の涙を流す人が全国にごまんといるということだ。


 春の岬旅のをはりの鷗どり
 浮きつつ遠くなりにけるかも
                            達治


寒い日本から熱帯にでも逃げたいものだ。
ある大学教員の日常茶飯

SOASの日本宗教研究センター・ニュースレター

2011年01月07日
去年の2月にロンドン大学のSOASで読んだペーパーがSOASの日本宗教研究センター(Center for the Study of Japanese Religions)のニュースレターに掲載された。題してCorrespondence between Kumagusu and Dogi Horyu: On the Newly Found Letters from Kumagusu to Dogi。単なる紹介文だが、今年最初のマグロの水揚げ同様、ご祝儀相場でよしとしておこう。CSJRNewsletter1.jpg

CSJRNewsletter2.jpg



研究ノート

99歳の詩人

2011年01月07日
昨日、土曜日のK-GURS公開シンポジウムと評議会の打ち合わせのため、京都の花園大学に行った。帰りに難波の本屋に寄ると、例の「99歳の詩人」柴田トヨさんの『くじけないで』が一番目立つところに平積みになっている。

元日にNHKで放送された「99歳の詩人」を見て、これは大反響だな、と思っていたが、案の定である。出版社もそれを予期して、大増刷に踏み切り、正月明けに備えていたに違いない。

番組を見て、私も素直に感動した。トヨさんその人もさることながら、その詩集を読んで感動し、勇気づけられている人がいるということに感動した。

奉公先で意地悪をされて、橋のたもとで泣いていたら、フーちゃんがやってきて慰めてくれた。80数年前の記憶。「ニッポンの夜明けぜよー!」とか「天気晴朗なれど波高し」とかに食傷していたこともあり、こういうのが一昔前までの日本の庶民の感覚だったんだよね、という気がした。

ただ、感動しながらも二つのことを考えた。

一つは、「産経新聞」に詩を投稿していたこの人に注目して、企画を立て、一冊の詩集にした編集者の手腕である。もちろん前もってこうなると予想するのは不可能に近い。彼(彼女)にとっても一生に一度くるか来ないかの大当たりだったのではないか。

二つ目は、トヨさんの息子の存在である。番組の中で、その息子がトヨさんに自作の詩を捧げる場面があったが、ことばの使い方がトヨさんによく似ていた。トヨさんの「成長」には彼の存在が欠かせなかったと思われる。むろん、それでいい。要は、隠れた才能を引き出すには、周囲の努力も必要だということだ。

ジュンク堂で黒岩比佐子さんの遺作『パンとペン』を買って電車の中でずうっと読んだ。これ、これ、私が勝負するのはこっちの方だ、と改めて思った。








ある大学教員の日常茶飯

メイド・イン・チャイナ

2011年01月05日
昨夜のテレビで高級子ども服を中国の富裕層向けに売り込もうという話を見た。確かに、安売り競争では、人件費の安い中国やバングラデシュにはかなわない。これからの日本は高級感と高品質で勝負というのは間違っていないだろう。

9月にインドに行った時に、日本から履いていった運動靴が破けているのに気づいて、サングラの村で靴を買った。確か750ルピー位だった。こういう旅行では足回りが特に大事だから、準備不足もいいところだが、現地で身の回り品を買うのが私は結構好きだ。実は壊れた方の靴も、前にインドのアッサムで買ったものだった。

後で気づいたのだが、サングラで買った靴は中国製だった。サングラのあるキナール地方は中国領に隣接している。ここいらでは中国製品はどんなルートで流れてくるのだろうか。タイフーンに聞くと、ネパールのトルボやムスタンでは直接国境を越えて中国製品が大量に流れ込んでいるという。この地方ではどうなのかは残念ながら聞き漏らした。

スピティ地方での調査を終えた後、マナーリーの町の時計屋でおもしろい貼り紙をみた。
made in china
上から二番目にご注目。「中身すり替えなし。中国製でなし。100%オリジナルDEOだけ」

かえって、いろいろいかがわしい商品が流通している様子がうかがわれる。
ガイドのヴィピンさんに聞くと、「ボクは日本製の時計を愛用している。日本製は高いけど、何年も故障しないからいいよ」とのこと。その場に居合わせた彼の友人たちも真顔でうなずいている。

やはり、これだ。

ところで、私が買った中国製の靴はまだ立派に履けてます。


ある大学教員の日常茶飯
« Prev | HOME | Next »