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ドライな日々

2010年11月28日
このところ、寝酒をしなかった翌朝自然に目が覚めた状態が一番気持ちのいい状態だと自分に言い聞かせている。ドライ(禁酒)な日々をなるべく長く続けたい。

昨日家に帰ったら薄型テレビが来ていた。前のテレビもチューナーを付ければ対応できるということで買ったのだが、やっぱり、いまさら、となってしまった。ほっておけば映らなくなる。いや、その前にエコポイントが半減する、てなわけで慌てて注文した。典型的な駆け込み需要である。

画面が細かくクリヤーなのが珍しいので、例の如く、チャンネルをどんどん替えながら一時間半ほど見ていたが、しまいには飽きて寝た。放送のシステムが変わっても、コンテンツは相変わらずだ。

ところで「龍馬伝」は今日でおしまいだ。龍馬暗殺の下手人は、結局、見廻組の佐々木只三郎という定説に落ち着くらしい。龍馬暗殺は歴史の謎だと思っていたので、以前、歴史学者の書いたもののなかに、暗殺犯は佐々木とずばり書いてあるのを見てかえって驚いたくらいだ。誰がやったかは分かりませんが、ではドラマにならないし、誰というよりは何故の方に重点を置くならば、わざわざ珍説を増やす必要はない、ということだろうか。

ちなみに「壬生義士伝」では新撰組の斉藤一が下手人ということになっている。斉藤がいやに注目されだしたのは、アニメの「るろうに剣心」で(異常なほど)クールな剣士として準主役級に扱われてからではないかと思う。明治まで生き残った新撰組の残党だった彼が平成の世に陰のヒーローとして蘇るというのは悪い話ではない。

もう一つ、「坂の上の雲」がまた始まるらしく、昨夜も去年の分の再放送をやっていた。これも悪くないけど、大学予備門の場面では、漱石だけでなく、南方熊楠をちらりと出す「遊び心」というか、サービスがあってもよかったと思う。熊楠も秋山真之、正岡子規らと同学年であったわけだから。

いずれにしても、「龍馬伝」も「坂の上の雲」も、多分「蒼穹の昴」も今日は視れません!そんな余裕はゼロ。







ある大学教員の日常茶飯

ふくらんだり、しぼんだり

2010年11月25日
そういえばこの前岡山の会場でI 本君に会った。I 本君は高野山大学大学院修士課程の出で、私が赴任した時は現役の院生だったから、出会いはずいぶん昔のことだ。

I 本君が開口一番に言ったことは、「先生、ずいぶん痩せて、いい感じになりましたね」だった。

2年ほど前にこれを言われれば、その通りと思っただろうが、いいかげん、リバウンドしつくした今となっては受け取り方が違う。『おれって、昔はそんなに太ってたの!?』

「君はずいぶん貫禄がでたね」といわずもがなのことを言ってしまった。

数日前、合同研究室で入道イケダらしい後ろ姿を見たので、声をかけたら本人だった。

彼は今年の初め頃からダイエットして、今はマッチ棒のようにやせている。後ろ姿だけでは、彼だという確信がなかなか持てないほどだ。

イケダくん曰く、「先生、前にもどったようですね」

「君ねえ、痩せすぎは健康によくない。もっと食べて太らなければ」

われながら的確なアドバイスをして部屋を出た。

ええい、今日からリベンジ・ダイエットだ!




ある大学教員の日常茶飯

平穏な休日、でもどこかに緊張感がある

2010年11月23日
今日は休日なのがとても嬉しい。時計の針が止まるわけではないが、ふわーっとした気持ちにはなれる。これで晴れならばもっとよかったのだが、高野山の今日の天気は曇りで寒い。

くぎりが付かないままに、梵恩舎に行ってカレーセットを食べる。豆カレーで米は玄米となかなか凝っている。ケーキと飲み物付きで1200円。毎日だと高いが、今日は休日だからよしとする。

ダライ・ラマが来年「亡命政府」のトップの座を下りるというニュースが流れている。一月ほどまえから憶測のような形でささやかれていたことだ。ダライ・ラマは1935年生まれで、今年75歳に達している。政治の第一線からは引退でいいと思う。みんなこの人に期待するあまり長年に渡って過剰な負担を強いてきた。この辺で宗教活動に専念させてあげたい。





ある大学教員の日常茶飯

南方を訪ねて in 高野山

2010年11月22日
今日は1時に始まった会議、というより作業が延々5時間以上も続いた。普通ならこれで今日は上がりとしたいところだが、そうも言ってられない状況である。冷たい雨が降る中、上野屋に行ってカレーを食べ、研究室に戻る。

20日の土曜日は「南方を訪ねてin 高野山」の一行を御山に迎えた。

9時45分、集合場所の本山前駐車場に行ってみると、もうT井さんたちが来ている。田辺から来た人たちはみんな寒さに備えて重装備だ。田辺は亜熱帯に近く、熊楠がズールー、ギニアにたとえた那智と同じくらいの緯度だから無理もない。

現地集合の参加者の中には「世界一統」の前の社長さんもおられる。私の勧めで取材にきた高野町役場のK岡さんもいて、もうビュローのT田さんに挨拶を済ませた様子だ。

そこにK田君が衣を着て登場。なんだか妙に気合いが入っている。ほどなくして龍神バスが到着。スタッフを入れて40数名が勢揃いした。

ルートは熊楠ゆかりの一乗院から始めて、本山、昼食を挟んで、霊宝館、壇上伽藍、そして最後に大門の順。

半日おつきあいして、こういう人たちが田辺における熊楠の顕彰活動を支えているのだと実感した。なかなか出来ることじゃないよ、これは。

南方を訪ねて
*左が大正9年に御山にやってきた熊楠一行の記念写真(熊楠は左から二番目)、右は現在の大門である。『南方を訪ねてin 高野山』(パンフレット)より。昔の写真では、金剛力士に大草鞋が下げてある、門が白木のままで丹塗りされていない、などの違いがある。
ある大学教員の日常茶飯

黒岩比佐子さん

2010年11月21日
昨日家に帰って新聞を開いて、あっ、と思った。ノンフィクション作家の黒岩比佐子さんが亡くなっていた。亡くなったのは17日で、新聞に載っていたのは追悼文だった。

私は黒岩さんと面識があるわけでも、申し訳ないが彼女の作品の愛読者でもない。唯一のつながりは、黒岩さんが読売新聞に、私たちが今年作った本『高山寺蔵 南方熊楠書翰』(藤原書店、2010年)の書評を書いて下さったことだ。こういうことは、私たちのように滅多に出版などできない者にとっては忘れることのできないことだ。礼状でも書いておくんだった。

黒岩さんってどんな人だろう。ネットで調べて、彼女が日本の近代をテーマに数々のいい仕事をしているノンフィクション作家であることを知った。同時に、その仕事が膵臓癌と闘いながらのものであることも。

先月、黒岩さんの新作『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社)が出版され、元気で仕事を続けていることを確認できたと思ったばかりだった。享年52歳。

黒岩さん、安らかに。遺著は必ず読みます。

追伸:今22:02 黒岩さんのブログ 古書の森日記by Hisako を覗いたら、やっぱり、ちょっと泣けた。



ある大学教員の日常茶飯

チワワの桃が警察犬

2010年11月19日
ネットのニュースによれば、奈良県在住のチワワの桃が嘱託警察犬に合格して来年1月から出動するそうな。別に前から知っていたわけではないが、これは近来まれな明るいニュースだ。

と思う私は、ちょっとどうかしているでしょうか。煮詰まっていることは確かだ。

最近うちのテリーも寄る年波で、私が帰ると、一応しっぽを振りに出てくるが、すぐにまた次女の部屋のベッドの下に寝に行くので、手応えがないこと夥しい。

明日帰ったら、桃の爪の垢でも飲みなさいと説諭しなければならぬ。
ある大学教員の日常茶飯

岡山御室青年会結成30周年記念大会

2010年11月17日
数日前の朝、曼荼羅荘の玄関を出ると、風もないのに黄色い葉っぱが次々に枝から離れて散っている。ああ、秋は深い。

この頃、ブログのアップがままならないのも今まで経験したことのないような忙しさに、気持ちが落ち着かないからだ。

しかし昨日は仕事の合間を縫うようにして岡山に出かけた。
岡山御室青年会結成30周年記念大会にお呼ばれして、「今、先師に学ぶ―釈雲照・興然と土宜法龍―」のタイトルで講演を行った。間に20分の休憩をはさんで、2時間たっぷり話させてもらった。岡山の御室派の若手たちは、本当にみんな勉強熱心だ。高野山大学の卒業生も多い。こういう人たちが各地にまだまだ多くいることがとても心強く感じられた。

懇親会もとても気持ちよく酔わせてもらった。いい気なもの、と思われるかもしれないが、心身ともリフレッシュすることができた。
会長のM安さん、行き届いた世話をして下さったS子さん、パソコンとプロジェクタの接続問題でとてもスリリングな準備をし、帳尻を見事に合わせたスタッフの皆さん、本当にお世話になりました。各地から来賓として出席された重役の方々のお話もとても勉強になりました。

今日は木曜会の皆さん18人を大学にお迎えし、図書館の協力で貴重資料をお見せした。昨日は田辺の南方熊楠顕彰館を訪ね、龍神温泉で泊まられたとか。授業と会議の間で十分なおもてなしができなかったのは残念だが、みなさん熱心で、質問もいろいろしてくれたのが嬉しかった。
K林さん、ありがとうございました。








ある大学教員の日常茶飯

翠紅館(すいこうかん)

2010年11月13日
京都は秋の観光で賑わっているらしい。

今年は特に龍馬と幕末にゆかりの地が人気という。東山の翠紅館もその一つだが、わざわざ訪ねてゆく人がどれだけいるかは分らない。

かつて翠紅館は西本願寺の別邸で、幕末には倒幕派の志士たちが密かに会合に使っていた。今は高級懐石料理店になっているのでお客以外は入れないが、何年か前に門前まで見に行った。その理由は幕末でも龍馬でもなく、河口慧海にある。

明治36年5月に第一回チベット旅行から帰国すると、彼はたちまち新聞界の寵児となった。今であればテレビ局をはしごして回るようなものである。彼は初めのうちはどの新聞にもしゃべっていたが、まもなく、大阪毎日新聞と東京の時事新報の独占となる。そして両新聞の長期連載のための口述筆記の場所に選ばれたのが、翠紅館であった。

最初私は、「東山の某氏の別荘」としか分らず、八坂神社裏の長楽館でコーヒーを飲みながら、この辺かなあ、などと考えていた。翠紅館を教えてくださったのは、確か、高山龍三先生だったと思う。
口述中の彼を取材したアメリカの旅行作家エライザ・シドモアの書いたものの中にその屋敷の名がSui ko kanとあって、これが分るのである。

シドモアが慧海へのインタビューをまとめた「ラサからの最新情報」は翌年1月の『センチュリー・マガジン』を飾り、慧海の壮挙が世界に知られるきっかけとなった。
この記事には、シドモアに同行したと思われる外人カメラマンによって撮られた慧海のポートレートが付いている。チベット服を着込んだ、背景を影にしたバタ臭い写真だ。2007年に私たちが『河口慧海日記 ヒマラヤ・チベットの旅』(講談社学術文庫)を出すときに、この写真が慧海のものとしては珍しいので口絵に使うことにした。

日記の所蔵者であるM田さん(慧海の姪)にゲラをお持ちした時のことであったか、この写真を一目見てM田さんはこう言われた。
「これは慧海じゃありません。父の半瑞です」
「エーッ!!!」
M田さんに言わせれば、慧海の弟半瑞(はんずい)は時々慧海が持ち帰ったチベット服を着て見せることがあったとか。その場をどう言いつくろってM田邸を辞したかは覚えていない。

私は今も、これは慧海だと確信しているが、このミステリーはまだ完全には解けていない。
研究ノート

小ネタ・パラダイス

2010年11月07日
先日イヌイさんの部屋に原稿を取り立てにいったら、最近自分で見つけた小ネタを教えてくれた。小ネタと呼ばれるものはどこの世界にもあるだろうが、学問の世界では、論文1本にするほどのボリュームはないが、十分おもしろく刺激的なトピックを指す。

確かにイヌイさんの小ネタは十分、いや十二分におもしろかった。これを知っていると、金剛界曼荼羅の見方が、少しだが確実に変わる。そういう意味ではこれは小ネタではなく大ネタである。
「これは高雄曼荼羅だけど、この部分を見て下さい」
「ん…ああ、なるほど、ここに衣の襞が見えますね…なるほど、おもしろいですね」

イヌイさんは会う人ごとにこれをしゃべっているらしいが、ここでブログに書くのは控えておこう。イヌイさん自身が早く活字化するべきだ。

そこでその替わりと言っては何ですが、私の小ネタ。

南方熊楠はミシガン州アナーバー時代に「珍事評論」という手書きの回覧紙を出していた。その第2号に載せた「与龍聖法印書」は熊楠の現存最古の仏教論とされる。私は以前から、この書に多くのサンスクリット語(片仮名表記)が書かれているのに注目し、その情報源を探していた。それがひょんなことからHandbook of Chinese Buddhismなどであることが判明した。熊楠はこれを首っ引きで見て、この文章を書いたようだ。

これだけである。改めて書いてみると、これは小ネタというより、小小ネタですね。

研究ノート

まいろうやなあ?、ぱらいその寺へ・・・

2010年11月06日
午後1時を過ぎて町に散歩に出て、また梵恩舎(ぼんおんしゃ)に行く。前に梵音舎(ぼんのんしゃ)と書いたが、これが間違いであることが分かった。恩を忘れてはいけない。訂正。

おいしいケーキとチャイをセットにしてもらって600円だった。

まいろうやなあ?、ぱらいその寺へ…

映画「復讐するは我にあり」で使われたこの歌がどういうわけか耳につき、口に出る。

昨今の心境の反映か…

ある大学教員の日常茶飯
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