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公募研究プロジェクト打ち合わせ

2010年07月30日
昨日は、雨をついて京都の人文研に行った。今年度から3年間続く公募研究プロジェクトの打ち合わせのためである。このプロジェクト、4月末日締め切りで公募があって、応募したら通ってしまった。班員には日本全国から24人もの研究者に参加してもらうことになっている。

その仕事量がいったいどれほどになるか見当もつかない。T先生や初顔合わせのMさんとの打ち合わせの後、事務部と図書室に挨拶して、約一時間で切り上げる。とにかく大変そうだ。

帰りに進々堂に寄ってケーキとコーヒーで気を取り直す。進々堂は京大北門前に店を構える有名な老舗喫茶店である。創業は1930年で、今年はちょうど80周年に当たる。ふと見ると、目の前の壁に英文が浮き彫りにされた古い額がかかっている。

 My heart leaps up when I behold
 A Rainbow in the sky
 ・・・・・

 空にかかる虹を見る時、私の心は躍る。

ワーズワースの詩である。なるほど、浅田次郎が『活動写真の女』の中で小道具に使ったのはこれか、と思い当たった。

この仕事も雨の後には虹を見たいものだ。そういえば、この詩の後段には次の一行がある。

The Child is father of the Man

 子どもは大人の父親。

確かに子ども時分の所業が今の私を作ったと言えないこともないわけで、今こうしているのもその因縁と深く諦めなければならないのだろう。



ある大学教員の日常茶飯

酷暑おみまい

2010年07月27日
ニルギリ
*ニルギリ峰(7061m、ネパール・アンナプルナ山群)1998年5月撮影。

昨日ほどではないが、高野山は今日も暑い。いっそヒマラヤを丸ごと移したい。
写真は、ムスタンからの帰りにジョムソン飛行場でパチリ。これを見て、気持ち、涼んでもらいたい。じっと見ていると、ほらほら、かすかに冷風が吹いてくるでしょ。

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高野山大学オープンキャンパス 7月31日(土)に迫る!


ある大学教員の日常茶飯

130円で悪い癖が一つ直る

2010年07月25日
首の骨を「ぽきぽき」ならぬ「ぼきぼき、ばきばき」鳴らすのが私の癖の一つだった。最近はとみにこれがひどくなっていた。
ところが2週間ほど前、京都に行く折、参議院議員選挙の結果を再確認する目的で買ったタブロイド紙に、こういう癖は思わぬ疾患を招くことがあるから要注意、と書いてあった。以来、ぴたりと止めた。この新聞は130円である。これで長年の悪癖を改めることができたのだから安いものだ。

午前中、庭の百日紅の枝を切った。この木は成長が早く、去年もかなり大胆にカットしたはずなのに、濃いピンク色の花がもう二階のベランダまで届いている。お二階さんは何も言わないが、蜜を求めて蜂が飛んできたりして、きっと迷惑がっているに違いない。そこで再びばっさばっさとやった。この際もっと庭片づけをしたかったが、熱中症が怖いので切り上げた。

昨日英語論文を一個送ったが、今月末締め切り厳守の原稿がまだ1行も書けていない。今朝の夢見が悪かったのはそのせいのようで、夢の中で私は学生にレポートの説明をしていないことに気付いてあせっている。そのうちに眠りが浅くなってきて、この前の授業で説明したことを思い出し、安心して眠りに落ちた。するとまた、あーっ、レポートの説明忘れた!の繰り返し。

ばかみたいな話だが、実はこれ、それほど悪いことではない。脳が次の仕事のためにウォーミングアップしているのである。明日からは真剣に取り掛かれるはずだ。ということで、今日はちょっとビールで水分補給して早めに休むことにしよう。

ある大学教員の日常茶飯

袋ファイル

2010年07月23日
分厚い氷がついに融けはじめた。
といっても、別に高野山に氷河があるわけではない。

現在私は部屋替えを迫られている。密教文化研究所専従研究所員の任期が終わったので、部屋をあけわたして図書館の三階に帰らなければならないのだ。しかし、問題は、そこら中を占拠している本と書類の山をどうするかであった。学生、院生を動員して、一挙に運んでしまうという手もあるにはある。しかしそうした場合、資料が今よりももっとぐちゃぐちゃにかき混ぜられ、しばらくは私自身、機能不全に陥ってしまう可能性が高い。一枚物の貴重資料が永遠に失われてしまうなんてことも起こるだろう。

やはり自分で整理しながら少しずつ運ぶしか手がない。だがそれにしても、この混沌をどうやって秩序あるものに変えることができるのか。この問題が解けないうちは、引っ越しには手がつけられない。しばらくは塩漬け、氷漬けにしておくしかなかった。

悩んだ末に採用することにしたのが、袋ファイルである。この方法、角2の封筒に書類をどんどん放り込んで片っ端から並べてゆく(その際中身を封筒の所定の位置にメモすることを忘れずに)というシンプルなものだ。そうしてできた書類袋は、中身によって分類なんぞしません。否絶対に分類してはならない。

実はこれ、野口悠紀雄著『「超」整理法』(中公新書)に説かれる押出しファイリングです。ずばり言って、これは効果がある!
それが証拠に、この3日間で、無秩序に積み上げられていた書類の山がみるみる低くなりはじめた。あの部屋がすっかり空になるのもそう遠くない。

袋ファイル
*見よ、この機能美!
ある大学教員の日常茶飯

金剛山地

2010年07月22日
高天より
*御所(ごせ)市高天(たかま)付近から見た奈良盆地。中央のこんもりとした丘は畝傍山、その左肩に耳成山がちらりと姿を見せている。「たたなづく青垣…」

奈良県道30号線は、金剛山地の東側山麓の台地の上を南北に走っている。
特に夕方この道を通ると、二上山、大和葛城山、金剛山等の黒々とした山容が次々に展開し、その神さびた雰囲気に圧倒される。先日、ふと思い立って、高天の高天彦神社を訪ねた。古墳時代、この一帯を領していた強大な葛城氏の祖神である高皇産霊神(たかみむすびのかみ)などを祭っている。
フィールドワークの記録

奥山テリー号

2010年07月21日
この季節、高野山は涼しいでしょうな、と羨ましがられるが、どうしてどうして、かなりの暑さが続いている。今日も暑くなりそうだ。

島根から帰ったらテリーが夏モードに変わっていた。人間でいえば、丸坊主になったようなもので、これで少しは涼しくなっただろう。大阪の夏は暑い。ポメラニアンの長毛のままだと夏ばてしかねない。実際、二年前の夏に毛をそのままにしていたら、ひどい下痢をして、お盆の最中に動物病院通いをしなければならなかった。

てりドン

幼犬の時に家へ来てからかれこれ10年になる。今や立派な高齢犬だ。小さい時には本当にかわいらしくて、本屋やコンビニの前につないでおいたら「誰かが(あまりのかわいさに)連れてっちゃうかも」と娘たちが本気で心配したほどだ。

シータに続いて二匹目の犬だったが、慎重を期して、最初に「犬の飼い方」を二冊くらい読んだ。内容はほとんど覚えていないが、なるほどな、と思う一節もあった。

 犬は人間と違って毎日同じものを食べ、同じところを散歩しても飽きません。むしろ毎日同じことをした方が幸せなのです。

正確ではないかもしれないが、だいたいこんな内容だったと記憶する。すっかりこの通りにはできなかったが、のんびりした愛嬌のある、人間が大好きな犬に育ってくれた。

もう大分前のことになるが、近くの小学校のPTAの役員をしていたことがある。ある時、役員会での挨拶にテリーをひきあいに出して、「人間の子供も基本は同じだと思う」旨の話をした。毎日同じ食事でいいという意味ではない。今日と同じようにまた明日もやってくる、つまり平凡な家庭生活が平凡なままでずっと続いてゆく、ということが子供の心身の成長の基礎だと言いたかったのであるが、聞いているお母さん方は、単なる「親ばか」としか思わなかったかも知れない。



ある大学教員の日常茶飯

学会、発表会、研究会

2010年07月19日
呉線車窓からの眺め
*呉線の車窓から広島港方面を見る。

学会、発表会、研究会。どれも似たようなものだが、これが3日の間に高野山、京都、島根で開かれ、その全部に出席するとなるとただごとではない。

7月16日(金)11時34分、高野山駅にヴィータ先生をお迎えし、一の橋の喫茶店で昼食。そのあと学校にお連れし、応接室で時間を待つ。1時半、講演会開始。30分ほど聴講したところで、会場をそっと抜け出し、京都に向かう。
 避けることができないバッティングだった。今日はK?GURSのチェーンレクチャーの締めくくりに各大学院代表による院生論文発表会が4時20分から大谷大学で開かれる。ヴィータ先生は私が声をかけてお越し願った。その張本人が都合で不在では失礼極まりない。しかしK?GURSの今年最大級の行事に議長が欠席しては格好が付かない。そこで苦悩の末に選択したのが、中座して途中から出席というおきて破りすれすれの荒技であった。むろんヴィータ先生には、この前研究所をおたずねした際に重々ご説明、お詫びしている。

6時前に大谷大学に辿り着く。教室は満員の大盛況だ。しばらくして高野山大学大学院選抜のK田君の出番となった。評議員は、自分のところの院生の発表の司会をしなければならない。
「え?、K田さんは高野山大学大学院博士後期課程に所属し、学術振興会特別研究員にも選ばれておりまして…『南方マンダラ』というのは…」とか何とか話しているうちに発表の準備も整ったようだ。

「あのですねえ、絶対者と表象された「名もなきもの」から精神原理と物質原理が流出するというか、自己分節するわけでですね…それで、オクヤマ先生と私と早稲田大学の…はい、次の図行ってください」
(おいおい、よその院生はみな原稿読んでるっちゅーに)

彼の発表の後に、一言付け加えておいた。
「何だかグルになってやっているみたいですが、私と彼とはあくまで別人格でして」(笑)

発表会は盛況のうちに閉幕。その後、同じ建物の1階のカフェー、その名もビッグバレー(大谷)で懇親会。主に大谷のRさん、同志社のSさんとの話で盛り上がった。Rさんは「高野山大学では優秀な若手がたくさん育っているようですねえ」とコメント。
彼は皮肉やおべんちゃらを言う人ではないから、これは字義どおりに受け取ってよい。

懇親会は9時過ぎに終了し、大谷大学の評議員のN塚、O田両先生に厚く御礼を述べて大学を後にした。

7月17日(土)6時半に家を出て高野山に向かう。密教研究会二日目の司会が当たっているからだが、それでなくとも、昨日中座した手前、今日は顔を出しておきたい。発表は午後1時にはすべて終了。すぐに御山を下る。明日、島根県浜田市金城町波佐で開かれる能海寛研究会年次大会に出席するためだ。

新大阪から山陽新幹線に乗り、広島下車、呉線の通勤ライナーに乗り換えて、呉で下りる。すでに7時を回っているので、大和ミュージアム(もちろんこれダイワじゃない。呉で建造された世界最大の戦艦大和と日本海軍の記念博物館)には入れない。明日は江田島の旧海軍兵学校が一般公開されるとも聞いたが、今回は残念ながら見送らざるをえない。

呉に泊まるのは前日の朝に考え付いたこと。連休のせいか広島のビジネスホテルはどこも空きがない。最初は岡山か倉敷に一泊を考えたが、ふと思いついて、かつての東洋一の軍港を訪ねることにしたのである。
呉港
*呉港。対岸は江田島。

7月18日(日)6時半に宿を出る。広島駅新幹線口から8時発の浜田行き高速バスに乗車。10時過ぎ浜田着。10時半、石見バスの波佐行きに乗る。結局、乗客は最初から最後まで私一人だった。そこで運転手さんに、東谷下までね、と告げる。といっても、別に早く行ってくれるわけではないが。
私「ときわ会館って、東谷下下車ですよね」
運転手「はあ、そうですが。ときわで何かあるんですか」
私「能海寛(のうみゆたか)研究会ですが、運転手さん、能海寛って知ってますか」
運転手「知ってますよ。確かチベットですよね。私金城町出身なんで、小学校で習いました」

この答えには正直驚いた。何となく知ってはいたが、この辺りでは能海寛が小学校の教材にまでなっている。なかなかまねのできないこの芸当も、つまりはS田さんはじめ地元の人々が長年顕彰に努めてきた結果なのだ。こういう草の根的なやり方もあるし、ここではそれが成功を収めている。

今回のメインスピーカーは龍谷大学元学長の上山大峻先生。先生の研究の歩みをご本人の口から直接聞けるというめったにない機会だった。O崎、K本両氏の発表もなかなかだった。私のは「東温譲と川上貞信」という題。最初は発表申し込みをスルーしていたのだが、S田さんが電話してきて、「他の人もするけー、あんたも一つ…」と言われて、ついその気になり、返事した後になって、どうやって行ったらいいのだ、としばらく悩んだ。車かなとも思ったが、知らない道を400キロも行くのはしんどい。そこで上記のような行程になった次第。

夕方、広島に戻る会員の車で広島駅まで送ってもらった。
















 
フィールドワークの記録

学者の構えのようなもの

2010年07月13日
昨日は11時にお客さんを迎えて打ち合わせをし、その後すぐに御山を下りて京都に向かった。

まずイタリア国立東方学研究所にヴィータ先生を訪ねて金曜日の高野山での講演について話を詰める。終わって失礼しようとしたら、「今日はこれから何かご予定がありますか」。
「ええ、夕方から同志社でK-GURSの評議員会がありますので、そちらに回らないと…」

あちゃー、残念。でもヴィータ先生とのアフターファイブは次回のお楽しみということにして、後ろ髪を引かれる思いでバスに乗り、同志社に向かう。

早く着きすぎたので、神学部のSさんでも訪ねようと思ったが、どうせ迷惑なので止めて、生協書籍部辺りをうろうろして時間をつぶす。

Sさんはあまりにも気安く率直なのでついついそんな気にもなるのだが、これは学者にかぎらずとても大切な資質、または構えだと思う。

私の貧しい経験から言えば、中国でもインドでも、本当に権限のある「偉い人」は決して偉ぶらない。実にフランクなものである。威張っているのはその下の連中で、いかにも大人ぶって「ハオ、ハオ、何でも言ってみなさい」という感じに構えているが、実際はほとんど何もしてくれないし、する権限もないのである。これは日本でも同じだろう。

学問の世界でも、変にもったいぶったり、知ったかぶったりしたり、手続きや順序にばかり固執したりする者にろくなヤツはいない。本当にすぐれた学者は、実に謙虚、率直で、もの柔らかく、いくつになっても好奇心に目を輝かせている。それは自信の顕われでもあるのだ。

評議会は2時間を超える長丁場となった。終わって、Sさんに研究プロジェクトもよろしく、と一声かける。この秋から本格始動するこのプロジェクトについては追々報告しよう。
ある大学教員の日常茶飯

旭の上る家、もしくは「ライジングサン」

2010年07月07日
タイチョーが今日のブログ(楽天ブログ 台風日記)でチャールズ・ベルを取り上げたついでに、青木文教と多田等観のダージリン滞在に触れている。その中に彼らが居たグームのコテージ「ライジングサン」が出てくる。
勉強熱心で結構なことである。そこでこれに唱和して、もうちょっと後でアップする予定を前倒しすることにした。これが「ライジングサン」(現在の)だ。

ライジングサン
*2001年1月 グーム・ライジングサン(残念ながらこれは夕方の撮影)

1912年6月、ダライ・ラマ13世の一行が滞在先のカリンポンからチベットに戻ってゆくと、青木と多田はダージリンに移り、チャールズ・ベルの紹介でここを借りたのだった。青木は同年9月に東ネパールを経由して入蔵。多田は翌年8月までここに滞在した後、ブータン経由で入蔵を果す。

フィールドワークの記録

人間ドック

2010年07月06日
生まれて初めて1日人間ドックなるものに入ってみた。場所は南海本線堺駅に隣接するホテルの11階である。ちょっとしたホテルのような内装で、ソファがいくつも置いてある広い待合室からは、堺港がよく見える。

看護師さんのような女性たちがうようよいて、そろって物腰が柔らかく、親切、丁寧だ。考えてみれば、われわれは患者予備軍ではあるが、まだ患者そのものではない。彼らにとっては「お客様」なのだ。

番号を与えられ、お仕着せに着替えさせられて、ベルトコンベアに乗った製品のようにあっちに回され、こっちに行かされる間に一丁上がりになるシステムだ。

一通り検査項目をこなし、医師の説明を受ける前に食事をするようにとホテルの食事券が渡される。フレンチかイタリアンか中華だが、店の名前が気にいって中華に入った。

何を食べてやろうかなと思いながら、受け付け嬢に食事券を示すと、「Bクリニックのお客様のお料理は決まっております」
そりゃ、そうだわな。サービスの食事券一枚で、豪勢にやられた日にゃ、たまったもんじゃない。

気のせいか他の客よりもゆっくり運んでくる料理を口に運びつつ、近くのテーブルで愉快そうに話をしている「お年寄り」たちの様子を見ながら考えた。10数年後に俺はどんな老人になっているだろうかと、たまに考えることがあるが、そういう未来は本当はやってこないという可能性だってあるわけだ。御山にもどったらまずは部屋を片付け身辺整理しよう。

判定では、たっぷり注意された上で無罪放免となった。特に精密検査に進む必要はないから、まあまあというところであろう。イギリス傘
*2010年2月 ロンドン・ラッセルスクウェア 雨が降るのでホテルの近くの雑貨屋で傘を買った。この通り英国国旗をあしらったド派手なやつだ。今も雨の日には重宝している。


ある大学教員の日常茶飯
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