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川の結婚

2010年06月30日
川の結婚
*2001年9月、インド・シッキム州

写真はティスタ川(右上)とランギット川(左下)の合流点ドヴァン。ここはシッキムの先住民レプチャ族に伝わる川の結婚伝説の舞台である。

昔むかし、ヒマラヤの奥に男の川ルンニョ(ティスタ)と女の川ルンニット(ランギット)が別々に暮らしていた。二人は結婚の約束をし、ドヴァンで落ち合うために山を下ることにした。

ルンニットは海蛇を道案内に立てた。海蛇はまっすぐに進み、ルンニットは迷うことなくドヴァンに向かった。一方、ルンニョはウズラを道案内とした。ウズラは餌を求めて右往左往したので、ルンニョはジグザグに進み、ドヴァンに着くのにたいそう時間がかかった。

先に着いたルンニットは、そこに誰もいないのを見て先に進んでいった。あとからやってきたルンニョは、これを知ってたいそう腹を立てた。

「俺は男だ。だから先に着かなければならなかったのだ」

プライドを傷つけられた彼は憤然としてもと来た道を戻ろうとした。そのため川の水が逆流して辺りは大洪水になった。この騒ぎを聞きつけたルンニットは、ルンニョをなだめようとして言った。

「殿方にもまちがいはあるわ。私の肩の上をお通りになれば」

そのためこの合流点では、ルンニット(ランギット)はルンニョ(ティスタ)の下にもぐりこみ、その青い水はルンニョの黒い水におおわれている。ルンニットはまっすぐに流れているのに、ルンニョの流れは曲がりくねっているのだとさ、どんどはれ。
(C.de Beauvoir Stocks, Folk-lore and customs of the Lap-chas of Sikhimより)

合流点
*ドヴァンではティスタ(右)とランギット(左)の水が押し合っている。


フィールドワークの記録

ガントク、ノルキル・ホテル

2010年06月27日
ノルキル・ホテル
夕方、ガントクに着いた。この日の宿はノルキル・ホテル。

日本人はなぜかあまり行かないが、ダージリン、カリンポン、ガントクの三つの都市を結んだ三角形は、西洋人には人気のリゾート地帯である。ところがシーズンだというのに泊まり客がほとんどいない。

それもアメリカでのテロと差し迫った戦争の影響であった。特にアメリカ人旅行者はテロの標的にされるという噂があった。

がらんとしたレストランでの夕食時、地酒のトンバを賞味する。これは稗などを発酵させて作る酒で、竹を割った器にもろみが入っていて、これにお湯を注いでアルコール分が沁みだしてきたところをストローで吸う。なかなかおつなものである。

ほろ酔い気分で部屋に戻り、テレビをつけると見たような映画をやっている。前にも一度書いたことがあるが、これが何と「ランボー 怒りのアフガン」であった。これが迫りくる戦争に因んでの放映ならば、ものすごいなと思いながら、しばらく見ていたが、旅の疲れでいつのまにか眠ってしまった。
フィールドワークの記録

西シッキム・タシディン僧院

2010年06月25日
タシディン
*2001年9月、西シッキム・タシディン僧院

出かけたのは、あのアメリカ同時多発テロが起きた十数日あとである。アメリカなどによるアフガニスタン攻撃が差し迫り、戦争の足音が次第に高くなっていた。

旅行代理店の社員は私に「今からキャンセルすると、キャンセル料がかかりますよ」と言った。もとより、何となく怖いというだけでは外国出張を取りやめることはできない。ところがコルカタで出迎えたガイドは、「日本からのお客さんは99パーセントキャンセルしました」と告げた。私は彼にとって100人に一人の奇特な客だったわけである。

とはいえコルカタからバグドグラに飛び、空港で専用車の出迎えを受けて、ティスタ渓谷をシッキムの州都ガントク目指して遡ってゆく時の気分は愉快そのものであった。


フィールドワークの記録

東チベットの道

2010年06月23日
東チベットの山々2

東チベットの山々1

2005年8月、青海省の玉樹から四川省のデルゲ(徳格)へ抜ける途中の風景は本当に美しかった。そびえたつ岩峰、ゆるやかな起伏を作ってどこまでも続く緑の大地、草を食むヤクたち、牧民たちの天幕。

デルゲに近づくにつれて丸太小屋が現れたのにも驚いた。樹木の少ないラッサ周辺から西では考えられないことだ。
西寧から出発して、アムド(東北チベット)を縦断し、カム(東チベット)を経由してラッサに入ったこの旅を境に、私のチベット観は大分変った。


フィールドワークの記録

サムイェー寺の鐘

2010年06月22日
サムイェ―寺の鐘
*2005年8月 サムイェー寺

サムイェー寺(779年大本堂完成)にはなぜかなかなか行く機会がなかった。初めて訪れたのは2005年になってからである。

この鐘は、この寺を開いたティソン・デツェン王時代のもので、この王のための願文が刻んである。
まぎれもなく8世紀の遺品だ。

チベットの仏教教団はここから発足した。この意味でこの寺はチベット第一の名刹と言える。

フィールドワークの記録

小さなアルバム

2010年06月20日
ドッキンチャムリヤ村

長女が、誕生日のプレゼントに、私が撮った写真で小さなアルバムを作ってくれた。広島の業者を使い、制作部数は2部、写真は20数枚で、インド、バングラデシュ、ネパール、中国などで撮ったものから選んである。タイトルは、電話で「風とでもしておいてくれ」と話したのが、こうなった。表紙は、バングラデシュのタンガイル県ドッキンチャムリヤ村の子供たちで、最も気に入っている一枚である。
ある大学教員の日常茶飯

チベットの石のライオン

2010年06月17日
チベット・蔵王墓 2005年8月
*2005年8月 中央チベット・山南地区チョンギェー

ここはヤルルン渓谷の奥地チョンギェー。ヤルルン王朝(古代チベット帝国)発祥の地だ。この石獅子はチベット王(ツェンポ)の一人を葬った古墳の上に立っている。石獅子はペアになっていて、墓を守る狛犬という風情だが、もう一頭の方は大分壊れている。

リチャードソンが言うように、この墓の主がレルパチェン王だとすれば、このライオンは1100年以上もここで風雨に耐えながら主人の墓を守ってきたことになる。

古代チベットの貴重な遺物だ。

この谷には、伝ソンツェン・ガムポ王陵をはじめとする古墳が十数基ある。
ここをチベットの王家の谷と呼んだのは、私が最初だと思う。今は旅行会社のパンフレットなどにもキャッチフレーズとして使われている。
背後の山の稜線に長城のようなものが見えるが、あの辺りにあったのが名高いチンワタクツェの城。かつてのソンツェン・ガムポの居城である。

チョンギェーはダライ・ラマ5世の出身地でもある。
5世の原風景の中に、いにしえの栄光を偲ばせる大古墳群があったことは重要だと思う。

ここを初めて訪れたのは1986年の東北大隊の時である。私たちが河原にテントを張ると、近郷近在の村人たちが見物に集まってきた。まだ外国人が本当に珍しかったのだ。

中にはかわいらしい女の子もいて、隊員たちは争ってこの子の写真を撮った。その兄も賢そうな少年で、さすがに5世の村だけのことはある、と妙な風に感心したのを覚えている。兄弟の母親は私たちに舌を出して挨拶した。伝統的なチベット人の最敬礼である。当時まだ田舎にはその習慣が残っていたという訳だ。

フィールドワークの記録

はやぶさに一枚!

2010年06月15日
はやぶさは小惑星イトカワの地表面に30分ほど倒れこんでいたそうである。そこから立ち直り、何年もかけて地球まで戻ってきた。けなげな頑張り屋なのだ。
しかもカプセルを発射すると、自分は大気圏に突入して燃え尽きてしまった。

何だかほろりときた。

カプセルの中にイトカワの沙粒でも入っていれば、またまた大ニュースだが、そうでなくてもいいじゃないか。財政難の折から、2号機のめどが立たないなんて、あんまりだ。

はやぶさに一枚やってくれ!

セイント★

こちらは星は星でも『聖☆おにいさん』。1、2巻はすでに娘に借りて読んでいたが、改めて既刊全5巻を「大人買い」してみた。

忙しくてまだ詳しく読む暇がないが、ブッダとイエスという極めつけのスター聖人が同じ部屋に下宿しているという設定は悪くない。本人たちが真面目にふるまえばふるまうほど、そこはかとないおかしみを感じさせる、というコメディーの定石を押さえていることも理解した。

これでもう少し表現力がupすれば…
研究ノート

チベットの母なる大河

2010年06月12日
チベット・ツァンポ河 2005年8月
*2005年8月 中央チベット・コンカル

ツァンポ河は西チベットに源を発し、チベット南部に広大な河谷を造って東に流れている。東チベットのコンポで急激に向きを変えてインドに流れ下り、ブラフマプトラ河となり、さらにジャムナ河と名を変えてベンガル湾に注ぐ。

この河の中流域こそチベット文明の揺りかごだ。

写真はコンカル・ゾンのある丘から下流を眺めている。右の丘の上に見えるのがゾンの廃墟。いつも下の道路から見上げながら素通りするだけだったので、この日は立ち寄って、尾根伝いの僧院も訪ねた。

フィールドワークの記録

ダウラギリ

2010年06月09日
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*2000年5月 ダウラギリ

ゾン・チュの谷に向かう途中で見たダウラギリ主峰(8167m)。チョモランマ(エベレスト)よりはちょっと低いが、地球上で最も高い山の一つである。

2000年5月、私は、Rさんの案内で、松井亮さん、読売のK岡さんらと共に2度目のムスタン旅行に出かけた。最初の4日ほどは不眠で苦しんだが、全体的にはとてもいい旅だった。

その一部始終は、松井さんとの共著『ムスタン 曼荼羅の旅』(中央公論新社)に書いたので、この地方に興味のある方はご参照願いたい。

フィールドワークの記録
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