04月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫06月

注釈―もひとつ『高山寺蔵 南方熊楠書翰』余録

2010年05月31日
『高山寺蔵 南方熊楠書翰』は注が多い、とみんなに言われるが、やみくもに付けたわけではない。

たとえば、高校の歴史の教科書に出てくるような著名人をつかまえて、これはどういう人物かを説明するのはスペースの無駄だからやっていない。しかし、そこに文脈上特別の意味があったり、付け加えるべき情報があったりした場合には、その角度から注を付けるようにした。

大学三年生の時、先輩に勧められて、図書館からベルギーのプサン(L.de la Vallee Poussin)という学者の『ラビダルマコーシャ・ドゥ・ヴァスバンドゥ』という本を借り出した。『倶舎論』のフランス語訳である。本を開こうとすると、フランス装のページがまだ切られていない。つまりこれを読むのは私が初めてだったわけだ。そこでペーパーナイフを買い、切りながら読んだが、驚いたのは、その中身であった。ページごとに本文はほんの数行で、あとは全部脚注で埋められている。なるほど、こんなものか、と思った。昔は教養部というものがあったから、三年生といえば、専門の勉強を始めたばかりである。最初の印象というのは怖ろしい。いつのまにやら癖になった。

助手の頃、松長有慶先生の指導の下で、『梵語仏典の研究? 密教経典篇』(平楽寺書店)というビブリオグラフィーをまとめることになった。その仕事を始めるに当たって、私は、一緒にやる仲間たちに次のような意味のことを話した。

「俺たちがこれから作ろうとしているのは専門家のための参考書だ。参考書というものは、実際にはそれを参考にして多大な便益を受けながら、参考にしたと断らなくても、大して気がとがめない、というかわいそうな存在だ。われわれの本もそうなる危険がある。つまり労多くして功少ないの典型だ。そこで相談だが、幸いまだ時間はたっぷりあるので、各自の受け持ちのなかで、これだと思う文献については、写本にさかのぼって自ら研究し、その成果を脚注にどんどん盛り込もうじゃないか。そうすれば誰も見て見ぬふりはできなくなるだろう」
この仕事には多大の労力と時間を要したが、上述のもくろみは大体達成されたと思っている。

デイヴィッド・スネルグローヴとヒュー・リチャードソンの共著『チベット文化史』(春秋社)を翻訳出版した時も、冒頭から長大な訳注を付けて驚かれた。別に意図して読者を驚かせようとしたわけではなく、必要な個所に必要なだけ書いたに過ぎないが、気分は悪くなかった。

因みにこの本に付けた一番目の訳注は、チベットの地理的な範囲に関して、エスニックなチベットと政治的なチベットを分けるべきだ、というチャールズ・ベルやリチャードソンの説をまとめたものだ。当時、そして今もおそらくそうだが、この二つのチベットがごちゃまぜに議論されている状況を何とかしたいと考えて書いた。

そして今回である。あまりこういうことを得意げに書いていると、いたずらにペダンチックなことをやっている人間のように誤解されかねないが、私としては、時々の仕事そのものからの要求に従っているだけである。そのやり方が普通一般よりもやや「ひつこい」かもしれないが。

研究ノート

エピタフ

2010年05月30日
先日、部屋にやってきたK田君が一言。「この部屋、いよいよすごいですね。ブログにもあんなこと書いてるし。この際、先生もパーっとやった方がいいっすよ、パーっと」
「そうかな。混乱こそわが墓碑銘と言うではないか」
「なんですか、それ」
「キングクリムゾンの名曲『エピタフ』だ。Confusion will be my epitaph.てな。君とじゃ世代が違うか。それにしてもすごいセリフだろう」
「…確かに、この部屋を見るとコンフュージョンは実感できますが…」

とまあそんなわけで、昨日は大阪に出て上天気の一日を過ごした。梅田も難波も相変わらず人の波である。

梅田の紀伊国屋書店には『高山寺蔵 南方熊楠書翰』の在庫がなかった。売れたのだろう、とよい方に解釈する。

K田君が、機会あるごとに書店周りをして、神田のA店では平積み、梅田のB店では片隅などと報告してくれる。気にはなるが、編者としてなすべきことはすべてなしたつもりである。次を考えた方がいい。

新梅田食堂街で昼飯を食べてから難波に移動。

なんばグランド花月前のたこ焼き屋に群がる観光客をかきわけるようにしてジュンク堂に入る。

ここも人が多い。やれ、本が売れなくなっている。やれ、iPad出現で大変だ。などと言われているが、今の形式の本がなくなってたまるものか。

本たちの背表紙をながめているうちに、ふつふつと勇気のようなものが湧いてきた。学者のエピタフは本と論文だ。

5月28日の「京都新聞」夕刊にユーミンのインタビューが載っていた。
「方向さえ間違っていなければ、パーソナル(個人的)なことをきっちり言えば言うほどジェネラル(一般的)になる。個を追求すれば公に通じるもの。最大公約数的なことをただ言うだけでは、誰にも当てはまらなくなります」
共感することしきり、であった。
2009.8-9河西回廊2 362
*これは北京孔子廟にある元代進士題名碑。科挙の登第者の氏名や出身地が刻んである。








研究ノート

出前講義二回目

2010年05月25日
伊都高校二回目の出前講義のテーマはバングラデシュ。

この講義は、毎回トピックとスライドショーで構成するようにしている。今回のトピックはグラミン銀行。前もって何冊か参考書を読んだが、どれも礼讃調だったので、人間こんなに正義の味方ということがあるのだろうかとひっかかることしきり。そこで慎重を期して、かねてこの銀行に対しては辛口批評の◎さんにメールで尋ねたところ、俄然、矢のようにメールが飛んできた。

詳細は省くが、何でも多角的に見ることが大事だということ。高校生にどれほど通じたかは分からない。
バングラの村で
*糸を紡ぐ女性たち(バングラデシュのある村で)

今日から新しいことを始めることにした。それが一番の薬です。

高野山大学の力

やな渡世

2010年05月24日
昨夜あまりにも気分がくさくさするので、コンビニでワインを買って曼荼羅荘で飲んだ。久しぶりなので最初の一杯はおいしく感じたが、二杯三杯と重ねるうちに気分の悪い酔い方になった。

 やな渡世だなあ・・・

11時過ぎに床に就いたが、どうしたわけか午前3時頃目が覚めた。仕方がないので、たまたま枕元にあった浅田次郎の『天国への百マイル』を読みはじめる。中を適当に飛ばしながら最後まで読み切る頃には夜が明けて鶯が鳴きはじめた。

おかげで今日もやる気の出ない一日だった。このところ続いていた気分の高揚が一気にしぼんでしまった感じ。

ある大学教員の日常茶飯

杏の短冊―久しぶりの『高山寺蔵 南方熊楠書翰』余録

2010年05月22日
確かなことは言えないが、熊楠は、色紙や短冊を書くのが好きではなかったように思われる。彼ほどの有名人ともなれば、揮毫を頼まれることも多かったはずなのに、去年和歌山市立博物館で開かれた「エコロジーの先駆者 南方熊楠の世界」展を見ても、この種の展示物は、皆無ではないが、ごく少なかった。

その熊楠が一生に一度のつもりで書いた短冊があった。いや、書いたというのは正確ではない。自分が歌を詠み、それをある人物に代筆させたのである。しかもサインは、「かかることで少しも名を出すを好まぬ」という理由で省かれている。

熊楠がこうまでしてこの短冊を書いたのは、法龍に頼まれたからである。法龍は法龍で、これを松浦という人物に頼まれている。松浦には、有名人の短冊を集めた冊子か何かを出版する意図があったらしい。

その歌は、杏林(医者の美称)の由来となった故事を題材としたものであるというが、実際どんなものであったかは短冊の行方とともに今は分からない。

熊楠の代筆を務めたのはT嬢である。熊楠は誰とは明言していないが、手紙の文言と彼の日記などを照らし合わせると、Tであることが知られる。このことは『高山寺蔵 南方熊楠書翰』?35の注に書いた。Tはこの頃熊楠が憎からず思っていた相手である。

杏を詠んだ歌は珍しいらしい。女文字でしたためられた無署名の杏の歌の短冊。雲をつかむような話だが、心当たりのある方はご一報願いたい。
研究ノート

良い本を作れば必ず売れる

2010年05月18日
 良い本を作れば必ず売れる。

昨日の朝配信された産経ニュースでの藤原書店、藤原社長の獅子吼である。

本といえば、自分の分身か子供のようなものである。こういう人のところから本を出すことができてよかったと思う。

昨日になってようやく『中外日報』5月11日付に掲載された拙稿を確認した。タブロイド版1ページ全部の大きな扱いで、編集のTさんが考えてくれたと思われる見出しが縦横に5つも走っている。本文は中外日報のホームページでも見ることができるので、興味のある方はどうぞ:
http://www.chugainippoh.co.jp/NEWWEB/n-interviews/rondan/2010rondan/100511rondan.html

昨日は、朝からメールを5,6本やり取りし、書類を5,6枚書いて事務まで届け、添削を3本終わらせ、電話を2,3本し、学生たち10人位と話をしたら夜になってしまった。今日はもう少し気合いを入れて資料を読もう。

ある大学教員の日常茶飯

読売新聞に書評が出る

2010年05月16日
今日16日の読売新聞朝刊に『高山寺蔵 南方熊楠書翰』(藤原書店)の書評が出た。

ありがたい話である。

評者はノンフィクション作家の黒岩比佐子氏。「やはり南方熊楠はただ者ではない!」と結んである。そうだよね。この乗りでいいんだよね、と再確認する。(全文、読売オンライン→読書(本よみうり堂)→書評→一覧、で読めます)
できれば熊楠の名前だけでなく、われわれ編者の名前も出してもらいたかったが、欲を言い出したら切りがない。

『大法輪』に関連記事を書かせてもらっていることはすでに報告した通り。また高野山時報に斎藤史子先生が書評を書いて下さった。まだ確認していないが、中外日報にも記事が出たはずで、追って報告したい。
はごろもジャスミン
*読売新聞と黒岩氏へ感謝を込めて。はごろもジャスミン。

ある大学教員の日常茶飯

喫煙ルーム

2010年05月15日
ある委員を委嘱されて東京に出張した。

のぞみに乗って知ったのは、いつのまにか全席禁煙になり、どうしても吸いたい人は喫煙ルームにどうぞ、となっていたことである。
まあ、いいことではないか。

私はタバコを吸わない。だから喫煙車にはめったに近付かない。しかし混んでいる、座りたい、などの理由で、これまで何回かは喫煙車に乗ったことがある。

実に苦しかった。たまりかねて、車掌に抗議したこともある。

「禁煙車をもっと増やしてもらえないだろうか。見たところ、この車両で本当にタバコを吸っている人はせいぜい4人に1人だ。あとは私のように仕方なく座ったか、配偶者や職場の上司・同僚のために長年受動喫煙にさらされ、ついにはタバコの煙を何とも感じない体にされてしまった人たちだ。どうしてもこの時間にタバコを吸わなければ死んでしまうという人だけ、もっと狭い部屋に閉じ込めればすむことで、その分禁煙席を増やしてほしい」

その時車掌が言ったことばは今も忘れない。

「喫煙車をもっと増やせというお客さまもいらっしゃいます」

お、おのれ!タバコのような百害あって一利なきものを単なる嗜好の問題と片付け、ご意見を平等にお伺いする体を装いながら、利用者の健康を守るという公共交通機関として最低限果たさなければならない使命を放棄するつもりか!

こう怒鳴ろうと思ったが、隣の席で煙突のように煙を吐いているサラリーマン風の男がじろりとにらむので、それは止めて、
「僕はあなたとここで議論しようというのではない。そういう意見が一利用者からあったということを上司に伝えてくれればそれで十分なのであって…」

われながら竜頭蛇尾に終わったが、とにかく納得のできない対応だった。まあ、今となっては水に流すが。

公の場ではタバコが吸えなくなっている愛好者、あるいは依存症の人には多少の同情心は持っている。ただ屋内で吸えなくなった分、路上喫煙が増えるとしたらそれも困りものだ。

ある大学教員の日常茶飯

高校との連携授業で伊都高校へ行く

2010年05月11日
雨の中、高校との連携授業で伊都高校に出前授業に行き、50分授業を2コマ行なった。統一テーマは「アジアを知ろう」で、今日はインド編。これから隔週で7月までバングラデシュ、ネパール、チベット、中国を取り上げる。

いずれも現地調査を通して感じたこと考えたことをスライド・ショーをしながらお話しするという趣向である。


伊都高の生徒たちは最後まで集中力を切らさずに聴いてくれて、なかなか感じがよかった。担当の先生方も一緒に聴講された。それは先方の心遣いで、高校の先生も忙しいだろうに、と申し訳なく思ったが、やりにくい感じはまったくなく、すいすいできた。

気をよくして御山に戻った。
高野山大学の力

猫楠の行水

2010年05月09日
8日(土)は田辺で山折哲雄先生の南方熊楠賞の授賞式と記念講演、そして祝賀パーティーがあった。都合でパーティーにしか出られなかったが、田辺じゅうの名士が集まったかと思われるほど盛大、かつ和やかな会だった。

山折先生、本当におめでとうございます。

一泊して、今朝、闘鶏神社を訪れた。この神社は、武蔵坊弁慶の父親とも言われる熊野別当湛増が、源平のどちらにつくかを紅白の鶏合わせによって決したという話によって知られている。

山折先生 022
*拝殿の背後がこんもりとした杜になっていて、今も貴重な植物が多いという。

山折先生 016
*境内にある湛増と弁慶の像。


熊楠の奥さんの松枝さんは、この神社の宮司田村宗造の四女だった。
境内を回っていて思い出したのは、二人が婚約中のある日、熊楠が丸々とした灰色の猫を抱えて訪ねてきて、この猫に行水をつかわせてほしいと頼んだというエピソードである。

二人の娘文枝さんが松枝さんに聞いたところによれば、田村家では姉妹総出でテンヤワンヤの騒ぎの末、ようやくこの猫を洗い終わると、きたならしく見えた灰猫が白黒のはっきりしたなかなかハンサムなぶち猫に変わった。熊楠は大喜びし、その後も虎猫や三毛猫を連れてきて行水を頼んだという。

熊楠は大の猫好きだった。『高山寺蔵 南方熊楠書翰』に収録された一書翰には、猫族は哺乳類の中で身体構造が最も優れているということが自慢げに書いてある。

熊楠らしいこのエピソードを、水木しげるさんも『猫楠』の中に取り入れている。





研究ノート
 | HOME | Next »