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連休!

2010年04月30日
このところ書類書きに追われていたが、今日がその締め切りで、ぎりぎりのところで間に合った。
連休といっても、遊んでいられる身分ではないが、ともかく一仕事終わった。
ある大学教員の日常茶飯

晴天

2010年04月29日
昭和の日 002
夜来の雨が上がって午後からはよく晴れた。

昭和の日、御山は参拝者で賑わっている。





ある大学教員の日常茶飯

『高丘親王航海記』

2010年04月27日
今日の高野山は午後から荒れ模様で小さな嵐のようだった。おかげで本山前の枝垂れ桜も大分花を散らしてしまった。
この天候のせいでもあるまいが、今日は院生たちを怒ってばかりいた。「これ、もう少し厳密に訳さないと」「あんまり余計なことやってると論文書けないよ」「こりゃタイトルが○○っぽいな」

高丘
先日、澁澤龍彦の『高丘親王航海記』に触れた。今度その初版を手に入れたので、改めて紹介したい。全集本でなく、文藝春秋刊の初版にこだわったのは、1987年に出たばかりの本を書店で見た印象がまだ残っていたからである。

「そのとき、和上のうしろの壇の上で、孔雀明王を背中にのせている三尺ばかりの孔雀の像が、一瞬、その蛇紋のある長い首をぴくりとうごかし、その左右にひろげた羽をぶるぶると震わせたような気がして、親王はわが目を疑った。しかもよく見れば、その驕慢な鳥の顔が女の顔、もっとはっきりいえば藤原薬子の顔そっくりに見えて、はっとした。死んだ薬子はどうも鳥に縁があるようで、これまでにも何度か鳥のすがたをして親王の夢にあらわれている。(中略)
 親王がじっと見ているのに気がついたらしく、孔雀はふたたび首をかしげると、ごく低い声で『訶訶訶訶訶……』と鳴きはじめた」(pp.126-127)

この後、高丘親王は、孔雀明王と入れ替わって、薬子である孔雀の背に乗り、和上、つまり弘法大師に見送られて、高野山の上空高く舞い上がる。

以上は、親王が見た夢である。

著者の念頭には、高野山霊宝館にある著名な快慶作の孔雀明王像があったかもしれない。

それにしても印象的なシーンである。念頭に置かなければならないことは、この時親王が数え年67歳の老人であるということである。彼は、幼年期に父平城天皇の愛人であった藤原薬子(ふじわらのくすこ)と過ごした思い出を忘れかねている。否むしろ、年を重ね、死が身近に感じられるようになるにつれて(天竺行そのものが帰るあてのない死出の旅路といってよい)、50年以上前に乱の中で自ら毒をあおいで果てた薬子への思いがますます募るのを感じている。

以前、弘法大師を主人公にしたフィクションを取り上げて、「弘法大師空海論を読む」(『高野山大学選書第5巻 現代に生きる空海』)という文章を書いた時、ついでにこれも入れたかったのであるが、紙幅の制約でできなかった。

 
読書案内

イヌイサンのレクチャーにお付き合い

2010年04月26日
23日、病院から戻ると、K?GURSのチェーンレクチャーのため京都の大谷大学に向かった。早めに着いて、大学博物館の展示を見てから、構内のカフェーでコーヒーを啜りながら張っていると、まもなくイヌイさんが大きなかばんを二つも下げて通りかかった。

教務と教室に案内する。今年度から始まったチェーンレクチャーの共通テーマは建学の精神である。
イヌイさんの講義は準備十分で、聴いていてためになった。これは決してヨイショではない。

さすが日本全国にお笑いを供給している大阪出身だけのことはある。思わず吹き出したくなるようなエピソードもちりばめられていた。

7時半に終わって、京都地下鉄と阪急と大阪地下鉄を乗り継いで天下茶屋まで戻ると、もう9時を回っている。そのまま別れようとすると、
「ちょっとラーメンでも食べていかへんか」
これが危ないのだが、つい、「そうですね」と乗ってしまう。
駅前の中華屋に入ると、案の定、「それじゃ、ビールでも」となった。私の事情は電車の中で話してある。運ばれてきた生中を恐る恐る口に運ぶ。
「どうです、うまいでしょう。久しぶりやから」
「いや、そんなにおいしく感じませんね」
4月の下旬なのにコートが必要な寒さである。冷たいビールがおいしく感じられなくて当然だ。
それではというので、紹興酒の熱燗を小瓶で頼む。餃子、レバニラ炒め、ラーメンで腹を満たし、イヌイさんの電車がなくならないうちに駅に戻った。
ほろ酔い加減で、ちょうどよかった。
ある大学教員の日常茶飯

3週間禁酒する

2010年04月25日
4月2日病院に行った。お酒を飲んだ夜には胃が重く、時々胸やけを感じていたからである。

お医者はいかにもベテランだった。

「潰瘍だね。前にやったことないの」
「25年ほど前に一度十二指腸潰瘍やってますが」
「それだ」
(あのねえ、それ25年前だっての)

「血圧も高い。下げておいた方がいいよ」
(時間がなかったので、病院まで小走りで来たんだけど…)

「親族に糖尿病ない?」
「あ・り・ま・せ・ん」

「まずは来週、胃透し!」
「イトーシって何ですか」
「バリウム飲んでレントゲン撮るの」

うへーっ。

というわけで、とりあえず禁酒することにした。おかげで、田辺の南方熊楠顕彰館で学術部会議が終わった後も、センセイ方が「はよ酒、のも、のも」と騒いでいるのをしり目に、「今日はちょっと仕事がありますので」と一人さびしく去らなければならなかった。

一昨日改めて診断を受けた。

「血液検査の数値に問題はない。胃がちょっと荒れてるという程度だな。血圧も正常、と。でも念のためしばらく薬飲んでおく?」
「結構です」

いったい何のためにバリウム飲んでごろごろ転がされたのか分からない。
だが問題なしと言われて気分が悪かろうはずはない。「うわさのリボンブラ体操」でも踊ろうかという気分で病院を出た。

これからは酒はほどほどにしよう。やっぱり、しばらくは禁酒がいいか。

身近な人々の(実感あふれる)金言を記し、戒めとする。

「酒はいけません。酒は人生を狂わせます」(A藤)
「熊楠が75で死んだのも、若いころから酒を飲みすぎたせいだと思いますよ」(M居)
「アルコールは脳細胞を破壊するぜ」(K島)
ある大学教員の日常茶飯

跳ねる坊さん。

2010年04月21日
跳躍する僧侶
*これも2004年7月、玉樹での祭りのひとコマ。

カムの男は竹を割ったような性格。カムの女に惚れられると、最後には命を取られるとも言われている。昔は旅人を襲う盗賊として恐れられた。

私が観た賽馬節(競馬会)は、陸上競技場が会場で、山里の文化祭兼スポーツ大会のようなものだったが、限られた時間内にいろいろ見ることができるという点ではよかった。

この日の晩、西寧から同行したK氏が、「一人では決してホテルから出ないでください。祭りの夜はカム人が酔って喧嘩をするので危ないです」と警告してくれたのを思い出す。カム人は喧嘩をするとすぐ刀を抜くから、と。人間に野生の荒々しさが残る土地でもあるのだ。

早く祭りが再開できるほど、町が復興されることを願う。
研究ノート

玉樹震災募金

2010年04月19日
玉樹の震災はいよいよそのすさまじい全貌を露わにしはじめている。

高所プロを中心に義捐金を募る回状が回っている。このプロジェクトの調査地の一つが玉樹だった。

これを読んだ人もできれば募金してもらいたい。むろんできる範囲で、手近な方法でお願いする。

玉樹の姉妹
*玉樹の姉妹:2004年7月、賽馬節にて。ハレの祭りに伝統的なコスチュームで着飾っている。毛皮はカワウソの皮だ。民族衣装を着ると、特に女性は別人のようになる。翌日、商店街で出会った時には、平服の普通の女の子たちに戻っていた。

この時は、青海省の省都西寧を早朝に発って、玉樹に着いたのは翌日の午前3時過ぎだった。今は道路がよくなったので、日本人記者は16時間くらいで現地入りしているらしい。





ある大学教員の日常茶飯

玉樹の地震

2010年04月14日
今日、青海省南部の玉樹県で強い地震があった。詳細は分からないが、建物が倒壊して、大きな被害が出ているらしい。

玉樹(ユシュ、ジェクンド)の一帯は、チベット人の伝統的な地域区分に従えば、カム(東チベット)に属する。カムバ(東チベット人)の故郷の一つだ。

私はこれまでに2度訪れ、祭りを取材したり、金細工師の仕事場を訪ねたりした。郊外には由緒のある寺院や貴重な遺跡が多い。今度の災害は他人ごとではない。
一昨年の四川大地震に続いてまたもやチベット圏で大地震とは…。今後の報道に注意したい。IMG_0002_NEW.jpg
*玉樹の町。なだらかな山々に囲まれたいい町なのだが…
研究ノート

高所プロの会議

2010年04月14日
これまでにも何回か触れてきたが、私は、京都にある総合地球環境学研究所の研究プロジェクトの一つである「人の生老病死と高所環境―「高地文明」における医学生理・生態・文化的適応」(略して高所プロ)の中の文化班というものに所属している(興味のある方は高所プロのHPをどうぞ)。

アルナーチャルに行っているのはそのためだ。

その関係で昨日召集がかかり、花冷えの京都のT研究所に顔を出した。3時からまるまる4時間、発表だのなんだのをやったあげく、Aさんの「爆弾発言」が飛び出した。
「このままじゃだめだぎゃ!」
彼はこの種の発言が好きである。

おかげでいろいろ刺激を受けた。続きは食事会で、の流れだったが、これは断って帰途に就いた。私としては珍しいことだ。これには訳があるが、今は控えておこう。
ある大学教員の日常茶飯

井上ひさしさん

2010年04月12日
井上ひさしさんが亡くなった。

小学生の頃、「ひょっこりひょうたん島」を通じて言葉遊びのおもしろさを教わった。

仙台で学生をしていた時分、演劇鑑賞サークルに入っていて、いい芝居をいろいろ観たことは私の財産の一つだと思っている。その中に「吾輩は漱石である」など、こまつ座旗揚げ前の井上さん作のものもいくつか含まれている。「國語元年」「イーハトーボの劇列車」はテレビで楽しませてもらった。

訃報に接して、むしょうに井上さんの戯曲が読みたくなり、『井上ひさし 全芝居』を注文した。

ご冥福を祈ります。
ある大学教員の日常茶飯
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