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心配性

2010年01月29日
私は家族から極度の心配性とみなされている。まあ、事実であろう。そこで心配性とは何かを考えてみると、それは、悪い連想を次々にしていく性格と定義できる気がする。もしもこうなったら、ああなって、こうなって、そうするとこうなって、ああなる…うわー、大変だと。

これへの処方も考えてみた。次のように自分に言い聞かせること。「お前が心配したとおりに、ものごとが転がっていったことは、まだ一度もない」
ある大学教員の日常茶飯

地方のお寺に入ること

2010年01月27日
昨夜疲れてぼんやりしているところに、修士課程のU君が来た。彼は近頃O県の山間部のお寺に入った。標高500M近い台地にあって、周りの民家はかやぶき屋根であるという。さっそくグーグルアースで覗いてみると、確かに今では珍しい日本の農村風景が広がっている。

ここでいろいろ工夫し、檀家の人々と力を合わせて、理想を実現してゆきたいという。結構なことである。

お寺には畑もあり、蕎麦を打つこともあるそうなので、ネパールの蕎麦は真っ赤な花を着けるから、試してみるとおもしろいかもしれない、などとアドバイスした。

U君のケースは、一般家庭(在家)出身者が、高野山で修行と学問を積み、まじめさが認められ、チャンスをつかんでお寺に入るというパターンの成功例だ。
同様の例を何人も見ているが、みんながんばってもらいたい。

ついでながら研究の方も、一度やりはじめたことだから、何とか続けるようにと話しておいた。

ある大学教員の日常茶飯

恩師の逝去

2010年01月24日
20日に塚本啓祥先生が逝去された。昨日鎌倉で告別式があり、日帰りで参加した。

塚本先生は日本におけるアショーカ王碑文研究の第一人者であり、法華経その他の原典研究でも大きな足跡を残されている。

先生には奥様と共に仲人をしていただいたご恩があり、その後、助手としても仕えた。先生は事務能力に長けた方で、しかも自分の仕事を助手にやらせるようなタイプではなかったので、こちらは大助かりであったが、今思えば、申し訳ないことが多々あった。

助手在任時代に東北大学チベット学術登山隊に参加することを快くお許しいただいたことも、深く印象に残っている。助手が授業期間中に2ヵ月以上も研究室を空けるというのである。私であれば、先生のように一言の論評もせずに許すことなどとてもできないだろう。


焼香の際、「先生、本当にありがとうございました。安らかに」と念じた。


ある大学教員の日常茶飯

親鳥よ

2010年01月22日
親鳥よ、北風に立ち向かい、翼を強く広げよ。

下に隠れている雛鳥たちがおびえないように。


今朝研究室のある密教文化研究所に入る前に、ふと浮かんだ言葉。昨今の思いである。
ある大学教員の日常茶飯

快癒

2010年01月20日
今日は長い会議が2つ続けてあり、相当に疲れた。終わって、事務室で思わず「ツカレタ!」と口走ったら、Y脇先生が一言。「オクヤマさんは疲れをエネルギーにする人だから」。

疲労が本当にエネルギーになるなら、永久に働き続けることができるはずだが、人間はそうはいかないのだ。

1年半ほど前、右のまぶたの中にぐりぐりがあることに気づいた。慌てて医者に行くと、涙腺に脂肪が溜まったもので、害はない、そのうちなくなるとのこと。
以来、時々触って、眼球の上でそれを転がすようにしながら、老化とはこんなのがいくつもできることだろうか、と哀しく思っていた。ところがつい先日、それがなくなっていることに気づいた。ああ、こういうこともあるのだ。

インドで発症した腱鞘炎は、毎日「1ミクロン」ずつよくなっている。もう何かの拍子に「イテテ」と叫ぶことはない。快癒の日もそう遠くないだろう。

先週、慌てて飯をかっこんだ拍子に舌を強くかんでしまった。舌を洗面所の鏡に映してみてびっくり。ものすごく荒れているのである。すわ、これは何かの病気か!?一昨日、ようやく耳鼻咽喉科に行って、塗り薬とトローチをもらった。
「原因は何でしょうか」
「いろいろな原因が考えられる。要するに分からん」
まあ、悪性ではないらしい。これもいつのまにかよくなることを願っている。

ある大学教員の日常茶飯

今年の目標

2010年01月19日
遅まきながら、今年の目標を立ててみた:

「起きてしまったことは仕方がない」と「まあ、何とかなるさ」で明るく乗り切ろう。

いい年をしてこの程度か、と思われかねないが、私なりに深い意味を込めたつもりである。
ある大学教員の日常茶飯

震災から15年

2010年01月17日
大震災から15年である。

当時、私たちは橋本市の借家にいた。震度は4ぐらいだったと思う。地震は夜明け前に来た。

この程度の地震は東北で何度も体験していたので、もう一度眠って、起きて、テレビをつけて初めて、ことの重大さに愕然とした。

今関西では南海大地震の可能性が云々されている。揺れそのものも恐ろしいが、和歌山や大阪は津波が心配だ。

15年前の教訓が活かされて、今度は大丈夫だ、特に政府や自治体の対応は、と信じている人は少ないだろう。高野山は地盤が固いから地震には強いと言われている。しかし、私の場合、堺の家に帰って、家族の無事を確認しなければならない。南海電車も自動車も使えないだろうから、いざというときに備えて、50キロ歩き通す体力と気力を養っておく必要がある。



ある大学教員の日常茶飯

ケータイ不携帯

2010年01月14日
iPhoneを初めて見たとき、これは日本人には作れないものだ、と思った。日本のケータイは祖型である受話器やトランシーバーにとらわれすぎていると感じていたからだ。

ともあれケータイはこれからもどんどん進化して、今に中枢神経に作用してさまざまな生理的欲求まで満たしてくれるようになるかもしれない。ケータイの「オルゴンボックス」(知らない人は検索してください)化である。そして人間はケータイを24時間はなせなくなる。

私の考える悪夢の未来図である。

ところで私はケータイを持っていない。主義でというわけではなく、何となく持っていない。
今に何かのきっかけて持つようになるかもしれないが、メールというやつはひとに仕事を押しつけるのにこれ以上便利な道具はない。

私がケータイを持つようになったら、時には分刻みで連絡して、家族や知人や仕事関係者を困らせるに違いない。だからやっぱり、なしで済ませられるうちは、そうしておいたほうがいいのである。
ある大学教員の日常茶飯

御詠歌でめぐる四国八十八ヵ所

2010年01月11日
御詠歌でめぐる
先輩教員の下西忠教授が本を出した。『御詠歌でめぐる四国八十八ヵ所』(明石書店)がそれで、私も一冊もらったので、ここに勝手に紹介する。

札所めぐりに御詠歌は付きものである。四国八十八ヵ所にもそれぞれの御詠歌がある。それらが札所ごとに見開きで解説されている。おまけに御詠歌を詠唱したCD付きだ。八十八ヵ所に関する本は山ほどあるが、これは実にユニークで楽しい一冊だ。ただ読んで聞くだけでもよいが、これを持ってお遍路さんになれば、いっそう興趣が深まろう。


高野山は今、雪雪雪。お遍路さんが菜の花畑の中を行く春が待ち遠しい。













高野山大学の力

人間山脈

2010年01月09日
うちの大学院には、私がひそかに、いや半ば公然と、「マン・マウンテンズ」と呼んでいる三人男がいる。簡単にいうと、「壁」だ。実際には、それほど巨大という訳ではないのだが、私のイメージの中では、鬼太郎の仲間のぬりかべなみに膨らんでいる。
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・・・・(無題)

そのうちの一角を占めるニュードーが、昨日の午後、修論の提出を目前に控えて、サンスクリット原典の和訳のことで相談にきた。

韻文で書かれており、読んでみるとなかなか手ごわい。この手のものは、校訂テクストが完全には信じられないからなおさらである。

この点、ニュードーはとてもよくやっていて、手に入る範囲で、写本まで読んでいる。最近は語学をきっちりやる人が少ないから、彼のような人には頑張ってもらいたいものだ。




ある大学教員の日常茶飯
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