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一年

2009年12月30日
私の一年間のイメージは陸上競技場のトラックを上から見たような形をしている。ホームストレートが下(手前)、バックストレートが上である。ホームストレートの真ん中が元日でスタート地点だ。ここから陸上競技とは逆に右回りに回る。ホームストレートの真ん中が1月1日だと、バックストレートの真ん中は7月1日になるはずだが、私の頭の中では、どういうわけか、めもりが均等にはなっていない。バックストレートの前半が7月、後半が8月で、私の一番好きな季節。第二コーナーが9月だ。

ある時まで、私は、どの人もこういうイメージで一年をとらえているものと思い込んでいた。でも、多分そうじゃないんでしょうね。

私がこんなイメージを持つようになったのは、おそらく、小学校低学年の教室にこれに似た図が貼ってあって、毎日これを眺めていたせいである。

このトラックをあと何周できるかは分からないが、生きているうちは走り続けなければならない。
ある大学教員の日常茶飯

今年もお世話になりました

2009年12月28日
いよいよ年の瀬である。今年もお世話になりました。ブログ拍手にコメントを付けて下さった主な方々は次の通り。

ミータンTIBETさんには一番多くコメントを書いていただいた。チベット関係の各種情報はとても役に立った。

tanpopoさんにもいろいろ励まされた。ブログに『評伝 河口慧海』を紹介してもらって、ありがたかった。

タ・タイチョー(別名タイフーン)には一昨日会ったばかりだけれど、やはりありがとうと言っておこう。

真別処さんには寒さにめげず八甲田山雪中行軍隊なみに雪の中に飛び込む精神力をつけてもらいたい。

ジュニャーナパンダさんは、太りすぎないように気をつけてもらいたい。

それから、宮内さん、雨宮さん、感謝さん、お?いさん、やっさんさん、fumiさん、そのほかこのブログを見ていただいた大勢の人々にも同様に感謝を捧げたい。来年も何とぞよろしく。
ある大学教員の日常茶飯

歴史読本 日本の信仰人 宗教者100人

2009年12月27日
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二三日前にこれが送られてきた。この中の「◎特集ワイド 信仰が成し遂げた偉業の軌跡」に私は「河口慧海 志を胸にチベット入境を果した探検僧」を寄稿している。近代で取り上げられたのは、慧海と井上円了の二人だけだ。

井上円了を書いているのは、東洋大学の井上円了記念学術センターの三浦節夫先生だ。三浦先生には、慧海関係の資料をいただいたり、雑誌に寄稿させてもらったりして、これまでずいぶんお世話になっている。ついこの間だって、『評伝 河口慧海』に掲載する何枚かの写真の許可をもらったのは多分三浦先生からだ。手続きはすべて編集部がやってくれたので、私は直接にはタッチしていないが。
最近やたらとこういうことを書いている気がするが、結局、人は人の世話になって生きているということだと思う。
研究ノート

藤本さん

2009年12月27日
日本山岳会副会長の藤本慶光さんが山仲間数人と高野山に来られたので、昨夕、遍照光院で会食した。みなさん奥様連れである。大阪狭山からタイチョーも参加した。関東方面の山の大先輩たちを前にしたせいか、タイチョーも珍しくちょっと緊張気味だった。

とても気持ちのよいひとときで、岳友というものもなかなかいいな、と感じた。

お父様(藤本真光師)の事績を調べに大学の図書館に来られた藤本さんと出会ったのは6年位前だろうか。その後、何かにつけてお世話になっている。

タイチョーと出会ったのはそれ以前で、ネパール・ヒマラヤについて大量の情報を発信しているホームページがあることに気づいてこちらから連絡したのがきっかけだった。私の家からタイチョーの邸宅まで、車であれば10分もかからない。

この二人が実は昔仕事の上でとても近い関係にあったことを知ったのは、かなり後のことである。

これも不思議な縁。いや、縁そのものが不思議なのだ。


縁と言えば、遍照光院は密教学者の故・酒井真典先生のお寺で、会食に使った部屋には、トゥプテン・ギェンツェン(多田等観先生)のチベット語の扁額が掛けてあった。多田先生は大正期にチベットに留学し、ダライ・ラマ13世にかわいがられた。トゥプテン・ギェンツェンの名もダライ・ラマの僧名トゥプテン・ギャムツォから一語をもらったものである。酒井先生は東北大学に遊学して、多田先生からチベット語を習った。

ちなみに私は多田先生から見ればひまご弟子に当たる。











ある大学教員の日常茶飯

年末の所感

2009年12月25日
大学の事務も今日が仕事納めで、学内が急に静かになった。これから合同研究室のあるこの建物にやってくるのは、論文で切羽詰まった学生、院生ぐらいである。

ここ2、3日、公私ともにあたふたしたが、明日からは精神を集中し、2009年最後の数日を充実したものにしよう。

ある大学教員の日常茶飯

アバター

2009年12月22日
アバター(avatar)はサンスクリット語のアヴァターラ(化身)から来た言葉である。今回気になって調べてみたら、英和辞典にちゃんと載っていた。
テレビやネットで流れているCMを見る限り、宇宙版ポカホンタスという印象だが、多分あっと驚く仕掛けが用意されているのだろう。

昨日は人文研の研究会で、終了後、四条河原町の「おにかい」で忘年会があった。野菜中心のコースでなかなかおつなものだった。
客員研究員のフィッツジェラルド氏が、興味があるというので出版したものを送る約束をした。

私は今日一時間目から授業があることを考えて、アルコール抜きのつもりだったが、タナベさんの「明日のことは明日考えればいいじゃないですか」との勧誘に負けて、つい飲んでしまった。しかし9時半には中座して帰途に就いた。無事正月を迎えるためにさらに節制に努めなければ。





ある大学教員の日常茶飯

雪雪

2009年12月20日
煮詰まりすぎてどうにも進まなかった原稿が何とか上がったので、今夜は早めに曼荼羅荘に戻って、「Jin―仁―」の最終回でも見ることにしよう。

綾瀬はるかが好評だという。私はこの世代では「上野樹里一番説」(何のこっちゃ?)を取っているが、「鹿男あをによし」の綾瀬は悪くなかった。

昨日雪も情緒があるという意味のことを書いたら、真別処から便りが来た。水が凍って情緒どころではないらしい。真言僧はこうして鍛えられる。



ある大学教員の日常茶飯

2009年12月19日
新雪を踏んで研究室に入った。この三日間、高野山は冷凍庫に入ったような寒さである。雪は今も静かに、しかし確実に降り積もっている。

昨日の授業中、「高野山の雪景色はほんとにきれいだよね。おまけに寒さにも強くなれる特典付きだ。ここでひと冬過ごせば、チベットに行っても大丈夫だよ」と言ったら、みんな苦笑していた。

すべてものは考えようである。

実際、今年の3月にアルナーチャル・プラデーシュに行った折、同行のアンドーさんたちはひどく寒がっていたが、私は平気だった。高野山越冬の効用である。






ある大学教員の日常茶飯

忘年会

2009年12月18日
以前、東京青山のワタリウムで開かれた伊東忠太展で伊東の日記を見て、「昔の帝大の先生はやっぱりいい身分だな」と思ったことがある。それはある年の正月の日記で、彼は毎日のように飲み歩いている。

しかしもしもこのブログを私の実情を知らない人が読んだら、同じように「太平楽なやつだ」と思うかもしれない。何だか煙幕を張っているようだが、今年の暮はやたらに飲む機会が多いのである。


宴会はわいわい発散できるから、一人二人でジトッとやるよりはよほどましだが、ともかくできるだけ節制して無事に正月を迎えたいものだ。
ある大学教員の日常茶飯

高野山は白一色

2009年12月16日
高野山は一晩で真っ白になった。いつ降ってもおかしくない状態だとは思っていたが、朝、玄関の戸のすりガラスの向こうが白一色になっているのにはやはり驚いた。

先週の土曜日、梅田の弥生会館で開かれた日本ネパール協会関西ロビー例会は、まずディディゴ・イナバのスライドショーがよかった。彼女の語りは真情がよく出ている。

日ネの関西ロビーは個性的な人ばかりだ、というので東京からは恐れられてきたらしいが、いかんせん、高齢化が激しい。ディディゴみたいな若手をもっとたくさん育成せなあきませんな、タイチョー!

タイチョーが工夫してテンジンから今までとは違う話を引き出そうとしていたのも評価できる。テンジンは二十歳になって初めて本物の木を見たという。この体験は映画「キャラバン」の特にラスト・シーンに活かされている。蛇足だが、見たことのないものをなぜタンカ絵師は描くことができるのか。ここに伝統の力が働いている。

懇親会ではシュレスタ氏とよく話したが、彼が日本で成功できたのは、その能力もさることながら、やはり人柄だとつくづく思う。

会には黄檗山万福寺の田中和尚さんも来られていた。河口慧海関係の資料を求めて万福寺を訪れ、文華殿で田中和尚に初めてお会いしたのは16年以上前、堺北旅籠町の淡路郁宏さんを訪ねて行く途中だった。以来ことあるごとにお世話になっている。淡路さん夫妻にも言葉に尽くせないほどお世話になった。

何だか最近こんな論調が多いが、私も年を取ったということだろうか。
ある大学教員の日常茶飯
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